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「輪廻の蛇へようこそ」
 小さな、本当に小さな店だった。テーブルなどはなく入ってすぐにカウンター、それも椅子がひとつしか置かれていないのだ。カウンターのすぐ向こうにいた初老のバーテンは読んでいた本をカウンターに置き、椅子から立ちあがろうとしている。
 俺はその晩すでに大分酒を飲んでいた。さっきまで一緒に飲んでいた編集者とは次回作のことでちょっとした衝突があり、クソッタレな気分を紛らわす為に一人で飲み直そうかと店を探していた。
 そんな時、路地裏に普段なら気がつかなかっただろう明かりを見つけ、その店になぜか誘われるように入ってしまったのだった。 新月の夜で暗かったから気がついたようなものの月の明かりがあったらまず見逃していただろう。
「あ、いやすまないが……」流石にこんな変な店で飲む気にはなれない。一人席の飲み屋だなんて。
だがその時、バーテンが読んでいた本のタイトルに気がついてしまった。「それは……」
「ああ、この本ですか。『シングルマザー』今、話題の本らしいですね。」
 そういうとバーテンはなにかに気がついた。しまった。あの本には著者の写真が載っているのだ。
 バーテンはこれはサービスですと言わんばかりに勝手に酒を出すと、その写真について質問を浴びせてきた。
 くそっ、読者を無碍に扱うわけにもいかない。俺は渋々とその本の著者であることを認めるとその店でしばらく飲む覚悟を決めた。
「いやぁ、まだ全部は読んでいないんですが、話題になるだけあって素晴らしい本ですね。
 特に主人公の心理描写。ここまでの女性心理は普通、男には書けませんよ。相当、綿密な取材をされたんでしょうね」
「取材なんかじゃない。その本は俺の実体験をもとに書かれているんだ。」
「え?しかしこの本の主人公は女性ですよね?」
「そいつはだな……」俺はバーテンに語り始めた。

生まれてほとんど経たないころに孤児院捨てられたこと。捨てられたときはせいぜい生後一週間ってとこだったらしい。
そんな境遇でも孤児院の院長やシスターたちにはよくしてもらい、愛情いっぱい育てられたこと。
13の時、初めてのデートの帰りに行きずりの男に暴行を受け妊娠したこと。
そして出産し、その出産が難産であり手術が行われたこと。
手術の影響で一週間ばかりまともに意識がなく、その間赤ん坊には会えなかったこと。
意識がはっきりした時には赤ん坊はすでにいなかったこと。
死産だと聞かされたが、実際は赤ん坊は何者かに攫われたことを病院の噂で知ったこと。

そしてもうひとつ、ここからは本には書いていないことだ。
その出産の時までずっと知ることはなかったが、俺は両性具有だったのだ。
医者の説明によれば、男性としての性器があまりに小さかった為その時までみんな見落としていたのだろうという話だった。
ただでさえ14歳と言うのは出産に早い年齢であるのに両性具有であった俺の子宮はそれに輪をかけて未熟だった。
出産なんてハードなことは俺の体には無理だったのだ。出産の際の手術は赤ん坊だけでなく子宮まで全て取り出すものだった。
医者は更に未成熟ではあるが、適切な治療さえ行えば男性としても俺は子供を作ることが出来るだろうと説明した。
両性具有と言っても普通なら男としても女としても子供を作れないケースも多い中で俺は奇跡的なケースだったんだ。
それはつまりは出産がなければ、俺には性別を選ぶチャンスがあっただろうってことだ。
それまで14年もの間、そうやって生きてきた性別を捨てる必要はなかったんだ。
ホルモン注射による治療。毎日、髭を剃らなければいけなくなり始めてることに気がついた時はショックだった。
男性器はなるべく見ないようにしていたが、初めて興奮していることに気がついた時のショックの大きさときたら。
確かに世の中には望んで、自らの性別を変える連中もいる。だが俺は違う、違ったんだ。
あの体験から女であることは恐ろしかった。同時に男であることも忌まわしかった。
それから数年は本当に気が狂いそうだった。
そんな状況でも赤ん坊がいれば……その存在は慰みになっただろう。
望んだ相手の子ではなくとも、たった一人のわが子なのだ。
暴行した男、そしてわが子をさらった男。そいつらに復讐してやりたい。

「わかりますよ」
「なにがわかるって言うんだ!?誰にもこんなことがわかるもんか!お前なんかに……」
 酒に酔い、昔のことをここまで思い出していたのだ。俺は相当に興奮していたはずだった。 だというのに急に恐ろしいほどの眠気が襲ってきた。いや話しながらもどこか意識は朦朧としていた。
 だからこそ初対面のはずのバーテンにこんなことまで話してしまっているのだ。
 初対面?本当に?いや俺はこいつの顔をどこかで見ている。どこだ……。
「おまえ……いった……んな……」
「復讐をさせてあげましょう。」
薄れいく意識の中で聞こえた言葉。
復讐?ああそりゃしたいさ。だが、どうやって?
目が覚めるとそこは店の中ではなく、路地裏だった。
若い女の悲鳴が聞こえてくる。
俺はその悲鳴のほうへ向かって走った。
暗い路地裏を抜けた先は工事現場らしく、広い空間に満月の月明かりが差し込んでいた。
少女が倒れている。服は破け顔にはできたばかりの痣があり、どうやら気を失っているらしい。
少女の傍らにいた男が何をしたのか、なにをしようとしているのかは明白だった。
あの少女は俺だ!かつての俺なんだ!13歳のあの夜の俺なんだ!
そこからしばらくの事はよく覚えていない。覚えていることは二つだけ。
俺の体の下で蠢く少女の裸体と血だまりの中に横たわる男の顔。
意識のない空ろな目で満月を見つめていたそれはあの店のバーテンだった。

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あの恐ろしい夜。
なぜあんなことをしてしまったのか今ならわかる。
酒のせいだけではない。ある種の薬の影響があった。それを今の私は知っている。
今晩の為に私が用意したものと同じ薬だ。それは飲んだ者を軽い暗示状態に置く薬だった。
あの晩、私はそれを飲まされ暗示をかけられたのだ。
それが為に私は男を殺し、少女を犯した。
犯罪者となった私を救ってくれたのが、何者だったのかは今でもわからない。
異星人なのか高次元の存在なのか、はたまた遥かなる未来の人類それ自身なのか。
わからないのはその目的についても同じことだった。
私は彼らの指示で何百、何千回と時間移動をし、移動した先の時間で彼らの指示どおりの仕事をした。
それは時に人助けようにも思えたし、時にただの犯罪であるようにも思えた。
ある時代の病院から生まれて数日の赤ん坊を連れ出したこともある。
その赤ん坊はそこから14年ほど遡ったところにある孤児院の前に置き去りにした。
生まれたばかりの赤ん坊を連れ出し、母親と引き裂くような真似を私がするということにその時はショックを受けたものだ。
しかし赤ん坊が病院から連れ出されことが原因で死ぬようなことがないことに途中で気がついたことは私の心を落ち着かせた。。
もっとも数日ばかり高熱を出し、シスターたちをひどく困らせることにはなるのだが……。
そして今日の仕事だ。
もうすぐあの扉が開き、一人の青年が入ってくる。
それは最後の仕事の始まりであり、それはまた最初の仕事のはじまりでもある。
だが……。
用意した薬は二種類。暗示用の薬物ともうひとつは即効性の毒薬だ。
これを飲ませたら?……それは物理学者にとっても私にとっても興味深い実験になるだろう。
この堂々巡りから逃げ出すのだ。しかしそうはならないことを私は知っている。
扉が開く。私は読み止しの本をカウンターに置き、こう言うのだ。
「輪廻の蛇へようこそ」

(原案:ロバート・A・ハインライン『輪廻の蛇』)
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