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50話 驚異のメカニズム

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50話 驚異のメカニズム






「くっ…殺せ!」
 馬上から引きずり倒され、銀の剣や鎧も奪われ、甲皇軍の騎兵隊を率いていた女将軍ナタイシは唇を噛みながら屈辱に顔を歪めていた。周りを取り囲んでいるアルフヘイム兵は頭に黒い二本角を生やして青ざめた肌をしたオウガ族だが、かつてナタイシを凌辱したオークと良く似ており、屈辱の過去を思い出していた。あんな屈辱にまた塗れるぐらいなら死んだ方がましだと言わんばかりである。
「こんな|薹《とう》が立ったおばさんに興味は無いが、どうするんだ司令官?」
 そう言って、オウガ族のベルクェットは背後の“司令官”を仰ぎ見る。
 プレーリードラゴンに騎乗し、黒仮面で顔を隠し、親衛隊と同じ緑のマントで体を覆ったクラウスは表情や感情をうかがい知ることができない。ただエルフらしい長い耳だけがぴくぴくと動いている。
 親衛隊が語ったところによれば、あの爆撃で負傷したためだという。喉もやられて言葉も微かにしか話すことができず、常に親衛隊の者が代弁するようになっていると。よって、常にクラウスの側にいる親衛隊長アメティスタが代わりに答えた。
「我々、アルフヘイム軍は甲皇軍とは違う。アルフヘイム軍法に従って正当な扱いを行う。彼女には将官としての待遇を」
「へいへい。分かりました」
 不平気にベルクェットは嘆息して肩をすくめた。仲間を多く失ったので怒っていないと言えば嘘になるだろうが、それ以上の不満を表明することはない。彼は従来の“人食い”で荒々しいオウガ族のイメージとは真逆で、非常に理性的なオウガ族であった。
 それにしてもナタイシ騎兵隊は中々手ごわかった。
 突撃してくる一千名にも及ぶナタイシ騎兵隊に対し、ベルクェットたち鬼兵隊は防壁魔法が間に合わないと見るや一斉に熱線魔法を水平方向に放ち、敵の出鼻をくじこうとした。何名もの騎兵が身を焼かれ、落馬し、鉄の胸甲まで溶かすほどの凄まじさ。が、勇猛ぶりで名を知られる甲皇軍は構わず突撃してくる。白兵戦となれば騎兵である甲皇軍の方が圧倒的に有利だ。身体能力で亜人が勝るといっても、歩兵に対する騎兵の優位性はそう簡単には埋まらない。また、奇襲は完全に成功していた。アルフヘイム軍は完全に虚を突かれ、まったく戦闘態勢が取れていなかった。そして真っ先に襲われたオウガ族の鬼兵隊は魔術師軍団であり、白兵戦用の武器も装備してはいるが得意ではない。槍や馬蹄によって蹂躙され、次々と殺されていった。
 そこを救ったのがクラウス率いるプレーリードラゴンに騎乗した一千名の親衛隊だった。彼らは本陣からすぐさま救援に駆け付け、特にアメティスタの指揮が冴えていた。彼女は竜人とはいってもその血は薄く殆ど人間と同様の姿をしており、戦闘時も剣を手に戦う。竜人といえばレドフィンに見られるように勇猛ではあるが蛮勇というか頭を使った戦いをするイメージは無い。だがアメティスタは非常に頭脳派であった。騎兵の運用を熟知しており、甲皇軍の軍馬より体格で劣るプレーリードラゴンでも軽快に指揮し、ナタイシ隊を包囲しながら魔法や弓で各個撃破してみせた。
 甲皇軍の突然の奇襲に狼狽えていたアルフヘイム軍だが、親衛隊の活躍ぶりに呼応し、他の部隊も徐々に救援に駆け付けた。形勢不利と見たナタイシは撤退命令を下すが、部下たちを生かして返そうとする余り戦場に留まりすぎてしまった。部下たちの多くは逃げていったのに、彼女だけは投げ縄で取り捕まってしまい、落馬させられてしまったのだった。
「また仲間を多く失ってしまった。復讐してやりたいところだが、このおばさん一人を嬲ったところで仲間が帰ってくる訳じゃねぇしな……」
「すまないが堪えてくれ。今は復讐よりも優先すべきことがある。彼女を捕虜として情報を聞き出さねばならないだろう」
「ああ、分かってるさ。まさかこいつらが追撃部隊のすべてじゃないだろうし。騎兵ってことは斥候部隊のようなもんだろう。俺たちに真っ先に追いついたのが足の速いこいつらってことで、敵の本隊はまだまだいるぞ」
「だろうな。そういうことを彼女から聞き出さねば」
「まぁ、そんな簡単に口を割るタイプにゃ見えねぇが……」
 アメティスタとベルクェット。竜人とオウガ族という荒々しいだけのイメージが先行する種族同士の会話とはとても思えないほど理性的である。竜人やオウガ族といえばこの戦争全般を通してその種族のポテンシャルにしては働きが良くない種族になるが、この若い二人はその面目躍如となるかもしれない。
(……もう、私のような古い軍人の出る幕ではないのかもな)
 そんな二人のやり取りを聞きながら、ナタイシは唇を噛みながら俯く。
 若いと言えば……ナタイシは娘のように可愛がっていた部下の少女騎兵のことを思い出す。
(リーリア。私の命令をちゃんと聞いて撤退していったようだが……私を救おうだなんて思わず、大人しくしてくれよ……)
 




「ナタイシが敗れたようだな」
「はっ……アルフヘイム軍本隊を捕捉したものの、功を焦ったのかナタイシ隊単独で突入し敗北した模様」
「ふんっ! 所詮は豚のお手付きといったところか」
「いかがなさいますか?」
「構わん。少しは足止めできただろう。戦力の逐次投入は戒めるべきだが、今は時間を争う。この追撃戦でクラウスの首を取らねばならん。ボルニアに逃げ込まれると厄介だ。あの要塞を陥落させるのは骨だ。また何か月も包囲戦をやるはめになる」
 甲皇軍本隊では、ユリウス皇太子がゲル・グリップ大佐と今後の方針について話し合っていた。
「ですが通常の行軍速度では間に合いませんな。少数精鋭に強襲させましょうか?」
「うむ。それでクラウスの首を取れぬまでも足止めができれば良い。何かあてはあるのか? ゲル・グリップ」
「実は弟から良い物を預かっております」
「ほう……期待しても良いのだろうな?」
「お任せください」
 ほくそ笑むユリウスに対し、ゲル・グリップは仏頂面ながら自信ありげに頷いた。
 先のナルヴィア大河の戦い以来、ゲルはユリウスに不信感を抱いている。
 だが軍での作戦行動において私情は挟むつもりはない。
 今はユリウスの命令通り戦うことが、丙家の、ひいては父のように慕うホロヴィズのためになるのだから。 






「なんだあのガキは? あんなところでへたりこんで」
「ああ、例の丁家の……」
「おっと、お前ら。それ以上言うな。あのガキはちょっとヤバいって噂なんだ」
「なんだそりゃ?」
「丙武大佐に聞いたんだけどよ、あのガキは……」
 兵士たちが下らない噂話をしている。
 誰がお前たちのような丙家でもない下郎どもを相手にするか。
 甲皇軍の本隊に合流したはいいが、ここに私の居場所は無い。
 ナタイシ将軍……何ということだ。親にも捨てられた私のような娘を、まるで実の娘のように可愛がってくださって……私もお母さまのようにお慕いしていたのに……それなのにあんな野蛮な亜人どもの中に取り残されてしまって…。将軍がいてくださらないことが、こんなにも心細いなんて。何としてもお救いせねば…! だが、私に何ができる? 私のようなちっぽけな小娘に、いったい何が……。
(お前は丙家の戦士だ。丙家の戦士だ。丙家の戦士だ……) 
 ───そうだ、私は誇り高い丙家の戦士だ。強く気高く、亜人など物ともしない。栄えある丙家の戦士ではないか。何を恐れることがある。
 私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は丙家だ。私は──。
(ユーも来なよ……漆黒の世界へ──)
 頭に響くのは殺意。
 そうだ、私にはなすべきことがある。
 敵は、丙家の戦士として、亜人は殺さねばならない。
 そしてお母さまを取り戻すんだ。
 





「“洗脳兵”?」
 メゼツは怪訝そうに顔をしかめる。
「ああ、そうだ。ホロヴィズ将軍直属の科学者集団に、ゲル・グリップの弟のようにドクターではなく、卿と呼ばれる男がいる」
 得意そうに丙武は言った。
「レイバン卿といってな…。昔はそれなりに名が知られた貴族だったが趣味のサングラス集めが高じて散財してしまって借金で首が回らなくなってしまった。そこをホロヴィズ将軍が拾って丙家一門に迎え入れた。彼にはちょっとした特技があって、人を洗脳するほど強力な催眠術が使えるのだ」
「ああ、そういえば聞いたことがあるな。俺も強化兵の手術を受ける時に聞いたが、人間の脳内には使われていない部分がかなり多くあり、それを引き出すことで常人の何倍もの力を身に着けたりできるとか」
「そう。例えば君にしたような強化兵手術でその力を引き出すのは生命の危険も大きくコストもかかる。だが洗脳ならばそこまでコストはかからない。上手くいけば多くの兵士を強化兵並みの戦力にすることができるかもしれない。その実験体として幾人もの少女が選ばれた。多くが天涯孤独だったり経済的に困窮している家庭のな。まぁ、親に売られたということだ。成長期の少女の方が洗脳が効きやすいということが分かっているからそういう少女ばかり集められ…彼女らは“洗脳兵”と呼ばれている。中でもリーリアという少女は優秀らしい。ただまだまだ洗脳兵には分かっていないことも多く、暴走の危険さえあるという。アルペジオという少女はリーリアよりも強い数値を出していたが、洗脳が効きすぎて大きな暴走事故を起こしてしまっている。ゆえに、リーリアにはナタイシという安全装置をつけていた訳だ。が、ナタイシを失ったリーリアがどうなるか……」
「暴走する危険が?」
「ああ。しかしそれを案じてなのか、先程ゲル・グリップの部下が連れて行ってしまったな。何か代わりの措置をとるのかもしれん」
「面倒なことだ。洗脳って言っても別に俺みたいに体自体が強化された訳じゃねぇんだろ? そんな手間をかけて無駄じゃねぇのか? それでどれほどやれるっていうんだ?」
「甘く見ないことだ」
 丙武は爽やかに笑う。
「君にも覚えがあるだろう? 誰かを思って戦う時、人は思わぬ力を発揮する」





「アリアンナ隊長、いかがされたのでしょうか?」
「妙だとは思わないか? クルトガよ」
「何がでしょうか?」
 エルフの傭兵集団ペンシルズを率いるのは精霊戦士アリアンナである。エルフの女剣士ばかりで構成されたこの傭兵団は、線が細い見た目の女ばかり、武器も優雅なレイピアばかりとあってともすればアルフヘイム軍の他の部隊からも軽んじられそうになる。が、精霊戦士アリアンナの戦力は一騎当千であり、彼女の高名だけでもっているようなところがある。
 そのアリアンナは、先程からずっと思案顔をしていた。
 副隊長のクルトガとしては気になってしまう。
「うむ。司令官のことだよ…。撤退命令が出てからずっと沈黙を守っていた。先程、敵の騎兵隊が強襲してきた時にはプレーリードラゴンに乗って出撃していたし、とりあえず元気ではあるようだが……いつもの彼なら戦いが終わった後にでも、士気を高揚させるような言葉の一つでもかけてくるところだ。だが顔まで隠して何も語らない」
「確かに……」
「あの長い耳を見ればエルフなのは分かる。が、あれは本当にクラウスなのか?」
「まさか、影武者? 外見はともかく、中は別の者なのかもしれませんね…」
「うむ。今は状況が状況だけに、対外的にでもクラウスが健在であるとしておいた方が良い。そう判断した軍中枢の者たちが担ぎ上げているのかもしれん」
「だとしても……それに気づいていても、黙っていた方がよろしいのでは?」
「ああ。あれが味方であるうちはそうだな。今はとにかく、生きてボルニアに戻らねば。この戦争では多くの者を失くしてきた。お前の同僚のカエンやイツエ……」
 クルトガは首を振って、悲しそうに目を伏せた。
「……ええ。彼女たちの犠牲に報いるためにも、我々はまだ負けられません」
 見目麗しいエルフの女は人身売買でも高値で取引される。捕虜とされた場合は過酷な運命が待っており、それを不本意として自殺する者も多い。そんな中、ペンシルズの仲間であったカエン・イツエといったエルフの女戦士たちはこれまでの戦いにおいて甲皇軍によって捕まってしまっていた。今は生きているかどうかも定かではない。いや、生きていたとしても悲惨な目に遭っていることだろう。むしろ死んでいてくれた方がいい。
 アルフヘイム軍は行軍を続け、ようやく人目につきにくそうな森へと辿り着く。
 食事を含める大休止の命令が伝えられ、一時間ほど軍は歩みを止めることとなった。
「カエン、イツエ……お前たちは今頃どこに……」
 食事をすぐに済ませてから、クルトガは一人、森の中でレイピアの訓練をしていた。
 忘れようとしていたのにアリアンナに名前を言われ、否応にも嫌な記憶を思い出していた。それを振り払うように、レイピアを振るう。
 ───あれはナルヴィア大河の戦いでのことだった。襲い来る甲皇軍を撃退しようとクルトガは奮戦していた。アリアンナは特別任務ということで隊を離れていて、残るペンシルズの隊員をクルトガは副隊長として任されていた。が、アリアンナを欠いたペンシルズはいつもの切れ味がなく、精彩を欠いた。クルトガは自らの力不足に痛恨の思いだった。敵のゲル・グリップ率いる甲皇軍第一軍は非常に手強く、少しづつペンシルズが立てこもるトーチカを破壊されていき、その最中でクルトガたちを逃がすべく、カエンとイツエは敵陣の只中に取り残されていったのだ。
「お前たちに報いるためにも、私はこの剣にかけて最後まで戦いぬくぞ……!」
 クルトガは誓いを新たにする。
 アリューザから撤退を初めて半日余りが過ぎ、もう辺りは夜になろうとしていた。
 食事を終えたアルフヘイム軍は一時間の休憩でもすっかり疲労困憊の極みにあり、次の行軍命令が下されるまで少しでも体を休めようと眠りにつく者もいた。
 だから気づかなかった。
 敵が接近していることに。
「……カエン、イツエ……?」
 信じられない。生きていたのか?
 クルトガはそう叫ぼうとして息を呑む。
 目の前にいるのは確かにあのカエンとイツエの姿をした女エルフだ。しかし、口元には黒いマスクを付け、手足には無骨な機械の装置のようなものが取り付けられていた。服装も華やかなペンシルズの制服ではなく、黒と灰色の目立たない恰好。何より、二人の目には光が無く、それでいて険悪そうに敵意に満ちた瞳になっていた。かつて、クルトガへ向けられていた親し気な笑顔はもう二度と見られない……。
「……アルフヘイム兵を発見。速やかに排除します」
 やはり間違えようもない。影武者や別人などではない。正真正銘、カエン本人の声。
 ───しかし、果てしなく冷たく、機械のように感情のこもっていない声だった。






 爆発が起きる。
 またしても甲皇軍の強襲だった。
 混乱するアルフヘイム軍陣営の中で、ひた走るエルフたちの姿があった。
 いや、それはエルフであってエルフではない。エルフの見た目と強い魔力だけを素体として作られた機械の兵士、丙家のマッドサイエンティスト・ドクターグリップが作り上げた悪魔の兵器、“丙式乙女”であった。|華焔《カエン》と|逸江《イツエ》と名付けられたそれらは、一見するとエルフであった時と同じような見た目であることを利用し、密かにアルフヘイム軍に潜入していたのだ。
 クルトガに発見され、即座に彼女を撃って沈黙させるが、すぐまた別の者に見つかってしまう。やむなく強襲殺戮モードとなり、派手に爆発を起こしてアルフヘイム軍を擾乱せしめていた。
「狙いはクラウスただ一人。雑魚にはかまうな!」
「了解」
 二体の丙式乙女の異様な姿を見咎めるアルフヘイム兵もいたが、すぐに彼女たちに撃ち殺され、次々と死体ができていく。
「くそっ…何が起きている!?」
「エルフが突然襲ってきただと!?」
 アルフヘイム陣営内は誰が襲ってきたのか分からない状況に混乱していた。
 そんな丙式乙女二体の動きに呼応するかのように、別方向からも騒ぎが起こる。
「ぎゃあああああ!」
 叫び声をあげて倒れるアルフヘイム兵。
「私は丙家の戦士、私は丙家の戦士、私は───」
 リーリアである。自身の身の丈よりも長大な槍を振り回し、少女は小柄な体を縦横無尽に飛び跳ねさせ、周囲のアルフヘイム兵を虐殺していた。
「何だこのガキ…!?」
「狼狽えるな、たった一人だ!」
 アルフヘイム兵はリーリアを取り囲んで捕まえようとするが、リーリアは明らかに常人を逸した俊敏さと筋力をもって捕まらない。そして長大な槍で次々とアルフヘイム兵を刺殺していく。たちまち数十人の兵士の死体が積み上げられていった。彼女は独り言をぶつぶつと言いながら、たった一人で奮戦していた。
「私は丙家の戦士、私は──」
 念仏のように唱えるその言葉により、リーリアには無限の力が湧き出てくるかのようだった。
 次々、次々と───丙家驚異のメカニズムがアルフヘイム軍を襲う!








つづく
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後藤健二 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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