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00.無題

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 西に沈む太陽に向かって小高い丘に立ち、遠くに登る黒い煙を見る。そこには宮殿があり、先ほどまで確かに王がいた。青々とした草原が広がっているはずの大地は、ところどころ地面が露出している。
 遠くから戦士たちの声が聞こえてきた。歓喜の叫び。長かったこの戦いを、無事勝者として残ることができた、生者たちの凱歌。そして、この地で命を散らした数多の勇者たちへの鎮魂歌。

 今日、ひとつの国が地図上から消えた。
 八〇一年、サエリ王国は我が国、ヴァットル王国により滅ぼされる。
 それは七九六年から続く北南征服戦争の終結を意味するものであった。七〇〇年以上続いたサエリ王国の歴史は幕を下ろし、アクアード大陸全土が舞台になる戦乱の幕が上がる。
 ここから時代が大きく動く。自然と拳に力が入り、説明できない妙な確信が腹の奥で燃え上がる、そんな気がした。

「ここにいたんですか」
 返り血か、または傷や土の類いか。薄汚れた鎧を身にまとった女が、丘の下から副隊長、と俺を呼ぶ。
「酒の席になるとすぐいなくなるって、本当だったんですね」
 小さく笑う彼女の小麦色の肌が夕焼けに照らされ、それはまるで琥珀のように見えた。
「ロウか」
「ロウか、じゃないですよ」
 彼女はリルフィ・ロウ。ヴァットル王国騎士団一番隊隊員であり、俺の部下だ。
「そういうお前も抜け出してきたんじゃないのか」
 あいつらはあまり酒癖がよくないから、と付け加えると、彼女は声をあげて笑う。
「副隊長を探しに来たんですよ! 隊のみんなは大丈夫だって言ってましたけど」
「どうもあの雰囲気が苦手だ。酔える気分ではないし、俺の分は誰かが呑んでくれる。無駄にはならない」
 制圧した地で酔って、騒いで、そうしたい気持ちはわかるが、興が乗らない。もちろん否定はしないし、各々生き残った者たちが何をしようと自由だ。だから副隊長という立場を使いそれを注意することはしない。
「明日死ぬ可能性だってあるんだ。今のうちに出来ることはしておけ。それが酒でも、なんでもだ」
 これは隊長が日々部下たちに伝えている事だが、俺自身もこの意見に賛成している。明日が必ず来るなんて保証はどこにもない。この時勢なら尚更だ。
 俺は今、この大地にしかと立っているが、その足元には目に見えない無数の誰かの死体がある。誰かの命を、明日を奪い、必死になって自分の未来を掴む。誰かが犠牲になって、誰かが幸福になるのは世の中の理。やらなければやられる時代なのだ。
「好いた男でもいるなら今のうちに想いを伝えておけ。戦いに身を置くと言ってもお前は女だ。子を育て、次代へと命を繋ぐこともできる」
 丘に登り、俺の隣に来たロウにそう言い放つが、彼女は眉をひそめ、不満だと言うような顔をした。
 強い風が吹き、彼女の束ねた長い黒髪が大地の緑の絨毯と共に揺れる。
 少しの沈黙の後、それを破ったのは彼女の方だった。
「副隊長は何か後悔していることがあるんですか?」
「なんだ、藪から棒に」
「いえ、せっかく勝ったのにどうも嬉しそうじゃないというか、なんだか浮かない表情をしているので」
 浮かない顔か。己が表に出やすいタイプなのかもしれないが、よく見ているなと感心した。
「これで戦いが終わるわけじゃない。和平を結んだとはいえ、南のディスオンは強国だ。理由はわからないが、陛下は大陸の統一を旗に掲げ、諸国と次々に開戦していくだろう。目の前の勝利に一喜一憂している場合ではない」
 ディスオンとの和平は一時的なものだろう。サエリを孤立させるための策略の面が大きい。条約が破棄されるのもそう遠くはない。
 北方への侵略も、着々と進められていく。反発する者も少なくはないが、我が国の王であるシードル六世の独裁体制が目立ってきた現状、方針が大きく変わることはないだろう。
「それに……」
 しまった、そう気付いたときには既に手遅れだった。思わず口走ったその言葉は飲み込むことができず、冷静さを欠いた今の自分にただただ腹が立った。
「それに?」
 こちらを覗き込む彼女の目は真っ直ぐに俺を見ていた。俺にどういう感情を抱いているのかわからないが、あまり得意ではない。
 聞こえないように小さくため息をついて、次なる言葉を待つ彼女のために言辞を続ける。
「サエリは俺が生まれ育った国だ」
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