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風が吹いている

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2014年1月17日、金曜日。
滋賀県栗東市の栗東トレーニングセンター。明日の競馬に備え準備を進めていた某S調教師に一本の電話が入った。
「Iが乗れない!?」
連絡は、I騎手のエージェント(騎乗仲介者)からだった。I騎手はデビュー2年目の若い騎手で、ここまでのところはそこまで多くの勝ち鞍をあげているわけではないものの、見習騎手の減量制度を活かし、特に午前中のレースで少し足りない逃げ先行馬をよく持ってきていた。I騎手はまだ通算31勝に達していない(新聞の騎手名に「▲」が付く)ので、他馬より3キロも負担重量が少なくなり、直線で粘り込みがききやすく、S調教師も重宝しており、今週も依頼をしていたのだった。
それが、急に激しい腹痛に襲われたということで、止むを得ず今週の全ての騎乗をキャンセルすることになったのだという。電話口のエージェントから、腸の壁に穴が開いたのだと聞かされ、S調教師はついその痛みを想像してしまい、顔を顰めた。ストレスか何かでなるのだろうか、それは。
電話を切った後、S調教師は出走表を手に持ち悩み始めた。Iに依頼していたのは日曜の中京競馬場第2レース、若手騎手限定戦だった。その名のとおり、デビューから7年未満で尚且つ通算100勝未満の騎手しか「基本的には」騎乗出来ないレースである。
例外があるとすれば、今回のように急な騎手変更のケースで、その日競馬場に来る騎手の中に若手が存在しない場合である。その場合はベテランであろうが、出稼ぎの外国人騎手であろうが起用可能である。S調教師も実は例外に期待して、日曜中京の騎手ラインナップの中から、なるべく勝ち鞍の多い騎手に依頼しようとしていた。とはいえ、この日は中山競馬場と京都競馬場でそれぞれ重賞競走があり、めぼしい騎手は軒並みそちらへ行ってしまっているのだがーー
何度見ても、2レースに登録されている以外の若手騎手はいないと確認できた。よし。では、この中なら……M、Y、それかKかな。
Mはまだ6年目と若いが、勝ち鞍は200を超えている。若手騎手戦に出ているような騎手と比較すれば頭ふたつは抜けており、将来を嘱望される次代のエース候補の1人である。YとKはローカル(JRAの競馬場の中で、東京、中山、阪神、京都以外はローカルと呼ばれる。中京の他には、新潟競馬場や福島競馬場等)において実績を残している安定株だ。
なるべく力のある騎手を乗せたい理由もあった。Iに依頼していた馬は、相手関係からおそらくは1番人気になると考えられ、勝てる可能性も十分あるのだった。それならば、勝利をより確実なものとするため、どうせなら勝てる騎手を乗せたいーーそう思うのが自然なことだった。
Mだ、Mにしよう! そう決めたS調教師は急ぎMのエージェントに連絡を取った。エージェントは競馬新聞のトラックマンが本業と並行して務めていることが多い。今頃は日曜の予想をしている頃かもしれないと思いながら、S調教師はエージェントが電話に出るのを待つ。10回目のコールが終わる間際、ようやく繋がった。
「すまんな忙しいところ。実は騎乗依頼のことで……」
「いえ、あれですよね、中京の2レースーー」
さすが関西のトラックマン、情報が早い。S調教師は早速本題に入ろうとしたが、エージェントはS調教師より先に言葉を継いだ。
「もしかしてMに依頼ですかね? 残念ですけど無理ですよ」
「えっ、どうしてだ」
「いや、僕も有力馬が空いたと思って調べていたんですけど、若手騎手戦に騎乗馬のない若手騎手が1人いまして。ルール上は乗せられる騎手はこれしかいないですよね」
「いや、いないだろう。俺だって確認したさ。他に誰もいないはず……」
ああ、と合点がいったようにエージェントが呟いた。
「4レースの騎手見ましたか? 障害戦ですけど」
4レース? S調教師は出走表の騎手名を右から左になぞっていった。それでも見つけられなかった。
「いるか?」
「いますよ。大江原が」
S調教師は息を飲んだ。いや、知ってはいる。知ってはいるが、この頃障害戦以外で名前を見ることがなかったため、障害に専念しているものと思い込んでいたのだった。
「まだ平地免許……あるのか?」
「返上はしてないはずですよ」
騎手免許には、平地免許と障害免許があり、デビュー当初はどちらも所持している。しかし、ジャンプレースである障害競走は落馬による怪我のリスクが平地より高く、さらに1日1レースの施行か、全くないことがほとんどのため、平地で軌道に乗り始めた段階で障害免許を返上してしまう騎手が多いのだった。平地と障害を並行して乗っている騎手というと、片手で足りてしまうのが現状である。
障害専属騎手にはそれぞれの事情があると思われた。障害競走が大好きな騎手、体重管理が厳しく、負担重量の重い障害競走しか乗れない騎手、そして、平地で居場所を無くした騎手。
「ーーというわけでして。いや、僕も残念です。勝てる可能性高い馬ですし。僕が中京の予想担当なら本命打つと思いますし。いや、惜しいなぁ、普通に乗れば勝てる馬だと思うだけにね」
そう、勝てる。普通に乗れれば。
「ただ、一頭だけ対抗できそうなのいますよね。下手に乗られると、あれには負けるかも……あ、すみません。予想に戻ります」
またお願いします、といい、エージェントは電話を切った。
エージェントが最後に言った対抗馬のことはS調教師も気になっていたが、普通に乗れば勝てると踏んでいた。
普通に乗ってくれれば。それだけでいい。あとは何も望まない、何もーー

平成26年1月19日、日曜日。
S調教師はどこか落ち着かない様子で、パドックに立っていた。
もはや、嫌な予感しかしなかった。
逃げ馬だから、制御できずに飛ばし過ぎて失速しないだろうか?
S調教師は、前日あまりに不安だったため、落ち着こうとO騎手の平地実績を調べた。そうしたら胃がキリキリ痛みだした。
1勝もしてないのかよ!
O騎手、障害戦の勝利は幾つかあるが、平地の勝利はただのひとつもなかったのだった。
周回を終え、出走馬は本馬場入場に入った。
パドックのオッズ表示画面を視界の隅に捉える。単勝3番人気。
ここまで、騎手で嫌われるとは。仕事中だが、酒でも飲みたい気分だった。
Oは、平地でこんな人気になるような馬に乗ったことがあるのか? 人気の重圧に押し潰されそうになってはいないか? さっき、指示を伝える時はどんな表情をしていた?
定刻になり、スターターが台に上がる。安全を確認し、旗を振る。中京のファンファーレが流れて、続々と馬がゲートに入ってゆく。
頼むから、無事に帰ってきてくれ!
もういい、今日はそれ以外のことは望まないから。対抗馬には負けたって別に構わない。無事ならまた次があるんだから。
ゲート入りが完了したころ、S調教師の緊張もピークに達していた。
ゲートが開く。
実況アナウンサーの絶叫が響き、ドキリとする。対抗馬の名前と、スタート直後落馬したということを早口で伝えている。これで対抗馬はレースから消えた。騎手が乗っていない時点で競走中止という扱いになるからである。実況アナウンサーが叫ぶのは伝えなければならないからだ。1番人気が落馬して、その馬券は紙くずとなったのだから。
スタート直後の落馬はよくあることだ。ゲートからスムーズに出られずに躓き、騎手を振り落とすのである。多くの場合騎手の責任とはならない。
ともかく、あとは普通に乗れば勝てる。
「飛ばしすぎるなよ……!」
S調教師は軽快に逃げるO騎手を祈るような気持で見ていた。
これはもうもらったでしょ、Sさん、と馴染みの調教師に話し掛けられる。そうなのか、と言われて初めて気がついた。確かに、何の情報もなしに見ていれば、何の問題もなくここまで来ているように見えるかもしれない。レースは先頭のまま、最後の直線へ向かう。
いや、最後まで油断はできないぞ、だって、まだ1回も勝ったことない奴だぞ?
いや、でも、これはーーもう、行けるか?
O騎手が追い出しを始めると、馬はそれに応えるようにグイグイと2番手以下を突き放していく。圧勝の気配すら漂ってきていた。
落ちるなよ、ここまできたら、落ちるなよ!
いいよ、勝ってしまえよ。平地初勝利、いいことじゃないか。
俺にとっては逆風としか言いようがなかったけれど、お前にとってはこれ以上の追い風はなかっただろ? Iが病気になって乗り替わり、本来なら別の騎手が乗るべきところに若手騎手戦だから乗れて、挙げ句の果てには1番人気馬まで落馬して……これ以上の風は、なかなか吹かないよ。
ーー後はお前が決めてくれればそれでいいよ。
大勢は決した。セーフティーリードを保ったまま、O騎手は平地のレースにおいて初めて先頭でゴールを駆け抜けていった。

この勝利は、同時に馬にとっても初めての勝利となった。
これで、上のレースにも出走できる。Oが加減して乗ってくれたお陰もあり、ダメージもさほどなさそうだ。
S調教師も、Oに対する評価を改めた。なかなか、落ち着いて乗ってくれた。ありがたい。
これなら、来週使ってもいいかもしれない。一度ダートではなく芝を使ってみたいとも思っていたし、来週のオープンレースがスカスカだから使おう。
騎手はTでいいかな。
4

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