第四話 『念牌』
「念じてみな」とザルザロスに言われた通り、慶は一つの牌を摘んで額の前にかざした。そのまま、一種の牌の絵姿を強く想像してから、軽く音を立ててそれを卓に打った。
裏向きのまま放ったはずのその牌に、六眼の闘牛が彫り込まれている。人差し指でひっくり返してみると、〈四眼の溝鼠〉の牌だった。
「伏せた牌が無影虚残じゃ味気ない――もう少し距離を詰めなくっちゃな。そういうわけで、牌を出す時には必ずその牌が何か宣告してもらう。〈念牌〉ってやつだ。好きな牌を出せるんだから、気分はいいよな」
「……条件は?」
「攻撃力四以上、魔兎、飛竜、悪魔。もしくは防御力四以上、四眼、五眼、六眼。どちらか、あるいは両方を満たした牌を念じればその牌の背を打てる。強牌か壁牌か――弱牌に用は無いからな。それと、同じ背の牌を場に二枚出した場合――どちらかは本物でなければならない」
「最初に偽で打っていた牌を後で引いて出す時は、必ず真実の背で打たなきゃならないってわけだ」
「そういうこと。で、相手が自分の持っている牌の背を打っている時に、自分の場にその牌を偽牌として念打することは構わねぇよ。念牌に関しては以上が概要になる。それから、この牌だ」
ザルザロスは、手の中で弄んでいた三牌を、器用に並べて卓に打ちつけた。そろり、とその指が牌から離れる。
最初の一枚は、最強牌〈六眼の悪魔〉だったが、ほかの二枚は初物だった。黒塗りの牌に、金の眼球が六つ彫られた白虎の牌。それから、欠けた兜をかぶった、白骨化した死体の絵柄――
「最強牌、〈六眼の悪魔〉は強すぎる。だから、勝負毎にこの三枚を入れ替えるよう設定してある。実際にやるときは奴隷人形どもがすり替えてくれるから心配はいらない。〈六眼の白虎〉は攻撃力三、防御力六の牌。〈黒豹〉と同じだな。そしてこの白いのは――〈人間〉。攻撃力ゼロ、防御力一。何も出来ない、置くだけしか出来ない、最弱牌」
ザルザロスはじゃらりとその三枚を掌で覆ってかき混ぜた。何度も、何度も、執拗に。牌を洗いながら、続きを言う。
「この三枚は、念牌でほかの牌として打つことができない。ほかの牌も、この三枚としては場に出せない。この三枚は、どれか一枚としか念牌できない。いいかな。この三枚は、己自身を隠せない正直者――疑心暗鬼は通用しない。出れば必ず、場が動く」
しばらく考え込んでから、慶はゆっくりと頷いた。
「おもしろい」
「気に入ったか? それはよかった。じゃ、始めよう。で、真嶋。お前、どっちにする」
革手袋に覆われた、領主の蹄が地を指し、それから天を指す。
「〈領地〉か、それとも――〈ボディ〉か。ま、わざわざ聞くまでも無いか。|全部位奪還《レイズデッド》を目指して連勝中のご身分だものな」
「そういうこった」
慶は卓に散らばっていた牌を盗むように鷲づかみにして、軋むほどに握り締め、それをぱらぱらと卓に落とした。
「さ、やろうぜ」
牌山を積み始めた慶を、ザルザロスは紫色の目で眺めていたが、やがて言った。
「いやだね」
○
博打は気勢を呑んだ方が勝つ、という。
それを狙ったかどうか、さすがの真嶋慶も、冗談にしか聞こえないザルザロスのセリフにまともな応答ができない。
「慶様」
人形に肩を叩かれてようやく、慶は背筋を伸ばした。そして一切合財の疑問符を噛み潰し、相手の出方を待つ。
ザルザロスはふう、とため息をつく。首を振って、
「何度も考えたんだ――ほんとうだよ。何度も考えた。そして、結論が出た。お前とは、打たねぇ」
何故、と慶は聞かない。ザルザロスはそれを確かめてから、わずかに口角を笑みまで持ち上げる。
「俺の提案は簡単だ。お前は新参者だから知らないかもしれないが、実は結構、この〈シャットアイズ〉はバラストグールどもの間に知れててな。打てるやつが多いんだ。だから、こうしよう。〈乱撃戦〉だ」
「――乱撃戦?」
「バトルロイヤルだよ。いまから参加者を募って、誰とでも〈シャットアイズ〉で脂貨を賭けて戦えるようにする。それから俺とお前で、挑みかかってきたバラストグールどもを狩っていく。より多くの脂貨を稼いだ方の勝ち。どうだ?」
「――――」
慶の顔色を見て、ザルザロスが気の利いた冗談でも耳にしたように噴き出した。
「おいおい、怒るなよ。からかってるわけじゃねぇ、合理的な思考に基づくと、誰が考えてもこういう結論に辿り着くんだ。――いいか? 〈フーファイター〉も〈バラストグール〉も勝ち抜き戦。一発稼いでそれで終わりじゃない」
「だから?」
「次戦があるってことだよ。俺にも、そしてお前にもな。どっちが勝とうがそれで終わりじゃない。……次の勝負がやってくる」
ザルザロスはまず慶を、それから自身を革に覆われた指で示した。
「お前は〈ボディ〉を集める、そして俺はこの〈領地〉を護り続ける。それは避けられない――だから全身全霊なんてものを賭けてぶつかるのはやめよう。ラクにいこうや」
慶は微塵も相手から視線を逸らさなかった。その眼の輝きが、剣のように鋭かった。
「逃げるのかよ、狭山」
「耳が痛ぇな。だが、それは違うと思うぜ――お前がそれを分かっていないはずがない。いいか、よく聞けよ。言って欲しいなら俺の口からハッキリさせてやるよ、〈リターナー〉」
ザルザロスがぐっと身を乗り出し、深遠に語りかけるように静かに言葉を紡ぎ始めた。それはゆっくりと、岩に真水が染み透るように、慶の心に流れていく。
「なあ、生命がもう一つ欲しいんだろ? だったら、俺の提案を蹴れねぇだろ。なぜって、俺とお前は本物の賭博師の忘れ形見で、好き嫌いはどうあれお互いの腕に疑問を抱けない。そういうもんだ、本物の敵同士っていうのはな。そいつはどれほど綺麗な言葉で飾ろうと動かせない事実だし、それを踏まえて闘うっていうなら、いいさ、付き合う。だがお前が本気なら――本気で全部位奪還の六連勝を狙っているなら、お前は俺と闘えない」
「――だったら、なんだって?」
「改めて質問するだけさ、真嶋慶。……お前、俺とやるか。自分の夢に酔っ払って、過去の輝きにくらつきたいか? なあ、どうなんだ。〈欲しいものがある〉んだろ? 聞いてるぜ、お前の決め台詞の噂はよ」
痛いほどの沈黙の幕が降りた後、慶は言った。
「――山崎を殺したのはお前だよな」
「山崎ぃ? ……ああ、お前の友達か。いたな、そんなやつ」
「俺があいつを見つけた時、あいつには何もなかった。ハラワタ全部、抜かれてた」
「ふうん。で、それがどうした?」
ザルザロスはなんでもないことのように言った。
「弱いやつから死んでいくのは当たり前だ。手前の身内だけ難を逃れて生き延びられるわけがねぇだろ。弱肉強食は避けがたい。それは俺も、お前もだ。何回も言わせるな――選べよ、真嶋。友達か、それとも夢か? よく考えろ。古臭い義理人情を語れたような男か、お前が? 俺の手下だってお前のせいで首吊ってんだぜ」
「――だったかな?」
「そうとも。ま、気に病むなよ。誰だって、奪わずには生きられない。……シャムレイ、あれを出せ」
黒髪の奴隷人形が、二人の前に三つの杯を伏せて置いた。それぞれ大きさが少しずつ違っており、右から左へと丈が小さくなっていく。縁の欠けたその青銅の杯は、小さな鐘の兄弟のようだった。ザルザロスは指で腕を叩く癖をしながら、その杯を見ていた。
「これは、これからやるバトルロイヤルのレートを決める杯だ。大中小――好きなのを選べ。ほかのバラストグールどもは、俺たち自身と、俺たちの設定されたレートを見てから勝負を挑んでくる。お前がこの杯をどれか一つ、取ったらそれが俺の提案の了承だ。もっとも――いまさらわざわざ、確かめるまでも無かったな」
ザルザロスが言葉を紡ぎ終える前に、すでに慶の手は、一つの杯を取っていた。もっとも小さな青銅の杯を――厭戦承諾の挙動をした手の中にあるその杯を、慶は静かに眺めていた。何かを味わうように。そんなふうに、エンプティには見えた。
ザルザロスが、もっとも大きな杯をすくうように持ち上げて、床に叩きつけて砕き割った。立ち上がって、顎をしゃくる。
「支度は終わった。いま、俺の人形どもが参加者を会場に集めてる。カジノデッキは眩しすぎる――もっと暗いところにいこうぜ」
黒髪の奴隷人形を伴いながら、フーファイターが部屋の奥へと歩いていく。デッキへ降りる階段へ通じていない扉があるようだった。慶は杯を砕かず、迷うようにそれをまだ牌の散らばった卓に置くとザルザロスの後を追った。その慶の背中を、さらに金髪の奴隷人形が追いかけていった。
彼の背中を追う脚がいつもより少しだけ、速かった。