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プロットナンバー02.『バトルビースト』 筆者:黒兎玖乃

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 陽が傾いて、黄昏時となってきた頃。
「今日はこの辺りで野営だ。火を起こすから、貴方たちは薪になりそうな枝を拾ってきてください。私は準備を進めておくから」
 ミレイにそう言われ、ジャスバルとディリシアは連れ立って近くの雑木林の中を歩いていた。何かと入り用になるから出来るだけ多く集めてくれと、ミレイは言っていた。ジャスバルは「それくらい事前に用意しておくもんじゃねーのかよ」と悪態を吐いていた。というか、世界を救う巫女をこんなことに使っていいのだろうか。
 ジャスバルはディリシアと共に竜車の中にいたのだが、どうにも積み荷が少ないように思えた。干し肉、水筒と言った食料品はある程度用意がされていたが、それ以外の準備はほとんどなく、火を起こすのも一体どうするのかと思う程竜車は軽かった。
「野営だって! 野営って、キャンプのことでしょ? 私、こうしてキャンプに行くのなんて久しぶりだから、とっても楽しみ!」
「……遊びに来てるんじゃねえって。お前が自覚しねえでどうすんだ」
 ディリシアの額をこつんと拳でつつき、ジャスバルは歩みを早める。
「あ、ちょ、ちょっと待って」
 つんのめりながら、ディリシアはジャスバルの横に並ぶ。
「でも野営するのに、なんで火を起こすの? みんなあの竜車の中で寝れば大丈夫なんじゃないの?」
「ああ、それはな、獣が火を怖がるからだ」
「あ! 何か聞いたことある気がする! さすがジャスバル物知」
「……なんて言うけどな。実際はそうじゃねえ」
 えっ、と呆けるディリシアを横目に、ジャスバルは手ごろな枝を拾い集めながら。
「獣が火を恐れるなんてのは嘘だ、ってのは猟師の間じゃ周知の事実でな。火を起こす本当の理由ってのは、人間が火を囲んで調理とか会話する音で、獣たちに『ここには今人間がいるぞ』と警告するためなんだ。効果があるのかどうかは知らないけどな」
「へええ……」
 理解しているのか、していないのか、中途半端な感心の声を上げるディリシア。
「それ以外にも理由はあるぞ。暖を取るためだとか、煙を炊いて近くにいるキャラバンに居場所を知らせるためとか。俺たちが深く考えても仕方のないことだけどな」
「うーん、なんだか良く分かんない。とりあえず凄いことなんだね!」
「……ま、それでもいいや」
 ざくざく、と足元の葉を踏み鳴らしながら、二人は歩いた。
 両腕一杯の薪を集めたので、そろそろ戻ろうかと、二人が踵を返した時のこと。

 ――ざく

「ん?」
 自分たち以外の何かが地面を踏んだような音を聞き、ジャスバルは振り返る。
 そこには何もいない。少し遅れて歩いているディリシアが、呆けた顔でジャスバルのことを見ていた。
「どうしたの? ジャスバル」
「……いや、なんでもねえ」
 気のせいかと考え、ジャスバルとディリシアはミレイの待つ竜車へと戻っていく。

 ○

 食事や雑談を終え、夜がいよいよその姿を見せる。
 一足先に竜車の中で眠りに落ちたディリシアの横で、ジャスバルはパチパチという木の燃える音を聞きながら、幌越しの空を見上げて寝ていた。
 生活のリズムが合わないのだ。猟師をしていると、夜に狩りに行くなんてことも少なくない。そもそも普段から夜更かし気味なジャスバルが、こんなに早く寝るなんてことは今までほとんどなかった。
『眠れないのか、ジャスバル』
 古びた魔法剣、エアルドが語りかける。
「何て言うんだろうな。村からもうだいぶ離れちまったって考えると、寝つきが悪りいんだ。どうしてなのかは良く分かんねえけど」
「ふん、勇敢な村人さんがさっそくホームシックですか?」
 鼻で笑われたのを聞いて、ジャスバルは飛び上がるように起きた。
 どうやら、焚き火のそばに座り込んでいたミレイが、自分に話しかけたのだと勘違いしたらしかった。
「バーカ、んなわけねえだろ」
 すっかり目が覚めちまったとぼやきながら、ジャスバルは静かに竜車から降りた。
 薪がかなり減っている。二人が竜車に入ってからかなりの時間が経っていたが、その間もミレイは炎を絶やさずに燃やし続けていたのだ。
 俯せになって目を瞑っている竜が、ブルルと鼻を鳴らす。
「そういうアンタも眠れねえから、こうして見張りなんて名目つけて起きてるだけなんじゃねえのか? なあ、騎士サマよう」
「あまり私を見くびらないで」
 脅しではなく、本気の表情でミレイはジャスバルに銃を向ける。
 銃身が月光を浴びて、ギラリと光る。
「茶々を入れるためだけに付いてきたなら今からでも帰っていいんですよ。それともここらの大地の肥やしになるか」
「わ、分かったって。いいからその銃下げてくれよ」
 大して悪びれてない様子で両手を上げるジャスバル。ミレイは忌々しげに舌打ちながら、銃をホルスターに収めた。
「言っておくが、私はあくまで巫女の護衛です。金魚のフンの面倒を見る余裕はないから、その辺りは覚悟しておいてください。油断してると死にますよ」
「だーじょうぶだって。こう見えても剣の扱いには慣れてんだ」
「それが油断しているというんです」
 む、とジャスバルは顔を曇らせる。
「魔物と言うのは、そこらの獣なんかとは訳が違う。貴方は魔物って言葉の意味を分かっているんですか?」
「ちょっとつええ生き物ってことだろ。そんくらいは」
「魔物と言うのは、正体不明の超常的な存在の生物です」
 ジャスバルの答えを待たずに、ミレイは薪を加えながら続ける。
「並の人間では到底歯が立たない生物。魔物は貴方が考えている以上に恐ろしい存在です。ここから先は馬鹿にするわけではなく、一人の王国騎士としての忠告」
 どこか悲しげな瞳で、ミレイはジャスバルのことを見た。
「今ならまだ間に合う。言ったでしょう。貴方はあくまで『お飾り』。村に戻ったところで、何も責め立てられはしない。彼女の面倒を見るのは確かに大変かもしれないけど、いくら私でも若者が死ぬのは見たくない」
「……よっぽど俺の腕が信用ならねえみたいだな、ミレイ騎士殿」
「信用する、しないの問題じゃないわ。私は騎士で、貴方は一般人だという話」
 毅然とした態度で、傲慢な態度を感じさせずに言うミレイ。
 なるほどな、とジャスバルは相槌を打つ。
 彼女の言っていることは間違っている。さすがのジャスバルも、真っ向から反論する気にはならなかった。
 第三者が見れば火を見るより明らかだ。
 王国騎士として鍛錬を積んできたミレイ。
 辺境の村のただの猟師であるジャスバル。
 もし魔物が襲ってきた場合、果たしてどちらが先にやられるか。
 そういう質問を投げかけられたなら、ジャスバル自身でも迷わずに答えられる。
「だからと言って、俺は一歩も引く気はねーぜ」
 それでも、ふふ、とジャスバルは得意げに笑う。
「どっちにしろ、今さら村に戻るくらいなら魔物に襲われて死んだ方が百倍マシだ。それにさあ――――どっちにしろもう、背を向けて逃げてる場合じゃなさそうだぜ」
 言いながらジャスバルは、馬車の中から古びた剣を素早く取り出した。
 それと同時にミレイは、背後に何者かの気配が忍び寄って来るのを感じ、身を翻して銃を構えた。
 二人から数メートル離れた場所で、ざく、と葉を踏み鳴らす音。
 ジャスバルにも、それが獣の立てる音ではないことが分かっていた。
 闇夜に浮かび上がったのは、二つの紅い目。
「こいつは……ヘルハウンド!? どうして、こんな辺境の地に……」
 涎を垂らして唸る犬型の魔物――ヘルハウンドを前に狼狽えるミレイ。
 無理もない。ヘルハウンドは本来、極地の洞窟の奥深くに潜む、夜行性の魔物。こうした地表に姿を見せるだけでも珍しいと言うのに、あまつさえここはそれほど強力な魔物の出る地方ではない。
 銃口を向けるミレイの手が、かすかに震える。
 夜の闇と言うのは、暗闇で生活するヘルハウンドにとって絶好の狩場だ。ましてやこのヘルハウンドが一匹とは限らない。視界に見えるのはこの一匹だけだが、その背後に十数体と待ち構えていてもおかしくはないのだ。それに、ミレイの武装している拳銃は、回避の早いヘルハウンドに対しては非常に分が悪い。
 くそっ、とミレイは歯噛みした。
「こんなところで怯懦してる場合か、ミレイ・ザーンガルド」
 己を叱咤し、言い聞かせるように呟いた。
 巫女を護衛する王国騎士が、こんなところで怯んでいるわけにはいかない。それに後ろには、魔物と対峙したことのない村の若者もいる。ここは一端の騎士として、勇猛果敢に魔物を打ち倒さなければ――――

「野良犬狩りなら、俺ァ得意だぜ」

 刹那、ミレイの横を風が疾った。
 それが風ではなく、目にも止まらぬ動きで飛び出していったジャスバルだとミレイが認識するのには、少し時間がかかった。
 速い――――
 ミレイがそう思った時には、ジャスバルは鞘から剣を抜き、身を低くするヘルハウンドを睥睨していた。
 口元には、うっすらとした笑みが張り付いている。
「騎士とあろう者が、魔物を前に棒立ちってのは感心しねえな」
 ぐ、と片手で持った魔剣エアルドをジャスバルは慣れた手つきで振りかぶる。
 ほぼ同時に、ヘルハウンドも威嚇体勢から一気に飛び出した。
 そして、一閃。
「――言っただろ。剣の扱いには慣れてるってよ」
 ヘルハウンドの鋭い爪が、ジャスバルの喉を掻っ切るよりも速く。
 振り抜かれた剣はヘルハウンドの首を抉り、一刀のもとに両断した。
「そらっ、コイツは“テメエら”への手土産だ」
 間髪入れず、ジャスバルは頭の欠けた胴体を思い切り蹴飛ばす。
 面白いように宙を舞ったヘルハウンドの身体が近くの木にぶつかると、何匹ものヘルハウンドの鳴き声が一斉に響いた。
 それも束の間。鳴き声は次第に遠ざかり、ざくざくと地面を蹴る音も野営から徐々に離れていく。へっ、とジャスバルは頬をぽりぽり掻いて笑う。
「……そんな、馬鹿な…………」
 銃を持った腕を伸ばしたまま降ろし、ミレイは茫然と声を漏らした。
 そしてまた、パチパチと薪の燃える音だけが聞こえる夜が戻ってきた。


「起きなさい。いつまで寝ているつもりですか」
 夢心地に剣呑な声を聞き、んあ、とジャスバルは重い目蓋を開ける。
 夜が明けて、辺りは太陽の光に包まれていた。馬車からはディリシアも目を擦りながら顔を出している。いつの間にか眠ってしまっていたようだった。
「時間は限られているんです。今日の昼までに行程の半分は越えないと食料が持たないので、キリキリ動いていきますよ」
「はあ。てかマジで食料ギリギリなのかよ。準備不足過ぎるだろ」
「仕方ないでしょう。巫女の他にもう一人もいるとは思ってなかったんだから」
 そうだとしても余裕を持って食料は持っておくべきだろ、と愚痴を吐きながらジャスバルは傍らに置いていた魔剣、エアルドを背にかける。
 焚き火の後始末をしていたミレイは剣を背負ったジャスバルを眺めながら、納得がいかないという、怪訝さに満ち溢れた表情を浮かべていた。それに気付いたジャスバルは、人馴れした竜の頭を撫でながらニヤリと笑った。
「……俺を認める気に、なったんだな?」
「勘違いしないで。あれくらい、私一人でも十分に対処できました」
「ほーう?」
 眼光鋭く、ミレイは言い募る。
「むしろ王国騎士としては呆れ返るくらいです。敵を目の前にして突っ込んでいくなんて、もしそれが罠だとしたらどうするつもりなんですか? 命を捨てに行ってるのと等しい行為です。私の足元にも及ばない。これから先が思いやられます」
「ま、それでも俺を村に帰そうとはしないんだな」
 ミレイはその言葉を聞いて少しムッとしたが、特に答えを返さずに竜の鞍へと飛び乗った。
 ジャスバルも、それ以上は何も言わずに馬車へと乗り込む。
「私たちは、巫女を守るために、共に旅をする」
 凛とした、ミレイの声。
 足をふと止め、ジャスバルはミレイの背中を見た。
「自分本位で勝手な真似をされては困ります。くれぐれも個人行動は謹むよう、お願いしますよ」
「そうだな。考えておく」
 ジャスバルの浮かべる笑みは、決してミレイを嘲るようなものではなかった。
「――“私たち”か。光栄なこって、ミレイ王国騎士殿……ってこら、俺がまだ完全に乗り込んでねえだろ! おい! 勝手に走らせんなこのクソアマ騎士!」
 ジャスバルの抗議など無視して、ミレイは快活に竜を走らせる。
 そうだ。世界救済の旅はまだ、始まったばかり。
 双竜の蹄が打擲する音は、都市クリアスへ向けて、再び響き始める。
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