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第四十六話 求める力はすぐそこに

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「あー。今日も疲れた疲れたあー!」
「お前ほとんど寝てたろ」
 学校の授業を終えての下校途中、ほとんど居眠りしていたくせに肩なんて揉んでる由音を半眼で睨む。
 やや後方では、ニット帽をかぶったシェリアが静音さんの腕に抱き着いて何やら楽し気に話をしている。顔立ちの整った二人の少女は、傍目から見るとやはり仲の良い姉妹のように見えてとても微笑ましい。
 遠方から感じていた戦闘の気配はしばし続いていたが、やがて収束して大鬼の気配以外は何も感じ取れなくなった。相手が死んだか、逃げたかしたのだろう。
 それにしても一体誰が大鬼に挑み掛かったのか。明後日に決闘を控えている俺が言えたことじゃないが、命知らずなヤツだ。
「しっかし、ちょっと小腹が空いたな…なあなあ!アイス食わね!?」
 また突拍子もなく、由音がちょうど視界に入ったコンビニを指差して提案した。
「アイスっ」
 真っ先に反応したのはシェリア。目を輝かせてずいっと前に出る。
「アイスってあれだよね!冷たくて、甘いやつ!」
「そうだよ、シェリア食ったことねえの?」
「ずぅっと前にいっかいだけ、レイスに買ってもらったことある!」
「そか!んじゃ食おうぜ!奢ったる!」
「ほんとにー!?いくつ?いくつ食べていいの?」
「一つに決まってんだろいくつも買えるほど金ねえよ!それにそんな食ったら腹壊すぞお前!」
 きゃっきゃと騒ぎながら、もはや決定事項のように二人は和気藹々とコンビニへ入っていく。
「……」
「行こうか、守羽」
「…すんません、静音さん」
 馬鹿二人に代わって謝ると、静音さんは不思議そうに小首を傾げた。
「どうして謝るの?」
「いや、あんな勝手にぐいぐいあっち行ったりこっち行ったり…。迷惑じゃないかなと」
 思えば、俺が四門との一件で由音と『再び』親しい関係になってからというもの、静音さんをも巻き込んで食べ歩きをしたり外食をしたりといったことが当たり前のようになってしまった。それまでは、二人っきりで登下校してもそんなことをしたりはしなかった。
 俺自身はよく食べ歩きや買い食いをするが、品行方正な静音さんにそんなことをさせてしまうのはなんだか気が引けて、一緒の時は控えていたから。
「…私はね、あんまりこういうこと、したことないんだ」
 コンビニに入った二人を眺めながら、立ち止まった静音さんは俺を振り返って語る。
「周りの友達も遠慮してるのか、そういうのに誘ったりしてくれたことがなくて。一人だと勇気が無くて買い食いなんて出来なかったし。…だからね、こういうの楽しいんだ。すごく、学生らしい」
 静音さんの同級生も、やはり俺と同じような考えをしていたのか。だが静音自身は、そういうことに興味があったと。
 これは俺が思慮に欠けていたかな。静音さんだって学生だ。高校生活をらしく過ごしてみたいと思うのは当然のことだった。
「それじゃあ、俺らも行きましょうか。アイス買って、どっかベンチでも見つけて食べましょう」
「うん」
 嬉しそうに頷いた静音さんと肩を並べて、俺もコンビニの自動ドアから中へ入る。
 既にどのアイスを買おうかと二人して熟考している背後から、さっさとアイスバーを選んで取る。
「オイ守羽!お前そんな簡単に決めていいのかよ!もっとしっかり考えろよ!!」
「アホか」
 一蹴して、同じく俺が取ったのと同じアイスバーの違う味を取った静音さんとレジで会計を済ませる。
「む、ねねシノ」
「ああ…その手があったな」
 俺と静音さんを見て何を考えたか、由音は悩んでいた内からカップアイスを選び、シェリアもその隣にあった別の味のカップアイスを掴んだ。
「これで!」
「二つの味を楽しめる!やはり天才だぜ守羽は…!」
 アホか。別に俺も静音さんもそんなつもりで選んだわけじゃねえよ。



      -----
「あ、そっか発売今日だった!悪いすぐ済ませるからちょっとだけ時間くれぇ!」
 アイスを買ってから、由音はそう叫んでコンビニ内に立て掛けてあった週刊少年誌を引っ掴んで速読を始めた。雑誌一つ買う金すら惜しむその姿勢は実に学生らしく俺は友人としてとても情けなくなった。
 俺も尿意が近くなっていたことを思い出し、コンビニのトイレを借りることにして静音さんとシェリアには一足先にコンビニから出て近くのベンチで待っててもらうことになった。
 用を足しながら、ふと思う。
(…真っ当に授業を受けて、友達を飯食って、帰りにコンビニで買い食いして)
 当たり前にこなしている、当たり前のような学生生活。
 俺が切実に願い続けている、何事も無い平穏な生活。
 ふとした拍子に涙が出そうになるほどの、幸福な時間。
 かつて『鬼殺し』として人外情勢に名を馳せてしまった当初の時期には、もう決して戻れることはないと確信していた。悪意の群れと正面からぶつかり皆殺しにしてきた、俺の短い人生の中でも暗黒とすら呼んでいい、苦痛と苦悶の生活からの脱却。
(戻れるもの、なんだな。あんな地獄からでも…)
 戻れてしまったからこそ、それを実現出来てしまったからこそ。
 守りたい、続けたい。この生活を死守していきたい。
 そう思わずにはいられなくなってしまうのだろう。
 珍しくそんな感傷的な気分になりながらトイレから出ると、ちょうど少年誌を閉じて顔を天井に向けて両目を閉じたおかしな恰好の由音を見つけた。
「何してんだお前」
「…気に、なるッ!くっそ続き気になるんですけどぉーっ!!」
「うるっせ。さっさと出ろ迷惑だ」
 読んでいた漫画の続きが気になるらしいが、これ以上大声で喚かれたら営業妨害で店員さんに文句を付けられてもおかしくない。由音の尻を蹴ってコンビニから叩き出す。
「いやでもさあ!あの引きはズルいって!あんなん続き気になるって!」
「来週も立ち読みすればいいだろ…ん」
 由音を連行して、二人の待つ街路樹の下に設置されたベンチへ顔を向ける。すると、そこには律儀にもアイスを開けずに待っていた女子二人がいた。
 それと、その二人に何事か話し掛けている、チャラい恰好をした三人の男も。
「……由音」
「おう」
 目に鋭さを帯びた由音が指の骨をポキリと鳴らす。
 シルバーアクセサリーやピアス、ブレスレットなどでジャラジャラと装飾した三人の男は、それぞれがトチ狂った色に髪を染めていた。
 明らかに地毛ではないとわかるほど目に痛い銀や金、真っ赤な頭の三人は、どうやら静音さんとシェリアを口説いているらしい。シェリアはよくわかっていないらしくきょとんとした表情で三人の髪を眺めている。そんなシェリアを静音さんが庇うように立って健気に何か応答していた。
「守羽、やっていいか?」
「いつもなら止める側だが許可する。人気の無い路地まで引き摺ってボコれ。三匹全部くれてやる」
 思い通りに事が進まないのに苛立っているのか威圧的な空気を出し始めている連中にもはや対話の余地は無い。
 せっかく学生らしい下校を楽しんでたんだ。ここまで来たら学生らしく少しくらいやんちゃに喧嘩の一つしたって問題ないだろう。
 歩きながら接近していた俺達だが、俺の言葉に猟奇的な笑みを僅かに浮かべた由音が先んじて駆け出す。
「だからよお!俺達が遊んでやるっつってんだから―――ぐぉあっ!?」
 ついに怒声まで発し始めた三人組の一人、気色悪い銀髪に染めた男を由音が無言のドロップキックで蹴り飛ばす。
「な、なんだテメエ!?」
「ハッ!この東雲由音、悪に応じる名など無いわ!」
 思いっきり応じちゃってますがそれは。
 そのまま蹴っ飛ばした男の胸倉を掴んだまま、由音はキャリーバックを引き摺るような感覚で銀髪の男を引っ張って走り出した。背中を地面に削られ悲鳴を上げる仲間と突然の襲撃者を追って、残り二人の男は由音に続いて路地裏に誘いこまれて行った。なんて単純な馬鹿共だろう。
「大丈夫でしたか?静音さん」
「守羽…」
 俺の顔を見てほっとした表情になった静音さんと、無言でじっと俺を見上げるシェリア。なんだかシェリアがおとなしい気がするが、まさかこいつも知らない人間に絡まれて怖がってたのか?
「未だにいるんですね、あんなガラの悪い連中」
 この街は治安自体はそう悪くないはずなんだが、うちの学校にも不良はいるし。まあどこにしたって完全に取り払うことは不可能な存在ではあるのか。
「由音が戻ってきたら、アイス食べましょう。早くしないと溶ける」
 安心させるように朗らかに笑って、静音さんをベンチに座らせる。
「…………んー」
「……なんだ、お前は。どうしたんだよ」
 視線を静音さんの真横にずらすと、俺を見上げて小さく唸っているシェリアと目が合った。
「ミカドはさ、髪、黒いんだね?」
 ぽつりと、何を今更ということを呟いたシェリアに、俺も困惑顔で首を傾けた。
「さっきのニンゲンみたいに、銀だったり、金だったりしにゃいの?」
「ありゃ染めてんだよ。俺も由音も静音さんも黒いだろ?この国の人間ってのは全員黒髪なんだよ」
「でも、ミカドは妖精だよね?」
「半分はな」
 どうも会話がうまいこと成立していないような…。シェリアは何が言いたいんだ?
 そんな俺の疑問に、猫娘はニット帽を両手で押さえて俺を見上げたまま答える。
「妖精って、みんにゃ髪は黒くにゃいよ?」
「…なに?」
 声を漏らしてから、すぐにその言葉の矛盾を突っ込む。
「お前黒髪じゃねえか。それにレイスだって」
 俺の知る妖精は皆黒髪だ。だがシェリアは妖精に黒髪はいないという。どういうことか。
「レイスは髪、黒く染めてるんだよー。そうしにゃいとニンゲンの世界だとヘンだからって。あたしは、にゃんか妖精の中だと『れーがい』で黒いんだって!」
 レイスの黒髪は地毛じゃなかったのか。そしてシェリアは妖精種の中では例外的に黒い?
 いや待て、前に人外をよく知る為に父さんのパソコンを借りて資料を集めたことがある。ケット・シーに関してもその時に調べた。確かその中の話によれば、アイルランドの伝説に出て来る妖精猫は人語を喋り二足歩行で歩く黒猫だと記載されていた。
 人が語り継いだその特徴が反映されているのだとすれば、シェリアの容姿が妖精種の特徴に反して黒毛になっていたとしてもおかしな話ではない。猫の因子と起源はシェリアの存在構成そのものであり、その優先度は種族構成より上回る。
 そして、そのシェリアの容姿の優先度合いを鑑みれば俺にも同じことは言えるわけで、
「俺は人間の血も半分あるからな。外見的な要素は人間種の要素が勝ってたんだろ」
 確かに俺は母さんのような瞳や髪の色はしていないが、妖精の力自体はしっかり継いでいたし、人外としての性質は内側にのみ反映されたと見て間違いない。
 顔立ち自体はどちらかといえば母さん似だし、髪まで妖精に寄ったら父さんが絶望しそうだ。そういう意味でもこれで良かったような気がする。
「ふへぇ~いろいろ大変にゃんだね、ミカドも」
「まあな」
 納得したんだかしてないんだかよくわからない吐息と共に俺を労うシェリアに、俺も捉え方の困る曖昧な返事をしておく。
「ふはははっ!成敗っ!!」
 そんなこんなで話し込んでいると、大笑しながら由音が戻ってきた。
「ほどほどにしたか?」
「おう!ってか殴り掛かられたから殴り返したらそれで逃げた!」
「なんだ。たいした度胸もねえ連中だったんだな」
 ならあの場で追い返してもよかったか。
「あっシノ!早く早く!」
 さっきまでしてた会話はどうでもよくなったのか、手からぶら下げていたビニール袋を振り回して由音を呼ぶ。
「そうだな!アイスだアイスっ」
「守羽。私達も」
「ああ、はい」
 四人で買ったアイスを開けてそれぞれ口に入れる。
「ああ゛~、夏だなっ!!」
「だねー」
 アイスを頬張ってご機嫌な二人が声を上げる。返事こそしなかったが、感想自体は俺も同感だ。静音さんもアイスバーを咥えて小さく頷いている。可愛い。
「しかしあれだな、今週乗り切ればいよいよ……」
「?なんだよ」
 シェリアの持っているカップアイスと自分のをスプーンで交換して食べたりしながら、由音が力強く拳を握る。
「馬鹿お前!本気か!?しっかりしろよな!」
「…?」
 マジで由音が何を言ってるのかわからない。来週何かイベントでも控えていただろうか。
「いいか、守羽。オレら学生にとって最大の楽しみだ。むしろこれが無かったらオレは無事に学生生活を乗り切れる自信が無いとすら言える!」
 俺が何も分かっていないのを見て深い溜息を吐いた由音が、大きく息を吸い込んで答えを明かす。

「―――夏休みだぁぁああああああああああああ!!!」

「いってて…あーもしもし旦那?うんありゃ駄目だ。化物とか怪物とかそういうレベルじゃねえ。まさしく鬼神の如き強さっつうか鬼神だな」

 とあるマンションの一室で幼い少女に全身包帯を巻かれながら無事な左手で握る二つ折り携帯電話から通話相手に報告を行っているのは、焼け焦げたような煤けた赤茶色の髪を持つ褐色の青年。
 昼に大鬼へ挑み惨敗、撤退してきた妖精崩れの悪魔・アルだ。
 今は白銀の髪を揺らして一生懸命に手当てを行っている白埜にされるがまま、同盟の長へと今日の戦闘でわかったことを報せていた。
「童子切も贋作じゃ無理だ、よほど隙を晒してくれてねえと直撃の前に皮膚の段階で折れる。歩く鉄塊だな、ッハハ」
「……アル。わらいごとじゃ、ない」
「あ、すんません…」
 砕けた右手に簡易的な処置をして首から下げた布に吊るさせながら、僅かに表情に怒りが滲んでいる白埜の言葉にアルは歳の差も外見の差も関係なく素直に頭を下げる。
「ダッサ!そんな小さな子に怒られてやんのダッサっ!!」
 同じ部屋でその様子を眺めていた女性、音々が爆笑しながらアルを指差すと、アルが額に青筋を浮かべながら、
「おうコラ魔獣…|天羽々斬《あまのはばきり》って刀知ってっか?|八岐大蛇《やまたのおろち》って怪物をたたっ斬ったって云われてる業物だァ。その逸話から俺の創る天羽々斬には魔獣種に対する特効付与がされててな………まあ何が言いたいかっつうと表出ろクソがぁ!!」
「上ッ等!右手以外の手足も全部へし折って外に蹴り転がしてやるわ!」
 売り言葉に買い言葉で立ち上がりかけたアルを、白埜がシャツを掴んで止める。その程度であれば振り払えないわけないのだが、白埜に真剣な眼差しできゅっと掴まれてしまえば、アルに抵抗する気など湧くはずもなかった。
「……アル」
「わかったよ!もう今日はおとなしくしてるよ」
 浮かし掛けた腰を再びフローリングの床に着けて、再び白埜の手当てに身を任せる。
「音々もいい加減にしときなって。今のアルは本当に満身創痍だ、こんな状態のアル久しぶりに見るぞ、俺も」
 台所で夕食の支度をしていた深緑色の髪の青年、妖精のレンも顔だけ居間に出して音々を注意する。
「ふん、そんだけ叫んで動けてりゃ問題ないでしょ。そもそもアンタがそんだけ全力で挑んでロクなダメージの一つも与えられなかったってのがもう嘘臭いのよ。その大鬼ってのはどんだけ規格外の化物なんだか」
 長い付き合いでアルの実力を重々承知している音々だからこそ、ここまで完膚なきまでに撃退されたアルの状態こそが信じ難かったのだが、それをわざわざ言葉にして伝えたりするような真似は死んでもやらない。アルが付け上がるからだ。
 長い長い赤毛の長髪を払って、音々も腰を下ろす。それを見届けて、アルは通話中だったことを思い出して床に置いた携帯電話を持ち上げる。
「もしもし?すんません旦那、音々の野郎がちょっかい出してき…え?いつも通り?まあそうですがね」
 互いに笑い合いながら、逸れかけていた本題へ話を戻す。
「ともかくあの鬼に通じるのは旦那が今持ってる本物の童子切安綱か、あるいは旦那方の扱う退魔の術法くらいのもんじゃねえですかね。それもどこまで通じるか…。守羽でしたっけ?自分とこのガキを死なせたくねえなら刀は持たせた方が賢明ですぜ。酒呑童子からもそうしろって伝言を預かってますんで」
 頭に包帯を巻いて行く白埜に視界を半分ほど遮られながら、神門旭との会話を続けていると、余計な雑音まで耳に届いて来る。
「はあ、はぁ……あ、あんなにハクちゃんに密着して手当てしてもらえるなんて、なんて羨ましい…!」
「おい音々、頼むからベランダから飛び降りるのはやめてくれよ。大体お前さんその程度じゃたいした怪我にならないだろう」
 手当てしてもらいたいが為にベランダの戸を開いて投身を決め込もうとしている頭のおかしな同盟仲間を冷やかな目で見据えながら、大方伝えられる情報を伝えたアルは話を終わらせる方向に流す。
「ええ、へい。了解、こっちは引き続き妖精共の接近を感知し次第牽制に回りやす。旦那も気を付けてくだせえな。あいよ、では」
 通話を切り、脱力したアルは今度こそ白埜の思うがままに体中まさぐられながら包帯を巻かれ消毒液を付けられガーゼを貼られるままにされる。
「とりあえず、お前さんは戦線からは外さないとな」
 夕食の仕込みが終わったレンがエプロンを外しながら居間に戻って来る。
「何言ってんだお前?片腕使えりゃ戦えるだろ。なんなら口だってある」
「犬かお前さんは。いいからおとなしく療養しとけって」
「……アル、バトルきんし」
「えー」
「そんなんで出られても迷惑だしね、足手まといだわ」
 本人がそういった様子を見せないから軽傷に見えてしまうが、ちゃんと傷の具合を見た者からすれば絶句ものの重傷者であることを、この場の全員が理解していた。
「ってかよレン、お前現役で妖精種じゃん、“治癒の光”で治せよ俺をよ」
 妖精種に備わっている固有技能である“治癒”は、自分の怪我は癒せないが他者のものは治せる。
 が、レンは首を左右に振る。
「俺も得意じゃないから、出来て痛み止め程度が限界だぞ。やる意味ないと思う」
「そうだったか?チッ使えねえなもう」
「なにおう」
 流れるように罵倒して、アルは使い辛そうに包帯と添え木で固められた右手を持ち上げる。包帯の内側はかなり酷い怪我だ。
 ただ、問題は粉砕された右手だけではない。肋骨、鎖骨も折れているし、内臓器官もいくつか不全を起こしている。現に今も唾に混じって吐血が止まらない状態だ。
「そんなんで、どうして平然としてんのアンタ。流石にちょっと引くんだけど…」
「いや、魔性種の恩恵でいくらか肉体の負担は軽減できてるし…。それにアレ置いてあるし」
 アルの向けた視線の先には、一本の杖が雑に立て掛けてあった。シンプルな錫杖のような形状で、末端から末端までを二匹の蛇が螺旋交差しながら這っている造形が施されている。
 それは医療・医術の方面では象徴的なシンボルとして世界規模で多用されているマーク。その原型とされている、ギリシア神話由来の名医が持っていた杖。 さらにそれを魔法の金属細工師が性能を模倣して創り上げた贋作。
 “|癒冠宝杖《アスクレピオス》”。
「元々武装専門の俺が創ったヤツだから出来映えは最悪だけど、アレを近くに置いとけばいくらか傷は治せる。今晩は白埜の代わりにアレ抱いて寝るさ。それで最低限生命存続維持が可能なレベルまでは治癒出来るだろ」
 喋りながらもごぼごぼと口から血を吐き出して白埜に拭かれている。
「んで、俺達の押さえるべき相手である妖精共だが…」
 当たり前のように牽制に参加するつもりでいるアルが、確信した口調で切り出す。
「こっち来てるぞ。じきに街へ入る」
「…俺は何も感じないぞ?」
 妖精であるレンが感じ取れない同胞の気配だが、アルは確かに感じていた。
「悪魔に『反転』した影響かわからんが、俺は一度戦ったことのある相手の気配にはやたら敏感なんだ。レイスとクソジジイの気配が着実に近づいてる。まだ距離はあるがな」
「ファルスの爺さまも来てるのか。ちょっと不味いなそれは」
 忌々しく名を呼んだレイスはまだいい、歳若い妖精のレイスは実力自体はまだレンやアルと拮抗するか下回る程度。…まあ、あれから随分経って現在の実力は知れないが。
 問題は妖精界の古株。ファルスフィスと呼ばれる年老いた白髪の妖精。
 あれを相手するとなると、牽制とはいえど少しばかり骨が折れる。
「ま、なるようにしかならねえ。個人的にはやっぱ明後日の決闘が気になるとこだがな、観戦しに行ってもいいかな俺?」
「巻き添え喰らって死んでいいなら好きにすればいいんじゃない?」
 いちいち辛辣な返しをしてくる音々とそれに噛み付く狂犬のようなアルとの仲裁に割り込むのがもう一連の流れとして組み上がっていることに辟易しながらも、レンは白埜と共に同盟内の平和を保つ為に二人の仲を取り持つ。
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「やっぱり相当な手強さだね、大鬼は」
 夕食の席で、ふと漏らした父さんの感想に対し、俺は最早なにを驚くこともなく、
「昼に酒呑と闘ってたのは、父さんの仲間か?」
 ある程度出来ていた予想をそのままぶつける。今食卓にいるのは俺と父さんだけ。母さんは町内会の集まりだとかで今は家にいない。
 父さんは咀嚼しながら首肯を返した。
「そうだよ。確かな実力者だったはずなんだけど、報告を受ける限りほとんど惨敗に近い負け方をしたらしい。本人は嬉しそうだったけどね、今度紹介するよ」
 惨敗して嬉しがるってどんな変態だよ……。
 俺は若干引き気味になりながらも、父さんに話の続きを促す。
「鬼の因子を持つ人外は|鬼性種《きしょうしゅ》と呼ばれるんだけどね、特徴として高い自己治癒能力と身体能力っていうのがある。その頂点に位置する大鬼はもちろん段違いの強度と回復力を持ってる。硬度強化や変化、空中浮遊とかの神通力も一通り使えるらしいし」
「うん。で?」
 そこら辺の知識は、既に『|僕《ミカド》』から返してもらっている。父さんだってそんな話を本題としているわけではないはずだ。
「大鬼の肉体にダメージを通す方法は限られてくる。それはとんでもない大出力の一撃だったり、極めて強力な毒だったりだ。僕や君のような退魔師の家系であればその術式を用いて動きを封じ、攻撃を通すことも可能だろう。それでも与えられるのは微々たる傷程度だ」
「……」
 神妙な顔つきで父さんは続ける。
「だが例外的に鬼へ致命傷を与えられる武器がある。詳細は省くけど、君と同じ『鬼殺し』の二つ名を持つ童子切安綱という天下五剣の名刀だ。今は僕が現物を持ってる」
「童子、切り…」
 その知識自体は持っていないが、天下五剣の名称そのものは知っている。何故父さんがそんなものを持っているのかまでは、流石にわからないけど。
「刀は守羽、君に託すよ。大鬼と闘う為には必須だ。…まあ、君はかつてそれ無しで大鬼を倒したことがあるけど、酒呑童子はあの鬼をさらに上回る鬼神だ。必要になる」
 『鬼殺し』という二つ名が出て来た時点で察してはいたが、俺が前に一度大鬼を退治していることまで知っているんだな。こうなると父さんが俺の何をどこまで知っているのかまったくわからなくなってきた。
 俺の戸惑いの様子もやはり無視して、父さんは俺の眼を真っ直ぐに見つめて柔らかい笑みを見せた。
「それともう一つ、君に渡しておく物がある。僕の大事な物だけど、守羽にとっても大事な物のはずだ。君に預けておくよ」
 刀と共に食後にでも渡すつもりなのか、今はそれだけ言って話を締めようとする。
「父さん」
 その前に、俺は声を上げた。父さんは茶碗に落としていた視線を上げて再度視線を合わせる。
「なんだい?守羽」
「俺は、結局力を完全には取り戻せなかった。明後日の決闘までには、たぶん間に合わない」
 感覚的に、本来持っていた力の大半は戻ったと思う。だが完全には遠い。
 完全ではない神門守羽で、最強の大鬼に立ち向かえるのか。俺はそれがわからなかった。
 負ける気はない。というより負けることは許されない。だが拭いきれない不安はどうしてもネガティブな思考を加速させていってしまう。
 もし俺が力を完全に取り戻す方法を知っているのなら教えてほしい。そう声に出して続けようとした俺を、父さんの言葉が遮る。
「大丈夫だよ」
 あやふやで曖昧な一言。まるで子供をあやすように優しく力強く、父さんは俺から視線を逸らすことなく確信した口調で断言する。
「大丈夫。君の力は手の届く範囲にあるものだよ。その求めている力は、すぐそこにある。ただ、今はまだ見えていないだけ」
 食卓から身を乗り出して、父さんは伸ばした手で俺の頭をくしゃりと撫でる。
 父さんに頭を撫でられるのなんて、一体いつぶりだろうか。幼い頃とまったく同じようにゆっくりと動かす手が髪を梳く感覚は、昔と同じで心地良い。
「僕はろくでもない人間だったけど、君の父親でいれたことは唯一誇れることだと思ってる。だから、だから僕は―――」
 何かを言い掛けて、父さんは躊躇うように口元を引き締めて俺の頭から手を離す。
「…父さん?」
「早く食べないと、冷めちゃうね。さあ守羽、一緒に食べよう」
 俺の疑問を受け流すように父さんは食事を再開してしまう。
 多少不思議に思ったが、俺ももうそれ以上はこの話を続けることはしなかった。
 父さんの言葉に、父親に頭を撫でられたことに。
 俺は単純にも安心してしまったのだ。大丈夫と言われて、ほっとしてしまったのだ。
 だから、その言葉で満足した俺に話を深追いする必要はなくなった。
 今の俺に不安は無い。
 明後日の勝負、必ず勝つ。

 ―――俺がそんな決意をしていた時、父さんは何を思っていたのだろう。
 ―――今思えば、きっと父さんも俺と同じように覚悟をしていたんだと思う。
 ―――……これが、息子との最後の食事になるかもしれない、という覚悟を。
 ―――そして大鬼との決闘を控えていた俺に、そんな心中を察せるだけの余裕は、無かった。




      -----
 神門守羽と酒呑童子の決闘が迫っていた、その前日のこと。
 ダークスーツを着こなして火の灯っていない煙草を咥えた青年、陽向日昏は何をするでもなく空を見上げていた。
 彼がこの街に来てからずっと進めていた作業は、先程ようやく全行程を完了した。これまでは、とある者に邪魔をされて一向に完成してこれなかったものだ。
 そしてこれの完成により、日昏は最終目的へやっと手を伸ばせる。
(…覚悟を、決めたのだと判断していいのだな。……旭)
 言葉に表せない微妙な表情で日昏は空へ向けていた目を細める。
 その背後で、人の気配と靴底を擦る音が聞こえる。
「オイ!」
 鼻息荒く、そこに立っていた者の声を日昏は知っていた。苦笑しながら振り返る。
「どうした東雲の、そんなに息を切らして。俺に用件か?」
「用がなきゃ会いになんてこねーよ!」
「そうだな」
 日昏は、その少年・東雲由音のことが嫌いではなかった。だから話に応じてやることにした。
「それで、なんだ?」
「自分でも色々やってみたけど!やっぱお前に教えてもらうのが一番かなって思って来た。お前に頼みたいんだ!!」
 土下座すらしてみせそうな様子で、由音は戦ったことも共闘したこともある奇妙な間柄となっていた日昏に頼み込む。



      -----
 同じく決闘前日の夜遅く。
 静音と一緒のベッドで眠っていたシェリアは、耳をぴくんと動かして薄く目を開けた。
「ん…………レイス、ぅ?」
 聞き覚えのある足音が複数、遠方からこの街へ向かってきているのをケット・シーの聴覚が捉えていた。
 しかしシェリアにとっては眠気の方が優先され、その意識はすぐさま静音の腕の中で深く沈んでいった。



「来てんぞ、連中」
「数は?」
「知るか」
 同刻、寝付いた白埜を起こさぬようにマンションの屋上へ移動した『突貫同盟』の三人は、夜の闇の奥を見やりながら話していた。
「明日には到着って感じか」
「ほんと、間が悪いわねえ。よりにもよって明日とは」
「仕方ない。ある程度は予想していたことでもあるし」
 右腕を首から下げた布で吊った全身包帯まみれのアルと、夜風に長い赤毛をなびかせる音々。それと腕を組んで思案顔をするレン。
 着実に近づく妖精の気配を前に、三人もまた警戒を強める。
「アル、音々。やることはわかってるよな?」
「当たり前。ボスの邪魔をさせないことでしょ」
「殲滅だろ。来たこと後悔させてやる」
「「|お前さん《アンタ》は部屋でおとなしくして|ろ《なさい》」」
 一番活き活きとした表情のアルが、他二名に冷静なツッコミを受けていた。



      -----
「…こんなモンか」
 全身を軽く動かして、酒呑童子は自身の調子を確認する。
 妖精崩れの悪魔と|遊んだ《・ ・ ・》時間以外をひたすら退屈に過ごしていた甲斐あってか、その身はほとんど全快に近い状態になり、酒断ちによる弱体化からも戻っていた。
 明日、『鬼殺し』をブチのめす。
 自分の勝利を疑わない最強の鬼は、酒を取り込み久しぶりの快調に至った上機嫌で誰に向けるでもない笑みを浮かべる。



      -----
 そして始まる一日は、一つの街の中においてはあまりにも濃密で、あまりにも凄絶で、
 そして、あまりにも慌ただしかった。
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