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レギュレスVer2.02

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 首を斬る時、大切なのは剣の切れ味でもなければ使い手の腕前でもなく、刃が脛骨の隙間にスッ……と入っていけるかどうかだ。涙を呑んで雄叫びをあげながら剣を振り下ろせば、まず後頭部頭蓋骨をしたたかに撃剣して跪いている者に残酷な苦痛を与えることになる。涙を流す前にまずそれをなんとかしろ、と双我は思う。大切なのは悲しむことでも嘆くことでもなく、速やかに殺してやることだ。
 黄昏時、空の亀裂から溢れ出したようなドロッとした夕焼けを浴びながら、双我は戦場跡にいた。元々は公園だったが、市街戦の後では荒地にしか見えない。かつて子供たちを外の世界から守っていた茂みの中に埋もれて呻いていた男を見つけると、双我は足でその男を公園内に転がした。
 双我は、あまり臓物が好きではない。嫌悪感があると言っていい。それは〈猫〉にすれば珍しい性質ではあったし、あれほど人を斬り殺してきた男がそれでもまだ蒼桜色の物質に抵抗感があるというのなら、それは真実なのだろう。ズタズタにされた内臓を手で我が子のように庇いながら、男は虚ろな目で地面のややくぼんだ一点を見つめていた。ずっとそこから視線を逸らし続ければ、やがてすべて霞んでぼやけ、瞬き二度もすれば暖かいベッドの中で目が覚めるはず――そんなふうに思っているのかもしれない。だが、この男がもう安らかに眠ることはないし、彼を看取るものも誰もいないし、誰かが様子を見に来ることもないのだ。彼はいまからここで死ぬ。それだけだ。
 双我はしゃがみこみ、愛剣を真横に構えた。
 うずくまっていてくれるのは助かる。それに膝をついていてくれるのもなかなかいい。仰向けになられると、まず首は落とせない。どう頑張っても第一撃で声帯が邪魔をする。あのぶよぶよした筋肉の束は、まさに剣士の天敵だ。いままでどれほどの名剣士があれに刃をまかれて相手を仕留め損なったことか。不意打ちで背中から刺される心配は今は無かったが(周りは死体だらけだ)、上手に死なせてやれないと悲しい気持ちになる。もっと上手くやれたはずだ、と歯噛みする。双我はそういう気分が好きではない。
 静かに、剣を滑らせ、斜角に構える。
 薄寂とした沈黙の中で、必要なのは刃の煌めきだけだ。どこまでも研ぎ澄ます。日に当てて、剣の質感を確かめる。指先からそれが繋がっていると思い込む。そうでなければ剣士にはなれない。
「………う………」
 足元で、男が呻いている。息が荒いなら、まだ助かる。だが、もう呼吸さえ細くなり始め、したたり落ちる血はどす黒い。双我は治癒の術式を愛剣のカートリッジに装填しては来なかった。あれはいたずらに死期を延ばすだけ。無意味な魔法だ。
 双我も呼吸を整える。その目から人間らしい潤みが消える。愛剣を振りかぶり、男の頭も、震える胴体も、無視する。狙うは首。
 人の首は、人には落とせない。
 やれるのは、〈獣〉だけだ。
 風切音は、どこか神の呻き声に似ている。
 一瞬後、ごろん、と落ちた首を見て、双我はまるで、まだそれが生きていて動くと警戒しているようにゆっくりと、愛剣アージェリアの血まみれの刀身を拭う。鞘に納めて、立ち上がった時には、もういつもの双我の顔に戻っていた。人間らしい同情と悲哀を浮かべて、双我は自分が落とした首を眺める。それから、ほっと息をついた。
「上手く落とせて、よかったよ」
 一人になってからやけに増えた独り言をこぼして、一歩、後ずさった。埋葬はしない。双我が退いた瞬間に、枯れ木の上で待機していたハゲタカどもが、一斉に男の死体に群がり始めたからだ。
 そのさまは、まさに饗宴。
 微笑み翼を撫でてやりたくなるほどに、黒い鳥たちは人の死を喜んでいた。無心に無邪気に、ただ生と食の喜びに打ち震えて。
 そのほうがいいのかもしれない、と双我は思う。
 かなしみも、やさしさも、人を救える武器にはならない。理由にも。
 振り返れば、まだまだたくさんの死に損ないが転がっていた。並木道に倒れ込んだ手や足のない男や女が、滑稽なほどに見苦しくもがいている。どこへいこうというんだ、と双我は思う。どこへいっても、お前らはもう助からないのに。
 助からないのに。
 双我は、足を踏み出す。長い髪を振り乱して誰かの名前を延々と呟き続けている女の元にしゃがみこみ、軽く目を伏せ、祈りを唱えた後に剣を撃つ。首が落ちる。血は、おそろしいほどに出ない。死にかけた人間の心臓は、もう迸るほどの鮮血を血管に送り込んだりはしないから。
 死は、ゆっくりと訪れるものだ。
 剣は、それを速める。
 だから双我は、首斬狩人になろうと思った。
 一刻も早く、あらゆる死にケリをつけさせてやりたかったから。
 そんな双我を、ハゲタカの一羽が、仲間に混じらず死体を啄まず、じっと見ている。


 ――双我が〈ルミルカのたてがみ〉を抜けたのは、二年前だ。もうだいぶ前のような気がする。
〈猫〉だけで構成された、〈鼠〉のための戦闘ギルド、ルミルカ。破綻は、誰もが考えていたよりも早かった。
 ――クーデター。
 もともと、飼い慣らされるような猫などいない。
 ルミルカを束ねていた実働部隊の団長、〈竜眼〉のヴィゾルネ=イーグメグは双我に言った。あのあかるい、正義の宿った青い瞳で、彼女らしい覚めた声のまま、
 お前も来い、と。
 だが、双我はそれを蹴った。
〈鼠〉どもに誰がこの世の王であるかを知らしめさせる、なんていう権力欲も双我にはなかったし、それにもう、双我は闘うことに疲れ切っていた。リリスが死んで三年近くが経っていて、綺麗な月が一度昇るたび、双我の剣は重くなっていくばかりだった。
 鉛のように。
 涙のように。
 だから、大恩ある上司かつ戦友であるヴィゾルネの召喚を拒絶し、引き止めにきたかつての仲間の〈猫〉たちを五、六人は斬り捨てて、双我はそのまま逃走した。以後、一度もルミルカとは関係を持っていない。戻ろうとも思わない。
 あれから、戦火はどこまでも燃えている。
 靴底から続く道の果てまでいっても、それは終わらない気がする。
 べつに、〈鼠〉を助けるたったひとりの〈猫〉のヒーローになろうとしたわけじゃない。あれから双我が追撃を受けたのは〈ルミルカ〉からではなく、|A級剣士《ファイター》の理由なき離反を耳にした〈鼠〉の組織からだったし、この二年、殺した〈鼠〉の数を思えば、いまでも双我は〈ルミルカのたてがみ〉のメンバーと言えたかもしれない。
 血が、どこまでも双我を追いかけてくる。
 どこまでも。
 だから、いま、双我はひとりぼっちだ。
 もう、誰とも組まない。
 それでも、どこかひっそりとした山奥にでも隠れ住み、静かに時代の流れを眺めるだけの隠遁者にならなかったのは、双我の惰弱さなのかもしれない。なにもしないことを双我は決して選べないわけではなかった。もうなにも知らない、と吐き捨てたことも、一度や二度ではない。
 それでも、双我は戦場を追いかけ始めた。
 血の猟犬となり果てて、手を貸せば救えたかもしれない命に愛想を尽かしたまま、それでも見捨て切れずに、死に損なった敗残者たちの首を狩り落としてうろつき回っている。
 理由?
 理由ならある。
 ここにある。
 それは、双我の胸でもなければ剣身の輝きでもなく、いまここで苦しみもがき、死に切れずにいる者たちの怨嗟の声だ。
 双我は、これを止めたい。
 もう、誰が苦しむ声も聴きたくない。
 それは、嫌が応にも双我に思い出させるのだ。
 忘れよう、もういい、終わったことなんだと微睡みの中に逃げ込んでも何度も何度も甦ってくる、双我自身は決して耳にはしなかった、あの声。
 きっとどこまでも鳴り響いたであろう、|彼女《リリス》の最期の断末魔――
 それを、双我は思い出したくない。
 忘れたかった。
 できるわけが、ないのに。



 誰かの首を落とす時、いつか自分も誰かに首を落とされるのだろうか、と双我はいつも思う。
 そういう考えがふと脳裏をよぎった時の断首の剣は、いっそ自慢したくなるほどの出来栄えだ。
 双我はいつも、自分の死を想う時、剣が冴える。死にたいのかもしれない。
 血と脂でまかれた腕時計を見ると、もうすぐ日が沈む。そうして夜が訪れて、どこかで誰かが夜襲を仕掛け、爆音と怒号がたなびく硝煙と共に夜空へ舞い上がり、そして朝になれば、また死ねなかった者たちの身体を引き摺る気配が漂う。それを聞き届け、「生きたい」以外のすべての願いを叶えてやりに、双我は赴く。
 それが、首斬狩人の仕事。
 首を落とすなら、夕方よりも夜明けがいい。
 人によっては違う意見があるのかもしれないが、少なくとも双我は、死に損なった誰かを仕留めてやった時、転がっていく首の先に綺麗な朝陽があったりすると、ふわっと信じてみたくなるのだ。
 天国というものを。

















                              FIN


























~あとがき~

 久々に登場、『レギュレスの都』の主人公、双我臨路のショートエピソードです。
 あれから五年(三年プラス二年)、双我もすっかり大人になったんじゃないかと思いますが、かなしみだけは晴れないようです。
 戦うことが全てじゃない、という最近の俺のテーマを背負ったキャラクターなので、ポジションとしては『天敵』の愛馬縄生とか、槌宮渚とか、そのへんに通じていますね。
 もともと、双我とリリス(1巻で死亡)の関係は、槌宮渚と愛馬縄生の鏡写しなわけですが、いかがでしょう。
 俺はこういう『ある作品では選ばれなかった選択肢を、べつの作品のキャラクターが選択する』というのが、結構スキだったりします。
 俺が作品のシリーズ化というか、『続巻』に対して厭戦的なのも、『一度決めた選択肢を反故にするのはいやだから、ずっと同じテーマで書き続けることになってしまう』というのが理由にあったりします。
 なので、俺の話をずっと読んでいてくれれば、

「あのとき、あいつ、ああしてたら、どうなってたんだろ?」

 ……という答えがポロっと零れてたり、するらしいです。
 変わっていくものもあれば、変わらないものもあったりなかったり。
 顎男でした。
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