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序文 「軍隊の崩壊」

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 夜行バスの中は想像以上に狭い。出来るだけ安い運賃で行けるものを選んだ所為もあるが、中には自分と同じような境遇のものが何人か既に所狭しと眠っており、決して座っていて心地よいものではなかった。それでも彼は周りに人のいない席を選び、どかりと座り込んだ。
 周囲の人間は皆大荷物を抱えている。死人のように眠る彼らを乗せ、排気ガスを吐きながら腹八分のバスは走る。夜の街並みなど言語道断、現在走っているのは名も知らぬ山間だ。ぽつりぽつりと点在する水銀灯を目印に、鉄の怪物はふらふらと進む。運転手もさぞかし睡魔に襲われかけているのだろう、諸所でバスは蛇行していたが、丑の刻も過ぎているため対向車は少なく、幸いにも大惨事には至らなかった。
 振動に揺られながら、最後に乗り込んだ茶髪の青年は溜め息を吐いた。
 睡眠欲はほぼ皆無だ。出発前に程よく昼寝をした所為で、むしろ目が冴えて仕方がなかった。窓の外に目を遣っても、暗がりの中に自分の顔がちらちら映るばかりで、時間潰しにもならず、オセロを持ってこなかったことを軽く後悔した。
 青年・|川述悠介《かわのべゆうすけ》は視線を前の座席背面に戻し、手持ち無沙汰に灰皿の蓋の開け閉めを繰り返す。
 才知の両親に恵まれた川述は幼少から英才教育を受け、有名中学、高校、大学へと入学した。成績優秀で品行方正、誰もが彼の将来に期待を抱いた。しかし大学二年目となるこの春に、ある突発的な命令を受け、大学を強制的に退学させられることになった。傍から見れば、それはそれは人生転落の良い例に違いない。
 そもそもこのバスに乗り込んだ人間の多くは、今現在ほとんどの者が自らの望んでいなかった道を歩んでいる。

 某日。
 川述はその時、全てのテレビ局が番組を中断し、同じニュースに報道し始めたのをはっきりと覚えている。
 突如ブラウン管に現れたスーツの男が発表したのは、徴兵令。
 戦時中、戦力を増やすために政府が布いたものと同じ。
 十八歳以上の人間ならば優劣は問わない。キャスターは慌てた口調でそう伝えた。高校生は特例として受験が終わるまでは徴兵に行かなくても良いという事だったが、川述は今年成人を迎える齢に達している。逃れる術はなかった。
 徴兵を行うという事以外、政府からの説明は一切ない。
「詳細は徴兵された地域ごとに行う。政府からの通達を待つように」
 とだけ言い残し、偉い官僚何某は画面から姿を消した。余りの粗雑な扱いに多くの国民の反感を買い、政治家も数多く現役から退いたことは、川述もうっすらと覚えていた。
 川述はこの事を不審に思い、何か事件でもあったのかと調べた結果、浮かび上がってきたのは政府が新たな組織を創っている噂だった。
 組織名こそは明らかにはならなかったが、某巨大掲示板の片隅で、戦線から身を退いたと語る者――恐らくは引退した政治家――が、罵詈雑言に打ちのめされながら只管に書き込んでいた。
 川述はあっさりとそれを信じた。
 単に彼が、情報弱者だったからではない。周囲の人間はそのライターを混乱に乗じて荒らしている偏屈な奴だと馬鹿にしていたが、川述が見る限り彼は今回の政令に関してこと詳しかった。それで内部の人間と判断し、書き込んでいく情報を次から次へと脳内に焼き付けていったのだった。
 結果、他人の実名も躊躇わず書き込んだ彼は、やがて規制された。
 もしかすると、秘密裏に殺されたかも分からない。そこまで重罪ではないかもしれない。いずれは彼の居たスレッドも、闇に葬られた。
 書かれた事項を纏め上げた末に、川述が出した結論はこうだ。
 某日、日本国内のある場所で“奇妙な現象”が確認された。
 それにより多数の被害者が発生すると推測した日本政府は、新たな軍事組織を創り上げ、対応を計った。しかし予想以上に人数が足りず、急遽全国から人手を集めようということになり遂には徴兵令が発布される事態となった。彼はそういう事を言っていた。
 だが、重要な部分はおぼろげなまま。
 奇妙な現象、とは何なのか。
 多数の被害者が発生する危険性があるということは、災害か何かに違いなかった。しかしそれだけのために人口の三分の一を集めるなど、筋の合わない話。現象というからには自然が引き起こす何かだろうかと考えたが、それこそ徴兵などでは解決できない問題だ。
 だとしたらなぜ、自分たちは徴兵をかけられたのか。
 思考を巡らす内、窓から見える風景には水銀灯さえなくなり、バスの灯かりだけが闇夜に浮かび上がる。舗装された道を通る車の中からは振動すら消え失せ、静謐に包まれていった。ふと、川述は空を見る。小さな流れ星が一つ、空を流れていくのが見えた。願い事はしなかった。
 川述は窓際に身を寄せ、目蓋を降ろして眠気を誘う。
 出来るだけ、疲れは残しておきたくない。
 辿り着いた先に何が待ち受けているのか、この目で確かめるために。
 川述が眠りに落ちてからも、バスは闇夜を走り続けた。


 ――――二〇四四年四月一六日。
     彼らはまだ、異常を知らない。



     ***


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 川述は昼間から歴史書物を読み耽っていた。
 八月十五日。この国が合衆国相手に降伏してポツダム宣言を受諾した日だ。それからあっという間に時間は流れ、百年を刻もうとしている。
 当時、この日本国は唯一の被爆国として平和維持に努め、未来永劫戦争はしないという誓いを立てた。それ以降は様々な国の援助を受けながら、日本は爆発的に経済が発展し今や先進国の一員としてその名を世界に知らしめている。
 冷戦終結以降、中東や朝鮮半島では戦いが幾度も発生したが、日本は一切関わらなかった。宣言通り日本は武力制裁を一切行わず、経済発展国として世界の頂点を争うまでに地位を上げていったのだった。そんな日本が再び軍事力を再生するなど、一体誰が予想できただろうか。
「いつかそうなるとは思っていたけど、な」
 川述は怠そうに呟き、『新日本書記』と銘打たれた分厚い装丁の本を閉じる。
 宮崎は日向に置かれた支部は万人が想像する『軍人』の配属する場所としては余りにも不釣合いで、今日も呑気な日差しが降り注いでいる。
 “現象”の対策本部は軍事都市である横須賀に配置されているため、それ以外の基地は政令指定都市を除き、重大な使命を託されることはなかった。九州地方は福岡に存在する支部で殆どの問題を解決できているため、ここ日向支部は暇を地層のように堆く積み上げている。その現状が今、川述の周りには広がっている。
 今の時代、軍人ほど楽な職業はない。
 平日だというのに、隊員は両手で数えるほどしか見かけていない。戦車や銃火器を格納している備蓄倉庫は錆びた南京錠が掛けられて放置されているまま。頑丈なセキュリティのためには必要不可欠な警備員も、欠伸を携えて壁にもたれかかっている始末。最早、少し広めの寮施設があるだけといっても過言ではない風景。
 川述としては、本を読んでいるだけで給料が貰え、さらに衣食住が完備されている(といっても服は軍服だけだが)ので、何ら不満はない。
 唯一の不満と言えば、退屈すぎて毎日を反故にしてしまうということだけ。
 ルームメイトの殆どは、朝から近所の繁華街に出かけている。出不精且つ低血圧で朝起きない川述はそのせいでいつの間にか置いて行かれている事がしばしばあった。そんな日は退屈を紛らすために蔵書室に向かい、自分に足りない知識を詰め込んで行く。それが日常だった。
 無駄に三階建ての書物庫は、地方の基地にしては十分すぎる蔵書量。古き良き源氏物語から昨今のライトノベルまで幅広くカバーする、至れり尽くせりの品揃えに文句は一つも無い。
 今日も川述は二時間かけて、一冊の小説を読み終える。
 内容は少しグロテスクなミステリーで、特徴的なのは、主人公が中学生にもかかわらず自衛隊を厚く志望していることだった。今のご時世、不謹慎ながら思わず苦笑が漏れてしまいそうになる。
 そう。
 今の時代、軍人ほど楽な職業はないのだ。
 国軍というのは中学校さえ卒業すれば誰でも入隊することが出来て、さらによっぽど忙しい現場でなければ、悠々自適なミリタリーライフを堪能できる。この物語の主人公の想像しているモノとは次元が違っているのだ。事実は小説よりも奇なりというが、現代の軍隊はまさにそれを体現している。腐れきった世の中だと当初は批判されていたが、それも今ではすっかり消え失せてしまっていた。
 川述は小説を元の本棚に戻し、ぐーっと背伸びをする。
 時計の短針は三を指していた。
「天気がいいな。少し、外でもぶらつくか」
 長めの梅雨が明け、夏に差し掛かったために日差しはいっそう強みを増している。日向支部はすぐ近くの海岸線に沿って建てられているため、基地の端の書物庫の窓からでも、打ち付ける波が垣間見えた。
 川述が外に踏み出ると、太陽に照らされた空気が身体にまとわりつく。基地は郊外に存在しているため、車で一〇分も飛ばせば繁華街のある中央街へ行ける。友人の後を追って街中に繰り出すのもいいかなと一瞬考えたが、一瞬で面倒になった川述は海岸の方へ向かった。
 青ざめた水平線に白んだ砂浜。
 遥か彼方にぼやけて見えるのは、四国地方か。
 波の音と小豆を転がした音は酷似していると言う話があるが、実際に潮風を全身で感じながら目を瞑って耳を澄ますと、無機質な小豆の音と違って、押し寄せる波の音は生き物が鳴いているようにも聞こえた。
 川述は風に髪を煽られながら、空を見上げる。雲一つない蒼穹。耳を澄ませばトンビの声も聞こえてきそうなほどのどかな青空。空と海の境界が分からないほど、今日の空はいつにも増して青に染まっている。
 世の中は平和だ。徴兵令を受けて多くの人間が軍人として全国に散りばめられたが、その多くは変わらない毎日に飽いているだろう。何せ、一年経った今でも政府からは何も説明がないのだ。詳しい事情は何も伝えられないまま、彼らは戦争に駆り出されることもなく生き続けている。
 だが、川述は知っていた。

 平和の空にも、突然“あれ”は起こる。
 こうして無防備で居る時に狙って“奴ら”は姿を見せる。

 川述は理解していた。
 どうして自分たちはこうして徴兵を受けたのか、分かっているつもりでいた。
 それは当然、“経験”をしているからだ。
 “あれ”は、今この瞬間に発生してもおかしくない。
 小説を読んでいても、物語を大きく動かす事件というのは突然起こるものだ。
 少しだけ嫌な予感がして、川述は基地のほうに向き直り、
「……たまには、倉庫に眠る兵器の整備でもやっておこうかな」
 そう呟いて、鍵の場所を思い出しながら戻って行く。
 遥か頭上で、トンビが騒がしく鳴いていた。

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