聖剣シャズナを受け取ってから早一週間、敵の襲撃もなく高橋は穏やかな休日を過ごしていた。
『はーいこんにちはー！ 今日はこのサランラップを丸めて叩くと水晶になるのか検証してみたいと思いまーす！』
サランラップと金づちを手ににこやかに語る女性の姿を、高橋はモニター越しに眺めていた。その顔は朝から緩みっぱなしである。
「マスター、この方は人間ではありませんね」
隣でミルクティーを飲んでいたアンリエッタがふと口を開いた。
「今更か！」
朝から同じ女性が出ている動画を見続けて、やっと気が付いたのかと高橋は呆れたような声を出した。
そう、二人が見ているのはバーチャルユーチューバーの動画なのである。
特に高橋が気に入っているバーチャルユーチューバーが、クロエという美女だった。
バーチャルユーチューバー界隈もロリータキャラであふれ、ロリコンどもの巣窟と化している中、大人の女性クロエの魅力は高橋にとって一際輝いて見えたのだ。
透き通るような白い肌、長い濡れ羽色の髪、漆黒の瞳、母性を感じる女性らしい体に形の良い胸、おっとりとした優しい声。現実にはあり得ないパーフェクトな女性、それがクロエだった。
『うわーすごい、ありえませーん！ 水晶玉になっちゃいましたー！』
クロエの手の中にはピカピカに磨かれた透明の球体があった。それが先刻までサランラップだったというのだ。
「バカな！」
アンリエッタがモニターに食い入るようにして声を上げた。
「俺もやってみたい」
「時間の無駄ですマスター、ラップが水晶になるはずがありません。これもバーチャルなんとやらという能力でそう見せているだけでしょう。
仮に作れるとしても途方もない時間がかかるはずです、こんなことに時間を使うなど馬鹿げています」
アンリエッタの熱弁に、アルミホイルを叩いてアルミホイルボールを作ったことがあるとは口が裂けても言えないと思う高橋だった。
「しかし敵を待ち続けるのもつらいな。ダークエロスの乙女の位置を探知する能力とかはないのか？」
だらだらと動画を見ながら高橋が言う。こんな日々が続いてはまともに予定を組むこともできない。デートをする相手がいないのは不幸中の幸いであった。
「私にはそのような能力はありません」
冷静な口調でアンリエッタが答えた。
「そうか、じゃあ気長に待つしかないな。今日は一日クロエさんの動画を見て過ごすか」
高橋が次の動画の再生ボタンを押す。間もなくクロエの笑顔がモニターに映し出される。
『はーいこんにちはー、クロエでーす！ 今日はモニターの前のあなた！ あなたに……宣戦布告です、マスター高橋』
モニターに映し出されたクロエの細く長い指が、高橋を指した。彼女はもう笑っていなかった。
「なん……だと……？」
高橋はぞくりと全身の毛が逆立つのを感じた。
アンリエッタは剣の柄に手をかけている。
生放送ならともかく、これは編集された動画なのだ。それが名指しで語り掛けてくるなど、誰が思うだろうか。
『今週の日曜日、井の頭公園で待ってまーす！ 必ずピュアエロスの乙女を連れてきてね！ でなければ、あなただけが死んでしまいますよ？ それではさようならー』
クロエがいつものように笑顔で手を振り、短い動画は終わった。
高橋はブラウザを閉じ、長いため息をついた。まさかの事態、憧れのバーチャルユーチューバーからの宣戦布告。
「今週の日曜日って明日じゃないか。アンリエッタ、いけるか？」
高橋は隣で殺気を放っているアンリエッタを見る。
「私はいつでも準備できています」
アンリエッタは力強くうなづいて答えた。
すべてを受け入れるその精神力の強さがうらやましいと思う高橋だった。
翌日、高橋はアンリエッタを連れて井の頭公園を訪れていた。
澄み渡る晴れ空の下、春の終わりを告げる風が肌に心地いい。
高橋は周囲を見渡し、クロエらしき人物を探す。大道芸人のおじさん、ギターの弾き語りをしている青年、スマホをいじっている女子高生。休日の公園は多くの人でにぎわっていたが、誰がクロエなのかは見当もつかなかった。
クロエのことはバーチャルユーチューバーである架空の姿しか知らなかったのだから仕方のないことだった。
「まあ、中身はおじさんだろう」
「クロエ様は女性ではないのですか？」
「あれは動画だけの架空の姿さ、正体はたいていおじさんなんだ」
怪訝な顔をするアンリエッタに対して、高橋はため息交じりにそう答えた。
美人バーチャルユーチューバーなど、所詮中年男の見る夢だ。少なくとも高橋はそう考えていた。
自分も架空の存在になることができるのなら、クロエのような美女になることを望むだろう。
「ではあの方はクロエ様ではないのですか？」
アンリエッタの視線の先を追って、高橋は絶句した。
白磁のような肌、流れる黒髪。白いワンピースに生成りのデッキシューズ、ネイビーブルーのリボンが付いたカンカン帽。
「ク……クロエ……さん……？」
そこにいたのは、バーチャルユーチューバーであるはずのクロエその人であった。
「こんにちは、マスター高橋。バーチャルユーチューバークロエの中の人です」
帽子を取ったクロエの中の人がにっこりと笑う。それは、モニター越しに高橋が見慣れた聖母の笑顔だった。