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 一人の英雄の話をしようと思う。

 その日本人の男は、1000人をこえる暴徒の群れに対して一歩もひるまず、300人あまりの無辜の人々を、ついに暴徒の群れから守りきった。
 その男の名を『大川常吉』という。

 その大きな地震が関東で起こると、日本人たちは、中国人、朝鮮人たちを殺しはじめた。

 日本人たちはナタで、鎌で、棒で、棒の先に縛り付けた包丁で、まだ震災による煙のくすぶるなかを跳梁し、中国人や朝鮮人を殺し続けた。男も、女も、老人も、子供も、赤ちゃんも、殺した。

 『中国人や朝鮮人が、この地震の混乱を利用し、井戸に毒を投げ込んでいる』
 そんなデマが、彼らの殺人衝動にもっともらしい理由を与えた。

 その地震が起こる何年も前から、新聞や雑誌、ラジオなどは連日、中国人、朝鮮人に対する悪口や中傷を報道し続けていた。
 中国人や朝鮮人の悪口を書きさえすれば、その新聞は、その雑誌は、売れた。発行部数を伸ばすことができた。

 その地震が起こる前から、日本人たちによる、中国人、朝鮮人にたいする差別や暴力は日常的に存在していた。彼らが『かわっていた』から。そして新聞にも雑誌にも書いてある通り、彼らが日本や日本人に悪意をもっている事は間違い無かったから。
 その地震が起こると、日本人たちは日頃いじめていた彼らからの逆襲を恐れた。
 その恐れがデマを生み、そのデマを自ら信じ、その殺意をさらに増大させた。

 日本人たちは、自分や、自分の大切な家族、愛する者を守るため、瓦礫を、焼け跡を、避難所を走り回り、中国人や朝鮮人を捜し、殺し続けていた。


 横浜の北のはずれに『鶴見』という町がある。
 鶴見の警察署は、地震の混乱で、一切の連絡が取れなくなり、孤立のなか、なんとか機能を回復しようと努めていた。

 最初は4人の中国人が『自警団』に連行されて警察署に来た。
 『自警団』は彼らが、井戸の中に毒を投げ入れようとしていたのだ、と言う。その、毒が入っているというビンも、2本、提出された。
 警察署長の大川常吉が「これは毒ではない」と説明するが『自警団』は信じようとしない。仕方なく大川はこの2本のビンを、彼らの前で、自ら飲んだ。
 一本はビール、もう一本は醤油であった、と伝わっている。
 中国人4人は、警察署に『保護』されることになり、その件は終わった。

 だが、その後も次々と中国人や朝鮮人が警察署にやって来た。
 ある者は、避難所にいるところを『自警団』につかまり、連行されて来た。
 またある者は、日本人たちによる殺害を怖れて、保護を求めて、自らやって来た。
 こうして集まった中国人や朝鮮人の数は、300人あまりになった。

 これだけ多くの人間を収容するほど、鶴見の警察署は大きくなかったため、警察署の近くにある大きな寺『總持寺(そうじじ)』に、中国人や朝鮮人を移動させた。總持寺は彼らを受け入れた。

 ところが『自警団』は武器を手に總持寺に押しかけ、中国人や朝鮮人を引き渡せ、と叫んだ。
 それは『殺させろ』という意味だった。

 署長の大川はやむなく、300人あまりの中国人や朝鮮人を、總持寺から警察署に戻した。
 すると『自警団』は今度は鶴見警察署を取り囲んだ。その数は1000人以上であった、と伝わっている。
 対する鶴見警察署は、総員であっても30名ほどしかいない。

 「朝鮮人を殺せ」
 「朝鮮人に味方する警察を叩き潰せ」

 群集は口々に叫んだ。
 その群集の前に一人の大きな男が立った。署長の大川常吉だった。
 大川は、普段から大きな声を、さらに大きくして、言った。

 「朝鮮人を殺せるなら殺してみろ。その時は、この大川が相手になってやる。大川を殺しても、署員たちの腕の続く限りは、一人だって君たちの手には渡さないぞ」

 群集は、静かになった。熱を失った集団は、徐々にばらけ、群集はやがて人間に戻った。
 その夜、『自警団』の代表と、大川との間に話し合いがもたれた。
 こうして、300人あまりの中国人や朝鮮人の命は守られた。
 鶴見では。ごく例外的に。


 そして全てが終わったあと、日本人たちはこう言った。
 「政府とマスコミに踊らされただけ。我々のせいではない」

 マスコミはこう言った。
 「売れる記事を書いただけ。我々のせいではない」

 大川常吉はこう言った。
 「もとより当然の職責を果たしただけ」


 これは昔に起きたこと?
 いいえ。これから起こること。

 これは昔の物語?
 いいえ。これは明日のものがたり。
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