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ラクルゥール・ロワ(仮題)
                    ダイ

胡乱な空を見上げて、白石桐緒はため息と共に鞄を持ち直した。六月の気温は既に高く、二十五度を上回る日が続いていたが、今日は曇り空のおかげか、過ごしやすい気温に落ち着いていた。いつもなら喜ばしいことだが、あまり喜ぶ気持ちになれなかった。この暗澹たる空が、まるで自分の心境を顕しているように感じられて。
「桐緒。なんでうちを置いて先に出るんよ」
 後方、自宅玄関から従妹の声。振り向いて、一つ下の従妹――灰原茜を待つことにする。気分が優れない今、関西訛りで性格の明るいこの従妹と話すのは些か苦痛だったので、早起きして先に行こうと思ったのだが。今日に限って寝坊せずに、しかも早起きしてくるのだから困る。
「うちが珍しく早起きしてんから、一緒に行こうや。なんでこんなに早起きしてんのん」
可愛らしい童顔の少女が慌てながら、靴を履きつつ、ドアの鍵を閉める。そして、振り向いた茜はこれでもかというくらいに、自慢気な表情をしていた。しかし。
「お前は子供か」
制服の襟は立っているし、カッターシャツのボタンは第二ボタンまで開いている。やれやれと手を伸ばして、それらを直してやると、茜はえへへと照れくさそうに笑った。甘ったるいミルクの香りがふんわりと鼻腔を漂う。桐緒がシリアルで朝食を済ます事が多いので、茜もそれに合わせているからだ。
茜の相手をしていると、優れなかった気持ちも少しだけましになったような気がした。
「さっ。行こか。最近いっつも先に行くから寂しかってん」
 今年、高校一年生になる茜は桐緒と同じ高校に通うことになった。そして、アパートで一人暮らしをしていた桐緒の家にやって来た。朝は比較的強い桐緒は、始めの一ヶ月程は、この寝坊助な同居人を起そうとする努力を見せたのだが、寝ぼけた従妹に襲われそうになって以来、自力で起きるまで放置することにしていた。どうせ、茜は遅刻をしない。彼女は機械をいじるのが得意で、その技術を以って改造した自転車が、異常な速度で学校へと彼女を運ぶからだ。
「今日は自転車に乗らないのか」
「乗らへん。だってせっかく桐緒と一緒に登校できんねんもん」
 茜は嬉しそうに言った。むかしから、桐緒は茜に好かれていた。それは、一体いつの頃からだったか。
「あら、二人揃ってるなんて珍しい」
桐緒は頭を抱えたくなった。何故この隣人が今日に限って――本当に今日に限ってこんな朝早くに家を出るのか。
「水城ちゃんや。おはようさん」
 茜が元気良く挨拶する。水城奈緒。、同級生にして隣人、そして桐緒の想い人。憂鬱の原因そのものである。
「丁度良かった、桐緒。ちょっと来て」
袖を少し掴まれて引っ張られる。桐緒に抗うことなどできはしない。茜に聞こえないよう距離を取ると、小さな声で、嬉しそうに言った。
「黒澤先輩と今度デートできることになったの」
 ――ため息をつきたくなる。ここ最近奈緒から恋の相談を受けているのだ。好きな女が別の男を追いかけているのに、それを止めることができず、更には協力まで要求される。当然奈緒は桐緒の好意を知らないのだが、これでは桐緒でなくともげんなりするというものだ。
「そうか。良かったな」
 しかも、かといって無下にすることもできない。桐緒が最も会いたくない人物であった。
「黒澤先輩の誕生日に遊園地に行くんだけどね、プレゼントを買っていこうと思うんだ。それで、今週末空いてる?」
「俺か」
「うん」
「空いてることは空いてるけど……」
「じゃあ、黒澤先輩にあげるプレゼントを考えるのを手伝ってくれない? あ、もちろんお礼にご飯くらいおごるから」
「でもなあ」
 あまり乗り気になれなかった。いくら奈緒とデートができるとはいっても、これは虚しい。
「お願い。男子の欲しがる物って良くわからなくて……」
 奈緒の上目遣い。桐緒はああ、と嘆息すると、
「わかったよ。わかったから」
首肯してしまうのだった。




結局三人揃って登校することになった。三人が通う彩色高校は、アパートから歩いて三十分ほどの距離に位置する、中堅の私立高校だ。自由な校風がウリで、その特筆すべき特徴は生徒会の自治権限の多さにある――そうだが、どこの部活にも所属せず、ただの一般生徒として過ごす桐緒にはあまり興味がない事だった。
果たして、学校に辿り着き教室の前で二人の少女と別れた桐緒は教室の机に突っ伏すのだった。
「おはよう、桐緒。今日は特別早いじゃないか」
見上げるとそこには親友の姿があった。
「水城、灰原。校門まで美女二人を侍らせるとは、贅沢な奴だよな」
「水城はともかく茜は家族だぞ」
「馬鹿だな。従妹とは結婚できるんだぞ。そんなの関係あるか」
「お前はいつも四、五人連れて歩いてるだろ」
 親友、仲立才斗が気障たらしい様子で桐緒の前の席に座った。
 この軽薄な友人は女子から人気がある。そしてその性格の悪さから男子には絶大な不人気を誇る。いつも女を複数人連れて歩いているのだが、桐緒のところに来るときだけは、払って来る。才人は男に対する態度は最悪といっても良かったが桐緒に対してだけは別だった。
「僕はいいんだよ。それより、この間の選挙で勝った女のこと覚えているかい」
 才斗はこう見えて、生徒会に所属している。優秀な彼がこの中堅高校にわざわざランクを落として入学したのは、彩色高校生徒会に入りたかったからだそうだ。
「ああ、話くらいは覚えている。紅杏子とかいう女だったか」
「そう。激情家だが、頭も回る、なかなかの女傑だよ、あれは」
 女傑。この軽薄な男は、見た目の軽さに似合わず、歴史小説を好む。そのため聞きなれない語彙が飛び出すことがある。
「才人が褒めるならその通りなんだろうな。対抗馬だった、緑川とかいう人はその日から生徒会を抜けてしまったって言ってたっけ」
 緑川。去年、彼が二年生の秋に別の高校からうちへと転入してきた。その後、すぐに生徒会へと入り、今年の年始頃には生徒会長の座を争ったのだから、そのカリスマ性は折り紙つきだ。
「そうそう。緑川先輩はもともと不良達から推薦されて生徒会に入った奴だったからな。優等生代表の紅さんとは合わなかったんだろ」
才斗は辺りを見回すと、声を潜めて言った。
「最後には、二人で大喧嘩してたしな」
「何故喧嘩になるんだ」
「紅さんが今企画しているものの内容が問題なんだよ。簡単に言うと不良の弾圧」
 桐緒は少し顔を顰めた。彩色高校では、基本的にどこかの部活に入ることが義務付けられている。この学校における不良とはそれに逆らって、部活をさぼる、もしくはそもそも部活に所属しない人間のことを言う。すなわち、どこの部活にも所属していない桐緒にもその火の粉は飛んで来る可能性があるのだ。
「面倒臭いことを」
「まあまあ、そこで、俺が言いたいのはさ。お前生徒会に入らないか」
「断る」
何度目の誘いか解らない。才斗は生徒会に何度も誘ってくるが桐緒は毎回断っている。
「うーん。そうは言ってもお前。色々面倒なことになるぜ」
才斗が心底不満げな顔をする。悪名高い彼が何故こんなに構ってくるのか桐緒には解らなかった。
「お前友達いないもんな」
「うるさい。女はたくさんいる」
 才斗は、桐緒以外の男に恐ろしく冷酷な態度を取る。女に対しては優しいように見えるが、桐緒からしてみると、やはり冷酷な目で彼女たちを見ている。この男には友達がいないのだ。桐緒を除いて。ちなみに現在生徒会のほとんどは女性で構成されている。緑川の離脱時に男子生徒が大量に抜けたのだ。
「まあ、なんとかなるさ」
「そんな簡単なら世話ないさ。いつでも待ってるからな」
 才斗が唇を尖らせながら頷く。
 その時、チャイムが鳴った。ホームルームの開始を告げる鐘の音だ。才斗は慌てて席を立った。
「げ、じゃあな、俺はクラスに戻る」
「はいはい、じゃあな」
 そして、教師の入室と共にホームルームが始まった。



早朝の生徒会室。
「ねえ、二年生の水城奈緒って知ってる?」
 スレンダーでとても勝気な顔をした女子生徒が、一人の男子生徒に問いかける。早朝の生徒会室は人の気配が全くなく、密会にはうってつけだった。きっちりと制服を着た女子生徒とは対照的に、男子生徒の方は制服を着崩していた。
「ああ、知ってるよ。それがどうしたの」
 女子生徒――紅杏子は誉れ高い彩色高校の生徒会長である。普段ならだらしない格好をした男子生徒を許すわけがない。だが彼女は彼に限ってそれをする気になれなかった。
 女子生徒も可愛らしい顔をしているが男子生徒はもっと美しかった。透き通るような白い肌。それを際立たせる艶やかな黒髪、そして闇のように深い漆黒の瞳。その容姿が優れるあまり、着崩した格好をしていても、むしろ妖艶にすら見えてしまう。そして、さらに杏子は男に惚れていた。
「その子があなたにデートを申し込んだって噂を聞いたんだけど」
「耳が早いね。その通りだよ」
「何と答えたの」
「行ってもいいって」
 男――黒澤京一郎の淡々とした様子に杏子は焦れた。
「私、あなたの事好きなのよ。前にも言ったけど」
「そう――」
 その返事をさえぎるように、杏子は京一郎に口づけした。京一郎はそれを止めることもせず、ただただそれを受け入れた。
「私、あなたに行って欲しくない」
しかし、杏子の嘆願は男には届かない。
「僕は君の恋人じゃないし、どんな人間とどこに行こうが僕の自由だ」
 そして、今度は京一郎から軽く杏子へ口づけた。
「じゃあね。授業始まるし。ばいばい」
「待ってよ――」
 杏子の制止を聞き流し、木製の扉を閉める。
 生徒会室を出た男は深紅の唇を歪ませて、笑った。
「楽しいゲームの時間だしね」




――声が聞こえた。
「見つけた」
 鐘が鳴るように低く優美な男の声。
 桐緒がその声を聞いたのは、一時間目の授業中のことであった。黒板から目を離すと、辺りを見回した。しかし、いたって普通の授業風景があるばかり。
「敵は目覚めた。あなたもこちら側に来てください」
 それは聞き覚えのない声だった。
「な、なんだ」
 思わず呟いて後ろを振り返る。桐緒を周囲の生徒が怪訝そうに見ている。
「移動が始まります。時計を見てください」
「何をわけの解らないことを――」
「時計を見てください」
 意味が解らぬまま、時計を見た。時刻は十時二分。
「時間を覚えておいて下さい。移動が始まります」
その瞬間、眩暈と共に世界は反転した。




「何? ここどこ?」
水城奈緒は、いきなり起きた現象に恐怖よりも戸惑いを感じながら、辺りを見回した。
そこは、先ほどまで自分がいた教室。しかし、窓から朝日を受けて明るかったはずが、夜のように暗くなっている。
「やっと来たな」
 背後からする男の声に奈緒はびくりと振り向いた。否、その声が聞こえたのは後ろ上方。
見上げるとそこには、一匹の蜥蜴が宙に浮いていた。
「――ひぃ」
奈緒はその不気味な存在に恐怖した。それは、青く発光する鱗を持った蜥蜴のような生き物。大きさは生まれたての赤ん坊くらい。翅はついていないためどういう原理で飛行しているのか、奈緒には全く解らなかった。
「さて、そろそろこの教室から脱出しなければいけないところだが」
 そこでくるりと転回すると蜥蜴が奈緒の目の前にぐっと近づいた。
「や、やだ」
 奈緒は声にならない声を上げながら、後ろに逃げようとして、自分の腰が抜けていることに気がついた。
「ふふふ。そう怖がるな、我が主よ。これから我輩と共に戦うのだから」
――主人、戦う。この蜥蜴が何を言っているのか、全く解らない。
「戦う?」
「左様。果たして我が主が生き残れるかどうか……吾輩の知識から鑑みるに、それはかなり難しい。ああ、不遇だな。弱々しい主に当たったものよ。そして早速――」
 蜥蜴がさっと奈緒から離れて、
「敵が来たようだ」
 と、奈緒の背後を睨んだ。
 その視線に吊られて振り返ると、ちょうど扉から一体の洋式鎧を着た骸骨が入ってきているところだった。まるで糸で上から操られているかのような不自然な動き。身長は二〇〇センチはあるだろうか。一五五センチの奈緒には恐ろしく大きく感じられた。
「――何よあれは」
「骸骨の戦士。黒の属性を持つ魔物だな。戦闘能力としては我輩と互角だが、やつには不死性がある。我輩では勝てない。まあ、今の我輩がまともに戦って勝てる相手などいないのだが」
骸骨は禍々しい殺気をその虚ろな眼窩から叩きつけてくる。
 ここに来て奈緒は本当に泣き出した。
「いやあ。助けてよ、助けて」
「ふむ、せめて自分の足で立って逃げるくらいの事はして欲しかったものだ」
蜥蜴は落ち着いた様子で、骸骨の前に立ちはだかった。骸骨の手にはどす黒く発光する両刃の剣。
瞬間、不自然な動きから一転。一気に腰を低く落とすと、異常な速さで突進して来た。構えは突き。小さな蜥蜴がこの骸骨に勝てるわけがない。このまま、自分も一緒に斬られる――
「黒澤先輩……っ。助けて――」
 その時だった。
「うおおおぉぉぉぉぉおおおぁぁぁぁぁぁああああ」
 時の声と共に、誰かが横から骸骨を突き飛ばした。骸骨は大きく飛ばされて、教室の壁に激突し、骨が辺りに散乱した。
奈緒は咄嗟に自分を救った者を見た。
 それは、良く見覚えのある青年。
「――桐緒」
 救いの主は隣人にして、親友の白石桐緒であった。
「逃げるぞ。立て。奈緒」
 桐緒は奈緒の手を取って引っ張った。
「だめ。腰が抜けて――」
「じゃあ、背負ってやる」
 無理やり奈緒を背負って立つ。その時、教室の隅で崩れていた骸骨が音を立てて再生を開始していた。
「主。こちらです」
 教室の扉から、二四、五歳くらいの青年が顔を出す。銀髪碧眼。白銀に輝く洋式の軽鎧を着て、きつい目をした騎士。
 桐緒はその青年の誘導に従って、教室から脱出、廊下を走り出した。
「なんなのよ、これ……」
耳元で奈緒が弱々しく呟いた。
「よくわからない。授業を受けていたら変な声がして、この空間に放り出されたんだ。そしたら近くで、奈緒の声が聞こえて」
「主。変な声とは酷い。撤回して頂きたい」
 前を走る、騎士がこちらを軽く睨んで、恨みがましく言ってくる。
「それより、さっきから奈緒にくっついているその蜥蜴はなんだ」
その時奈緒は自分のすぐ背後に蜥蜴が飛行しながら憑いて来ていることに気付いた。
「よくわかんないけど、さっき助けてくれようとしたみたい」
 すると蜥蜴が笑った。
「当たり前だ。我輩は貴女と一蓮托生なのだ」
「主。この蜥蜴は青の守護者です」
 前を行く騎士が言った。
「蜥蜴とは酷い。それにしても、我々を助けて問題はないのかな。白いの」
「愚問だな。主にはそこの女共々、殺した方が身のためだとは忠告した」
 そして、また桐緒を睨む。
「主、この先の教室に篭って、先の戦略を立てます。ついて来てください」
 そうして、騎士について行った先は多目的室だった。




「一体何なのよ、これは」
 広い多目的室の床に座りこむと奈緒が子供のような声で力なく呟いた。それは誰にともなく言った言葉だったが、蜥蜴がするりと奈緒に近寄って答えた。
「この地にはある呪いが掛けられている。貴女方は運悪くその呪いに選ばれたというわけだ」
「呪いだと?」
桐緒は聞きなれぬ言葉に食いついた。
「その通りだ。小僧。さっきの礼もある、少し話をしてやろう」
蜥蜴がにたりと笑う。騎士は少し不満そうな顔をしてからそっぽを向いてしまった。
「この異世界に連れて来られてしまったものは最後の一人になるまで戦わなくてはならない」
 奈緒が小さく喉の奥で悲鳴を上げたようだったが、桐緒の反応は薄かった。この話は奈緒を助ける前。この世界に入ってしまった時に騎士から聞いていたからである。
 教室で桐緒を呼んだのはこの青年だった。
「私の名前はブラン。あなたを守る者です」
 ブランは大まかな話を聞かせてくれた。そのどれもが俄かには信じがたいものばかりであったが、実際にこの変な世界で、変な骸骨戦士まで見ているのだ。真実だという前提で行動する方が無難である、というのが桐緒の見解だ。
 彼が話してくれた、内容は要約すると次の通り。
それぞれの魔術師が桐緒にとっての騎士のようなパートナー、即ち守護者を持ち、その力を駆使しながら勝利を目指さねばならない。そして、勝利の先には莫大な報償がある。魔術師が死ねば、守護者も死ぬ。即ち守護者は絶対に主人である魔術師を守らねばならない。
蜥蜴が話を先に進める。
「戦いに参加するのは六人。それぞれ白、黒、赤、緑、無、青の色属性を付与される。属性によって使える能力、守護者の種類などに違いがある」
 戦闘能力の強い色は、守護者の知能が低い。逆の場合は、守護者の知能が高い。
「先程は黒の守護者の眷属である使い魔に襲われていたわけだ。使い魔とは守護者が召喚する魔物のことだ」
 そこまで聞いた時、激烈な殺気に背筋が冷たくなった。
「――ほう。お前ら。早くも手を組んだか」
 瞬間全員が扉の方を注視した。
 そこには一人の黒鎧を着た、騎士がいた。ブランと蜥蜴がそれぞれの主の前に立ちはだかる。
「蜥蜴。下手な結界を張ったな」
 ブランがすらりと腰の剣を抜きながら毒づいた。
「馬鹿な、結界とは破られるものだ。白いの。黒と青は親和性が高いしな」
 蜥蜴は青く発光を始めた。
「ククク。早速白と会えるとは運が良い」
黒騎士は、白騎士であるブランとは全く対照的な色合いだ。黒い髪、黒い瞳、黒い鎧。そしてその黒とは対照的な白い肌。その両手には、黒く輝く、二振りの短剣。ブランが持つ剣が直線的で、長いのに対して、その剣は短く曲がっていた。
「青はまだ蜥蜴か。今のうちに叩いておきたいが、まずは白だ」
 舌舐めずりをするかのように、低く呟いた。
「蜥蜴。黒は私が相手をするから、主とその小娘を連れてここから逃げろ」
「馬鹿が、逃がすか」
 その瞬間、黒騎士が桐緒に向かって突っ込んだ。低い姿勢から、飛行機が離陸する軌道で黒い双刃が喉元を襲う。
「――やらせん」
 横合いからブランが一閃。黒騎士が伸ばした両の腕を切断する形で、長剣が奔る。しかし、ありえない速さでバックステップを踏んだ黒騎士がその斬撃を瞬間で回避した。
「おおおおああああああああああああああ」
 怒声と共に、ブランが追撃に跳ぶ。それはまるで白銀の稲妻のよう。神聖。荘厳。その言葉がこれほど似合う男が他にいるだろうか。
 神々しく輝く騎士は鋭く暗黒の騎士へと斬りこんだ。
 重く、強烈な連撃。
しかし、黒騎士は黒い刃で舞うように受け流す。
「ククク、どうしたよ、ほら」
 異様な速さで行われる剣撃の交差。だがしかし、一度間合いに入ってしまえば、手数が多く、小回りの効く双剣の方が圧倒的に有利。
「蜥蜴。さっさとしろ」
 ブランがさらに速度を上げて斬りつける。後退して間合いを取りたいが、離れると桐緒を狙われる。桐緒が死ねば、それが白騎士の敗北になる以上、ここは攻撃して相手を退かせるしかない。しかし、それに合わせて黒騎士が更にスピードを上げてブランへと接近する。このままでは敗北必須。だが、白騎士に焦る様子は感じられなかった。
「ふん。丁度詠唱が終わった」
 蜥蜴がそう言って、短い指で軽やかに黒騎士を指した。
「Shrink~縮小」
 その呪文の直後、青い光弾が黒騎士の横腹を直撃。呻き声をあげて黒騎士が吼えた。
「この蜥蜴風情がああああぁぁぁぁぁぁあああああああああ」
 黒騎士の体が青く発光している。青の縮小呪文によって、本当に少しずつだが体と剣のサイズが小さくなっているのだ。小さくなれば力も小さくなる。このままでは黒が優勢だった斬り合いの形勢が変わってくる。
「くそがあああああああ」
その叫びをかき消すように、ブランが長剣を横に薙ぎ払う。それを黒騎士は地を這うように姿勢を落として避けた。その瞬間ブランは上半身を大きく後ろに仰け反らせる。黒騎士はバック転。先程までブランの頭があった位置を、黒騎士の脚が一閃した。
着地した黒騎士は大きく後ろに跳んで、距離を取るとすかさず剣を桐緒に向けて叫んだ。
「Consume Spirit~魂の消耗」
「Spell Pierce~呪文貫き」
漆黒の光弾が剣先から奔ったが、横から青の光に貫かれ、その呪いは消滅した。
「お前ら、絶対に俺が殺してやるから待っていろよ」
 これでは勝てないと踏んだのだろう。禍々しい怒りに満ちた殺気と共に、実験室の窓を破って、外に飛び出して行った。
「逃がすか。馬鹿が」
そう言って白騎士が追撃しようとした時、
「馬鹿はお前だ、白いの。お前が追っている間に襲われたらどうするのだ。我輩にはまだ単独で緑、赤、無を退ける力はないのだぞ」
 蜥蜴が鋭く差した。
「ふん。仕方がない。主、この建物を離れましょう。ここは危険です」
 その時、桐緒と奈緒を眩暈が襲った。
「時間か」
蜥蜴が呟く声を聞いたと思うと、ぐにゃりと視界が歪んで何も見えなくなった。



 桐緒が目を覚ますと、そこは元の明るい世界だった。
「……ここは、教室か」
 そこは授業中の教室。時刻は十時三分。あの世界に移動したのが十時二分だったから、一分しか経っていないことになる。
 夢だろうか。否、この体の疲労感はあの世界の時のままだ。あれが本当にあったことなのか、それは水城奈緒に確認を取れば分かるかもしれない。彼女が覚えていないなら、ただの夢だったと割り切ろう。そう決めて授業に集中しようとした桐緒だったが、何事もなかったかのように繰り広げられる授業に、最後まで集中することができなかった。
 一時間目が終了したと同時に、席を立った。隣のクラスにいる奈緒の元へと行くためである。
 奈緒のクラスに行くと、教室の入り口にいた才人が驚いたような顔をした。彼は二人の女子生徒と話していた。
「桐緒がうちのクラスに来るなんて珍しいじゃないか。生徒会に入る気になったのか」
「馬鹿言うな。それより、水城奈緒を呼んでくれ」
「なんだ、僕じゃないのか」
 才人は仰々しく両手を上げると、仕方ないなという顔をして、教室の中に呼びかけた。
「水城さん。呼ばれているよ」
 桐緒が覗き込むと、机に突っ伏した奈緒が顔を上げた。そして目が合った。
「桐緒――」
 がたりと音を立てて席を立った奈緒は大きく動揺していた。周囲の机や人にぶつかりながらこちらにやってくる奈緒を見て、桐緒は確信した。あの世界は夢ではなかったのだと。
「桐緒さっきね。夢を見たんだけどね」
 言いきる前に奈緒の腕を掴んで止めた。
「わかっている。屋上で話そう」
 その態度を見て、最も恐れていたことが起きたことを奈緒も理解した。そして、恐怖に揺れる彼女の瞳を見て、桐緒は一つの決意をした。
彼女を絶対に守り通す。たった一つの命しか残らないのなら、水城奈緒を守って死ぬ。
 屋上に上がると、薄暗い曇り空がより近くなったようだった。朝、学校を出てからたいして時間が経っていないということが信じられない。あの世界から戻れたことが奇跡的に感じられた。
「やっぱり桐緒も見たんだよね。あの変な世界」
奈緒が恐る恐る尋ねてくる。
「見たよ。骸骨の戦士や黒い騎士に襲われた。白い騎士と蜥蜴に助けられた」
 奈緒はやはりと言いたそうな顔で、俯いた。君のことは俺が守るから安心してほしい。そう言いたくなったが、他に好きな男性のいる女性に言うべきことでもないと、躊躇った。そして沈黙が生まれる。
「私たちまたあの世界に飛ばされるのかな」
 ぼそりと奈緒が呟いた。その答えは桐緒にはわからなかった。しかし、どう考えても、再びあの世界に戻ることになるだろう。
(お前ら、絶対に俺が殺してやるから待ってろよ)
黒騎士の悪魔のような殺気を思い出す。あいつは知っていたのだ。再び、俺たちを殺す機会があることを。
「あんまり想像したくないことだけど、また飛ばされることになるだろうな。ただ今後のためにある程度抵抗するべきだろう」
「どうするの」
「例えば、あの蜥蜴は言っていた。この地の呪いに選ばれたと。そしてあちらの世界に行く直前のことを思い出して欲しい。時間を確認させられた」
「そう。時計を確認させられた」
「だから、明日はお互い学校を休もう。二人でうちの家でじっとしていればいい。そうすれば、もしかしたらあの世界に行かなくてもよいかもしれない。また、飛ばされた場合でもスタート地点が一緒になる可能性がある」
「なるほど」
 奈緒は不安気な表情は崩さないが、この案以外に特に思いつくこともないらしく、頷いた。
 ――最後に一人が残るまで殺し合いを続けなければならない。
 桐緒は奈緒が二人で協力して生き残る先に何を見ているのだろうかと考えた。
その時、屋上の扉が音を立てて開いた。
「おや」
 扉から出てきたのは男。制服を着崩している。繊細な黒髪が風に靡き美しい貌を惹きたてる。
「どうしたんだいこんなところで、もうすぐ授業が始まるよ」
 ――黒澤京一郎。
 桐緒はその名を呟くと、奥歯を噛みしめた。奈緒の思い人。恋敵だ。だらしのない格好。不真面目な態度。全てが気に入らない相手だったが、奈緒が選んだ男なのだ。桐緒には何も言えなかった。
「黒澤先輩」
 奈緒の声のトーンが上がったように感じた。
「あの、ゴミ出しのマナーについて話し合っていて」
「ゴミ出し?」
「はい。桐緒とは同じマンションなんです」
 少し慌てたように話す奈緒を見て、桐緒はどういう顔をすれば良いのか解らず、京一郎からも奈緒からも視線を外した。
「先輩はどうされたんですか」
「授業行くのもだるいからここでさぼろうと思ってね。君も一緒にさぼるかい」
「すみません。私は次の授業で発表しなくちゃいけないので」
「そう」
 案外簡単に断るのだなと桐緒が驚いていると、京一郎は逆にその対応を見て笑みを濃くした。彼にはその反応が興味深かった。
「なら、早く教室に戻るといいよ。まだ間に合う。君も」
そう言って桐緒に笑いかけた。校内で最も有名な不良の一人。黒澤京一郎。その容姿は誰よりも優れ、成績は毎回トップ。そして、運動能力も運動部並みに高い彼が有名にならないわけがない。そして、部活に入っていない不良であるが故にその能力を一切活用していないのが更に話題を生んで彼を有名人にしている。彼は一体に何にそれを使っているのか。
「わかりました。ありがとうございます」
 桐緒は会釈すると、すたすたと屋内へと入って行った。
「待ってよ。――先輩、またよろしくお願いします」
 奈緒が京一郎に別れを告げて慌てて追いかけてきた。
「どうして先に行くのよ」
「別に。授業が始まるなと思っただけだ」
 胸に蟠るいらつきをこれ以上彼女にぶつけたくはなくて、教室に戻ると告げ、奈緒と別れた。

2, 1

  

「なあなあ、今日は一緒に寝てもいいかな」
 後から帰宅した茜の第一声がこれだった。どうしたものかと、桐緒は少し考える。 
 学校から帰ってきた後、すぐさまパソコンを立ち上げ、過去に自分と類似した体験をしたものがいないか、少しでも情報が転がっていないか検索をかけてみた。しかし、案の定それらしきものは見当たらない。
 明日の朝は奈緒と共に自宅にいることで、何か変化がないか見ておきたいところだ。最低限、スタート地点は揃えておきたい。
 正直、二四時間側にいたい心境だが、黒澤と共に帰ると聞かされれば、引き下がらざるを得ない。
 せめて、奈緒を家に泊めることはできないだろうか。男一人の家に泊まるとなれば、差しさわりがあるかもしれないが、茜がいるのだから、自然になる。
 しかし……。今日の茜はやたらと甘えたがる。さっきからべたべたと抱きついてきたり、桐緒の髪をいじったりする。こういう時、いつも茜は不安と戦っていることが多い事を、経験上知っていた。いつもなら慰めてやるところだが、今日はその余裕がなかった。
「なあなあ、今日は一緒に寝よ」
「残念だけど、今日は奈緒が泊まりにくるかもしれないから無理だ。誤解されるだろ」
「そんなん聞いてへん……」
 酷く傷ついた表情で、茜が固まった。
「悪かった。でも大事な用があるんだ」
 泣きそうな顔をする茜の頭を撫でてやる。
――その時、あることを思いつき、強烈な恐怖に体がびくりと反応した。時計を見る。
二二時00分。つまり午後十時00分。
――十時二分まで後二分。
馬鹿な。――まさか、こんな危険性を見落としているなんて。
十時二分は一日に二回ある。
 桐緒はがたりと音を立てて立ちあがると、玄関に走りだした。
 自分の愚かさに歯噛みする。
アパートの廊下に飛び出すと、奈緒の家のインターホンを連打した。
――反応がない。
 その時、朝と同じようにぐらりと世界が反転した。




 暗闇の世界への反転は人気の少ない道路で起きた。黒澤先輩と途中まで一緒に帰った後、寄り道に買い物をした後のことだった。奈緒は、自分の誤算に動揺した。朝の十時だけじゃなかった――。
「くっくっく。またお会い出来て光栄ですな。主殿」
蜥蜴の声が足元から聞こえた。見るとそこには蜥蜴はいなかった。それは大型犬程の大きさの蒼い西洋竜だった。蜥蜴だった時とは違い、竜のように翼がついており、頑丈そうな四つ脚が地面を踏みしめ、見た目に頼もしい。
「ようやく、我輩の姿も本来のそれに近づいてきたようですな。それでもまだ、蜥蜴は蜥蜴か」
 くっくっくと喉の奥で笑っている。
「あなた――えーっと」
 守護者と呼べば良いのだろうか。
「我輩の事はブルーと呼んで頂ければ宜しい」
 竜は目を細めるようにして、奈緒を見た。否、またもや奈緒の背後を見た。
 瞬間、奈緒の背後から真っ赤な光と、熱気が吹き寄せた。
 振り向くとそこには4メートルほどはある巨大な赤い竜がいた。禍々しい黒々とした鱗に、燃え盛る翼。口や鼻からは炎が呼吸と共に噴出されている。その足元に立つ人影は奈緒の知っている顔だった。
「水城奈緒。あなたがこの世界の住人だったなんて驚きだわ」
「――生徒会長」
 学年は違えども、眉目秀麗、成績優秀で生徒会長を務める紅杏子は奈緒でも知っていた。そして杏子が黒澤に好意を寄せていることも。
「私、あなたに言いたかったの。京一郎にこれ以上近づくなって」
「――なんで、そんなこと先輩に言われなくちゃいけないんですか」
――京一郎の話題に奈緒の頭は急速に冷えていった。
「あなたに、京一郎は釣り合わないから。でも、もういいわ。そんなこと言う必要なくなったもの」
 殺意が辺りに満ちる。奈緒も、恋敵が相手となればその顔には気迫が満ちる。
「この世界の住人なら殺しても問題ないものね」
赤竜が炎を吹きながら咆哮を響かせた。
絶対に勝たなければならない。今この瞬間においてその理由は命が惜しいからではない。京一郎がかかっているからである。
「ブルーさん。同じ竜だしあれに勝てるよね」
 期待に満ちた目で、頼もしくなった相棒を振り返った。
「無論、戦えば負けますな」
「う……またこの世界に来たか」
暗闇の世界へと再びやってきた桐緒は周囲を見回した。そこは、以前の教室ではなくアパートの廊下だった。
「スタート地点は学校周辺であれば現実世界における座標と一致します」
 聞き覚えのある声に振り向く。
 そこには、武器鎧がより華美で、輝きを増したブランがいた。
「敵の気配は感じられません。ここで先の戦略を――」
その時、二人は信じられないものを見た。がちゃりと桐緒の家の扉が開きそこから、『桐緒』が出てきたのだ。全く桐緒と同じ顔、背丈をした男。
「ターゲットカクニン」
 機械音声と共に異様な速さで『桐緒』がブランに殴りかかった。
「――くそ。ここまで接近して気配がないだと」
騎士は紙一重で避けて距離を取る。
「どうして俺の姿をしているんだ……」
その疑問を口にした直後、『桐緒』によって開け放たれた扉から強い声が放たれた。
「グリ! やめ!」
 『桐緒』はまるでロボットのようにカクンとその動きを止めた。それを斬り伏せようとするブラン。
「ブラン! やめろ!」
振り下ろされた長刀が『桐緒』の額寸前でピタリと止まった。
「この声……桐緒なん?」
弱々しい声を上げながら顔を覗かせたのは、従妹にして同居人。灰原茜だった。

4, 3

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