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2・蒼の烈風

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 あたしの赤は、こんな色じゃなかった。
 みんなを優しく照らす、お日さまの茜色だった。
 こんな――

 学び舎がぱちぱちと音を立てて、火に蹂躙されている。
 既に魔法少女を卒業したあたし。でも、身体に残ったほんの僅かな残りは、いち早く危機を察する事ができた。
 学校の生徒数に先生の数が少ないのも幸いし、半ば引きずり出すようにして脱出。どうにか最悪の事態だけは免れた。
 が、それでも。外の状況はあたし達を絶望させるに十分すぎるものだった。
 年の瀬にはそれなりに賑わう神社の鳥居が、根本からへし折れて木を薙ぎ倒していた。
 秋には山吹色で大地を覆う一面の田んぼには大小の瓦礫が突き刺さっていた。
 もうすぐ一周年を迎える事になっていた村唯一のコンビニは、地盤の歪みに巻き込まれて物理的に傾いていた。
 あたしの第二の故郷が、崩れていく。
 逃げ惑い助けを求める人々。だが、村を横断する唯一の道路は、土砂で塞がれている。
 「……ひどい」
 自然災害の類ではなかった。
 誰かの強い悪意を感じたのだ。あたしの記憶に刻まれた戦いの日々が、今の状況に警鐘を慣らす。
 『ここから先は、もっと悪いことが起こる』
 と。
 その意味は、すぐにでも理解することになる。
 多数の影……文字通り、人の影の形をした何かを多数引き連れて、それは再びあたしの前に現れた。
 「久しぶりじゃあないか、天代風香……いや、『アルバトロス』と言うべきか」
 「……嘘……!!」
 紫色のフードの中に禿げた頭。濁りきった目をした老人の顔。
 間違えるはずも無かった。
 「ヴェクサシオン大総統…………!」
 世界を闇で覆い尽くすべく侵攻を開始した、『ダークマター』の首領。
 三年前の亡霊が、変わらぬ顔で凍るような笑みを浮かべていた。
 「どうして!? あんたはあたしたちが倒したはずなのに!」
 驚愕し動揺するあたしを嘲笑いながらも、奴らはこちらへと歩み寄る。
 「ああ、確かに倒され、滅びた。しかし蘇ったのだ、彼の者の手によってな」
 「彼の者……?」
 「知る必要はあるまい。我らと入れ替わりに、これから死ぬのだからな……貴様は」
 ざっ、ざっ、と。
 冥界からの使者は私達を追い詰める。
 みんなは泣き叫びながら逃げるが、あたしは背を向ける事ができなかった。
 あたしがここで逃げ出したら、きっと奴はあたしごとみんなを攻撃するだろう。
 じりじりと後ずさりする。するも、どんどん彼我の距離は詰まってゆく。
 今のあたしに、勝ち目は無かった。だって――
 「どうした? 変身はしないのか、『アルバトロス』よ」
 「…………ッ!」
 キッと唇を噛み締める。
 心臓を射止めるような笑みが、一歩、また一歩と近づいてくる。奴は知っているのだ。
 あたしが既に、魔法少女の力を失っていることを。
 「だいそうとうさまぁ」
 「どうした、ブモウ」
 幹部の一人である。二足歩行で歩く巨大な豚の化物で、かつて戦った事があった。
 鈍重に見えるが、ただのデカブツではない。身体をどこまでも自在に伸ばして攻撃する、空を飛ぶ相手にも互角に立ち回れる強敵だった。
 とどめを刺したのは、あたし自身だ。
 「こぉのガキ、おらのこと殺しやがったんですよねぇ。くっちまっても、いいですかぁ」
 緩慢な喋り方で、恐ろしいことを尋ねるブモウ。
 背筋に寒気が走るのを感じた。
 嫌悪と、恐怖。
 ふ、と総統は呆れたように笑った。
 「やれやれ、お前は本当に食いしん坊だな」
 「えへへ、すみませぇん」
 「まあいい、今となっては人質に取る必要もあるまい。『部品』は少しくらいは残しておけ。奴の前に放り捨てた時の反応が見たい」
 「と、いうことはぁ……?」
 わざとらしく首を捻って合図を待つブモウに、総統はにっこり、と爽やかな笑顔で答えた。
 「たんとお食べ」
 「いやったぁー! だいそうとうさま、おなかがふかーい!」
 「それを言うなら、懐が深い、だな」
 腕を振り上げて狂喜する、ブモウ。
 全く笑えないやりとりに、あたしの身体はガクガクと震えだしてしまった。
 「あ、あ……」
 戦うことはおろか、逃げることすらできない。
 ぺたんと尻もちをつき、巨大な豚の怪物を見上げるだけで、精一杯だった。
 みっともなく泣いて命乞いをしたり、恐怖のあまり失禁する痴態を犯さなかったのが、ささやかな……あまりにも、ささやか過ぎる抵抗。
 できることは、それしかなかった。
 慈悲の心を持たない豚は、あたしの身体を強く、固く握りしめた。
 「うっ、ああ……」
 全身が軋んで悲鳴を上げる。口から漏れようとするそれを、どうにか心の中だけに押し留める。
 痛い、痛い。
 痛いよ。


 
 『風香、相手がどんな事をしてきても一人で戦っちゃだめだよ』
 『……ごめんね、―――ちゃん』
 『風香は単純だから、いつも突っ走っていっちゃう。アホウドリじゃないんだからさ』
 『ア、アホウドリって言わないでよ!! アルバトロスだもん!!』


 あの子の顔が、頭の中に浮かんだ。
 痛いよ。助けて。


 『私達は、一人じゃない。二人でシャインハート・ウィッチなんだよ』
 『うん……そうだね。あたしと――ちゃんの二人揃えば、無敵なんだからね!』


 来るはずがない。だってあの子も、もう魔法少女じゃないんだ。
 でも。あたしは一縷にもならない望みにすがるしか、正気を保つ方法が無かった。 
 ブモウが大きな口を開け、ねっとりと糸を引いた闇に私を招こうとする。
 形容しがたい悪臭が、あたしの中に侵入してきた。
 いやだ。
 痛い。怖い。助けて。


 『何かあったら、まず私を呼ぶこと。どんな時でも、すぐ駆けつけるよ。
 
 ……友達、なんだからさ』


 「いっただっきまー……」
 いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。
 死にたくない。お願い。助けて。


 「……助けて……由里子ちゃ」
 「す」


 
 






 ぶちん。



 ◯




 私は空を駆けて村に向かいながらも、ポケットから携帯を取り出してアドレスの一番下を叩いた。
 三回目のコール音を途切れさせ、壮年の男性が電話に応答した。
 「津中君、かい?」
 「河原さんご無沙汰してます! 突然すみません、埼玉と栃木の県境にある村、わかります!? 山に囲まれた田舎村なんですけど!」
 「山に囲まれた村? いくつかあるが……」
 「今しがた爆発が起こって煙が出てる所です! 申し訳ありません、時間が無くて説明が! 人回せますか!?」
 「わかった、調べてみよう。すぐに近い班から向かわせる。安心して戦いなさい」
 「無茶言ってすみません! よろしくお願いします!」
 「……津中君」
 切ろうとした所に、河原さんが続けた。
 「もう、戦うなとは言わん。君の覚悟はよく知っている。私から何か口出しはしない。でもね」
 一拍置いて、彼はこう言った。
 「死ぬんじゃ、ないよ」
 「……はい。必ず、お礼を言いに戻ります。失礼します」
 通話を、終わらせた。
 最後の言葉が、心に染みこむ。
 以前は散々止められたものだ。女の子が戦うんじゃない、と。
 年端もいかない少女を犠牲にした平和など、誰も望まない、と。
 彼を折るのには、中々苦労したものだ。
 「……今のは?」
 肩に掴まる、クリムが尋ねる。
 「前に世話になった人。救助活動とか、私が戦いに専念できるように支援して貰ってた」
 今も世話になっているけど。
 クリムは何か言いたげな様子だったが、それを聞くのは今じゃなくていいと判断したのか、曖昧に頷いた。
 この速度なら、あと一分もかからずに到着できる。
 私はクリムにお願いしなくてはならない事があった。
 「クリ公、何か顔を隠すものとか無い?」
 「クリ公……? えっと、これでいい?」
 これ。
 四次元(的)ポケットから取り出したのは、狐のお面だった。
 「私ゃ日向甚八郎の強さに怯えるウル自身か!!」
 「ごめん全然言ってることわかんない」
 「もうちょい戦いやすそうなのにしろよ!」
 私はクリムにお面を突っ返した。
 「って言われても……」
 「あー、もういい! 時間が無い! ゴム貸してゴム!」
 「ゆ、由里子……女子高生が真っ昼間からいきなりそんなものを求めるのはちょっと……」
 「馬鹿か! ヘアゴムだよ淫獣が! なんで戦いに行く前に(魔法少女としてアレなので伏せます)使わないといけないんだよ! タコ!」
 「そうならそうと言ってくれないと……」
 普通わかるだろ。
 私はもぎ取るように差し出されたそれを奪い、髪を括る。
 マフラーを鼻の上まで上げて、口元を覆った。
 髪型も変えた。服装も変わった。顔も隠した。
 B.F.Uを見られたらバレるかもしれないが、そこはどうにか誤魔化そう。
 とにかく、これで準備は整った。
 私は風を切り裂いて、村へと矢のように飛ぶ。
 風香がいないとは、もはや考えてはいなかった。
 「間に合え……間に合え……ッ!!」
 そして、村に到着しながらも速度を緩めずに彼女を探す私の目に映ったもの。
 それは――
 
 「風……」


 次の瞬間。
 頭は失せていた。
 
 



 


 ◯

















 「何……だと……!」
 総統が驚く声に、あたしは恐る恐る瞼を開いた。
 そこにあったものは、首のないブモウだった。
 「……!」
 力を失った手から滑り落ちる、あたし。
 ずずん、と、巨大な豚の死体が横に倒れた。
 「助かっ……た……?」
 キィィィィン――
 聞き覚えのある音が、一帯に響き渡った。
 最初はちょっと五月蠅く聞こえたけど、いつしか慣れて、気が付くと不謹慎ながらも空を飛ぶワクワク感が生まれた……あの音が。
 「馬鹿な……あれは……!!」
 横一直線に疾走っていたそれは急旋回し、上空へと飛び上がった。
 そう、まるでツバメのように。あの子のように。
 そしてその人は、天高くでB.F.Uを消した。
 本来なら自殺行為であるはずのそれを、彼女は躊躇なくやってのける。
 そして、私の前へと――
 「貴様……『スワローテイル』か!?」
 





 「人違いだ」


 ――蒼が、舞い降りてきた。
3

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