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4章 空位の皇帝

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 酒場には武勇伝を吐く大男の声や、「たまにはケモとモフモフするか」と今夜のお相手を物色する声がひしめいている。すでに閉店間際にもかかわらず、誰も帰ろうとはしない。
 うんちはメゼツが別行動している間に、ヤーと連絡を取り合っていた。ヤーから渡された|電子妖精《ピクシー》はとても使い込まれているらしく、学習機能によりヤーそっくりの話し方だ。
「僕は本当は歴史家になりたかったんだけどね」
 ヤーは引責辞任した父に代わり大社長となったが、歴史家への道を諦めきれない。尊敬する考古学者アルステーデ・アズールのように貿易商を引退した後に、歴史学を志そうと決めている。うんちからの質問、今後のSHWの方針についても歴史を絡めて話した。
 SHWの領土は狭く、東方大陸は耕地に適さない急峻な地形である。貿易立国しか選択肢がなかったと言ってよい。甲皇国は痩せた土地ながら、南部に耕地があったという中途半端さが不幸だった。豊かな耕地への渇望が、アルフヘイムへ向くのも仕方がなかったのかもしれない。戦争ともなれば兵糧として搾取され、民衆はますます飢えた。甲皇国には食料が絶対的に必要だったが、敵国のアルフヘイムから直接買うことはできなかった。
 かたやアルフヘイムも問題を抱えていた。精霊樹の力は年々弱まり、かつて乳と蜜の流れる地と謳われた豊かな大陸は見る影もない。アルフヘイムには化学肥料が絶対的に必要だったが、敵国の甲皇国から直接買うことはできなかった。
 すなわち甲皇国もアルフヘイムもSHWを通してしか貿易できないこの状況こそが、SHWが世界の貿易取引高の半分のシェアを占めるからくりなのである。SHWは関税かけ放題、物資を右から左に動かすだけで莫大な利益を生み出していた。
「つまり、SHWの方針は現状維持。現状維持は年金についで僕の好きな言葉だしね。甲皇国とアルフヘイムには仲良くけんかしててもらうのが一番いいのさ。逆に言えば、甲皇国とアルフヘイムが手を結び、直接貿易しだすのが最悪のシナリオだね」
「甲皇国とアルフヘイムの和解なんてありえない」
 うんちは録音されたメッセージということも忘れ、つい反論する。ヤーはうんちの反論を見越していたのか、メッセージの中に回答を用意していた。
「信じられないかもしれないけど、戦前の二国は今ほど険悪じゃなかったんだよ。そもそも何が原因で戦争になったかなんて、誰も憶えていないじゃないか。戦争の原因を知っていそうなのは、甲皇国においては皇帝クノッヘンやボロヴィズ将軍。エルフは見た目から年齢が推し量りにくいけど、ミハイル4世やダート・スタンといった人たちは知っていそうだね。SHWではストライア兄弟が世代的にギリギリかな」
 大交易所にあるジュリアナ・ワークの豪邸は、外から見れば3階建てだが、中に入ると4階建てになっている。秘密の中二階で色違いのスーツの双子が笑う。くせっ毛の白髪に、杖をついてはいるが、背はすらりと伸びている。背中合わせに座っているが、よく見れば椅子はない。互いの体を押し合って、双子のならではの阿吽の呼吸でバランスをとっている。
 赤いスーツのリーバーレー・ストライアが話す。
「ウンチダスとか言う謎の富豪が1億VIPをポンと100万ガルダに両替した後だ」
 緑のスーツのテーオー・ストライアが話を継ぐ。
「VIP売りの流れができて、大社長ヤー・ウィリーがSHWの通貨をガルダのみとすると発表したのは」
 胸元の大きく開いた、体のラインの出るぴっちりとした服にミニスカート。羽扇を仰ぎながら、茶髪をサイドテールにした娘が双子を見下ろす。
 ハイパーボーイズと呼ばれる全身黒タイツの手下たちが、組体操の要領でピラミッドを作っている。その頂点に座るジュリアナは熟慮して答える。
「つまるところ、手元のVIPをすぐにガルダに換えておかないと損をするわけですわね」
「そういうことだ。ヤーの後塵を拝するのは癪だけど」
「VIPは国際通貨から転落したからね。では引き続きミシュガルドの開拓者どもから土地を買いたたいてくれたまえ」
 ストライア兄弟は近々、甲皇国、アルフヘイム共にトップが入れ替わると踏んでいる。そのときSHWの新元首としてヤーの親族であるジュリアナをすえる。
 SHWは財産選挙制度であり、SHW株主総会において、持ち株比率に応じて投じることができる票数が割り当てられる仕組みだ。金持ちほど有利なわけである。ストライア兄弟はそのためにジュリアナに投資し、金の稼ぎ方を教育している。何度国家元首が替わろうとも影の政府であり続けるために。
23, 22

  

 皇帝クノッヘンは老いたとはいえ、耄碌したわけではなかった。
 亜骨大聖戦と呼ばれた出口の見えない戦争では、タカ派丙家の当主ホロヴィズを使い軍制改革を断行し、アルフヘイム上陸を果たしている。
 また、禁断魔法により戦争継続が不可能と見るや、ホロヴィズを退け、ハト派乙家を重用して停戦までこぎつけた。
 ただ変動相場制という新しい概念を理解することはできなかった。
 VIP相場のレートはいまや1ガルダが210VIPのVIP安ガルダ高で推移していた。
 VIPの価値が半分に下がったということは、食料自給率の低い甲皇国にとって、食料品の物価が2倍に跳ね上がることを意味している。
 甲皇国はVIP暴落の対抗処置として、あろうことか質を落としたVIP金貨を大量に流通させた。


 1月19日、首都マンシュタイン、グデーリアン城、皇帝執務室。日は昇っていたが寒く、皇帝クノッヘンは厚着をして政務に取りかかる。秘書からインフレの詳細を記す報告書を受け取り、目を通したそのときだった。クノッヘンはショックを受け仰向けに倒れると、後継者を指名することなく息を引き取った。甲皇国の最も長い1日が始まる。
 甲皇国駐屯所資料室、甲皇国の女性将校が意見書の作成途中で休憩していた。つむった右目を押さえ眉間にしわを寄せる。片方の目に負担が集中しているのかもしれない。
 気分を変えるために、自分の執筆した従軍記を読み返してみたが、すぐに本を閉じた。続きを書くにはまだ時間が必要だ。傷が乾ききるくらいの時間は。
 連隊司令部にて、スズカ・バーンブリッツは完成した意見書を直属の上官であるゲル・グリップ大佐に手渡した。ゲルは意見書をパラパラとめくると、すぐにスズカに突っ返した。
 近年、戦争による後天的な不具者もさることながら、環境破壊の影響による先天的な不具者が増加している。加えて甲皇国女性の合計特殊出生率はついに1.0を割り込んだ。戦争に取られると分かっていて、子を産みたがる女性がいるはずもない。
 スズカは対策として、一夫多妻制を民衆のレベルまで広めることを提案している。国が亜人の性奴隷を民衆に安値で払い下げるというものだ。
 熟読しなくてもスズカの言わんとしていることは分かっている。要はホロヴィズの進める軍隊の機械化に反対なのだ。機械兵が軍隊の中核になれば、人口減による兵力不足の問題は一挙に解決する。しかし、今まで兵力不足のためやむなく許可されていた、女性軍人の地位は危ういものとなるだろう。
 ゲルは右目の傷を髑髏の面で隠している。スズカは左目のやけど傷を隠さない。ゲルはその理由を知っている。女だから傷を隠しているとは絶対に言われたくないのだ。
 ゲルは制帽を正し、黒板にホロヴィズ将軍のここがスゴい! と大書する。軍制改革を断行し、忠誠心の低い傭兵から徴兵制に完全移行した。アルフヘイム上陸作戦を立案し、成功させた。機械兵の実用化。ゲルは黒板が文字で埋まるまで箇条書きする。
 スズカにとってゲルはやりやすい上官ではあったが、ホロヴィズを信奉しすぎている。こんな手は使いたくなかったが、感情に訴えるしか手はなかった。
「私は亜人どもが人間を性奴隷にしているという情報をつかんでいます。それでも亜人奴隷を活用することに反対ですか」
 スズカは一個人の体験を拡大解釈して、あたかも高貴な人間が奴隷にされているという話をでっちあげた。元ネタはスズカの知り合いの奴隷商ボルトリック・マラーが若いころ男娼をしていたというだけの話だ。
「かつてのホロヴィズ将軍ならば喜んで亜人奴隷を腹ませよと命じたはずです」
「分かった、再考の余地がある問題だ。秘書官に掛け合ってみよう」
25, 24

  

 ゲルはホロヴィズの秘書官シュエンと仕事以外の会話を交わすことがなかった。だからこの日も唯一の接点である喫茶店にシュエンを呼んだ。シュエンはゲルの渡した意見書に目を通している。ゲルは黙々とイチゴパフェをほおばっている。
 読み終わったシュエンは黙ってデコデコとクリームで飾り付けられたパンケーキを崩す。
 幼少期、親がいない寂しさを紛らわすように、二人の孤児は甘いものを欲した。肉親の情に飢えた二人は、今でも甘いものを求めるのである。
 パンケーキを食べ終えたシュエンは簡潔に指示した。
「こういうゴミをいちいち持ってこないでよ。僕も暇じゃないんで」
「しかし、亜人への報復としても良い案だと思うが。高貴な人間が奴隷だったという極秘情報をつかんでいるんだ」
 シュエンは高貴、奴隷、極秘というキーワードからまったく別の事案を連想した。それは丙家の中でも限られた人間しか知りえない真相。
 丙家が次期皇帝に押すユリウスは、皇后エレオノーラの息子である。甲皇国首都マンシュタイン空襲のおり火竜レドフィンを撃退して名を上げ、民衆からの人気も高い。その最も皇帝に近い男ユリウスのアキレスけんは出生の秘密にあった。
 ユリウスは奴隷を飼っていた。今では傭兵騎士まで成り上がっていて、名をアウグストという。アウグストの父はハイランド王ゲオルク、母はエレオノーラだと言うのである。これだけでも大きなスキャンダルだが、皇帝はユリウスもまたゲオルクの子ではないかと疑っていた。
 シュエンは情報が広がるのを恐れ、ゲルに釘を刺した。
「ゲル大佐にとって、ホロヴィズ将軍は育ての親だったと聞きます。ホロヴィズ将軍はこの意見書の抹消を望むでしょう。忠義を尽くしてください」
「命令に忠実であることは忠義の中でも、下の下。上官が間違ったとき、命をとしてお諫めすることこそ真の忠義」
 シュエンはホロヴィズに至急連絡をとった。「ゲル・グリップ大佐に翻意あり」と。
 スズカのもとにも刺客が放たれた。
「あんた、民衆に性奴隷を恵んでくれる案を出したらしいじゃねえか」
「だったら、まずは自分の体でお手本を見せてくれよ」
 下卑た顔の二人組が近づく。
「貴様ら、どこの部隊だ。上官侮辱罪は銃殺だぞ」
 スズカは拳銃を抜いて、威嚇に一発撃った。二人組はひるまず、拳銃を持つ右腕をつかんだ。即座に射殺するべきだったと後悔したスズカは、銃口に指を詰められていたものの構わずに引き金を引いた。拳銃が暴発し、左手を吹き飛ばされた男がのたうち回る。
「憲兵は何やってる」
 スズカは大声で呼ぶが助けは誰も来ない。窓の外に憲兵の腕章をつけたツインテールの女性士官、ダスティ・クラムを見つける。ダスティは札束を数えるのに忙しく、聞く耳もたない。憲兵はすでに買収済みだ。スズカは自分が売られたことを悟った。
 相棒をカタワにされた男は、助けを呼ぶスズカに興奮して、ナイフを抜いた。スズカも軍刀を抜く。相手は右手のナイフを腰骨より前方に構える。スズカは両手で柄を握り、左腕をわずかに曲げて剣先で相手ののどをとらえる。相手が右足で踏み切り、スズカの肩にナイフを突き出す。スズカは左足を送り、右にさばく。相手は胸、腹と続いて突く。防戦一方のスズカの脳裏に、最後まで軍人になることに反対した父の顔がチラつく。
 下からすくい上げるように突かれたとき、相手の姿勢が崩れた。その隙をスズカは見逃さなかった。下腹に力を入れ、左足を大きく一歩踏み出すと同時に、左斜め上方から円弧を描くように斬り下ろした。相手は右胸から左膝まで切り裂かれ、絶命した。
 本来、白兵戦をすることがない将校に格闘技術は必要ない。しかしスズカは左目のやけど傷を戒めとして、戦闘訓練を欠かすことはなかった。このような形で活かされることにスズカは不本意だったが、味方から逃げるために大いに役立った。
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 甲皇国駐屯所総司令部で軍団を引き連れた丙武がホロヴィズに報告する。
「スズカ・バーンブリッツは取り逃がしたが、ゲル・グリップを逮捕拘禁した」
「彼奴らはカデンツァ派のクーデターの主犯として処理しろ。皇位継承者が一人減って、一石二鳥だ」
「一石三鳥だ。おかげでこちらのクーデター計画がカモフラージュできた」
 ホロヴィズは理解が追いつかず、小首をかしげる。丙武はホロヴィズが飲み込めるように単刀直入に言う。
「孝部卿(防衛大臣に相当)として命じる。ホロヴィズ将軍、あんたを更迭する」
 控えていた丙武軍団がホロヴィズを連行しようと両脇を抱える。
「武! 血迷ったか!! お飾りの文官ぶぜいが」
 ホロヴィズは悪罵を吐きながら丙武軍団に連行されていった。
「あんたは後ろ盾の皇帝が死んだ時点でお払い箱なんだよ。そして俺はこのときをずっと待っていた。皇帝が空位になり、八部卿に実権が伴う一瞬を。|文民統制《シビリアンコントロール》って奴だ」
 陸軍の掌握は丙武のシンパが多く容易かったが、海軍は難しい。しかし空軍はともかく、ミシュガルドの支配に海軍の協力は絶対に必須だった。そこで丙武は甲皇国本土のペリソン提督にあらかじめ打診しておいた。「海軍の至宝が号令すればすべての提督が付き従うだろう。あんたは海を支配しろ、俺は陸軍の全権を握る」と。
 軍を掌握してしまえば、皇帝は誰であっても構わないのだ。丙武は傀儡の皇帝として昼行燈で有名なカールを担ぎ上げるつもりだった。
 ペリソンの返事を待つ丙武のもとに伝令が駆け込む。
「大変です。ペリソン提督が退役なされました」
 丙武はつい声をあらげた。
「なんだと。これがあんたの答えか」
 ペリソン提督はどの政治勢力にも属すこともよしとせず、ついに誰にも利用されず軍人人生を全うした。


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