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旅に出ることにした

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 アイデアというのは生き物であり、どちらかと言えば海洋生物に似た生態を持っていて、きっとヤドカリのような習性を持っている。
 アイデアにとって人間の意識とは“環境”に当たる。意識から意識へと泳ぎまわりながら繁殖し、相応の進化や衰退を繰り返して“居心地のいい意識”を見つけては住み着き、何らかの形をとっていずれ出て行くのである。
 たとえばゆうすけの意識の中には「2020年の東京オリンピックが楽しみだ!」というアイデアは存在しない。ゆうすけの意識には「それよりまず原発どうにかしろよ」という環境が出来上がってしまっているので、前述のアイデアにとってゆうすけの意識は、なるほど住み心地が悪いのだろう。
 されどもゆうすけはあらゆるアイデアを尊重しているし、どうせならアイデアのほうも住みやすいところに行って過ごせばいいと思っているから、自分の意識に定着しようとしないアイデアを引き止めたりはしない。
 なんにせよ、アイデアというものをそのように捉えると色々なことが格段にわかりやすくなる。人間関係しかり、経済活動しかり。また、犬の無邪気さの素晴らしさしかりである。

 神のような人間と人間のような神が量子の浜辺で飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしたある夜のこと。ゆうすけは、自分が旅人であることを思い出した。

 それは最初「旅に出よう」というアイデアがゆうすけの頭に住み着いたかのようにも見えたし、当人も最初はそのように感じていた。
 ところが事実はそうではない、ゆうすけはあくまでも“思い出した”のだ。自分が時空を超えて重力で繋がる旅人の一人であること、すなわち、あらゆる孤島や大陸上に同時に並行して存在していることを。
 ゆうすけは次元を超えて膨張、収縮を続けて熱を帯び、時として振動しながら回転していた。そして自らが衝突や発破を繰り返しながら渦っぽい流れに沿って渦巻く、渦っぽい流れであることを思い出した。ついでに言えば、誰かに観測されることによってテンションが上がることも思い出した。

 それはまさしく、終わりなき旅路の始まりを察知した旅人の感慨であった。

 また、ゆうすけはこの “思い出す” という感覚に不思議なエロチックさを見出していた。例えるなら、ずっとむかしからゆうすけの意識の中に住んでいたメスアイデアの元にようやく良いオスアイデアがやってきて、その後めちゃくちゃセックスした。きっとそんな感覚だった。
 自分の意識や認識を超えてやってくるそれらの超意識的な発想は、まあアレっぽいといえばアレっぽかったので、ゆうすけは少しばかり不安になった。
 しかしそのアレっぽい発想が妙な説得力を伴って意識の中に住み着いていく過程を一分も漏らさず知覚していたのはゆうすけ本人だし、そのアイデアはきっとゆうすけの意識を居心地がいい環境であると判断したからこそめちゃくちゃセックスしたのだろうから、せっかく育まれたアイデアを無碍に扱うこともないだろうとゆうすけは思った。来る者拒まず、なんとやらである。
 いずれにせよ、ゆうすけはアイデアに導かれて旅に出た。しかしそれはもう随分昔の話で、果たしてどこから話せばいいものか、ゆうすけにもまるで見当がつかない。

 それでも初めてみようと思う。
 あらゆる概念は時を越え、空間を越えてすでに “ここ” にあるのだから。
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