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第二話  『真嶋慶のおしゃべり』

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 誰かが開けたシャンパンの、とくとくとくと杯に注ぐ音がやけに響いていた。琥珀色のその液体とポーク・バーガーが乗った銀のトレイをスレイブドールたちがせかせかと主人たちに運び回っている。給仕らしい仕事にありついた彼女たちはどことなく幸せそうに見えた。いつか喰らう獲物を主君と仰ぐ陰鬱としたその運命は少しも感じられない。そんな人形とその哀れな所有者たちから少し離れたところに真嶋慶は座っていた。豪華客船にふさわしいこの宴の主催者でありながら、慶は挨拶のひとつもせず、それどころか不機嫌そうに顔を曇らせている。それが、エンプティには不思議だった。
「おひとつ、いかがです?」
 エンプティはフォークの先に突き刺した、櫛形に割った剥き身のリンゴを慶に差し出した。左手には〈脂貨〉を満たした小カップを抱えている。それにリンゴを浸して食べると、肉と果の味を二つで一度に楽しめる。だが、慶は軽く手を振って拒絶した。
「いらない」
「そんな……だって、慶様だけですよ、なんにも飲まず食わずだなんて。ほかの皆様は楽しそうにしてらっしゃいます。これは慶様が催した宴でしょう? 慶様が楽しまなくっちゃダメですよ」
 カジノデッキを見回すと、散見できるバラストグールたちは皆、それぞれにこの唐突な宴を喜び、あるいは戸惑いながら、テーブルの上の饗膳に舌鼓を打っている。時折、チラチラと慶のほうを窺う者もいれば、堂々と近づいてきて、「よ、ヒーロー!」とか、「調子はどうだ、星飛雄馬」などと声をかけ去っていく者もいる。慶はそんな相手に適当な生返事をしながら、せめて主催者らしくとエンプティが用意した豪奢なソファに腰かけたまま、じっと絨毯の一点を見つめている。
 三人目の〈フーファイター〉――ノスヴァイスを斃した直後、慶はいきなり〈ミスティ&シェイド〉の店先に脂貨をばら撒き、びっくりして目を見開いたスレイブドールの店番にこう言った。
「できる限りでいいから、ありったけ美味いものを出してくれ。宴がやりたい」
 確かに、ノスヴァイスとの〈勝負〉はお互いの破滅と一緒に脂貨を賭けたものだった。勝負の成績次第で多額の脂貨を獲得できた。ノスヴァイスが――あの銀髪を短く刈り込んだ、どこか気風のいい好青年ふうの賭博師――提案した勝負は、ダイスを振って自分の駒を進めていく双六遊戯だった。なんの作戦もなくまっすぐにダイスを振り続けたノスヴァイスは、なかば自滅するように己の運命まで棒に振った。なんの反撃も無かった。あっけないほど簡単に、真剣勝負の幕は降り――
 ノスヴァイスから〈左脚〉と一緒に奪い取った多額の脂貨が、溢れるほど余っていたことはエンプティにも分かる。けれど、そのほとんどを空になるまで浪費してしまうことの意味は理解できなかった。〈フーファイターズ〉との勝負はまだ半分が終わったところ、全部位奪還はほど遠い。それなのに慶はなぜ脂貨を無駄に、それもほとんど他人のために使ってしまったのだろう――饗宴の支度をほかのスレイブドールたちと準備しながら、エンプティはその疑問をずっとその空ろな身体に抱えていた。慶に尋ねても答えないか、あるいは「ずっとこの船に纏わりついてる、葬式みたいな雰囲気は願い下げ」などと言うだけだった。その慶が誰より葬儀中のような陰鬱さに包まれているのは、いったいどうしたことだろう。エンプティは、その答えが知りたかった。
「慶様」
 エンプティは慶の膝元にしゃがみ込み、彫像のように堅苦しいその顔を見上げた。
「何を考えているんですか?」
「お前には関係ない」
「知りたいんです」
 慶はしばらく黙っていたが、やがて深いため息をついた。刷毛で掃くように軽くエンプティを見てから、言った。
「ノスヴァイスのこと」
「ノスヴァイス……? 彼はあなたが斃したじゃないですか。まさか」
 エンプティは草闇の獅子に怯える子兎のように首を伸ばして、カジノデッキを見回した。声を細めながら慶に問いかける。
「――まだ彼がここにいるんですか? あれは偽物だったとか?」
 慶は、踏んだ雑草が花だった時のような顔をした。が、すぐに仏頂面に戻った。
「んなわけあるか。やつは斃したよ、〈左脚〉は奪還したからな」そう言って左の爪先をわずかに動かしてみせてから、
「だが、きつい勝負だった。まだ余韻が抜けてくれずに痺れてる」
「きつい勝負って……あれは慶様の鮮やかな勝利以外の何物でもありませんでした。いったいどこが、きつかったと言うんです?」
「お前には、セルディムやランキリフとの〈勝負〉のほうが、きつく思えたか?」
「はい。セルディム様は、己の性質を活かした技巧で、ぎりぎりまであなたを追い詰めていました。ランキリフ様もそうです。ですがノスヴァイス様は――あの方は、ダイスに全てを無心に託しただけ、にわたしには見えました。……違うのですか?」
「違わないよ。やつはサイコロにすべてを賭けた。あの勝負、ほかに出来ることはなにもない。やつは真っ向から俺に挑んできた」
 慶の目は細く狭められ、その瞳にあの〈勝負〉の光景が映りこんでいるようにエンプティは感じた。
「――逃走者と追跡者に別れた双六博打。俺は逃げ、やつは追う。ダイスを振って止まった地点にある獲得物を使ったり、置き去りにしたり、金に換えたり。ノスヴァイスは、賽の目に嫌われて出足が悪かった」
 エンプティは頷いた。慶は続ける。
「ようやくいい目が出たかと思えば、そこにはすでに先行している俺が罠を張ってる。やつは仕組まれたようにそれに引っかかって墓穴を掘りまくり、それからエンディングまで何も出来ずに沈んでいった――握り締めたサイコロと一緒にな。そして、俺は逃げ切った」
「負けてもどこか楽しげに笑っていた、あの方の表情(かお)まで覚えています。――あの方の何がそんなに心に留まるのですか、慶様?」
「やつはな、〈力〉で俺に挑んできた」
「……〈力〉?」
「〈空中散歩〉のセルディムや〈拳銃射撃〉のランキリフ、あの二人と〈運試し〉のノスヴァイスがどう違うか、分かるか、エンプティ」
 エンプティは首を振った。慶は続ける。
「あの二人は、勝負に策を打ってきた。練りに練った、あいつらにしか打てない渾身の一発だ。それはべつに悪いことじゃない、お互い破滅が懸かった真剣勝負なら当たり前のことだ。だが、――ノスヴァイスは違った」
 懐かしい友のことを追憶するように、訥々と慶はその男のことを語った。
「あいつは最初から最後まで、何も裏技なんて使って来なかった。あいつは空手で、俺の前に座った。やつがふざけていたとか真剣じゃなかったとか、そういうことじゃない。あいつは〈本気〉で賽を振ってた。俺にはそれが、すぐに分かった」
「――それは、普通、『愚か』と呼ばれる行為では?」
「そうだよ。だが、それが〈力〉だ。ほかの何物でもない、剥き身の自分を信じること――勝負の内容は関係ない。斃した三人の中で、ノスヴァイスとやった博打が、俺にはひどくきつかった」
「わたしには、分かりません。慶様の言ってること」
「だろうな」慶は輝き続けるシャンデリアを見上げた。
「脂貨を使っちまおうと思ったのも、ノスヴァイスのせいだ。やつに勝って、俺はなんとなく、気に入らなかった。自分が手に入れたものが、誰もが手放すことを選ばないだろうそれが、俺には凄まじく不愉快だった。そういうものを理屈だけこねくり回して持ったままだと、心がデブって重くなる――」
「――心が?」
「気がかりになるからな。心の贅肉ってやつだ。お前みたいなぷよぷよと違って……」慶はエンプティの頬を鷲づかみにしたが、少女人形はそれを嫌がって振り払った。怒った顔をしている彼女を慶は曖昧な笑みで誤魔化して、セリフを繋いだ。
「武器ってのは、使い易くあるべきだ。よく手に馴染む、使い古した剣みたいにな。たとえそれが自分自身でも、使い難けりゃガラクタだ。だから、捨てた」
「それが、この宴の理由ですか。心を軽く、するために?」
「ああ。それにいくら稼いだって、〈フーファイター〉戦で全額投入できるわけでもない。ノスヴァイスとの勝負にはリミットがあった。だから、いいのか悪いのか、俺たち二人が喰い繋げる分だけ残ればいい。そう思ったんだよ」
「――それならわたしが、全部食べたかったです」
「わがままなやつ」
 慶は席を立った。まだ饗宴に染まっているバラストグールたちに、背中を向ける。
「さて、いくか」
「もう?」
「ああ。次の敵は、どんなやつかな――」
「ねぇ慶様、慶様はどっちがいいですか。セルディム様みたいな方か、ノスヴァイス様のような方か」
「――どっちもいやだ」
「なにそれ」

 知略のセルディム、直腕のノスヴァイス。
 果たして二人のどちらが優れた勝負師だったのかはともかく――真嶋慶はすぐに出会うことになる。
 才と賽を具した、たったひとりの〈フーファイター〉に。
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