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11話 甲皇国の闇

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9話 甲皇国の闇









「傭兵王! 傭兵王!」
「ゲオルク! ゲオルク!」
「アルフヘイム万歳!」
「ハイランド万歳!」
 セントヴェリアに帰還したゲオルク軍を待っていたのは、アルフヘイムの民達の熱狂的な歓呼だった。フローリアから逃れてきた避難民達がゲオルク軍の活躍を言い伝えてくれたのだろう。
 甲皇軍、いや丙武は鬼より怖いと言われていた。
 その丙武を撃退したゲオルクは鬼より強いのではないか。
 フローリア自体は陥落したものの、ゲオルク軍の活躍はアルフヘイムの民を大いに勇気付けるものだった。ゲオルクの名声も高まるばかりだ。
 紙吹雪が舞う街中を練り歩くゲオルク軍の面々は、ようやく自分達の苦労が報われたような気がして、涙を流す者もいた。
 ゲオルク軍は満身創痍である。
 多くの死傷者を出し、祖国ハイランドを出てきた時から共についてきた兵で無事なのは半数にも満たない。
 それもフローリアでは経験豊富な古参兵を中心に戦った事もあり、五体満足無事なのは比較的若くて経験の浅い兵ばかり。
 分かりやすく言えば、レベル20程度の兵がほぼいなくなり、レベル5程度の兵しか残っていない有様だ。
 それだけの犠牲を出して丙武軍団を撃退したものの……財政的には得るものは特に無かった。
 国が滅び、流浪の民となったフローリアの人々から報酬は得られない。
 どこかの都市を攻め落とせたというなら略奪も許され戦利品を得ていただろうが、民が逃げるための時間稼ぎの防衛戦だった。
 この民衆の歓呼がなければ、一体何の為に戦ったのか分からなくなるところだった。
 これだけの民の後押しがあれば、よもやアルフヘイム上層部から何も恩賞が出ないということもないだろう。
(ありがたい。救われた……)
 フローリアを脱出して以来、ずっと浮かぬ顔をしていたゲオルクは少しだけ安堵していた。
 余りにも犠牲が大きかった。
 自身についてきてくれた兵をいたずらに死なせ、傷つけ、得る物が何も無いとなれば。これまでの戦いの意義が失われる。
 戦争はまだ終わってはいない。
 むしろこれからが正念場。
 傷ついたゲオルク軍はもう立ち上がれない恐れがあった。
 だがこの歓呼で、再び戦場へと奮い立つことができる。
 甲皇軍はセントヴェリアの目と鼻の先まで迫っている。
 遂に、最後の戦いが始まろうとしているのだ。





「何……だと……?」
 だが、ゲオルクの希望は潰える。
「一度言っただけで理解できなかったのかね、この蛮族は」
 冷徹な響きをもった言葉がゲオルクの胸に突き刺さる。
「貴様が戦ったのはフローリアのためであり、アルフヘイムのためではなかろう?」
「その通り。こちらからフローリア救援に向かえと要請した訳でもない」
「甲皇軍と戦っただと? アルフヘイム軍すべての足並みを揃えねばならん時に独断で行動しおって。それで完全に甲皇軍に勝利するならまだしも、見ればようやく五分五分、フローリアはみすみす陥落され、逃げ帰ってきただけではないか」
 ラギルゥー族の憎らしいまでの鉄面皮。
 ゲオルクはぎりぎりと奥歯を噛み締める。
 拳を固く握り締め、指の肉に爪を立て、血を滲ませる。
「……このセントヴェリアへ迫りくる甲皇軍の足を止めたことには変わりあるまい」
 悔しさと怒りの余り言葉を失っていたゲオルクだが、やっとそれだけの反論の言葉を喉から搾り出す。
「フン」
 それでも、ラギルゥー族の表情は変わらない。
 それどころか、侮蔑さえ込めた声で。
「そんなに金が欲しいか、傭兵」
「義のために戦うなどとほざいておきながら」
「結局は我が身のことばかり。浅ましいものだ」
 次々と飛び出す聞くに堪えない罵詈雑言。
「どうした、もう何も言うことはないのかね?」
「ならば早々に立ち去るが良い。我々も暇ではない」
「たかが50程度に数に減らした傭兵団などもはや無用だ。もう国へ逃げ帰ったらどうかね?」
 心が煮えくり返り、口の中は焼きただれるように熱い。
 自身の口の中に手をつっこんで心臓を掴み潰してやりたいほどの痛みを覚える。
 怒りが度を越えると、それは痛みにもなるのだ。
「クッ……」
 だがこれ以上、言葉を重ねても無益だ。 
「……失礼する!」
 ラギルゥー族を一睨みしてから背を向ける。
「そうだ、国へ逃げ帰るのだな」
「これを我々の温情だと思うが良い」
「西方正面戦線では、貴様の息子アウグストが甲皇軍にいるのだからな」
 その最後の言葉に。
 怒りをたぎらせるばかりだったゲオルクは、一瞬で体を凍てつかせる。
(アーベル) 
 それは袂を分かったゲオルクの息子の名。
 今はアウグストと名乗っているという。
 もう5年以上会っていない。
 バタン。
 ミスリルの部屋の扉が閉ざされる。
 部屋の外に立ちつくすゲオルクは、ふと追憶に沈む。
 そう、あれはいつのことだったか。
 既に齢50ともなるゲオルクが、まだ若かりし頃。
 アルフヘイムの傭兵となって甲皇国と戦う今の立場とは逆で…。
 ゲオルクは、甲皇国の傭兵として、アルフヘイムと戦っていたのだ。





 甲皇国の冬は、年中と言っていいほど長く、辛く、そして暗い。
 温暖湿潤で豊かな実りが得られるアルフヘイムと違い、寒冷乾燥で不毛である。
 厳しい自然環境の原因は、甲皇国が精霊を否定し、工業化と機械化を推進したためである。
 甲皇国の自然は破壊しつくされていた。
 僅かに点在する沼、干上がりそうな河川。
 その岸に力無く這いずり回るネズミとゴキブリ。
 生物はそれしかいない。
 だがそれも明らかに奇形と思われ、目玉が一つしかなかったり、手足が何本もあったりする。
 生えては枯れていく下草が広がるだけの荒涼とした大地。
 土壌は危険な化学物質や放射能によって汚染され、まともな植物は育たない。
 黒々と炭化して、悪魔のようにおどろおどろしいフォルムの枯れ木の森が、かつて豊かだった自然を思い起こさせるだけ。
 空は常に分厚い雲に覆われ、日の光など当たらず薄暗い。
 時折、毒々しい黒い雨がざぁざぁと降り注ぐ。
 死後の世界を地獄と言うならば、ここはまさに地獄であろう。
「ケケケ、毒で汚染されていない新鮮なネズミ肉の焼き串はいらんかね~」
「ゴキブリの揚げ物、袋一杯で30銅貨! 破格だよ!」
「まだ5回しか使用されていない工業用水だ、安全だぞー!」
「亜人の肉は最高だぜ! オーク、兎人族、魚人。やはりこのあたりは鉄板だな」
「そうなのか? ネズミ肉しか食ったことねぇから分からん」
「軍に入れば亜人の肉が食い放題って言う。本当かな」
「飢え死にするぐらいなら軍に入った方がいいよな」
「今年もSHW経由で輸入されるアルフヘイム麦は僅かだ。上流階級の口にしか入らねぇ…」
 下層階級で賑わう貧民街。
 まったく食欲をそそらない酸っぱそうな腐った肉の臭いが漂う。
 雑然とした雑踏。
 盗みを働き、腕を切られた少年が泣き叫ぶ。
「ぎゃはは、よかったじゃねぇか」
「腕を失くしたことを言い訳に物乞いができるぜ」
「誰も恵んじゃくれねぇだろうがな!」
 大人たちが少年を蹴り飛ばす。
 殺伐とした怒声。
「馬鹿かてめぇ! 嘘つくんじゃねぇ!」
「死ね、死ね! 憎い、憎い、殺してやる!」
「げへへ、何度でも言ってやらぁ。てめぇのその粗チンじゃ、てめぇの女房は満足できねぇってよ!」
「俺を騙したな、殺してやる!」
 血なまぐさい臭いも漂う。
 悲鳴、罵声、嘲り、怨嗟の声。
 地獄の囚人達の生活は、まさしく地獄としか言いようがない。






「何……だと……?」
「一度言っただけで理解できねぇのか。盆暗が」
 唾を吐くゲオルク。
 高価そうな赤い絨毯に汚い染みを作る。
「貴様ら乙家は売国奴だ。己らの身の安泰を図るため、和平へと国論を導こうとしている。だが、俺は傭兵だ。そんな貴様らの薄汚い頼みでも、金のために聞いてやらぁ」
 じゃらら!
 ゲオルクは袋一杯に詰まった金貨の袋を投げつける。
「だが! これっぽっちの報酬とは馬鹿にするのも大概にしろ。貴様らの政敵を葬ってやったんだ。この2倍は用意してもらわねぇとな」
「2倍だと…!? そちらこそ吹っ掛けるつもりか。たかが下層階級の奴隷民の分際で…!」
「出自は関係ねぇ。報酬が見合ってねぇと言っただろ?」
 ばたん!
 とある乙家貴族の邸宅。
 その玄関の大扉が開け放たれ、縄で拘束された一人の兎人族が投げ入れられる。
「な、何だ!? この薄汚い亜人は…!」
「惚けるんじゃねぇよ」
 ゲオルクは軍靴で捕らわれの兎人族の頭を足蹴にする。
「アルフヘイムの密偵だ。こいつが仔細を吐きやがったぜ? 乙家の旦那」
「ぐっ……」
「てめぇ、敵国と内通してやがるんだな。売国奴め」
「ぐぐっ……」
「なぁにが平和のためだ? 貴様ら乙家がどれだけの袖の下を膨らませてきたのか。俺は全部お見通しなんだよ!」
 がつん!
 ゲオルクに蹴飛ばされ、兎人族がその乙家の貴族を巻き込んで倒れる。
「ひ、ひぃぃぃ!」
 すらり、とゲオルクは長剣を抜き、貴族の喉元へ突きつける。
「わ…分かった。では…2倍の報酬を…」
「3倍だな」
「へっ!?」
「遅い。俺を待たせた罰だ。3倍払わんというなら、その首」
「ひ、ひぃぃぃ!!!!」
 喉から血を滴らせ、乙家の貴族はゲオルクに従うしかなかった。





 甲皇国は、皇帝家である甲家を筆頭として。
 アルフヘイムとの戦争を推進する丙家。
 和平を提唱する乙家。
 この3つの一族によって支配されている。
 まだ10代と若い頃のゲオルクは、甲皇国の最下級奴隷出身で、一介の傭兵に過ぎない。
 後に新国家・ハイランドの王となり、人格者とされるゲオルクだが、当時の性情は極めて凶暴。
 特定の貴族の派閥に肩入れはしていない。
 ただし、戦争があるところに傭兵の需要はある。
 内心では丙家を支持していた。
「エレオノーラ!」
 若きゲオルクは、意気揚々とした声で、その名を呼ぶ。
 血と死の臭いを漂わせ、薄汚れた鉄鎧は身につけたまま。
 笑顔で大量の金貨袋を指先でつまみ、見せびらかす。
「ゲオルク、また……」
 浮かぬ顔をするのはエレオノーラ。乙家一族の姫君。
 貴族の屋敷の敷地内に無遠慮に立ち入るゲオルクを、エレオノーラは物憂い顔で二階の窓から見下ろしていた。
 身分違いの恋とはゲオルクも分かっている。
 だからこそ、成り上がろうと必死だった。
 思想も、身分も、何もかも違う2人。
 甲皇国の冬は辛く厳しく。
 2人の若者に大いなる試練を与えようとしていた。







つづく
11

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