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 魔×球×譚
『第壹球:ケセラセラ』


 俺が高校生二年目の春祖父が亡くなった。親族に看取られながら。

 親族は老いも若きもお手本のようにめそめそ泣いて彼の死を悼んだが、ただ俺だけが涙を流さなかった。俺をおじいちゃん子だと知っているおばさん連中は、やれ健気だなんだと心配してくれた。俺が泣かないのは、人から称えられるような、少なくともそんな理由ではなかった。
 生前の祖父は月一で訪問してくるまだ俺と二個上の兄というガキどもに、楽しい話エロい話その他諸々をしてくれた、大した世話焼きだった。そんな彼の話の中の、そんなに楽しくない話が丁度太陽の黒点のように存在した。戦争の話だった。
 手元に赤紙が届く以前、彼は旅人だったようだ。隣町からも仲間を引き連れ、東へ西へ無茶して回った無尽蔵に湧き出る痛快なる追想。しかし、時系列を辿るとその旧友は二人が戦没し、祖父もまた通信兵として駆り出されていくことになり、と続く始末で――――それって悲劇の序章みたいじゃないか――――幼心に俺は祖父が気の毒だった。
 それでも彼は「それも含めて人生だ。人生は畢竟流れに流されるものだ。ケセラセラってな」ってな具合で、なんとまあ気の毒さからはひょいひょい器用に逃げ回るのであった。

 自他公認のおじいちゃん子の俺はそんなおじいちゃんの話を鵜呑みにして、結果おじいちゃん譲りのケセラセラ性分を自動的に携えるに至ったらしかった。よくもこんなお土産を遺して去るものだ。近づくだけで開いてくれる自動ドアでさえ不必要にシャカシャカ開閉されると迷惑なのに。ましてや俺の涙腺は自動的に五つの水門を閉鎖され、涙が流れない。誰が喜ぶ?一利なしだこんな自動化。
 俺の心と体は「ケセラセラ」によって支配されているようで、たとえ目の前に『釘が刺さった喋る球体』が現れようが俺は少しも動じず平常運転であった。

 目が滑った方の為に、もう一度言おう。
『バカでかい釘が一本、刺してあって、黄色の全身をおどろおどろしい模様で彩られ、お札十数枚で覆われた、喋る、ドッジボール大の球体』であった。すまない、情報不足。
 これは祖父の死の翌日、俺が遺品整理で彼の部屋の箪笥をさらっていて見つけた、白い箱の中に入っていた。自室で蓋を開けて真っ先に飛び込んできたのが、球体に一番幅をとってへばりついていた白地の札、その中の干からびた血痕としか思えない赤字『呪爼』であった。閲覧注意タグを掲げやがれとかほざかないクール振りを発揮しつつも俺はとりあえず明後日の方向の額縁に当たった箱が吐き出したそれの全容を把握、ふと「いてて……」とか声が聴こえたので、なんだ、また田中さん家のネコ喋ったのかとか流石に田中さん「全マグロ殺す」とかっつー空耳は無理ありますよとかと田中さんのネコ溺愛を呆れつつ第二声以降を黙殺、なんてことを高二は高二らしくぐだぐだやっていこうという訳ですけども点点点点点点と、とにかくこの球体は実際問題楽しくおしゃべり機能をも有する球体であった。あ?どうした球体?
「もう……さっきから呼んでるんだけど!」
 大したものだ。最近の玩具は人気声優が声を当てて、人と対話するレベルにまで発展を遂げているらしい。でも、さもどっかの学園ラブコメのメインヒロインを務めるような口調の球体『呪爼』なんて、一体地球上のどこに需要を見出だしたのだろう。メーカーはきっと、商品開発部もろともサイコパスに違いない。
「ねえ、なんで返事してくれないの……?泣いちゃうよ……」ちなみに球体は目を有していない「やだ、ティッシュ貸して……鼻水」鼻もない。「なんか涎まで」口は……ある。模様だと思うそれが、全部犬歯ですみたいなそれが、少なくとも体液の類は確認できない。あったらキタねーよ、やめろ。
「なっ、そんな害虫でも見る目はなんなの!?」
 こんなのと話すくらいならシーマンと話したい俺であったが、大人の対応として最終的に口を利いてしまうのであった「いや、害虫にも見えないけど……あれじゃないの、じいちゃんって若い頃モテにモテたらしいから、それにムカついた輩があれしてこういう」
「どういうことよ!さながら他人を、他球(たま)を呪いのお札みたいに」みたいっていうかそれそのものが貼られているのだが、そして無駄に律儀な言い換え……。「見てわかんないかな……」
 見てわかること「なんか魔力でも込められていそうな球……」
 言い終わらない内に、

「そう!!!」
 これまでで一番張り切る『呪爼』「なんだ、ちゃんとわかってるんじゃない!」
「いや全然」

「その通り……あたしは正真正銘の“魔球”なの!」

「魔球……そうか、魔球!って言えば」
“大リーグボール”
「大リーグボール……!いや、誰が星飛雄馬だよ……お前絶対に『星飛雄馬 誕生日会』でググるなよ」

「いや、大リーグ、ボール、ではないけど……魔球!魔球なの!本当に魔力を持ってるの!ほら、敬いなさい!跪きなさい!さもなくばその頚を叩っ斬るわよ!?」俄に高圧的な態度に出た球体はこれまた高圧的なピンク系統の怪光線を放ち、どうやら彼女はスーパー廃テンションのようだ。と、やがて身体の節々に違和感が感じられてきた。突っ張るような、血が通わなくなるような、おかしい?何かが起こっている、原因は、不明。痛い。止めなきゃ。こいつのせいだ。
「あれ?何故かここだけ……」咄嗟に気づいた、バカでかい釘が刺さった所だけ、光を発しない。ちょっと弄ってみよう。
「えっ、そこはちょっ」
 なんだか狼狽えているらしい『呪爼』のことは無視し、釘に手を掛ける。触っただけでわかる。篦棒に硬い金属。なんでこんなものが球体から十センチもはみ出して突き刺さっているんだ?引っこ抜くとまずいだろうか?いや、別にいいや。
「なにするの?やめっ、やめてください、ちょっと、本当に」
 球体はその金属芯をどうにも啣え込んで離さない。金属と生地の擦れ合う音はやや不快であるが、なおも力任せに引っ張っていくと、一段階また一段階と、その啣え込む穴から、抜け出ていく感がある。あ、痛。なんだろ。ちゃんと釘を掴んでいるはずだけど、ともすれば第一関節から先が後ろを向きそうだ。痛い、痛い、嫌だ、指を曲げたくない、でも。
「くああっ、やめっ、あたしっ」
 球体の乞う声は小さすぎて耳に入らなかった。もう少しで抜けるんだ。なんだろ。抜くことしか考えられない。関節がバッキバキだ。何も考えられない。指の先が冷たい気がする。何も考えられない。
 生地の引っ掛かりも減り、間もなく抜けると思った。やっと抜ける。鏡を見ずとも感付く程変態的にニタっと微笑んで俺は来たるべき絶頂を祝福した。ちなみに後日談だが俺の箱入り息子は起立のキの字もしてはいなかった。言うまでもなく俺はノーマルな変態であった。安心した。
 全ての関門を突破した巨きな釘は、球体におよそ円錐形かとは思われる洞穴を遺していた。中を覗いたもののこの穴の存在意義がまるで窺えず、彼女にそれを訊こうものなら彼女は疾うに放心状態にあったのか梨の礫であった。再び覗く、ただ毛足の長い生地が手前方向に均されていた。

「あっ、別にここから空気入れて膨らますとかそういうんではないのね」痛んでいた関節が完治したことにも気づかず、そう呟いた。終始ノーマルな俺の提供でお送りした。



 ここからは。
 いつも通り目覚ましの三十分前に起床。ごきげんよう月曜。今日からまた学校、ダメだ続かん。ラップのセンスは発展途上であった……。
「はぁ……っ、昨日の今日なんだ……」おい、水を差すな。どういうテンション?怖いんだけどナニコレ心霊?
「だって」
「あたしの何もかもを見られてしまったから………………」
「もう、とっ、嫁ぐしか……」
 嫁ぐって何――――?知らねーよそんな制度。どういうこと?ひょっとしたらまだ頭の悪い夢の途中なの?
「なんつーか、とりあえず俺はこのシュールレアリスム系ウンコ映画のフィルムをぶち破らなくちゃいけないんだけど、あれだ、なんか頭をぶん殴りやすい得物くれる?」
「でしたら、このわたくしめの《ピーーー》を御使いなさいませ」
「サンキュー!てんで聞き取れなかったけど……だからコレ全面ガッチガチの金属で頭にぶち当てたら死ぬけどもう振りかぶって手後れでしてああああああ!!!みんなノーマル!!!」



 遅刻は免れた。ケセラセラだ。
    〈〜了〜〉
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