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第六章「天孫降臨編-そして伝説へ…」-その3

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 その後も、三人の出雲への旅は続きます。そしていよいよ、出雲は目の前と迫っていました。
 そして、その日の夜。
 洞穴の中でニニギが寝息を立てている中、火の見張りをしていたサルタヒコの元に、同じくニニギと共に洞穴で寝ていたはずのアメノウズメがやって来ました。
「まだ起きてたのか? 俺の火の番じゃ不安だったか?」
「そういうのじゃないわよ。ただ、多分、これで最後だと思ったから」
 アメノウズメが、サルタヒコの隣に座りました。目の前で、火がパチパチと音を立てています。
「……ありがと」
「何だよ、いきなり。気持ち悪い奴だな」
「私だって、ちゃんとお礼くらいは言えるわよ。それに……今日言わなかったら、もう言えないじゃない」
 アメノウズメの言う事は、もっともでした。この出雲への旅が終われば、サルタヒコとはお別れになり、アメノウズメは、一人で天上世界に帰る事になります。である以上、お礼を言えるのは、この場しかなかったのでした。
「アンタがいなかったら、多分、私やニニギ様は、ここまで来れなかったと思う。だから、ありがとね」
「……別にいい。元々、アテのある旅じゃなかったからな。いい暇潰しになった」
 新しい薪を火に放り込んで、棒で突きながら、居心地悪そうにサルタヒコがそう答えます。アメノウズメは、それにコクリと頷きました。
「一つだけ、言っておく」
「なに?」
「『自分に何があっても心配する人はいない』とか言うな」
 少しだけ驚いたように、アメノウズメがサルタヒコを見ます。
「俺もお前も、確かに両親も家族もいない。だから、お前の言う事は正しい。……でも、それは『今は』だ」
「…………」
「もしかしたら、お前もいずれ結婚するかもしれない。そして、子供だって産むかもしれない。だから、『心配する人はいない』なんて事はない」
「……そんなの、先の話で、しかも不確定の話じゃないのよ」
「でも、あり得る話だ。だから、あんな事はもう言うな」
 このサルタヒコの言葉に、しばし逡巡するアメノウズメですが、やがて、やはりコクリと頷きました。
「ねぇ。もし、アンタも結婚して、子供が出来たら、どんな子供に育って欲しい?」
「またその話かよ」
「アンタが振って来たんじゃないの。どうなのよ?」
「んー……そうだなぁ」
 サルタヒコが、真っ赤になった棒の先端をぼんやりと眺めながら、しばし物思いに耽ります。
「俺達みてぇな神様って、忘れられたら消えちまうだろ? だから、忘れないでいてくれる子供がいいな」
 サルタヒコの言葉は、間違ってはいません。神様は、崇められれば崇められるほど生き生きとするものです。しかしそれは、逆を言えば、忘れられればいずれ消えてしまう存在でした。
 そしてそれは、現代社会の人間でも、ある意味では同じ事が言えます。自分を知っている者が多ければ多いほど社会的地位は確立され、逆に忘れ去られてしまえば一人寂しいものです。生々しい話ですが、金銭や権力にも影響を及ぼすとすら言えます。
「どんなに時が経っても、俺達みてぇなのもいたんだって事を、語り継いで欲しい。そうすれば、俺達みてぇな根無し神も、消えずにいられるだろ?」
「何よそれ、他力本願ねぇ……」
「足を引き摺ってここまで来たお前がそれを言うかよ」
「そ、それはもう、ちゃんとお礼言ったでしょ!」
 コホン、と咳払いをして、アメノウズメがサルタヒコの言葉を反芻しました。
「でも、いいわね、それ。語り継いでくれる子供かぁ」
「いつまでも、だぜ? 当然、そんな夢みてぇな話なんてあるはずもねぇんだろうが……まぁ、理想だな」
「理想、ね」
 そう言い合って、二人は笑いました。
 日が昇り始めていました。もうしばらくすれば、また旅が始まります。そして、出雲に辿り着くのでしょう。三人の旅は、終焉を迎えようとしていました。

 遂に三人は、出雲に辿り着きました。ニニギやアメノウズメにとっては初めての、サルタヒコにとっては懐かしの場所です。
「ありがとう、サルタヒコ君。君には途方もない恩が出来てしまったな」
 ニニギがサルタヒコに礼を言うと、サルタヒコは顔をしかめて頭を掻きます。
「俺はただ、気分でそうしただけですから。別に、ニニギの旦那ほどのお方に、礼を言われるほどでもないです」
 サルタヒコが、ニニギに軽く会釈をして、背を向けました。そして、歩き出します。
「これから、どこに向かうんだい?」
「辿り着く所に、ですかね」
 みるみる内に、サルタヒコの背中は小さくなっていきます。もうしばらくすれば、その背中は、完全に見えなくなってしまうのでしょう。サルタヒコは、旅の神様です。おそらく、もう、二度と会う事はありません。
 アメノウズメは、小さくなっていくサルタヒコの背中を、どこか寂しそうな目で見つめていました。
「……ふむ。よし、決めた」
 そんなアメノウズメの姿を見ていたニニギが、唐突に、手をポンと打ちます。そして、アメノウズメの方を振り向きました。
「アメノウズメちゃん、僕はここまででいい。君に、アマテラスの孫ニニギとして、新しい命を与えよう」
「えっ? は、はい! 何なりとお申し付け下さい!」
 うんうんと、満足げな笑みを浮かべて、ニニギがアメノウズメに、それを言いました。
「君はこれから、名を猿女君(さるめのきみ)に改め、サルタヒコ君に仕えなさい」
「は、はぁっ!?」
 突然のニニギの命に、当然、アメノウズメは仰天します。
「な、何で私が、その……あ、あんな奴に仕えないといけないんですか!」
「何でも何も、君は彼に、道中あれほど助けてもらったじゃないか。それに、彼の恩恵は無視出来るものではない。語り継ぐ者が必要だ。それは、共に旅をして来たアメノウズメちゃんを置いて他にはいないと思うけれどもね」
「そ、それは……確かに、そうですけど……」
 珍しく、はっきりしないアメノウズメです。しかし、ニニギも、天君アマテラスの孫です。誰が何を考え、何をどうするべきなのかくらいはわかっていました。
「これは、天孫の命ぞ。天孫の言葉、是即ち天君の言葉也。天孫の命が不服か?」
「そ、そのような事はありません! このアメノウズメ、従いましょう!」
 ようやく、はっきりとした返事を返したアメノウズメに、ニニギが満足げに何度も頷きました。
「天孫の命なら、仕方ないだろう? 諦めて、言う通りにしないと」
「……ふふっ。そうですね。天孫の命なら、仕方ありませんね」
 そう言って、アメノウズメは、ニニギに深々と頭を下げました。そして、くるりと振り返って、サルタヒコの背中を追い掛けます。
 その足取りは、とても怪我をしているとは思えないほど軽やかなものでした。

「コラー! 待ちなさいよ、サル! 怪我人を置いていくんじゃないわよー!」
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