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第4話

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※当時はイエローカード3枚で退場でした。
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【年齢】27歳
【所属】ボルシア・メンヘングラッドバッハ(西ドイツ)
【ポジション】右サイドバック

 クライフを封じた男として有名。当時ブンデスリーガでバイエルンと二強時代を築いていたボルシアMGのスター選手でした。
 小柄ですが、非常に俊敏でスピードのある選手でした。

 今でこそマークの達人として守備能力ばかりピックアップされ、守備しか能がないとまで書かれることもある彼ですが、当時の基準としては積極的に攻撃参加もするモダンなサイドバックでした。

 この試合ではクライフをマークすることが事前に決まっていたものの、クライフが自陣に入ってからマークし、敵陣までは追いかけない予定でした。
 しかし、それが仇となって先制のPKを与える結果になってしまったので、自陣・敵陣に関わらず、どこまでも徹底マークすることに変えたと後のインタビュー等で語っています。

 クライフをどこまでも追いかけた都合で、攻撃開始時に中盤や前線にいることも多く、攻撃に絡むシーンが意外と多いです。攻撃時まではさすがにクライフに張り付いておらず、積極的に攻撃に加わっていきます。しかも、クライフはボール狩り以外で守備をほとんどしないので、フォクツはノーマークになることが多いです。
 ただ、攻撃参加の意識は高くても、パスやドリブルなどの攻撃能力は現在のサイドバックの基準からすると低いです。

 フォクツの所属していたボルシアMGですが、監督のヘネス・バイスバイラーと三菱重工監督の二宮寛が個人的に親交が深かった関係で日本と親交のあるクラブでした。
 そんな縁があって、1983年にフォクツは日本代表の臨時コーチを務めたことがあります。
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