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       プリズム

 朝方か夕方かわからなかった。
 目覚めた。
 汗ばんでいた。
 くっついては剥がれる肌着が冷たい。
 フロントガラス越しの雲。オレンジに、赤
に、黄金に、千切れゝ散ってゆく。その間は
群青色。色彩が濃紺の間(はざま)に陥落し
てゆく。
 巨怪な黒い山。そこでグラデーションをや
める空。まばらに瞬く星。周囲を取り囲む山
のある斜面には、緑を潰すほど輝く一点があ
る。

 ワンボックスカーが、ランプをせり上がっ
てくる。駐車場の外縁をぐるりと回る。サー
ビスエリアの正面から外れた電話ボックスの
前辺りで、止まった。
アルベラの戦い「アレクサンドロス大王の勝
利」の絵のような、矛盾した静謐(せいひつ
)を破って登場する闖入者(ちんにゅうしゃ
)。
 こもりぎみのリズム、青く路面をプリント
するようなホイールのLED、それらがやんだ。
サンダル履きの足が着地して、後部座席のド
アをスライドさせる。段ボール箱を抱えそれ
を一旦おろし、ドアを閉める。片手で抱え直
す。
薄黄色と緑の芝生の前庭。まばらに枯れ毛
足の伸び過ぎた中へ、一足ゝ跨ぐよう入って
ゆく。少し奥まった所、人の歩みの意志を諦
めさす程度の行き止まりに出た。脇のシバの
上に箱を置くと、やや斜めに浮いた。ちょっ
と持ち上げて下ろす。また上げて下ろす。の
しかかってみる。
後ろ足で後退。両肩をすぼめ枝を掻き分け
る。
ドアの閉まる音と同時にエンジン音。上が
り気味の回転音と共に、駐車場を斜めに切っ
て走り去って行った。

 無音。

 枝の揺すれる音。
 枝から枝を揺らし、姿無く羽音だけ残し飛
ぶカワヒラ。円を描いては舞い戻る燕の番(
つがい)。水音か車の流れる音。時たま「コ
ーン」と鳴る重機の音。燃え滓みたいなハシ
ブトガラスとハシボソガラス。冴えた声、濁
った声。街と山、昼と夜、エサ場と寝床の入
れ替え時。夕暮れ時でも澄んだ空気を透かし
て、遠くが近くに響く。長距離トラックの唸
りと、フォークリフトのバック音が聞こえる。
どこへ行っても人の立てる音がする。負け
じと自然の立てる音も喧(かまびす)しい。
幾何学的に掛け合う黒い電線。枠組みの空を
飛び交う鳥たち。「飛ぶ鳥を見よ」今日もイ
ヤイヤ空をゆく。下を探れば、盤錯(ばんさ
く)蠢(うごめ)く地中。生物たちが犇(ひ
し)めく星々のさざめき。カビ、バクテリア、
ミミズ、ヤスデ、ワムシ、ササラダ二やら。
アズマモグラ、コウベモグラ、ヒミズやら。
分解者、捕食者または消費者が、重なり合い
絡み合い喰らい合う。まるで水の中の水。打
ち消し合って溶け合って、チロチロ明滅して、
ばら撒いた燠火のよう。
 特に山の中。真夜中ときたら煩(うるさ)
くって、寝ていられたもんじゃない。どう考
えても昼より夜。でも今は、もう枝の擦(こ
す)れる音もしない。葉擦れ、羽撃(はばた
)き一つしない。鳥は見当たらない。重機も
配送所のも音やんでいる。水は枯れ、どこか
で検問でも敷かれたかのよう静かだ。

時計塔に銀の弾丸が撃ち込まれたような静
けさ。

 つづく、つづく、つづく。無能なサルの時
間は良くつづく。逸脱できない時間、時間無
き時間、永遠の今。

 泡が弾ける。

 凪ぎの時間、土仁の時間、宗教(ノロイ)
の時間。白花朝鮮朝顔の祭儀(マネト)の時
間、時間の沈没。オブローモフ村で日常(ニ
チェボー)。

 遠くの川辺で日常を焼く、微かなニオイ。

         *

 電話ボックスの後ろの方。むやみに繁茂し
た犬柘植(イヌツゲ)の壁。革質の濃い緑に
空いた穴。その下の剥き出しの根と、流出し
た酸化鉄の赤土。血に近い下痢便の下地。天
然の抜け道。そこを潜れば、蓬髪(ほうは
つ)と荒れるに任した農地。仮植したまま放

された植木。それに絡みつくヒヨドリジョウ
ゴの蔓と、ヤブジラミの絨毯(じゅうたん)。
主体性(あるじ)なきエゴイズムの園の奥か
ら、動く二つの影。
 サワサワ、サワサワ風が吹く。チラチラ、
チラチラ光が揺れる。緑の葉叢(スパンコー
ル)の表と裏。千鳥格子に落とした葉陰、枝
影その文目(あやめ)の境目(さかいめ)。
カタカタ回りだす、ネガのままのコマ送りの
フィルム。林の木々と馬上の女の錯綜する、
ルネ・マグリットの「白紙の委任状」みたく、
許された眩暈(イリンンクス)。
 声がだんだん近づいてくる。近づいてくる。
鳥たちもおしゃべりを自らに許しだす。

「だから、」
「言ったろ」
 まだ遠い。
 「だから、言ってんじゃん」
 影が目視できた。少年と思(おぼ)しき影。
後ろを見い見いしゃべってる。その後ろから
ツレと思しき人影。声はまだ出ない。
 「でたでたでたでた、これだよ」
 なにやらさっきから、一人でしゃべってい
るみたい。
 「ハーおまえはいいよな、オマエは」
 なんにも言わないのは言いたくないから?
それとも言えないから?口がないのかと思っ
たら、どうやら低農らしい。少年の方も端っ
から返事を期待してないらしい。彼、只しゃ
べりたいだけみたい。
 「だから、そう言ってんじゃん。そう言っ
て」
 コローの草冠のモナ・リザみたいな死んだ
目をしている。こと切れた家猫の目。燈らな
いランプ。ガランドウ。そもそも生まれてこ
なかった目。人形のボタンの目。デカルトの
鞄の中の少女。人でなしの恋。見る人と見た
いものが映るだけ。生誕の災厄と無機物の幸
運の境目。
 鳥は囀(さえず)っている、太陽の眩しさ
に。
 「ついてくんなよ、ついて」
 遊歩道に出てきた彼。まだ林の中の彼女。
オレンジの塊と化した逆光の少年は、まるで
火。いやむしろ、色彩を飛ばしてる。
「そば・うどん」と白抜きの藍染カラーの
幟旗(のぼりばた)を過ぎる。ぱっと翻(ひ
るがえ)る。ケモノ道から這い出たばかりの
イキモノじみて、抜かりなく辺りを探るその
敏捷さ。まるで、シッポでも生えているかの
よう。人とは共存できぬ、異なる時間を生き
ているかのよう。その上(かみ)、吉野の山
中に穴居していたという井光(いひか)に似
て、髪逆立ちて怒りに燃えている、かのよう。
「くっついてくんな、くっついて」
「くっついてくんな、くっついて」
「もーそうやってー」
彼と彼女の影法師が隊列組んで、ローカル
線の電車ゴッコ。AT車に轢かれる小学生の
列みたい。
伸び過ぎの髪は踏んずけそう。ペタペタ歩
く汚い素足。効率の悪い歩き方。体に巻きつ
いた襤褸(ボロ)布から、ポンチョみたく首
だけ出している。焦げ茶とも涅(くり)とも
つかぬ細めの紫苑(しおん)混じり、黴のよ
うな苔のような緑が班目(まだらめ)に浮か
び上がってる。少年の方は素っ気ない。
Tシャツに七分丈のパンツとスニーカー。
 黒いゴムの影が伸び縮み。前をゆく影、後
ろから忍び寄る影。前の影を踏むたび踏み外
すたび、行ったり来たり、離れてみたり近づ
いてみたり。波間に戯れる蟹のよう。疲れも
知らず飽きもせず。彼女の好きな、ある一定
の間隔を保ってついてゆく。賽の河原の石遊
び。
 「だからくっついてくんな、くっついて」
 「くっついてくんな、くっついて」
 草冠の縁(フチ)を真珠に惑わすような残
光。
 立ち止まっては振り返り、また歩く。
 立ち止まっては振り返り、また歩く。
 立ち止まっては振り返り、また歩く。
 踏んづけては立ち止まり、また踏んづける。
 踏んづけては立ち止まり、また踏んづける。
 踏んづけては立ち止まり、また踏んづける。
 なるほどほら、ちょっと笑ってるようにも
みえるだろ?薄ら笑いの無表情で、怒ってい
るのか拗ねているのか甘えているのか。
引きずられては引っぱられ、つっつかれて
は突き放す。品製のゴムのオモチャの尺取虫。
時々「ワッパ」と寄声を発し、ドタドタわざ
と音を立てて走り回り、笑い転げる。ぜんぜ
んなんにも恐れずに、すべてにぜんぶ怯えな
がら。



2, 1

  


サービスエリアの裏山のまばらに茂った林。
高速道路の脇に沿う細い小道から、枝道に入
った死角の空き地。緑鬱勃(みどりうつぼつ
)たるマント群落の壁。藪(やぶ)の衝立(
ついたて)を潜り抜る。
真ん中が草で盛り上がった道伝いをゆくと、
砂利の空き地へ出た。側に小さいプレハブ小
屋が立っている。ドアから除く、立入り禁止
の工事用看板とモッコ。子供の背ほどの四角
い土管。堆(うずたか)く積まれた、石コロ
混じりの土砂の山。
 そこを通り過ぎる。
立ちんぼの低く傾(かし)いだ木の電柱。
白い木肌が割れている。ワイヤー伝いに斜め
に這い上がった葛(クズ)の蔓。白い碍子(
ガイシ)まで包み込んでいる。
一面緑の小山の起伏が、ありとあらゆるモ
ノを覆い隠している。ホイールを外したタイ
ヤの山。重ね上げた黒いフレーム。トラック
の運転台(キャビン)。オレンジ色のコンプ
レッサー、コンクリートミキサー。スプレー
書きされた凹んだドラム缶。その上に山と盛
られた、麻袋からハミ出た錆たチェーン。途
中で千切れたワイヤー、硬く茶色く丸まった
ワイヤー。割れて液が覗くバッテリー。砕け
て散らばったフロントガラス。ゴミを燃やし
た黒い穴。
カナムグラ、カスマグサ、イヨカズラに紫
の星形の小花。
赤茶に立ち枯れたギシギシ、シロザ、コア
カザ、ホソアオゲイトウ、ホナガイヌビユ、
ヒメジョオン。スギナ、赤紫のインクベリー、
アメリカヤマゴボウ。
イネ科の群生。メヒシバ、ネズミムギ、根
茎が吝(シワ)い白い箒(ほうき)頭のオギ。
曲がった犬の尻尾のアキノエノコログサ。V
字に散ったイヌムギの小穂。硬い地面に小さ
く貧弱なニワホコリ。ノッポの茎に段重ねの
葉っぱの、オオアレチノギクとヒメムカシヨ
モギ。緑の底に点るツユクサの藍。ウスアカ
カタバミ、スベリヒユの黄色い小花。コニシ
キソウ、ハイニシキソウ、湿った底の底に寝
そべったピンクのキクモ。ベニシジミ。・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・草叢(くさむら)の獣じみた牛乳臭さ。
雑草。川縁や人の撹乱(かくらん)した土
地に真っ先に生えた後、他の植物の猛追に落
ちぶれてゆく敗者(カワラモン)。刈る人が
居てこその繁栄。愛憎塗れの暫定的なバブル
組。一時の緑の復讐。


 たわんだ低い電線の下の、覆い被さるよう
な緑の気枯れ地(ケカレチ)。貧弱な自然の
奥座敷。人型のボウフラ二匹には、最適の涵
養地(かんようち)。
放置プレイ中の白いセダンがその屋敷。車
体の真ん中には黒い帯。四つとも抜かれたタ
イヤ。ジャッキとホィールとブロックの上に、
剥き出しのハブを乗せられた辱め。噛まない
ドア。閉まり切らないパワーウインドウの窓。
車内に撒き散らした、麦チョコみたいな鼠の
フン。
下がったままのダッシュボードの中には、
ビニールに入ったままの新品の軍手、ガスの
残った百円ライター、レシート、領収書、名
刺、診察カード、ポイントカード、消費者金
融のティシュ、中身のあるコーヒー缶、使い
捨てマスク、青いテープの貼られた漫画雑誌、
コンビニ袋、輪ゴム、一番下には曲がったク
セのついた厚手のビニールのバッグ。その中
身はメンテナンスノート、車検証、自賠責保
険証。
灰皿にはショートホープの吸い殻、ガムの
赤いテープと敗れた包みの上部、丸めた銀紙、
白く変色したビーズのレモンの消臭剤・・・
・・・・・・・・・・


さてここからは便宜上、少年らしきを光(
ヒカリ)、少女らしきを(ミドリ)と呼ぶこ
ととする。


光が何処からか帰ってきた。家と言うべき
か巣と言うべきか。アメリカンドックの棒に
残った衣滓(ころもカス)を齧りながら。帰
巣本能よろしくゴキゲンな感じ。シートのな
い助手席に頭から突っ込んだ。
紫がかった薄暗い視界に目を凝らす。虹彩
(こうさい)が広がるのを待つ。側面に盛っ
った黒い蟻塚の山。ボコボコとした茶や黒の
表面。どこから集めてきたのか大量の靴の山。
それへ半ば埋もれた塊りが、モゾモゾしてい
る。壁に立て掛けられた白い二本の棒っ切れ
が倒れた。スイッチを消した直後の蛍光灯み
たいに、ゴミの中で薄青白くぼんやり浮かん
でいる。

「おい、起きろよ」
ゆっくりと、持ち上がった白蝋(はくろう
)のような首。繰糸で動くがの如く不自然さ。
緑の蘇生。
「寝てんなよ」
「寝てばっかいやがって」
 言いざまアメリカンドックの棒を5、6本
投げつけた。それへ飛びっつき舐(ねぶ)り
だす緑。両手で持って、舌が何か別のイキモ
ノじみている。剥き出しの白い臀部(でんぶ
)は消しゴムのカスまみれ。点々と赤い三ツ
星。集(たか)られた疥癬(かいせん)を引
っ掻き毟(むし)って滲んだ血、赤黒く浮き
出た線。
 ただ食べる緑。
それを見る光。
 頭を掻く緑。爪先に白く溜まったものがピ
ンクに染まる。ホンドギツネみたいにみすぼ
らしい彼ら。半野生は汚い。




週末。
 バタバタ飛び込んできた光。
 「いるいる、いるよ」
「こいよ」
 ひっぱる光。手首を掴んでグングン、グン
グン。吹き流しのような緑がクルクル回る。
メチャクチャひっぱり回しても、なぜか倒れ
ない緑。飛び去る光の影法師と閃(ひらめ)
く緑の影。踵が踏みしだく、街灯の下の頭だ
けの兜虫(カブトムシ)。

 サービスエリアのランプの入り口の反対側。
所定の白枠に止まったステーションワゴン。
散らばった白い花びらの上に腹這いの光。肩
越しに、小さく白いV字の顎の線。バイカツ
ツジの葉影から観察開始。

 土曜日
 土曜日のパパ
 土曜日のパパは何してる
 土曜日のパパは外食する子供のような気分。
よそゆきで駐車場をスキップする、子供みた
いな気分で女の頭を蹴っている。
 倒したバックシートには、量販店のグッズ
と電気の玩具(オモチャ)がいーぱい。
 頭の中はビニールのヘビでいーぱい。

 少女がカタカナで
「イターイ」と泣き笑い。
目の上に目のあるフシギなコ。
「エ、なにしてるの」
「チョット手、痛いんですケド?」
「首、疲れるんですケド?」
カチヤカチヤ何やら忙しい。
 「××ちゃんがカワイすぎるから」
 ダッシュボードには、キラキラしたプリキ
ュアとモンスターシールがびっしり。小さな
赤い光、点滅してる。

 熱心に見ているのはむしろ緑の方。

 土曜日のお姉ちゃん
 土曜日のお姉ちゃんは何してる
 土曜日のお姉ちゃんは、強さを求めて性に
走ります。
放課後。友達の友達の紹介の紹介。ケチで
も金払いだけは安稗(アンパイ)な、デフレ
オトコ。
 益荒男(ますらお)振るいつもの私(オレ
)と違いすぎる、丁寧なコトバ使い。アタマ
ん中はバリゾーゴンの嵐。
 でも、ゆーほど自分、悔しく思ってません。
多分街で男(ヤツ)にあっても、気づかない
テイだし、ハナっから顔なんてみてないテイ
だし。
 得意の後だしジャンケンで、いつだってリ
セット可能なエロカッコいいオネエチャン。
 チヤリンコ、スーパーナウ。

 飽きもせず見入ってる緑。そろそろオール
を漕ぎ出す光。

 敷居低き君の抑圧(うち)なき外籠(そと
ごも)り、放置プレイ中の父なき乳呑み児。
独り歩きも覚束ないニヒルなアベックは、
誰も忘れえぬ人々。

コックリ、コックリあくびが出る光。見入
る緑。
 「だいたい、いっしょじゃん」

 結局オンナジコトの繰り返し。誰がやって
も、みんなイッショジャン・・・・・・・

 コロコロ転がるスピノザの石。自分の意志
で堕ちてるつもり? 欲望は機械じかけ。カラ


4, 3

  


カラ空回る、カラクリ人形の体内時計。自由
を病んだ、クルクル回りっぱなしの、ブリダ
ンのロバの首。いつだって今が黄金時代。

 響き渡る轟音。
 振り向き仰いで、また振り向く。
 低空をゆく飛行機。腹を見せつけ飛ぶ米軍
輸送機。



5

epocheⅡ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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