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顎が遅刻したオフのレポ

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 二〇一五年 二月一九日、僕は道に迷った……


 事の発端はいしまつさんが肉を食おうと言い出したことだった。
「顎さんもいこうぜ!」とFEで人を無意味に死なせて生きることの謎に向き合っている僕に呼びかけてくれたいしまつさん。
「いいよー」と答えてからあるまいと君とマイクラやってたら、まいと君が一言。
「顎、金なくね?」
 そうだった――だが僕もヒモを目指す身、タカリ芸の一つや二つ腕に仕込んである。
 そう思って現地にいった僕を待っていたのは金の無さではなく方向感覚の無さだった。

 大都会・東京の夜――
 勤め人や有閑マダムがうろつく界隈をスマホ片手に彷徨う僕。
 そもそもなぜ迷ったかというと焼肉店の店名を間違えてググってて答えのない袋小路に突入していたからだったのだが、そんなものはなんの道しるべにもならないのだった。
 ツイッターにこだまする僕の悲鳴、なかなか迎えに来ないいしまつさん。
 ニトロさんに「おめぇいまどこだよ」と凄まれてビビりあがりながらビックカメラの現場写真を撮影していたらメガネの兄ちゃんに「あのう」と声をかけられる。
 そうか、この人がいしまつさんか!
 いい人そうだなあ、と思っていたらどこかの住所が書かれたスマホ画面を見せられる。レストラン……?
「ココ、どうやっていけばいい」
「おい、よく聞け。道に迷っているのはこのぼくだ」
 中国人だったらしいメガネの兄ちゃんに断固として「NO」を突きつけその場を離れる僕。ふざけるな、この世は弱肉強食。肉をこれから喰うのは僕であって貴様は故郷(くに)に帰ってイモ掘ってろイモ。

 ――泣きそうになりながら寒空を見上げていると、新たに三人組が僕のそばに近づいてきた。
「あれかな……?」
「あれじゃね……?」
 今度はカツアゲか、と思ったらそのメンバーがいしまつさん(作品:文学賞のための練習帳)、東京ニトロさん(作品:彼女のクオリア)、柴竹さん(作品:藤色アワー)だったのである。
「新都社の人ですか?」と尋ねられ「顎でーす」と答えたら肉喰いてぇから早く歩けと連行されていく僕。
 ひょっとしてこの人たちはこの僕そのものを焼いて喰う気なのでは……? と思いながらも焼肉店へ向かうのだった。

 どう考えても駅チカではない路地に入ったところにある焼肉店の地下へおりると、焼肉店にしては空調の利いているおしゃれな店内ですでにオークションの説明が始まっていた。
 感じの良さそうなお兄さんがまな板の上に焼く前のマンガ肉みたいなデカブツを置いて包丁を握り、「ここが巻きといって~」などとお肉の美味しいところを説明している。
 いしまつさんがやたら「すいませんすいません」と言っていて何を謝ってるんだろうと思ったらなんと僕は遅刻していたのだった。あの、本当に遅刻してすみませんでした……

 席ではクラックさん(作品:旅する僕)とヤーゲンヴォルフさん(作品:ドン亀のヨーチン、ほか)が待っていた。
 遅刻すること十五分強、ようやくここに文芸焼肉オフに参加する選ばれし六人のメガネ男子が集結したのだった。
 その圧倒的メガネ率に焼肉店の店長から「男六人でなにやってんすかwww」などと煽られるが、腹を空かせている僕たちはいざとなったら店長ごと肉喰えばいいと思っているのでフフフと天龍のごとく忍び笑いを漏らすのだった。

 ここでお肉が来るまで各人の紹介をしたいと思う。
 僕は今回、全員お初だったのだけれどニトロさんとかクラックさんとかはすでに何度も肉を喰ったりした仲らしくイチャイチャしていた。
 ニトロさんは人の良さそうな顔の奥に足立区で暮らしてきた凄みを持っているように見えたが、おそらく腹を空かせていただけだったと思う。
 クラックさんは常日頃から「ぼくは非リアだ、やばいんだ」とか言ってるから僕もそれなりの覚悟をしてお会いしたのだが、普通に明るくて肌つやのいい人だった。フレームがおしゃれなメガネをかけて声も張ってるので、あかるい技術者にも親しみやすい営業マンにも見える。普段からいいものを食べていそうだったので僕はそっと殺意と食欲をクラックさんからまな板の上のお肉に移した。
 いしまつさんは会ってすぐに「いまいるのっていしまつさんと……?」と尋ねたら「まだ名乗ってねぇのになんでわかるんだコイツ」みたいな顔をされたが僕とてギャンブラー。ハッタリはタカリ芸の一つなのだ。
 いしまつさんは海外からの一時的に帰国していたこともあり、どこか旅慣れた感がある。いまにも「ヘイ!」とヒッチハイクでもし始めそうに見えたのは僕の目が安心で霞んでいたからだろうか。なんにしても生命力のありそうな人で僕の隣に座った。その対面にいたのが顎男捜索隊の最後の一人、リア充大学生の柴竹さんである。
「海外旅行いく前に肉喰うっすわ」などと言い出し、無限の体力を花咲かせている現役大学生。ヒゲを生やし身長も僕らの中では高めで、詳しくは尋ねなかったがスポーツをやっていたらしい。今回はヤーゲンヴォルフさんと並んで最年少の参加である。
 ヤーゲンヴォルフさんは会ってすぐに分かった。綺麗な目をした兄ちゃんが野戦帽をテーブルの上に置いていたので「ちわっす」と挨拶。どこか照れくさそうに挨拶を返してくれたのにキュンと来た。

 肉のオークション、ということで僕は最初、暗いライブ館のようなところで、背広を着た高級取りたちが「二万! 三万!」とファックサインのように片手を突き出し肉を競り落としていくのを想像していたのだが、それよりも気の利いた軽食店のようなフロアでノリのいい店長が肉をかっさばいてそれをテーブルに座っているお客と対話しながら競りかけていく、というスタイルだった。
 僕らのほかは女性客が二人いるだけで、とても空いていたらしく普段よりも安くお肉を競り落とすことが出来たらしい。お互いに譲り合うというまんがタイムきららの四コマ漫画みたいな展開になり、とても和やかなオークションとなった。そうだ、たたかうことはよくない――僕の心に一条の光と涙が差した。あと腹減りすぎてヤーゲンさん食おうかと思った。僕は朝からバナナとシリアルしか喰ってねぇのである。

 オークションが終わって、お肉が来るまでポテトサラダなどを食べながらなごやかに談話をして過ごした。
「顎さん道に迷っちゃだめでしょ~」とみんなにツンツンされたが、僕はマインクラフトで二秒でアルマイト君とはぐれてあの温厚なアルマイトを半ギレさせた男である(宣伝;今度、五月に彼と文学フリマに出ます)。今後はGPS発信機つきのピッチを速達で届けてからお呼ばれするという育ちのいい高級中学生みたいな対応を希望する。あと迎えに来るのが遅いとか普通にいしまつさんに舐めた口を利いて本当にすみませんでした。

 そしてじゅーじゅー音を立てながら現れたのが、今回の主賓であるお肉様である。
 いまさっきまな板の上でバラされていたお肉がすぐに焼かれて出てくる――エレベーターで調理場に送られ焼かれて戻ってくるというのはとてもSFチックで僕たちにふさわしく思えた。
 最初のお肉は六等分できなかったので、三等分し、格差社会を作ろうということになった。
 ジャンケンの結果は足立の雄・ニトロさん、旅人・いしまつさん、軍国青年・ヤーゲンさんが勝利し、あとの三人は指をくわえてみていろというスタイルになった。
 肉喰った瞬間に「会社休んでよかった……」とニトロさんが感涙。僕はその場でニトロさんを喰えば中のお肉も食べられるんじゃないかとぼんやり考えながらその満面の笑顔を見ていた。
「この肉に比べれば普段喰ってる肉なんて上履きだね、上履き」みたいなことを言い出しユーモアのセンスを見せつけてくるニトロさん。いしまつさんはなんかもう美味すぎてワケわかんなくなって何言ってんのかまったく分からなかったので描写は割愛させていただく。

 その後、ちゃんと僕らの分のお肉も届いて争いは終わった
 。僕の対面のニトロさんがお肉を綺麗にはんぶんこにしてくれてとても嬉しかった。お肉はレアに焼かれていて、中はまだ赤く震えている。「肉を切ってサクって音がするのおかしくね?」と言い出したニトロさんの言うとおり、それは僕らが普段食べているお肉とはまったく違う次元のものだった。僕はすばやく視線を走らせた。金が足りなくなったらトイレから逃げようと思ったのだが、そこは鉄火場と同じく地下にあり、トイレの外に出てもいしのなかにいるだけなのだった。くそっ。ヤーゲンさんを見ると美味しそうに食べている。たらふく喰ったら一緒に逃げよう、という僕のテレパシーは彼には届かなかった。
 まだ生きているかと錯覚するような活力あふれる肉に舌鼓を打ちまくっていると、店員さんにそっ……とローストビーフの皿を出してもらった。それも食べ終わった僕はいしまつさんに言った。
「いしまつさん、おかわり」
「えぇ~おかわりいっちゃう~? いっちゃおっかあ、すいませーん、ローストビーフ追加で~」
「は~い」
 思った。
 僕、ヒモになれるわ。

 さらに来たローストビーフを食べながら、全員成人ということもあり、お酒の話になる。
「お肉にはね、ビールじゃない。赤ワインなんですよ!」とワインの素晴らしさを力説するクラックさん。今度また機会があればぜひ赤ワインとお肉のコラボレーションを楽しみたい。ちなみに僕はサイゼの赤ワインを飲んでこれ店長の血尿なんじゃねぇのって言ったら友達に哀れまれて上着をもらった。それがあの茶色のジャンパー。
 みんなそれぞれ自分のペースでお酒を楽しんでいると、名残惜しまれながら東京ニトロさんが電車の時間が来てしまい抜けることに。
「もう、いいんじゃないの、仕事」というみんなからの湿った視線を振り切り、そしてまだ来てなかったお肉のことを気にしながらも圧倒的成長を目指して去っていくニトロさん。本当に遅刻してすいませんでした。あと『彼女のクオリア』めっちゃ面白いです。いきの電車で読みましたと僕が言った時のニトロさんのちょっと嬉しそうな表情――読まれたら嬉しい、その気持ちには営業マンとカスニートマインクラフターの間に違いなどなかった。
 ニトロさんが抜けた後、焼肉店を出た僕らは二次会にいくことに。いまどきオールバックに整髪量をテカらせたオッサンというちょっと怖い感じの客引きに導かれ、飲み屋とメシ屋のあいのこみたいなところに入った。

 ニトロさんがいた頃から創作の話には何度か話題が触れていたのだけれど、二次会では少し深くみんなと話した。いしまつさんはプロを目指しているだけあって、業界の話にも詳しく、また最近出来た新作をクラックさんとヤーゲンさんがとても絶賛していて僕も読みたくなった。原稿待ってます。
 執筆速度やら小説の人称なんかの話も出来てとても楽しかった。物書きでこれだけレベルの高い人たちの集まりもそうそうなかったのじゃないかと思う。参加できてとても有意義だった。
 柴竹くんともちょっと話したが、普段つるんでいるリアルのメンバーと創作について語れることなど少ないので、お互いの作品を知り合っている人たちと話すのは貴重な経験だった。
 クラックさんの肌つやのよさの話にもなったが、さすがのクラックさんもそれをどう否定すればいいのか分からなかったらしくもちゃついていた。旅をしてきたいしまつさんとニート軍師の僕の顔色が近かった点については永遠の謎である。
 クラックさんが学生時代に学校を牛耳っていたことや、いしまつさんの職場の話などいろいろ話題は尽きなかった。そんな中、静かにお酒を飲んでいたヤーゲンさんがポツっとこぼした。
「自分、死んだ後に何かを残したいんです――」
 誰も気づかなかったであろう、そのとき僕は心の中で感涙していた。分かる、わかるよヤーゲンさん――と思いながらウーロンハイを飲む。そう、僕もここ数年、そんなことを考えないわけでもなかった。何かを作ることは何かを残すことなのじゃないか――たとえそこに金銭が絡まなくても。それはある意味で、プロデビューからもっとも遠いのかもしれない投稿サイト・新都社にいる物書きからしかこぼれない言葉なのかもしれなかった。
 なので思い切りベタ褒めしたのだが、ヤーゲンさんはシャイらしく「いやそんな」とすぐに謙遜してしまう。俺だったら「もっと褒めろ。われが神だ。お茶を注げお茶を」とふんぞり返っているところである。ヤーゲンさんはすごい。

 宴もたけなわとはよく言ったもので、誰も時間を確認しなかったためにほとんどのメンバーが終電を逃した。北海道から来て「べつに宿とか取ってないです」とか言い出したリア充・柴竹くんの若さ無双っぷりはともかくとして、クラックさんが途中まで電車で帰るために去り(今度赤ワインおごってください)、ヤーゲンさんも夜の闇に消えていった。後から聞いた話では完全に終電が出てしまっていて五時間かけて徒歩で帰宅したらしい。たいへんお疲れ様でした……『凶鳥の唄』は無理せず頑張ってください。

 残ったメンバーは僕、いしまつさん、柴竹くん。男三人で寒空の下、漫画喫茶を一晩のねぐらにすることに。
 ここでいしまつさんが「なんか具合悪い」と言い出し、マスクとのど飴を購入。ナイトパック六時間でそれぞれが個室のブースに入っていった。
 僕はひさびさに漫喫に泊まったのだが、都会だからなのかそういう商売なのか、かなりのブースが埋まっていた。いろいろ問題があるからなのか『レディルーム』という女性だけしか入れない空間があり、そこはかとなくえっちだった。
 柴竹くんは『むこう打ち』が置いてないと愚痴りながらフライデーをブースに持ち込んでいた。何をしていたのか、僕は聞かない。
 一番早く起きた人がみんなを起こそう、と僕ら三人は拳をぶつけあって別れた。

 深夜の漫喫はフリードリンクということもあり、軽く二日酔いを起こした僕は頻繁に水を飲みに出た。なんとなく『夜の図書館』みたいな感じで落ち着くこと山のごとし。
 陳列された漫画の背表紙などを見上げながら、終わったマンガの作者はいまどこで何をしているのだろう――などと切ない空想に浸りながら夜を過ごした。なお、僕は普段、胎児スタイルで寝ているのでリクライニングシートは合わず、まさかの五時まで一睡もできず『哲也』読むというポカをやらかした。
 ようやくウトウトし始めた頃、五時半に出発する予定のいしまつさんを起こしにいった……のだが、眠すぎて僕がいしまつさんを起こしたのか、いしまつさんが僕を起こしたのかもよく分からなくなり寝ボケたままお別れした。また機会があったらぜひお会いしましょう。ご馳走様でした。おそらくあれほどの肉を食べることは僕の人生ではそうそうあるまい……

 そして夜が明けた。残った焼肉オフのメンバーは僕と柴竹くんだけ。
 柴竹くんは軽く何かを摘むモーションをした。
「いきますか、顎さん」
 そう、深夜にいしまつさんがマスクを買いにいっている間、僕らは麻雀談義に花を咲かせていて「漫喫じゃなかったら雀荘でもよかったですね」などとケラケラ笑っていたのだが、柴竹くんの飛行機が出るまでだいぶ時間もあるので、もう本当にこれから打とうかという流れになったのだった。
 僕とて『賭博異聞録シマウマ』の作者として、一時期は「これが漫画だったらお前は新都社の最終兵器だった」とまで言われた老害である。ここはひとつ柴竹くんをやっつけて、華々しいオフレポの終わりを飾ろうではないか……などと考えムフる僕。そんな僕に「ここ二日間くらい、フリー雀荘を荒らして過ごしてたんですよ~」と恐ろしいことを言い出す柴竹くん。しかしそのときにはもう、僕らは鉄火場を目指して電車に乗り込んでしまっていた……
 これが焼肉オフの最終四次会『顎男、柴竹くんとフリー雀荘にいく』の幕開けだった。


 僕がフリー雀荘に通っていたのは大学生時代。
『あの世横丁ぎゃんぶる稀譚』を書いていた頃に一番打っていたから、フリーなんて一年以上いっていないことになる。
 それに対して柴竹くんは一般的な学生雀士で、高校の頃にちょっとかじって、大学に入ってから本格的に打ち始めたというオーソドックスなコースを歩んできた麻雀青年だった。
 初対面の人とフリーとか俺も若ぇことするなァ、などと思いつつ、雀荘に到着。結構かわいい女の子もいて感じのよい雀荘だった。
 おそらく二度と来ることはないだろうがメンバーカードを作り、飲み物をやっつけながら卓が空くのを待つ。ちなみにフリー雀荘は、友達二人でいっても同卓希望といえば一緒の席に案内してくれる。もう『麻雀放浪記』のような時代は終わったのだ。

 案内されたのは三欠けの卓。
 メンバー(店員)が一人入りで、僕が東家、柴竹くんが西家で、南家に白髪の爺さんが座っていた。で、スタート。
 開幕当初から柴竹くんの牌さばきが尋常じゃなく素早く慣れていて、僕は軽く飲まれかかった。初来店から三日目ですでに店員さんとも和やかなムード。
 僕だって数年通った雀荘でこんなアットホームな対応してもらったことないぞ……と切ない気持ちを噛み締めながら、久々でつたない手つきで手牌整理。
 僕は小手返しもヘタだし、理牌も急ぐと疲れるからテキトーにやるとだいぶ前から決めていた。心配なのは体力だったが、軽く一時間ほど仮眠は出来たから六ゲームまでは持つだろう――風が吹く中、財布の中身をわりと本気で心配しながら、最初の半チャンは僕が三位、柴竹くんが四位。
「俺、ラススタート多いんですよ~」などと柴竹くんが弱音を吐いているが、きっとすぐにワンツーパンチを返してくるに違いない。僕は油断しないぞ……!
 と、思っていたら二ゲームで僕が大物手をやらかした。
 配牌は詳しく覚えていないが、九種九牌には達していなかったと思う。
 それでもかなりテンパイが早く、ヤミで待っていたのだが、リーチ者の柴竹くんが僕と南家の爺さんにダブロンで発を振り込んだ。
 僕が国士無双、爺さんがザンク。
 二万点近くあった柴竹くんが一撃で吹っ飛んだ。
 爺さんに「ザンニよりザンクのが多いぜぇ」と煽られ、柴竹くんが「ぬるいことをしました……」と顔が暗くなる。
 本来、僕は曲げ打ちが多く、たまたまハマると大きいアガリに繋がるだけで、柴竹くんのリーチは悪くないのである。

 ちょっと話が個人的なことに入っていってしまうのだけれど、僕はずいぶん前から、勝つことにそれほど拘るのはやめようと思った。
 それがフリー雀荘から足が遠のく理由の一つでもあり、『沢村シリーズ』を書き始めた頃だったのだけれど、とにかく、同卓者が身内であることだし、とんとんで終わればいいので僕はこの国士の浮きだけを守って場代沈みくらいで終わらせようと考えた。といって、セット打ちの時とは違って場代が大きいので、アガリ見逃しをするわけじゃないから心構えくらいのものだったけれど。

 国士無双をアガって僕がツクかといえばそういうわけでもなく、やはりリア充・柴竹くんは上手くて強かった。
 かなりストレートにリーチをかけてきていて、それが他家の手を縛ることにも繋がったようで、そこから少しずつ盛り返し、僕がハイテイで柴竹くんに一度大きな手を振り込むと一気に花を咲き返したようだった。
 どう考えてもぬるい打ち手は僕のほうだなァ、などと考えながら点棒を払ったのを覚えている。

 メンツはメンバー(店員)が抜けて、いつの間にか優しそうだが気難しそうでもある、いわゆる『飲まない買わないでもちょっと打つ』、という感じのお父さんタイプのおじさんが入っていた。
 この方は慎重派らしく、僕が染め手傾向に入るとすぐに牌を絞ってくるので、かなり打ちやすいタイプだった。
 新年会でも少しアツくなって見せてしまったが、僕のスタイルは曲げ打ちが多く、他家を苦しめることが多いので、このおじさんも回が進むごとにため息と首振りが多くなっていた。
 だが、申し訳ないが、僕の手は何度起こしても国士傾向なのである――

 うちの親父が「国士無双なんてクソみてぇなツキのやつがやる役」、とよく言うし、たまたま昨夜に読んだ『哲也』でも、議員の近藤というキャラクターが「俺はツカないから国士ばっかり来るんだ」とか言っていたが、まさに俺の打ち方はアレである。
 とにかく起こして七種八牌が多く、打牌整理で詰まる初心者が混じっているならともかく、フリーで俺より低速テンパイが常習の打ち手はそうそういない。
 柴竹くんも想像していたよりかなりデキるタイプだったので(もっと何も考えずガンガン来るタイプかと思ってた)、僕は国士ばっかりやっていた。もっともそこから染め手、純チャン三色、チートイツもしくは役牌重ねのトイトイなど別ルートも用意しながら進めていくから、局が終わった時に手牌がバラバラというのは実はそれほど多くない。九順で誰かがアガって終わったとしたら、その時に僕の手牌が普通に字牌整理した九順目の手牌とシャンテン数が違うかといったら、ポンテンも考慮に入れればそれほど違いはなかったと思う。
 とはいえ、曲げ打ちなので、なかなか実物を見せないと許してもらえない。
 三ゲームか四ゲーム目に流局した時、南家の爺さんが僕に言った。
「また国士かあ。発、今度も当たるかね」
「や、そっちじゃない。東です」
 パタンと倒した俺の手牌は二度目の国士無双テンパイ。
 ここまでやらないと本当にクズ手が集まりやすい体質というのは分かってもらえないので、出来てホッとしていた。
 アガれなかったのは残念だったが、国士はまた作ればよい。

 そんなわけで対面の柴竹くんからさえも「またですか~」と言われるほど国士を作りまくり、十三面待ちまで2シャンテンなども何度かあったが、やはり酸欠するように僕の点棒は少しずつ減っていき、柴竹くんに倍ツモ親っかぶりからの直撃放銃をワンツーパンチで食らってハコテン。
 予想していた流れとはいえ、すでに最初の国士で作った浮きは飛んでいた。
 帰りの電車賃に手が出る可能性がわずかにあったのでちょっとヒリヒリしたが、次の半チャンでトップ。そこからまた崩れてラスったりもしたが、麻雀はゲーム数によってどこまで沈むかがある程度計算でき、一日遊んで、二、三度トップが取れていればそれほど酷い負けにはならない。
 そこからゆるゆると柴竹くんと打った。

 一度、チンイツ・ピンフ・イーペーコー・ハイテイ・赤1を柴竹くんから直撃。
 倍満である。
 そのあと調子に乗って、赤5ソウ切り先制親リーチの柴竹くんにタンヤオ・イーペーコー・ドラ1を河に3ソウ、4ソウをバラ打ちしてる状態で2ソウ単騎待ちで追っかけリーチ。喧嘩を売ってみた。
 共通安全牌に苦しんだ他家から5ソウ、4ソウなど緑の牌が零れ出したが、2ソウは結局ハイテイの柴竹くんのツモ牌にあった。
 八千点のマンガン。
 リーチ宣言牌(柴竹くんに通ってなかった五萬)を残せば3455の2-5萬・亜両面待ちになりピンフもついたが、僕はそれを蹴った。
 結果論とはいえ2-5萬はリーチ者のツモ山からは出てこなかったし、それに僕は馬鹿なのだ。改めてそれを実感したアガリだった。
「そいつあ、なんじゃあ」と苦笑まじりで呟いていた爺さんの台詞を三年前にもどこかで聞いた気がした。
 どうしても浪漫打ちに拘ってしまう。
 それが創作にも出ている僕の欠点という名の味なんじゃなかろうか。そんな気持ちもある。

 寝不足気味にしてはかなり打っちゃって、「そろそろ飛行機の時間が……」と柴竹くんが席を立った頃には夕方になっていた。僕らは慌てて雀荘を飛び出し、二人でカツ丼を食った。柴竹くんはこれから旅行なので疲れながらもウキウキしているようだった。いまこの原稿を書いている間も柴竹くんは海外で非リアを千切っては投げ、千切っては投げしていることであろう。とても元気な若者であった。お互いに結構意外なほどに気が合った感じだったので、また機会があったら会うなり打つなりしたいものである。
 空港いきの電車を待つ柴竹くんと別れ、僕はなんとか残した電車賃を使って家に帰った。
 お土産もたくさんいただき(僕がお土産だ、などとほざいて自分の分を持っていかずに遅刻して本当にすみませんでした。関係各所にお詫び申し上げながらお土産、美味しく頂きました)、ホクホクしながらぶっ倒れるように寝た。しばらくツイッターにいなかったのはそのせいです。とにかく寝てた。

 そんなわけで、とても楽しいオフでした。


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