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精神科ナースです(この作品は、もっとちゃんと評価すべきだ。)

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今回は、「精神科ナースです。」を取り上げよう。
この作品、いろいろな意味で衝撃的な作品である。この作品のネームが、どのような目的で、いつ、どのような経緯で、作られたのかよくわからないので、その点については詳しく語れないのだが、作者のしまむら先生が、プロ級の漫画技術(もしかして、プロ?)を持っており、かつ、何故か精神科看護について、プロ級の知識を持っているのは理解できる。これは脅威てきなことである。

1 とりあえず私と精神科について(この部分、たぶん、炎上要素があります。)

私は、現在、中年のサラリーマンであるが、同時に精神科医療のヘビーユーザーでもある。中学生の時にうつ病に罹患して、現在まで薬を飲み続けているので、
人生のかなりの部分を精神科に依存している。よく、犯罪者が「俺の人生はほとんど、刑務所だぜ。」みたいなことを言って空威張りするが、ようするに、そういう状態である。うつ病になる前の小学生高学年の時、かなりやばい集団に所属していたことがあり、そこでの過酷な体験がうつ病の原因かなと思うこともある。やばいというのはどのくらいやばいかというと、メンバーの一人は、家族が全員犯罪者でかつ実兄が、強姦殺人罪で逮捕されたばっかりといったようなやばさである。当時のこのメンバーは、義務教育が終了したあたりから次々と人生を落伍していき、ある者は高校の時、バイク事故死、ある者は、強姦致傷等で何度も刑務所に行きその後行方不明、本人の一家離散、ある者は自殺、ある者は、家族に見捨てられ自宅で餓死等悲惨な結末を迎えることになり、その話が入ってくる都度、私は痛快な気分で、朝、目覚めることができた。

ちなみに私はというと、うつ病が原因で、この集団からドロップアウトしてしまい、彼らの本格的な問題行動に巻き来られずに済んだ。

その後の人生でも、いろいろと人並みなストレスをいろいろと経験するのだがその都度、うつ病でドロップアウトしてしまった。

現在、私は幸せなのだが、その原因はストレスを受けた後にドロップアウトしてしまったからだと思っている。
現在、私はうつ病だが、健康診断の結果は、オールAである。そのようにうつ病は、しいては精神科医療は、常に私を守ってくれた。

2 「精神科ナースです。」の物語上の構造について

さて、ながい前置きはこのくらいにして、「精神科ナースです。」の物語上の構造について、考えてみよう。佐藤秀峰先生の「ブラックジャックによろしく」との類似を指摘したくなる人がいるかもしれないが、この2作は作品のテーマが全く違う。

「ブラよろ」のテーマが「正義」であるのに対して、「精神科ナース」のテーマは「救済」である。
「救済」とは、報われない魂が、同じように報われない魂を救済することによって、自分自身も救済されるという物語の普遍的な形式のことである。
(物語のモチーフは「医療もの」になるだろう。)

ストーリーを使ってテーマをうまく回収できてると認識できると読者は、読後にカタルシスを感じることができる。

「正義」にしても「救済」にしても、うまく回収すると作者や読者がカタルシスを覚えるのは、そこに神もしくは超越的なものの「公平性」を読み取るからである。物語のテーマをただのフィクション上の公式だと思ってはいけない。1で述べた私の元メンバーの運命を見ればわかるように、超越的なものの「公平性」を無視した生き方をすると大きな落とし穴が待っている。最近では、カルロス・ゴーンという、壮大な転落ドラマがあったよな。

そもそも「救済」に対する信仰を持っていない者は、看護師という仕事を選ばないだろう。

3 「精神科ナース」の神話的構造について

「ブラよろ」と比較すると「精神科ナース」は、はるかに神話的である。
個々の登場人物、ストーリーの象徴性が高い。

まず、この漫画を一読してわかるのは、この漫画は医療漫画であるにも関わらず、医者の影が異常に薄い・・というか全く出てこない。「ブラよろ」が正義を貫こうとする医師の苦悩を描いているにも関わらず、看護師の存在感が極めて大きいのとは、対照的である。意識的なのかは、不明なのだが、テーマの邪魔になると思われる部分をバッサリ切ってしまうこの思い切りのよさは見事だと思う。

キャラクターを考えてみよう。
まず、この漫画における「島田」の役割を考えてみよう。
この場合の役割とは、看護者としての「島田」ではなく、物語上の象徴的な意味での「島田」のことである。

「島田」は、ギリシャ神話における「ヘルメス」である。
導く者である。
過去の作品で言えば、ファウストにおけるメフィストフェレス、スカイハイのイズコ、スリーナインのメーテルなどなど。物語上の重要な脇役である。

彼女が物語上、担っている役割は、その物語の主役の看護師に「救済」に対する欲望を目覚めさせ、「救済」に導くことである。

「島田」により、「救済」の欲望を覚醒された主人公たち(報われなない魂を抱えている)は、同じく報われない魂を「救済」することで、結果的に自分自身が救済されていく。

これがテーマを回収するための、「精神科ナース」の物語の骨格である。
「精神科医療もの」というのはあくまでも物語のモチーフである。
ジャンルはヒューマンドラマかな。

それにしても
体温の低そうな登場人物たちが、淡々と患者を「救済」していく描写力は、かなり凄みがある。熱血とは真逆の熱さが、そこには確実にある。

4 それでは、気になった点を

この部分は、しまむら先生は、「頭のおかしいおっさんが、何か偉そうなこと言ってるぜ。」くらいの気持ちで読んでほしい。

「精神科ナース」の場合、ページ数が短いと、テーマの回収に成功するのだが、
ページ数が長いと、テーマが後退してしまう傾向があると思う。

ストーリーにテーマが、引きずられてしまっている印象を受けるのだ。
典型的な部分が、拒食症の少女をめぐる話で、この話のクライマックスは、言うまでもなく、看護師が自傷痕を、拒食症の少女に見せるシーンなのだが、この部分はおそらくテーマの回収に成功していない。
成功していれば、このシーンで作品の本当のテーマ。
つまり、「報われない魂」が「報われない魂」を救済するが、前景化するはずなのだ。

この問題点は、作者も自覚があったらしく、それでも作品に余韻を残すために
長いエピローグが必要になっている。

5 では どうしたらいいのか?

この問題点は、拒食症の少女と死産をした看護師の心理的な傷が釣り合ってないことが問題なのではないだろうか?

作品の中の心理的な傷の重症度は、

拒食症の少女>>>>死産した看護師

である。もちろん右ほど重症である。拒食症の少女並みの地獄を針田に与えるとするとどのくらいの不幸度が必要か昨日、じっくり考えたのだが、おそらくこのくらいである。

「死産後、休職した針田。抑うつ状態になり、自宅に引きこもっていたが、その姿に心配になった針田の実姉が、幼い自分の娘(3~4歳くらい)の面倒を針田に依頼する。針田は快諾する。針田は姪の面倒を見ることで、精神的に立ち直っていくが、ある日、針田の重大な過失により姪を事故死させてしまう。」

その地獄を生き抜いた針田の目から見える拒食症の少女の魂は、死産のみを経験した針田の目から見るそれとはまったく違うはずだ。

最近見た映画では、マンチェスターバイザシーがテーマ(贖罪)の回収がものすごく上手だった。

6 最後に(漫画家は何を目指して漫画を描くべきか)

「精神科ナースです。」は、私には大変な問題作に見えるし、かつ、大きなポテンシャルを秘めているとも思う。
最後に私が考える非商業で活躍する漫画家さんの心得を書こう。

非商業の漫画家は、短期的な人気の有無に、作品をコントロールされてはいけない。商業漫画の場合、短期的に消費され、その後、ごく一部の作品を除いて忘れられる運命にある。5~10年という期間で考えた場合、作品が生き残れるという可能性はむしろ非商業の方が高いと思う。

これは、非商業の場合は、作家本人が、生活手段を漫画以外から得ているので、
生物学的な意味で生存できる可能性が高いことも、一つの原因である。

「精神科ナースです。」はもっともっと注目され、議論されなくてはいけない作品だし、もっとクオリティをあげられるポテンシャルがあると思う。
一番大事なのは、一時的な人気ではなく、継続性である。

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