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一本杉

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私の通う学校には、昔から一つの語り草がある。
これがまた非常にありがちで、聞いている方が恥ずかしくなる話なのだ。

『校庭の端の一本杉の下で告白すると結ばれる』

思わず笑ってしまうような話ではあるが、恋愛真っ只中の高校生たちが、校庭の端に威風堂々とそびえ立つあの一本杉を見れば、このような噂話の一つでもしたくなるのは仕方の無いことなのかもしれない。
また、「一本杉の下で告白してる奴がいた」「実際に告白したら結ばれた」などの目撃談・体験談は後を絶たない。
私はというと、そんな話はただの一片も信用していなかった。そればかりか、楽しそうに一本杉の話をしているクラスメイトを尻目に「あんな迷信を信じるなんて」と馬鹿にさえしていた。

そんな私が、ある日恋に落ちた。
相手は隣のクラスの男子で、きっかけは本当に些細なものだった。合同実習という名目で、同学年のみだが全クラス入り乱れての授業があった。その際に、彼は同じグループに居た。
正直に言うと、外見はあまりいい印象ではなかった。一般的に言われる『格好がいい』とは程遠いのだが、彼の良さは外見では分からない。私がひかれたのは、彼の内面からでる暖かさだった。
恋に『落ちる』とは、まったく上手く言ったものである。私は文字通り『落ち』てしまい、暗闇の中を迷走した。好きという感情が止められなくなり、自分自身を見失いがちになった。
このままではいけないと考えた私は、彼に告白しようと決心した。
そんな時、友人からこんなことを聞いた。
「彼って、恋人は居ないみたいだけど親しくしている女性がいるって噂だよ」
その話を聞いた瞬間は、巨大な金槌で思い切り頭を叩かれた様だった。
上っ面ばかり見ている最近の女性たちでは彼の良さは分かるまい、分かるのは自分だけだとタカをくくっていた。まさか私以外に彼の良さに気づく女性が居たとは。いや、逆に彼からその女性に近づいたのだろうか…。
私は居ても立ってもいられなくなり、ある日遂に彼の後を尾けた。いわゆるストーカーになるのだが、私自身はそんな自覚は微塵も無かった。
そしてその時、彼と親しげに話す女性を目撃した。整った顔立ちに、気品に溢れる仕草。非の打ち所のない人物だった。
私はその日、自室の鏡に自分自身の姿を写してみた。が、まるで勝ち目が無いなと悟った。
しかし勝ち目が無いからと簡単に諦められるほど乙女心は単純ではない。なんとかして彼に振り向いてもらえないだろうかと考えた。
そんな時、私は一本杉の話を思い出した。
常識的に考えて、一本杉の下で告白しようが結果が変わる筈は無いのだが、威風堂々としたその姿を見ているともしかしたらという思いが出てくる。
(駄目で元々なのだ。どうせ告白するなら、一本杉の下でしよう。もし特別な何かがあるというなら、儲けたものじゃないか…。)

さて、一本杉の下で告白することに決めたとしても、どのように告白すれば一本杉の恩恵を受けれるのかが分からない。
ただ告白するだけでいいのだろうか?時間が決まっていたりするのだろうか?告白の台詞は何でもいいのだろうか?
こんな事は一人で考えていても答えが出るはずも無い。私は噂話などに詳しい友人に連絡を取った。
しかし以外にも友人も知らなかった。様々な説があることにはあるが、信憑性は疑わしいらしい。代わりに、友人はこんな情報をくれた。
「あの噂話は昔からあるものだから、卒業生に聞いたほうが詳しく分かると思うよ」
卒業生なら身近にいる。父と母がそうだ。肉親にこんなことを相談することは少し気が引けたが、勇気を振り絞り母に尋ねてみた。
すると驚くことが判明した。母は実際に一本杉の下で告白をしたことがあるという。そしてその告白の相手は父だというのだ。
こんな近くに成功例があるなんて。私は感激した。信憑性を確かめるために父にも聞いてみた。
「一本杉の下で?ああ、確かに告白されたよ。しかし不思議だったなぁ。それまで母さんのことは何とも思っていなかったのに、告白された瞬間、母さんに心臓を鷲づかみにされた気がしたよ」
父と母の話を聞きながら、私は本当に一本杉には特別な力があるような気がしてきた。そして気になっていた「告白の仕方」だが、これはひどく簡単なものだった。
相手と自分の誕生日が同じ月ならば、どんな時間帯でも、どんな台詞でも良いというのだ。幸い、私と彼との誕生日は同じ月だ。
この同じ月でないといけない、というのは由来があるらしいのだが、私にとってそんな由来などどうでも良く、話半分に聞いていたので覚えていない。

いよいよ残すは告白するだけとなった。私は考えに考えたあげく、彼の下駄箱に手紙を入れるという古典的な方法をとった。
内容は非常に簡潔で、朝の6時に一本杉の下に来て欲しいという旨だけを伝えるものだ。
朝の6時をしていたのは誰かに見られるのが恥ずかしかったから。好きという言葉を入れなかったのは、それだけは自分の口から直接伝えたかったからだ。

いよいよ約束の日。私は4時に起き、化粧をばっちりときめてから学校へと向かった。
一本杉に到着したのは約束より30分早く5:30だった。
来てくれないかもしれない…。時間が経つにつれそんな不安が過ぎる。そんな時、正門からこちらに向かってくる人影が見えた。
(よかった、来てくれた)
その思って喜んだのも束の間。近づいてきた人物はまったくの別人だった。私はその人物を見た瞬間、自分の犯した過ちを悟った。
クラスの下駄箱には、名字しか記されていない。私は思いを寄せる彼とは同性の、まったく知らない人物の下駄箱に投函してしまったのだ。
どうしよう、勘違いでしたなんて言えば、相手が傷つくだろうな…そんなことを考えていると、相手のほうが先に口を開いた。
「手紙をありがとう。実は僕も、ずっと前から君の事が―――」




私が夕食の支度をしていると、今年17になる娘が不意に話しかけてきた。
「お母さん、さっきお父さんに聞いたんだけど、一本杉の下で告白されたって本当?」
私は言った。
「一本杉の下で?ああ、確かに告白されたよ。しかし不思議だったなぁ。それまで父さんのことは何とも思っていなかったのに、告白された瞬間、父さんに心臓を鷲づかみにされた気がしたわ」
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