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最終章 世界を救う19の方法

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「私はディオゴ・J・コルレオーネの部下、ヌメロ」
 そう言うなりヌメロと名乗った男はおしのように黙ってしまった。
 黒兎人族は兎人と蝙蝠亜人の混血であり、複数の種のかけ合わせのせいか個体差が大きい。
 例えばヌメロの主であるディオゴは兎の特徴は、六つある耳のうちの四つと下半身の筋力。外見はほとんど人間と同じ。ヌメロはフードをかぶっていて視認できないが、その形から長い耳を持っていることがうかがえた。顔は兎そのもので、射貫くような両の目でメゼツを見据えている。
 前ひれには魔文字と、コルレオーネファミリーの中でもディオゴの信頼が厚い者だけ許された彼岸花の刺繍。
 アルドバラン城がこの甲皇国駐屯所へ侵攻するのは時間の問題で、無口なヌメロが話すのを待つ余裕はない。メゼツがせかそうとすると、ヌメロは指先で空中に字を書いた。
 魔文字と言って、詠唱なしで魔法を使うことができる技術である。
 ヌメロはメゼツにはどう読むかもわからない魔文字をひとしきり書くと、最後に魔法陣を描いた。すると魔法陣の中にアルドバラン城内部の映像が映し出された。人間が等身大で映せるくらいの大画面だ。


 いびつな歯車が風車のように不規則に回り、薄い空気をかき集めている。巨大な壁で隔てられた城内を唯一繋ぐダクトは、入り組んだ立体迷路のようだ。
 アルドバラン城は城というよりも城壁で囲まれた一つの都市といって良い。
 城の内部の軍事施設や武装にばかり丙武の興味は注がれ、食品製造プラントや衛生資材の工場などの調査は後回しにされていた。
 かつて亜骨大聖戦末期、補給が滞るようになると、決まって丙武は町へ略奪に繰り出した。丙武軍団は戦場でのうさを晴らすように町を襲った。略奪した食料で飢えを、略奪した女で乾きを満たした。
 軍規違反だったが、丙武は現場の判断といいわけして略奪を奨励した。丙武の采配は明日死ぬかもしれない自分たち気持ちを分かってくれていると、兵士たちからの評判も良い。ともに悪事を働くことで丙武軍団はその連帯を強化していった。
 今回も食料が尽きてきたことで略奪を思いつく。丙武としてはごく自然な行動だ。
 自身が真っ先に略奪に行きたいところだが、アルドバラン城を空けるのは得策ではない。留守中に乗っ取られては本末転倒だ。
 何も敵はメゼツたちだけではない。部下たちが欲目をかいてアルデバラン城を手に独立する可能性もある。丙武は自分以外の人間をいっさい信用していなかった。
 そこで最も信用のおけない黒兎族のディオゴ一党を略奪に向かわせることになった。
 アルドバラン城がある限り、甲皇国駐屯所を潰すのは造作もない。寄り道ぐらいかまわないだろうと、侵攻ルートから東にそれて開拓者の村のそばにディオゴらコルレオーネファミリーを降ろした。
 どこまでが思いつきで、どこからが計算通りなのか。丙武は突如、主砲紅炎の再充填を命じた。
 丙武の客将である黒いフードをまぶかに被った機械教徒が慌てて止めに入る。
「略奪ごときに紅炎を使うのか? いったいどこを狙う気だ……まさか」
「当然開拓者の村を狙って、ディオゴごと焼くんだよ」
「ならぬ。私が宿敵だったお主とディオゴとの間に盟約を結ばせるのにどれほど腐心したと思っておる」
「アルドバランをかすめ取るのには役立ったが、今となっては邪魔でしかねえ」
 もはや丙武を止められる者はいなかった。機械教徒が別の理由を持ち出してみたが、丙武は聞く耳を持たない。
「食料不足の件はどうするのだ」
「口減らしにはなる」
 不具者として差別に苦しみ、世界を憎んだ丙武。最愛の妹の理不尽な死によって、世を捨てたディオゴ。この二人ならば理解し合えると思っていただけに、機械教徒は残念に思う。
 所詮丙武は生まれつきの不具者ではないし、死んでしまったとはいえディエゴには愛する者がいた。
 この機械教徒は生まれてこのかた迫害を受け続けている。やはり自分の理解者などいないと機械教徒は考えを改めた。


 開拓者の村は|木杭《きぐい》を等間隔に打っただけの簡易な柵に囲まれている。野生動物からは身を守れても、武装したマフィアにかかればひとたまりもない。
 コルレオーネファミリーは柵を壊し、一挙になだれ込んだ。
 村の規模は小さく、集落に近い。わらぶきの貧しい住居はあっというまに制圧されてしまった。
 右往左往する住民たちの中にあって、伝道師が村中央の広場で「下手に抵抗せず村を捨てよう」と辻説法している。
 鈴のついた杖をしゃんと鳴らし、喪に服するような黒のワンピースに死装束のような羽織を着た女性宗教家。髪飾り、イアリング、ネックレスの|意匠《デザイン》になっている十字に三ツ星はゴドゥン教の紋章だ。
「知恵ある我々が避ければ良い」とゴドゥンの教えを説いている。
「俺たちが苦労して造った村をなんで手放さなくちゃならないんだ」
 口々に|罵《ののし》る村人たちの声にドワーフの伝道師は小さな体をさらに小さくして、大粒のトパーズのような瞳に渦を巻く。それでも教えを守ろうとするが伝道師の声は明らかにトーンダウンしていく。
「しかし、避けることができないことが起こったらどうすればよいか」
 それは布教する者にだってわからない。宗教は無力なのか。祈るだけでは何も変わらないのか。
「坊さん、あんた口ばっかだ。誰一人救えやしないじゃないか!!」
 村人の厳しい追及に耐えかねている伝道師の耳に悪魔がささやく。
「多少は我を通さなくっちゃ生きていけないだろう」
 災いを避けること信条とするゴドゥンの教えには背信することになるが、伝道師は今一度逃げずに立ち向かう。コルレオーネファミリーの略奪を止めさせようとディオゴに抗議した。
「私はゴドゥン教伝道師、リオバン・ニニと申します。略奪を止めてください。いったい何の恨みがあってこんなことを」
「恨みはないさ。これも仕事なんでね」
「元からあるものを蹂躙してまで成さねばならぬことなのですか?」
 成さねばならぬこと。昔はあった。妹を犯した男はぶち殺した。妹を殺した男もぶち殺した。
 成さねばならぬこと。今はない。何も残らなかった。
「確かにあんたの言う通りかもな」
 ディオゴはけだるい口調で、めんどうな仕事を仕方なくやっているようにも見える。もしかしたら説得できるかもしれない。ニニは最後の一押しをする。
「略奪をやめてください。お願いします。なんでもしますから」
 ディオゴは嗜虐的な笑みを浮かべると、ファミリーに略奪を止めさせるよう指示した。
「アニキどうしちまったんだよ!!」
「俺たち、まだ金玉袋パンパンなんだぜ!」
「まさか足洗う気じゃねーだろーなー」
 構成員たちは不平を漏らしながらも、麦一粒取らずに村人へ返す。さすがに女性の貞操までは返せなかったが、さらって行こうとかかえていた上玉の娘たちは解放された。
 何の収穫もなく、コルレオーネファミリーは開拓者の村を出る。ある者は八つ当たりに|木杭《きぐい》を蹴とばし、ある者は唯一の戦利品をもの欲しそうに視姦している。
 ディオゴに抱えられたニニは居心地悪そうに尋ねた。
「あの、私は解放されないのでしょうか?」
「なんでもするって言ったよな」
「あっ」
 その時だった。
 大気が震え、天を引き裂くような轟音が鳴る。
 充填が完了したアルドバラン城の主砲が開拓者の村に放たれたのだった。
 衝撃で開拓者の粗末な家屋は倒壊し、渦巻く熱線が開拓者を生きたまま火葬していく。
 爆風から庇うようにディオゴはニニを押し倒した。
「私が背信したからだ。ゴドゥンの教え通り村を捨てていれば……」
 ニニは狂ったように取り乱し、童女のように泣き喚く。
 爆風が収まると、さっきまであった村は嘘のように何も残らなかった。辺り一面に広がるススけた大地が、そこが村だった証。
「丙武の野郎、どういうつもりだ! 陰茎と金玉を切り取ってブッ殺してやる!」
 ディオゴはベングリオンナイフを振り上げた。
 まどろみから覚めたような目でアルドバラン城が浮かぶ天空を睨む。
 ディオゴの決断がファミリーを救ったのはただの偶然だった。が、手のひらを返した構成員たちはディオゴにおべっかを使う。
「やっぱアニキはスゲーや」
「略奪を続けていたら今頃お陀仏だ」
「俺たちも反省してるからさあ、その女のご相伴にあずからせてくれよー」
 構成員たちはすでにズボンをずらし、露出したいちもつからは我慢汁が滴っている。
 生命の危機に瀕して、子孫を残そうとする本能なのか。はたまた村の惨状に乱れ叫ぶニニを見て欲情したのか。好色な黒兎人の血がそうさせるのか、構成員たちはちきれんばかりのいちもつを見せつけるようにニニににじり寄る。
 なんでもするという約束だ。村人たちを救えなかった罪を甘んじて償おうと、ニニは身をゆだねることにした。
「当然一番手はアニキに譲るからさあ。俺、その次いいだろ?」
「黒兎族のガキよりも成熟してねえが、これはこれでアリだぜ」
 ディオゴは部下たちの目に、かつて妹をを襲った獣と同じ狂気を感じた。ニニの顔は妹のモニークにはけして似てはいなかったし、幼く見えるがドワーフとしては成人を過ぎているだろう。それでもどこか放ってはおけない。ディオゴはベングリオンナイフを引き抜き、けん制する。
「触るな、これは俺のだ!!」
 ディオゴは今の今まで部下たちの略奪も見逃してきたし、取り分も必ず山分けしてきた。であればこそ部下たちもディオゴを慕ってきたわけで、それがなくなった今ディオゴに付き合う道理もない。
「独り占めする気かよ。みそこなったぜアニキ」
「もう、アンタとはこれっきりだ」
 一人また一人と仲間たちは抜けていき、残ったのは戦中から苦楽を共にしてきたヌメロとまだ泣いているニニだけだった。
「コルレオーネファミリーも今日限りです」
 無口なヌメロだからこそ、その言葉は重い。
「ファミリー、家族か……あいつら家族になりそこねたな」
 ディオゴは焼け野原にたたずむことしかできなかった。
 コルネオーネファミリーは獣神帝と組むことによって、ミシュガルドでいち早く密貿易のルートを開拓することに成功している。獣神帝との蜜月は終わり、どの道ファミリーを維持することは難しい。しかし故郷を失った黒兎族の仲間を養うという大義以上に、コルレオーネファミリーはディオゴの疑似的な家族の役割もはたしていたのだろう。
 ただでさえ情緒が不安定だったディオゴの精神は、心のよりどころをまた一つ失ってしまった。
 精神の衰弱からか、ディオゴは手にしたベングリオンナイフで生々しい傷跡の残る左手首をかき切る。とっさのことで止める間もなかった。
「早く止血を」
「うろたえるな、ヌメロ。これがコルレオーネ家伝来の治療法、|瀉血《しゃけつ》だって知ってるじゃあないか。ちょっと頭に血ぃ登っちまったからよお」
 ヌメロがディオゴからナイフを取り上げ、ニニは自分の服のそでを破り包帯替わりに巻いた。
「|瀉血《しゃけつ》なんて怪しい民間療法です。悪しき因習です」
「まさか宗教家にそんなこと言われるとはな。宗教こそ悪しき因習じゃあないのか?」
 心が弱った人にこそ宗教は必要なはずだ。ニニはここぞとばかりにゴドゥン教の説法を始めた。
「知恵あるものが避ければよい」
 かつて天空には二柱の神が鎮座しておりました。清浄の神ウンチダスと混沌の邪神ベンピデスです。
 ベンピデスは混沌から太陽を作り、月を作り、海を作り、魚を作り、鳥を作りました。また、混沌を固めて地を作り、草木を茂らせ、獣、はうもの、家畜を作りました。ベンピデスは最後に混沌をこねくり回して人間を生み出しました。
 ところが人間は不良品で、盗み、犯し、殺し、嘘をつくので、ウンチダスは尻から清浄な魂をひり出して言いました。
「ベンピデスよ、この清浄なる魂を人間の中に封入するのです。さすれば人間は、譲り、愛し、活かし、素直になるでしょう」
 ですがベンピデスは自分の作った最高傑作である人間に、うんこみたいな清浄な魂とやらを入れることに断固拒否しました。
 だから人類は次にウンチダスが清浄な魂をひり出すまで、争いを避けて待ち続けなければなりません。
 約束の日、ウンチダスは世界を裏返します。良き魂を世界の表側に、悪しき魂を世界の裏側へと追いやるでしょう。
「ゴドゥン教は幻獣ウンチダスを信仰の対象とする宗教です。ウンチダスはかつての清浄の神ですが混沌の神ベンピデスとの闘いを避け、幻獣へと落ちぶれたという故事があります」
「悪いが俺は信心深いほうじゃないんでね」
 ディオゴはまったく聞く耳をもたず、話しの腰を折った。
「私も最初は信じませんでした。しかし私が一度目に背信した直後、あの禁断魔法の災いがアルフヘイムを襲ったのです」
「たまたまだ」
「だけど二度目に背信した今、開拓者の町が消滅する災いが降り注ぎました」
「バカな、あれは天罰なんかじゃあない。丙武のちくしょうがやったことだ!」
 宗教はときに劇薬ともなる。ディオゴは激し、包帯に血がにじむ。
「神なんていない! ろくに祈ったことのない俺を救わないのはいい。ラディアータ教の信徒として、熱心に祈り続けた少女はなぜ救われなかった。あんなに祈ったのに報われず、ラディアータの神は妹へ犯され殺される運命しか与えなかった。なぜだ。なぜなんだ。モニークの短い人生すら救えずに何が神だ!!」
 誰も何も答えられなかった。ディオゴに納得のいく答えを与えることができる者は世界のどこにもいないであろう、たとえ神でさえも。
 ディオゴは考えることがあるのだ。どこか別世界には父ヴィトーがいて、母がいて、従姉妹のツィツィがいて、ヌメロがいて、義弟のダニィがいて、モニークとディオゴが仲良く暮らしていると。もし可能性の数だけ世界があるならば、モニークの生きている世界がどこかにあるんじゃあないかって。だが今の自分にその資格があるだろうか。別世界のモニークのそばに立ち守ってやる資格が。
 戦中のディオゴは怒りと苦しみのあまり、モニークに直接手を下した者を殺してそれで満足してしまった。モニークを殺したものが本当は何だったのか、考えもしていない。
 モニークを殺したものの正体が戦争だとも知らずに。小さな悪に目を奪われて、その戦争を主導したミカエル4世、ラギルゥ一族、シャロフスキーやフェデリコ・ゴールドウィンといった巨悪から目をそらしていた。この世界のディオゴに限っては。
「ありがとな、ニニ。成さねばならぬこと、やっと見つかったぜ。俺が招いた厄災だ。俺が丙武を倒すのがスジってもんだ」
 戦争の残り火がまだくすぶり続けている。残り火を消さなければならない。丙武と自分自身の火を。
 死んだようだったディオゴの目がかつてのぎらつきを取り戻していく。
「私も行きましょう。ファミリーを抜けた者にも声をかけ……」
「不要だ。これは俺自身のけじめなんだ。一人で行かせてくれ」
 そう言うとディオゴはケラエネの宝玉を掲げた。水色の光がディオゴだけを包み、その光はアルドバラン城へ向かって飛んで行く。
 きっとディオゴは嫌がるだろうが、ニニは|曳光《せんこう》に向かって祈った。


 魔法陣中央に映し出されていた映像はここまでで途切れている。魔文字はどうやらヌメロ自身の記憶を映像として映し出す魔法だったようだ。
 無口なヌメロが何を言いたいか推し量って、メゼツは確認する。
「親分のディオゴを助けてほしい、そう言いたいんだな」
 ヌメロはその無表情をいっさい崩さずにうなずく。
「でもよー。そのなんちゃらの宝玉って奴がなきゃ、空飛ぶ城に行けないんだろ?」
「その宝玉とやら、ここにあるぜ」
 皇帝にかしずく群臣の中で、ひときわ異彩を放つ目の周りに隈取をしている男が声を上げた。神経質そうな痩身に羽毛をあしらった改造軍服をまとい、手には藍色の宝玉を握り締めている。
「ウルフバード、どうして宝玉を……」
「別に非合法なことはしていない。とある塔の調査でたまたま手に入れた物だ。もし皇帝陛下が国を挙げて俺の魔法研究に投資してくれるんなら、いっしょにアルドバラン城に乗り込んでやってもいいぜ」
 メゼツはウルフバードの提案を喜んで飲もうとしたが、群臣たちはことごとく反対した。
「魔法研究なんて甲皇国の理念に反します」
「そもそもコルレオーネファミリーの首領を助けてやる義理もない。見殺しにしましょう」
 メゼツはすべての反対意見を押し切った。
「うるせー!! 妹好きに悪い奴はいない!!! 俺はディオゴを助けるぞ」


 古い建造物が隙間なく敷き詰められたアルドバラン城の外縁部。
 くびり殺された丙武の手下たちが折り重なるように倒れている。死体に埋め尽くされた道の先で銃撃音が響く。
 広範囲に飛び散ったマッシャーの散弾はかすめるだけで肉をえぐる。
 大戦時より衰えた俊敏性とはいえ、ディオゴは余裕でかわすことができた。これで丙武はすべての弾丸を撃ちつくしてしまったが、焦っているのはむしろディオゴのほうだった。
 ディオゴの強靭な下半身から繰り出される蹴りがすべてヒットしたはずなのに、丙武は息ひとつ切らしていない。
「クソッタレ丙武、何かしやがったな!!」
 丙武はマッシャーを投げ捨て、鋼鉄の義手でディオゴの腹へ一撃して答えを返した。
「俺は神に愛されている。亜人の攻撃は効かねえんだよ」
 腹筋に力を入れてしのいだが、2時間半に及ぶ死闘はじょじょにディオゴの体力を奪っていった。
 ディオゴは丙武の頭、わき腹と連続して蹴る。丙武は避けようともしない。あえて受けながら間をつめる。丙武の振り下ろす拳を今度は完全にかわし切った。
 互いに決め手に欠いた死闘は永遠に続くかと思われた。が、三人の乱入者によって状況は大きく変わることになる。
「丙武! 覚悟ーー!!」
 叫び声のおかげで不意打ちを免れた丙武はメゼツの振り下ろした大剣を左の義手で受けた。
 丙武の動きが止まったところで、追いついてきたヌメロが魔文字を使って氷雪魔法を放つ。周りの床は凍りついたが、丙武に一切効かなかった。
 ディオゴは丙武との一騎打ちを邪魔されたことに苦笑したが、嬉しそうに憎まれ口を叩く。
「ヌメロ!! 甲皇国にチクったな。お前いつからそんなにおしゃべりになったんだ」
 ディオゴはヌメロともう一度共に戦えることが嬉しかった。ヌメロもまたディオゴと共に戦うこと望んだ。
 だが一対三の不利な状況でも丙武はまったく動じない。
「この俺様を倒すのに三人がかりでもまだ足りねえぐらいだ!」
「ここにもう一人いるぜ!」
 密かに丙武の背後に回っていたウルフバードが、ヌメロによって凍らせた床から得意の水魔法で水分をかき集めて準備していた。
 丙武の振り向きざま、ウルフバードが手のひらを向け鋭利なつららの群れを放つ。
 ところがつららは丙武に届く前に魔法が解けてもとの水に戻ってしまった。
「バカな!! 丙武の神性の能力は亜人の攻撃が効かなくなるだけじゃないのか!!」
 魔法が効かないと見るやヌメロは丙武に飛び掛り、丙武の首をベングリオンナイフでかき斬った。
 ベングリオンナイフの刀身は幅広でナイフというよりも鉈に近い。ヌメロは切り落とすつもりで首を狙ったが、血の滲む丙武の首はつながったままだ。
「痛ってぇんだよ。この糞がああああああああああ」
 丙武の蹴りをヌメロは間一髪かわすが、義足のつま先から飛び出したナイフによって腹をえぐられる。
「いいナイフだ。コレクションに加えておこう」
 ヌメロは魔文字の回復魔法で止血すると、丙武のつま先からもぎ取ったおいたナイフを鑑賞している。
 ディオゴがヌメロを丙武から引き離す。入れ替わりにメゼツが大剣を振るう。丙武はまたも左の義手で受け、右手義手からブレードを伸ばしてメゼツの肩口を斬った。
 メゼツ、ディオゴ、ヌメロ、ウルフバード。四人で丙武を取り囲むが、追い込まれているのははたしてどっちなのか。
 魔法や亜人の攻撃が効かない丙武の神性に対し、有効なのはメゼツの大剣ぐらいしかない。だが、同じ釜の飯を食った丙武はメゼツの単調な攻撃パターンを知り尽くしていた。丙武の不意でもつけない限りは何度やっても見透かされてしまうんじゃないのか。
 ディオゴが丙武と戦っている間、メゼツの肩口にヌメロは回復魔法の魔文字を書くがいっこうに傷は癒えない。
「ゼロ|魔素《マナ》体質だからメゼツに魔法は効かないんだよ。回復魔法だとしてもな」
 ウルフバードはヌメロに言ったのだが、なぜかメゼツが驚いている。
「そうなのか?」
「なんで自分の体質のことを知らねえんだよ。丙家にはそういう特殊体質の奴が結構いて有名なんだぞ。丙武の神性だって……あっ!!!」
 同じ魔法の求道者であるウルフバードとヌメロは同じ結論に達した。
 丙武は亜人の攻撃や魔法、アルフヘイムの夫婦神であるウコン神とゴフン神の加護による奇跡をすべて無効化している。
 これはゼロ|魔素《マナ》体質の特徴に近い。
「おい、てめえら、耳を貸せ。認めたくねえが、俺ひとりじゃあ丙武にはかなわねえ。だから力を貸してくれ」
 ディオゴはウルフバードとヌメロの話を聞いて策を練り、全員がかりで丙武を倒す一か八かの賭けに出た。
 メゼツとディオゴが盾となり、その後ろでウルフバードが集めた水を爆発させる。霧状に散った水が視界を真っ白に染め上げていく。
「煙幕か。確かにお前らの姿は見えねえが、それはお前らとて同じ! どのバカのアイディアだ? 浅知恵だよなーーーー!!!」
 丙武はあえて声を張り上げた。
「丙武の野郎、どういうつもりだ! 陰茎と金玉を切り取ってブッ殺してやる!」
 ディオゴはベングリオンナイフを振り上げた。
「バカみーっけ」
 丙武のブレードがディオゴを真っ二つに切り裂く。
 ディオゴの体がかすんで、白い霧に溶けていった。
「立体映像!?」
 ウルフバードが作り出した霧は、ヌメロの記憶を映像にする魔法を悟られぬための布石。そして完全に丙武の虚を突くための賭けは成功した。
「|殺《と》ったーーー」
 メゼツの大剣は丙武の鎖骨を割り、あばらを深々と切り下ろす。
 致命傷だったが丙武は声を紡ぎ続けた。
「俺こそ皇帝……相応しい……能力」
「なりたきゃなれよ。皇帝なんて何人いてもいいんだ。皇帝だなんだと言って、皇帝ひとりじゃなにもできねえよ。能あるものが皇帝なるべきならば、この策を考えたディオゴが皇帝だ。霧でうまく|秘匿《ひとく》したウルフバードが皇帝だ。立体映像でお前を欺いたヌメロが皇帝だ。ひとりひとりが皇帝になる気概を持てばいい」


 甲皇国の歴代皇帝の功績が書かれた皇記という書物によると、メゼツ皇帝の治世の章はほとんどの紙面を今回の丙武の乱に割いていた。それは以後特に大きな事件が起きなかったことを意味している。ただメゼツ皇帝の|御世《みよ》に起こった変化として、皇帝の意味が複数の人間、転じて亜人を含めた人類全体を指す言葉に変わっていったと結んでいる。
 

(終劇)
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