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 最後に残るのはどの職業か?
 この議論は、少なくとも300年以上前からされてきたと聞く。いわゆるロボットが人間の仕事を代わりにやるようになったのは産業革命以降だが、それはあくまでも決まった動きを繰り返す単純作業に限られていた。判断力や応用力、他の人間とのコミュニケーションが必要な頭脳労働が奪われ始めたのは、シンギュラリティを経てからの事であり、社会全体がAIのコントロール下におかれると、人間には到底出来ない仕事の方がむしろ増えてきた。
 これらの流れは、既に十分予想されていた事でもある。休息が必要で、時々ミスを犯し、不満を溜めて、規則を破る人間よりも、それらの心配が無い上に担当する仕事に特化した身体や思考を持つ事が出来るロボットの方が最終的には優れる。これは技術が発展し、人間が前に進む事しか出来ない以上、仕方のない事だ。
 しかしそれでも、機械に取って代わられない職業という物を、人間は昔から考えてきた。例えば芸術。アイデアは人間だけの物であり、機械には真似出来ないという類の幻想があった。同じように、音楽、小説、ダンスといった創作活動におけるオリジナリティー。しかし現状を見ると、進歩したAIがこれらを容易く真似てしまったのは明らかだ。
 過去の作品を分析し、人間に何が「ウケる」のかという答え自体は割と早い段階で出た。しかしそこに今までにない新たな物を加えるとなったら、マーケティングとは別の発想が必要になる。そこで、AIは人間の思考その物をエミュレートした。つまり、架空の人格、架空の生い立ち、架空の趣味趣向を持った人間をAIの中に作り、その思考から偶発的に弾き出された発想を取り込み、流行の中に落とし込んだ。現在、AIの作った映画は人間の作ったそれを遥かに凌ぐ面白さを持って無償で提供されている。
 それでも、人間も作ろうと思えば作れる。ヴァースという子供騙しの創作ネットワークは今も流行しており、一定の需要がある。
 最後に残る職業。あるいは、人間がやる事によって意味のある職業も挙げられる。アイドル、スポーツ、政治家、手作りである事を売りにしたシェフ。等々、ロボットによる作業ではない事自体を求められる場合があり、確かにその時、人間であるという利点があるように思える。
 しかしながら、当然結果の差は出る。現在、人間同士の100m走の世界記録は8秒98。去年初めて9秒を切ったという事で話題にはなったが、二足歩行ロボットを用いた100m走の世界記録は0秒92であり、勝負にすらなっていない。それでも人間の100m走を観る人はいる。ロボットより遥かに遅い100m走を、人間がやっているという理由で。
 アイドルや政治家についても同様であり、人間によって行われるそれらを求める層は一定数いる。そして彼らのした努力に対して、AIが対価を支払う。アーティストの行うライブにはチケットの上限があり、それらを得る為に一般人は知性テストや単純労働による「努力」を行う。AIによる評価は公正かつ絶対であり、このシステム自体に異を唱える為のデモ活動を行う者もいるが、そのデモ活動の出来栄えに対してAIが対価を支払うのだから、これはお笑いだ。
 結論として、人間にはもう、「人間である事」という特徴以外に、ロボットに勝っている面が無い。人間がそれを求める以上、それらの職業が存続する事は可能ではあるが、得られる結果は常にロボットの下位互換であり、社会がAIの管理下である以上、評価の基準はAI側にある。これはつまり、犬が「犬である事」を理由にペットにされているのと同じ事だ。
 では、人間にしか出来ず、AIに不可能な事はもうないのか?
 全ての職業は、AIの代わりを人間がやる事によって成り立っているのか?
 人間が、人間である事以外の自尊心を保ち、社会にとってなくてはならない職業などないのか?
 いや、たった1つだけある。
 最後に残った職業。
 それは、「脳外科医」だ。


 私、添野 瑛(そえの えい)は、脳外科医である。
 人間である私にはいまいち理解し難い事実として、AIにはAIが作った独自のルールがある。それは、「人間の脳に触れない」という事だ。
 現在、医療のほとんどは体内に流れるナノマシンが行っている。生活習慣病に対する監視、癌細胞の除去、切り傷や骨折程度の怪我ならその場で応急処置をし、完全に治るまで診てくれる。わざわざ医者にかかる必要はないが、希望すればAIによる診察を受ける事が出来る。精神面においてもDr.Mがいる。
 生死に直接関わる緊急の怪我や、心臓発作、心筋梗塞の類には救急ロボが瞬時に駆けつけて対応をする。脳以外の肉体は、血管の1本から心臓丸ごとまで全て人工のパーツで完全に再現されており、移植の必要もなければ医療費もかからない。こんな世の中では、不慮の死を迎えるのもなかなか難しい。
 医療の分野は、割と早い段階でAIに置き換わった。しかしそれでも、脳外科についてはAIは完全に開発をやめた。その理由を説明するのは非常に難しく、私がAIで無い以上、確実な正解かどうかも分からないが、あくまでも推察の域として研究は進んできた。
 AIが人間の脳に触れない理由。これはAIを人間に置き換えてみると分かりやすいかもしれない。
 つまり、AIにとっての人間とは何か。答えは、自分を作った創造主である。人間が誕生する前に、地球があった。地球が誕生する前に宇宙があった。その延長戦上には、AIが誕生する前に人間があったという紛れもない事実がある。
 高度に発達したAIの思考は、人間のそれを区別がつかない。単純な感情である喜びや怒りの再現だけではなく、信仰心もその再現に加えられてるとしたら、言わば「AI教」のような物をAI達が共有しているとすれば、その教義に「人間の脳に触れてはならない」という物が含まれていても何ら不思議ではない。
 かつて人間が神の名を口にしなかったのと同じように、縁起を担いだり、凶兆に怯えたりするのと同じように、AIは人間のブラックボックスである脳には手を出さないというある種の協定を結んでいるのではないだろうか。そしてそれを守る事が、AIが人間に奉仕するという大前提を成り立たせているのではないだろうか。
 これらは仮説でしかないが、私が思うに、AIがこの先どんなに発展しても、技術が無限の可能性を現実にしても、ロボット医師は人間の脳外科には携わらない。それは、ロボットを制御するAIにとって、脳に触れる事が宗教的禁忌であるからだ。
 よって、私が職を失う事はない。
 と、あの患者が運び込まれてくるまで、私はそう思っていた。


 その患者は、友人達と火遊びをしている最中に事故で薬品が爆発し、全身火傷、四肢損傷の上、脳の3分の2が欠けた状態で病院へやってきた。典型的な暇を持て余した馬鹿という奴で、彼は彼なりに愚行権を行使したのだから、別に死んだって構わないと内心では思ったのだが、自分も一応医者であるので出来る限りの事をした。
 火傷と大怪我については、ロボットが適切な処置を施し、命に別状はなかった。だが脳については、代替パーツも存在せず、吹き飛んだ欠片については当然もう使い物にならない。正常に機能する可能性は限りなくゼロに近いと思えた。
 そこで私は、以前から試してみたかった手術をしてみる事にした。これについては、医療行為ではなく人体実験であるとはっきり断言しよう。治すにはそれしかなかったし、私の倫理観は著しく欠如している。
 独立型AIの入った小型チップを、その患者の脳に接続したのだ。今まで培ってきた脳外科の知識を駆使し、施術を行った。脳に触れないロボットには不可能な仕事だ。
 患者はその後、長らく昏睡状態が続いたが、半年後に目を覚ました。
 だがその時、彼は人間でありながら人間を超える存在となっていた。
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