私は生まれてから約50年間、ずっと関東の港町であるY市に住んでいますが、小学校1年生から4年生にかけての3年間だけ、中部地方のN市に住んだことがあります。
父の転勤で引っ越したのですが、その時ちょっと不思議な体験をしました。
小学校3年生、9歳のときです。
ちょうどN市での生活に慣れ、ぼちぼち友達もでき始めた、そんなときでした。
3学期になってから、クラスに転校生がやってきたんです。
オオキさん、という名前の、女の子でした。(下の名前は忘れました。オオキ、というのが、正式にはどういう漢字を書くのかもわかりません。たぶん、大木だと思うのですが…。)
なんといっても3学期で、新らしい年が始まったばかりの時期の転入ということで、ちょっと珍しいな、と思ったことは確かです。
オオキさんは、先生に紹介されて挨拶をしましたが、どこといって目立つところのない、ごく普通の女の子だったという印象があります。N市に来る前は、九州の方に住んでいたと言う話でした。
私は、――特にオオキさんに興味があった訳ではないのですが、「転校生の先輩」として、いろいろ気を遣ってやらなければいけないのじゃないか、そんな気分になっていました。
だから、いろいろと用事を作ってオオキさんに話しかけたりしました。
オオキさんも、いろいろと答えてくれたのですが、その返事は、いつも簡潔で、必要最小限のことに限られていて、あまり余計なことは喋りたくない、そんなふうな意思表示に見えました。
私は一度、オオキさんの家に招待されたことがあります。
招待、というと大袈裟ですが、オオキさんが欠席したときに、なにかのプリントを自宅に届けることになって、連絡網に書いてあるオオキさんの自宅に電話したところ、家までそのプリントを届けてあげる、ということになったのでした。
ところがです。オオキさんは、プリントを届けるという私に、待ち合わせ場所を指定してきました。
自宅までの行き方を教えてくれれば、直接届けるよ、という私に、オオキさんはどうしてもと言って、近くの小公園での待ち合わせを主張しました。自宅がわかり難いところにあるからというのです。
しかたなく、私はその公園で待ち合わせて、プリントを渡すことにしました。
相手は病気で学校を休んでいるわけで、そんな病人を外に引っ張り出すことは気が咎めてのですが、本人がそうしたいというのですから仕方ありません。
あるいは、オオキさんは自分の家の中を他人に見られたくないのかもしれない、そう考えました。
こう言ってはなんですが、オオキさんの質素な服装や持ち物などを見て、ひょっとしたら、家があまり裕福でなく、そのことをオオキさん自身が負い目に思っているのじゃないかと、そんな風にも思いました。
ところが――。
公園で待ち合わせしてプリントを受け取ったあと、今度はオオキさんが家に来ないかと誘うのです。
私はちょっと妙な気分になりましたが、オオキさんの家も見てみたかったのでOKしました。
オオキさんが案内してくれた家は、公園から歩いてすぐの団地で、そこは通学路の途中でもあり、わかり難い場所などではまったくありませんでした。その団地の内の一棟の二階の部屋に、オオキさんは私を案内しました。
そこは、ごく普通の家でした。
私の家や友達の家などと比べても、変わったところのない、ごく普通の家でした。
家の人は留守だといい、誰にも会いませんでしたが、私はその家のリビングで、ジュースなどをご馳走になりながら、オオキさんととりとめのない世間話をしました。
結局、私が辞去するまで、オオキさんの家の人はだれも帰ってきませんでした。
そんなこんなで、オオキさんもクラスに馴染んできたかなと思えた3学期の終わり頃のことです。
私のいた小学校では、3年生と4年生はクラス替えがなく持ち上がりなので、来年もクラスメートは同じメンバーであることがわかっていました。
だから、3学期の終わりといっても特に緊張はなく、春休みに友人たちと遊ぶ計画などたてていたところに、事件はおこりました。
3学期もあと1週間という時になって、オオキさんが学校に出てこなくなったのです。
最初は、風邪をひいたという話でした。
ところが、3日たっても4日たってもオオキさんは姿を現しません。
私はちょっと心配になり、担任の先生に、見舞いに行ってもいいかと尋ねました。
自宅には一度いったことがあるのですから、場所もわかっています。
学校帰りにちょっと寄ってみてもいいですかと聞くと、意外にも、先生は首を横にふりました。駄目だというのです。
「どうしてですか?」
「どうしてもだ」
そう言って先生は、ひどく深刻そうな顔をして、私を睨みました。そして、おい、〇〇、と私の名を呼び、
「オオキの家に近づくんじゃないぞ。電話もかけたりしちゃいかん」
と、厳しく申し渡しました。理由は、聞かせてもらえませんでした。
なぜだろう。私はひどく違和感を感じました。
クラスメイトが病欠している時に見舞いに行こうというのは、しごく当然の気持ちではありませんか。
それをなぜ、先生は駄目だと言うのだろう――。
そして、3学期最後の日、突然、担任の口から、オオキさんが転校することになったと知らされました。
結局、風邪と言って欠席して以来、一度もクラスのみんなの前に姿を現すことなく、オオキさんは再び転校していったのでした。
担任は、オオキさんの転校が決まったのが急だったので、挨拶をする暇がなかったのだと言い、こう付け足しました。
「それから、みんなに言っておく。オオキさんについて、たとえば誰かからなにか聞かれてとしても、『知らない』といって答えないこと。いいね、クラスにオオキさんという子がいただろうと聞かれても、『知らない』と答えるように。わかったね」
それは、まるで、オオキさんという人間の痕跡を、消し去ろうとしているかのような命令でした。私たちは、不審に思いながら、しかし担任の先生の言う事なので、従わないわけにはいきませんでした。
こうして、オオキさんは私たちの前から姿を消しました。
オオキさんがいなくなってから、私は一度だけ、どうしても我慢しきれなくなって、オオキさんの自宅を訪ねたことがありました。
それは、オオキさんがいなくなってすぐ後の春休みの1日でしたが、驚いたことに、オオキさんの家にはすでに他の人が住んでいるのでした。
しかも、家の外観はオオキさんが住んでいた時とそっくりそのまま、同じなのです。
奇妙な気持ちで玄関を眺めていると、中から中年の女性が出てきました。
買い物に行くらしく、手に買い物かごをさげていました。(その当時は、トートバッグなんて洒落たものを持っている人はいませんでした。)
おばさんは、私の方を怪訝そうな顔で見ました。変な子がいる、そう思ったのでしょう。
私は思わず聞きました。
「ここに住んでいたオオキさんの一家は、どこに引っ越したんですか」
おばさんは、いよいよ怪訝そうな顔をして言いました。
「オオキさん? 一家? 何を言ってるの、この家には15年以上前から、私ひとりしか住んでいないわよ」
前に言ったとおり、私は小学校4年生の時にふたたびY市に引っ越しました。
N市の小学校の友達とは、その時別れて以来、会うことがありませんでしたが、大学を卒業した年の夏、1度だけクラス会が企画されて、地元のY市ですでに就職していた私も、ひさしぶりにN市を訪れました。
小学校4年生の時以来ですから、13年ぶりです。
最初は友達の顔が思い出せるかどうか心配していたのですが、再会したとたん、その心配は吹き飛びました。
さまざまな思い出話しに花が咲き、私もすっかり気持ちが小学生の頃に戻っていました。
あんな事もあった、こんな事もあったと話が弾む中で、当時私と一番親しくしていた友達が、ふと、こんな事を言い出しました。
「おい、○○、3年生の時に転校してきたオオキって女の子、覚えてるか?」
突然、オオキさんの名前が出て、私はドキッとしました。
友人は続けました。
「俺さ、実は高校の時、オオキを見かけたんだよ」
「オオキさんを? どこで」
「N市内なんだけど……不思議なんだけど、オオキさん、小学生のままなのさ」
「え?」
「小学校3年生の時にいなくなった、その頃のままなんだよ、彼女」
聞いてみると、友人はN市内一の繁華街といわれるS町を歩いていて、オオキさんとすれ違ったのだという事でした。
自分は高校生なのに、オオキさんは小学生のまま……。
しかも、当時と同じ髪型、同じ洋服だったといいます。
「声をかけようかどうしようか、一瞬迷ったんだけど、急に気味が悪くなっちゃってな」
だけどあれは間違いなくオオキさんだったと、友人は力説するのでした。
皆さんは、友人が見たオオキさんを他人の空似だと思われるでしょうか。
それとも、単なる目の錯覚だと思うでしょうか。
実は私もそう思っていました。
ちょっと謎めいた転校のしかたをしていったせいで、友人の潜在意識の中に、オオキさんの容姿が気になるものとしてインプットされていたのではないか。
それが、何かの拍子に似た姿、形をした子供を見たときに、ふいに錯覚を起こさせたのではないか。
ところがです。
今度は私が、昔の姿のままのオオキさんを見かけたのです。
しかもつい最近――つまり、40年近く年月が経過しているにも拘わらず、9歳のままの姿をしたオオキさんを、私は目撃したのでした。
それは、休みの日にたまたま映画を見に行った、渋谷のスクランブル交差点での出来事でした。(いわゆる単館系の映画で見たいものがあったので、わざわざY市から電車で40分かけて渋谷まで出かけたのです。)
外国からの観光客が必ず記念撮影するという東京名物のスクランブル交差点。
その人波に押されてすれ違った少女が、まぎれもなくオオキさんでした。
髪型も、身長も、もちろん容貌も、私が昔N市で出会ったオオキさんのまま。
あどけない9歳のオオキさんが、まぎれもなく渋谷の街を歩いているのです。
私は思わず、人の流れを逆行して、オオキさんの後を追おうとしました。
しかし、あまりにも多くの人が交差点にあふれていて、すぐに相手のことを見失ってしまいました。
どういう事なのだろう。
なぜ、オオキさんは齢をとらないのだろう。
ふと、私の頭の中に、担任の先生の言葉が甦りました。
「それから、みんなに言っておく。オオキさんについて、たとえば誰かからなにか聞かれてとしても、『知らない』といって答えないこと。いいね、クラスにオオキさんという子がいただろうと聞かれても、『知らない』と答えるように。わかったね」
ひょっとしたら、あの言葉はオオキさんの秘密に関係しているのではあるまいか。
オオキさんが齢を取らない存在だとしたら、あるいはどこかの研究機関がオオキさんを研究材料として狙っているのではないだろうか。
オオキさんは、いや、オオキさんの一家は、それから逃れるために短い期間で転校を繰り返し、去っていく時に口止めをするのではあるまいか。
永遠に動かない時間の中で、オオキさんはずっと9歳の少女のまま、いつ終わるともしれない逃避行を続けているのではあるまいか。
交差点を渡りきるまでに、私はそんなことを考えました。
「あなたの空想は大したものだと思うわ、でもあまりにも荒唐無稽で、非現実的よ」
ちょうどここまで書いた時、私の妻が、原稿を覗き込んで言いました。
「そうかな」
私は、リビングのテーブルの上に乗せたノートパソコンのキーボードを打つ手を止めて、妻の顔を見上げました。
「永遠に9歳から齢をとらない女の子、面白い発想だけど、現実的じゃないわ」
「でもそうとしか考えられない」
「そうかしら。現実はもっと味気ないものよ。たとえば、担任の先生がオオキさんの事を誰にも言うなと口止めした件。現実的に考えれば、オオキさんの親御さんが、たちの悪いサラ金とか街金とかから借金して、それでいわゆる夜逃げをしなけりゃならなくなったんじゃないかと思うの」
「サラ金なんて、僕が子供の頃には存在しなかった」
「でも、そういう悪徳の高利貸しはいつの時代にもいるでしょう。そういう人たちがオオキさん一家を追ってきた時に、うかつに話しちゃダメ、って事だったのよ」
「じゃあ、オオキさんの家がいつの間にか消えていたのは?」
「やっぱり、オオキさんは安易に他人に自宅の場所を教えたくなかったのよ。だから、知り合いのおばさんに頼んで、ちょっとの間部屋を借りたんだわ」
「あのおばさんが、オオキさんの知り合いだったって? でも、おばさんは僕にそんなそぶりを見せなかった」
「それはオオキさん一家が夜逃げをした後だったから、警戒したのよ。無関係を装ったわけ」
「じゃあ、僕や友人が見たオオキさんはどう説明する? いつまでも9歳のまま、齢をとっていないんだよ」
「他人の空似ね」
「それはどうかな。少なくとも、僕が見たオオキさんは間違いなく本人だった」
「誓える?」
「もちろん。何にだって誓えるよ」
そういうと、妻はちょっと肩をすくめた。
「では、こういうのはどう? あなたのお友達が見たのは、オオキさんの妹だった……」
「妹?」
「オオキさんに6つか7つ齢の離れた妹がいたとしたら? オオキさんが9歳なら2歳か3歳、それならまだ幼稚園児だから、当時のあなたが知らなかったとしても無理はないでしょう。その妹が、ちょうどお姉さんと同じ年頃になった時に、あなたのお友達と偶然すれ違ったのよ」
「じゃあ……僕が会ったのは?」
妻は悪戯っぽく笑って言った。
「たぶん、オオキさんのお孫さんね」
「孫?」
私は驚いて訊き返し、頭の中で計算した。
オオキさんが私と同じ50歳だとしたら……。
20歳で子供を産み、その子がまた20歳で娘を産んだとしたら、ちょうどいま10歳という計算になる……。
「わかる? 少なくとも、永遠に齢を取らない9歳の女の子、なんて想像よりは、ずっと可能性があるでしょう?――お茶でも飲む?」
笑いながら、妻はキッチンに立ち、紅茶を入れるためにケトルをガスコンロにかけました。
私は、まだぼんやりとオオキさんの事を考えていました。
妻の理論は、確かにもっともでした。永遠に齢をとらない存在――そんなものがある筈はない。
そうわかっていながら、私はまだ、動かない時間の中に閉じ込められた、オオキさんのSOSを聞いているような気がしていたのでした。
それは、私が小学生の頃からずっと私の胸の中に響いている声なのです。
(了)