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15章 デモンズコア

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 男の決意に水を差してはいけない。メゼツは何も言わずダートを見送り、一行は甲皇国の勢力圏内の森から脱出した。


 もうしばらくは森に行きたくはない。予定を立てず大交易所でのんびりとすごそう。今は暖かい部屋の中でぐっすりと安眠したい。
 メゼツは貧民街で間借りしている部屋の固いベッドに潜り込んだまま、うつらうつらしながら考えている。もうお天道様はとおに真上を過ぎたのだろう。外が騒がしい。
 部屋の戸を叩く音ですっかり目が覚め、ベッドからはい出たメゼツは眠気まなこのまま戸を開ける。と、戸口にスズカが立っていた。
「これはどういうことなの!?」
 起き抜けに新聞紙を投げつけられ、身に覚えのないことをまくしたてられる。
 まだ頭が覚醒してないらしく、スズカの言葉が耳に残らない。
 頭は働いていないが体は自動的に日々の日課をこなしていく。ラプソディからもらったプロテインをミルクに溶かし、よく混ぜる。ダマを荒く潰して、粉っぽいミルクをぐいっと一息に飲むつもりだ。ウンチダスの体は手がないのでストローで吸うが、シェイクよりもドロドロなそれはなかなかストローを上がってこない。これも肺活量を上げる訓練だという気持ちで顔を真っ赤にしてしゃにむに吸った。けしてうまいものではないが、これが筋肉に変わる。
 ベッドの柵に足をかけ、腹筋を始める。起き上がるたびに左右にひねり、それで一回。100回やるつもりが90回しかできなかった。ウンチダスの体になってみて、初めて肉体強化に頼り切っていたことを痛感する。
 腕がないので拳立て伏せと懸垂ができず、かわりにスクワットをやった。
 足の指でタオルをつかみ、器用に体の汗を拭く。
 シャツを着ると肩がないせいでずり落ちてきて、左胸があらわになる。
 顔を背けたスズカがメゼツの顔に別の新聞を投げつけた。
「何枚持ってんだよ。俺新聞なんざ読まねーぞ」
「いいから! ざっとでも目を通してみなさい!!」
「なになに、クラーケン新聞? テロリストの正体はメゼツぅ!? どういうことだ!!」
「私が聞いてるのよ!」


 市街地におけるテロ行為が近年増加傾向にある。今年に入ってすでに12件のテロ事件が起こり、被害総額は7500億Vip、死傷者ののべ人数は438人に及ぶ。事態を重く見たSHW経営陣は三大国共同の調査を提案したが、アルフヘイムはテロを甲皇国の意図によるものと拒絶。三大国の足並みがそろわず、テロ対策は各国単独で行われることとなった。
 というのもテロリストが犯行声明で自分はメゼツ少尉であると名乗ったことが原因とされている。甲皇国はメゼツ大尉(甲皇国は名誉の戦死による二階級特進を強調していた)は大戦中の禁断魔法により死亡していると説明し、少尉の関与を否定した。
 テロの目撃情報によると、確かにメゼツ少尉に似ていたという話が多数報告されている。


「甲皇国広報はメゼツは死亡していると嘘をついているけど、あなたは生きている」
「なんだよ、疑ってんのか?」
「疑ってはないけど、他の仲間に誤解を与えるわ。ドッペルゲンガーの仕業とか少しは弁明したらどうなの」
「ドッペルゲンガーってあの危険度シャルフリヒターの魔物のことか。確か触った奴にそっくりに化けるって言う、ああああああああああああぁぁぁぁぁぁ」
 ようやく頭が働きはじめたメゼツは唐突に叫んだ。
「ちょっと。いきなり大声出さないでよ。何?」
「あいつのせいだ。黒騎士の手下にクラウスに変装してた奴がいたろ」
「そっか。あのコラウドとかいう人があなたに変装して悪事を働いているわけね」
「あんにゃろー。スズカー!次にテロの標的になりそうな場所は分かるか」
 スズカはミシュガルドの地図をテーブルに広げた。ミシュガルド大陸南海岸の西のほうに甲皇国軍駐屯所、その北東側に川をはさんで甲皇国入植地ガイシ、北北西側にはリブボーン鉱山がある。南海岸の東のほうに大交易所、さらに東を流れる銀の河を北に遡上するとテレネス湖。テレネス湖西部の森深くにアルフヘイムアーミーキャンプがある。地図にはそれ以外の場所は記されていない。記述があるのはほんの南の端だけで、北側の大半は未開ということである。
 スズカは新聞に目を通しながら、甲皇国駐屯所とガイシの間に×印を書きこむ。これは13日前にエルカイダによって引き起こされたミシュガルド鉄道鉄橋爆破テロの起きた場所だ。駐屯所に二つ、ガイシに三つ、大交易所に五つの×が付いた。スズカはアルフヘイムアーミーキャンプの上に×を書こうとして手を止める。
「ここはいいか。アーミーキャンプテロは甲皇国軍の特殊工作員のしわざだし。とするとガイシのオツベルグ邸テロとカール邸テロも除外ね。ウルフバードのしわざだから。結論、大交易所がエルカイダテロの大半の標的になってるわね」
 続いて大交易所のパンフレットを取り出した。店の名前まで細かく書き込まれた地図のページを開く。
 大交易所駅、合同調査報告所前駅、その間の区間の線路、大交易所外港馬車ターミナル、地下闘技場。五つのバツ印を書き入れて、スズカは結論を述べた。
「やはり不特定多数の人間が集まる所、公共の場所、特にミシュ鉄がらみがよく狙われる傾向にあるようね。ただしミシュ鉄も近年警備が厳しくなっているから、次狙うなら、例えば大交易所駅西口公園とか。合同調査報告所そのものを狙ってくる可能性もあるわね。あとは今日野外コンサートがあるミシュガルド広場。この三か所に搾って待ち伏せしたら。3人で手分けして、エルカイダが現れたら他の仲間を呼ぶってことで」
「3人? ちょっと待て。俺にスズカにサンリにもうひとりいただろ。あのエルフの」
「ラビットならもうあなたについていけないと言っていたわ。まあ、あの娘も私も今まで成り行きであなたに従っていただけだし、しょうがないわね」
 大交易所アルフヘイム大使館。アルフヘイムアーミーキャンプが消失したため、ミハイル4世以下高官たちが仮の行政府を設置していた。
 大使館の地下深く、高官の中でも族長クラスしか知らない秘密の小部屋。ただ一つの物を隠すためだけの何もない強化魔法コンクリートの5メートル四方程度の空間。
 部屋の中央におびただしい数の魔紋、魔法陣、護符が張られた暗血色のクリスタルが安置されている。
 よほど多重結界を過信しているのか、警備のエルフは誰もいない。
 誰もいないはずの部屋にいつからいたのか、室内でも日傘を差した変わり者のエルフの令嬢が暗血色のクリスタルにそっと手をかざしている。
 青いロングヘアにそろいの青い薔薇飾りのカチューシャ。ゴスロリ調のドレスは肩から背中が大きく開いていて、かわいらしい翼が飛び出ている。とがった耳と合わせて考えるとエンジェルエルフであることがうかがえる。
 黒い手袋をした手で魔紋をパズルのように組み換え、魔法陣を書き換えていく。
 魔紋が変色し、魔法陣が明滅し、護符は風化していく。
「結界は万能ではないわ。まったく何度同じ過ちを繰り返すのかしら、あなたは」
「この場所で何をしている」
 自分の施した多重結界の異変を察知して、後ろから魔法で狙い撃とうとニフィルが杖を構えている。
「2度も失敗したあなたでは使いこなせないでしょうから、私がこのデモンズコアは有効活用させてもらいます」
「確かに亜骨大聖戦の時は失敗だった。だがアーミーキャンプが甲皇国に襲撃された時はデモンズコアは使っていない」
「気づいていなかったのね。確かにデモンズコアはなかったけど、あの場に器があったことを。そんなことも見抜けないあなたではデモンズコアは使いこなせない。|魔素《マナ》の制御は私が上なのに、なんであなたなんかが選ばれたのよ」
「単純に私の方が|魔素《マナ》の総量が大きかったからだろう。亜骨大聖戦の時はあれで加減していたんだ。デモンズコアに私の魔力をすべて込めた場合、この星が割れてしまう。スイカ割りのように」
 ニフィルの言葉は誇張でも自画自賛しているのでもなく、淡々と分析でもするかのようだ。
「知っていますのよ。当時私も候補に挙がっていたのをあなたが族長会議で猛反対したって」
「あれは、ソフィアに禁断魔法の術者として歴史に汚名を残して欲しくなかったから」
「ま、白々しい。あなたが腐森の巫女と罵られるのは、禁断魔法を失敗してアルフヘイムの森を汚したからよ。私はそんな間違いは侵さない!」
 ソフィア・スブリミタスが手を掲げると暗血色のクリスタルが浮き上がる。
 ニフィルは構わずの加減した弱い魔法を放った。ソフィアは片手でそれを受け止めると魔法の効果をかき消す。心底失望した目で一瞥すると、あとは目もくれず瞬間移動魔法、参軸転身でクリスタルごとどこかへ消えた。
 取り残されたニフィルの目を覆う布に濡れたシミが広がっていく。ついにはほほを流れ落ちた。強すぎる魔力を制御できるのか、加減を間違えればソフィアを殺してしまうかもしれない。2度の失敗で自信を喪失していたニフィルはソフィアの足止めさえできなかった。
81, 80

  

 ミシュガルド広場。大交易所の中央に位置するこの広場は休日ということもあり大勢の人でにぎわっている。人が集まるのを当て込んで、ローパーの串焼きの出店や旅の行商人が場所を取り合っていた。
 メゼツはテロリストが潜んでいないか目を配りながら、あたりを散策する。怪しい人間はいない。いや、いるにはいる。行き交う人々に握手を強要している妙な男が。
「ミシュガルド広場で僕と握手!!」
 手のないウンチダスの体では握手が出来ず、男はあきらめて他の人のところへ行く。あれも十分怪しいがテロリストには見えない。たぶん大道芸人かなんかだろう。
 広場中央の特設ステージにぼちぼち人が集まり、ギターの音色が聞こえ始める。無事に始まったということはこちらはハズレだったのか。
 メゼツはテロリストが出ないほうがいいんだと考え直して、野外ライブを見てから帰ることにした。
 褐色肌のギタリストがチューニングをしている。パーカーのフードから黒い四つの兎耳をぴんと立てているところを見ると黒兎人のようだ。
「俺一人ぐらい……音楽でクソみたいな世界を変えようなんてほざく馬鹿が居たっていい……」
 その黒兎人はそこにいないはずの誰かに向かってつぶやくと交響曲第7番国父クラウスのギターアレンジバージョンを弾き始める 
 交響曲の中で唯一歌詞があるのがこの国父クラウスだ。
 まだ駆け出しのミュージシャンのようで誰に聞いてもこのミュージシャンの名前はわからない。
 熱心に曲を聞いている同じ黒兎人がダニィ・ファルコーネという名前だと教えてくれた。
 黒兎人の間では有名なのだろうか。それともこの黒兎人が熱心なおっかけなのだろうか。
 視線をダニィからそらさないところをみると熱心なおっかけに見えるが、貫禄のある髭面に襟元に彼岸花の刺繍が入った黒い服でミーハーな雰囲気はない。黒兎人族の特徴である4つの兎耳のうち、ひとつだけ兎耳が千切れている。どこかであった気もするがメゼツは気にも留めなかった。
 一曲目を弾き終り、ダニィはテンションも最高潮。パーカーを脱ぎ捨て上半身裸になった。引きしまった肩にはあでやかな彼岸花のタトゥー。
「今日は特別ゲストにも来てもらった。紹介する……」
 招き入れたダニィはゲストが知らない男に変わっていて仰天した。
「国政を顧みず享楽と退廃にふける愚かな者どもよ」
 この場にそぐわない黒い鎧の男の登場に会場は一時騒然となった。メゼツだけがすぐに行動に移る。発煙筒をつけ、他の場所に張っている仲間にシグナルを送った。血の気の多いメゼツは仲間を待たずして、舞台の上に飛び上がり黒騎士と対峙する。
「おい、てめー。俺のまねっこしてるコラウドって奴はどこだ」
「フッ、とんだ濡れ衣だな。コラウドよ」
 黒騎士が呼ぶと、コラウドたちエルカイダのメンバーがカーテンコールのように横一列に舞台の上に並んだ。黒騎士の左右を鳥の亜人ササミと人魚の亜人コツボが堅め、その右隣に動く森のような亜人ブッコロリ・カリフロウ。甲虫を思わせる亜人ルビート・スタッグ、熊のように毛むくじゃらな獣人のロー・ブラッド、タンクトップのマッチョなエルフ、ヴァーミリオン・ヒヤシンスが一番右端にいる。左側には顔を薄いヴェールで隠した妖艶なエンジェルエルフ、ニツェシーア・ラギュリ、鬼人アクティ・ノディオ、ウッドピクス族の巫女ワトソニア。引きしまった体にボンテージを着たキリンの亜人、キャッチ・ホールド、神隠しのスアロキンと続く。左端に並んだコラウドはいつもの赤いベレー帽に無表情な顔をしている。
「あれっ、俺に変装してねーじゃん」
 メゼツの疑問に答えるように黒騎士が兜を脱ぐ。久しぶりに見た顔が目の前にあった。
 短髪の赤毛、三白眼の下の魔紋、不敵な表情。それは禁断魔法で消し飛んだ、かつての自分の姿だった。
「私がメゼツだ」
「そんな馬鹿な。鎧の中身はからっぽだったはずだ」
 アルフヘイムアーミーキャンプでの闘いにおいて、メゼツは黒騎士の兜を弾き飛ばし鎧の中を見ている。
「からっぽではない。私は亜骨大聖戦の最終局面、あの忌まわしい禁断魔法により肉体と魂が分離してしまったのだ。魂だけが鎧に宿っていた状態だったが、貴様と同じ方法で肉体を得た。メゼツ、貴様の肉体を使ってな」
 黒騎士がウンチダスの体の自分をメゼツと知っていること、自分と同じ方法で肉体を得たこと、すべてが驚くことばかりだった。何よりも亜骨大聖戦において禁断魔法により消失したメゼツの体をどうやって再生したのか。
「どーせ作り物の体だろ。俺の偽物なんてこさえやがって」
 ニツェシーアがメゼツの不安を見透かすように語り始めた。
「黒騎士様の体は本物のあなたのカ☆ラ☆ダ。禁断魔法で四散したあなたの体、集めるの大変だったんだから。あなたの破片は禁断魔法の影響で生きた人間やら獣人の体に入り込んでしまってて、切り取るのに苦労したわー。で~も~、愛しい黒騎士様の魂が憎いメゼツの体に宿っているなんて、と~ってもア~ンビバレンツぅ」
「しかも世界を変えるために禁断魔法の自爆テロもやっちゃうんだからねー」
 純粋にそう信じてて疑わないコツボがうっかり口をすべらせた。
「禁断魔法!? 自爆テロ!?」
 ササミが慌てて手羽先でコツボの口をふさぐ。
「ちょっとコツボ、即ばらしてんじゃないわよ! ほんとおっぱいあるやつって馬鹿」
「ごめ~ん、トリちゃん。てへ☆テロ」
「コツボ、ササミ。構わん、構わん。どうせ禁断魔法を止めるすべはないのだからな。」
 禁断魔法というヤバいワードが出てきてようやく、観客たちは野外ライブの演出じゃないことに気づいて逃げまどい始めた。
「愚かな。禁断魔法の攻撃範囲はこの大交易所をゆうに超える。どこに逃げ場があるというのか」
 メゼツは観客たちとは反対にまっすぐ黒騎士の体のど真ん中目がけてつっこんだ。
 以前ならば跳ね飛ばされていたに違いない。毎日の筋トレと竜人族秘伝のプロテイン、メゼツの日課は報われた。
 体当たりを受けた黒騎士の胸部装甲にひびが入っている。
 鎧の胸部が崩れ落ち、中から目のようなものがのぞいている。心臓のように脈打つ暗血色のクリスタルはぎょろりと一つ目を動かしながら、貪欲な生き物のようにかつてのメゼツの肉体に巣食っている。
「なんだ、これ……」
「私が黒騎士に埋め込んだデモンズコアよ」
 参軸転身で瞬間移動し、ふわりと上空から舞い降りたソフィアが説明した。
「デモンズコア!?」
「亜骨大聖戦の終盤にもあなたの体にしかけられていたのにおぼえてないの?」
 メゼツにはまったく身に覚えがなかった。あんな気味の悪いものが自分の体の中にあったなんて思いたくはない。
「ハーハッハッハッハッハ、本当に覚えてないと見える。ソフィアよこいつに真実を教えて絶望させてやれ」
 高笑いしながら黒騎士は禁断魔法発動までの余興をソフィアに任せた。


 禁断魔法は通常の精霊魔法とは真逆の発想の魔法である。精霊魔法が精霊を活かす魔法ならば禁断魔法は精霊を殺す魔法だ。
 精霊に急激に大量の|魔素《マナ》を送り込んだ場合、精霊は|魔素《マナ》を放出する前に臨界状態に達し破裂する。そのときばらまかれた|魔素《マナ》が別の精霊を臨界状態し、以下連鎖反応を繰り返す。連鎖は一帯の精霊を殺しつくすまで続き、精霊の加護を失った死体の山と腐れた森だけが残る。
 それが古語学者ハルドゥ・アンロームがミシュガルド聖典を解読することで得られた理論だった。
 しかし理論からすぐに禁断魔法の実行へと飛躍できるはずもなく、ビキニタウンでの実験以降、禁断魔法の復活は暗礁に乗り上げた。
 禁断魔法の生成過程において重大な矛盾があったからである。
 連鎖反応を持続させるには精霊の密度が高い状態が望ましい。が、精霊は魔素を嫌う性質がある。精霊を臨界にするために魔素を高めれば、精霊はこれを嫌って逃げてしまう。精霊の密度は薄くなり連鎖が続かなくなってしまう。
 この矛盾を解決したのがゼロ|魔素《マナ》体質の人間とデモンズコアだった。
 デモンズコアは自体は|魔素《マナ》を保存するただのクリスタルに過ぎない。ウッドピクス族が持つ死者の|魔素《マナ》をクリスタルに閉じ込める技術や、魔法監察庁のタリスマンと同じで|魔封水晶《マウグ》を材料にしている。しかし、ゼロ|魔素《マナ》体質と呼ばれる生まれつき|魔素《マナ》を持たない人間と組み合わせることにより悪魔の兵器へと変わる。
 デモンズコアの容量は禁断魔法を引き起こすために十分な|魔素《マナ》を溜めこむことができる。これを器となるゼロ|魔素《マナ》体質の人間に埋め込むことによって、|魔素《マナ》のない体の中に臨界に十分な|魔素《マナ》を溜めこむという矛盾した状態を作り出すことを可能とした。
 ゼロ|魔素《マナ》の体で精霊を引き寄せ、精霊の密度を高い状態に保つ。そしてデモンズコアに蓄えられた|魔素《マナ》が解き放たれれば、禁断魔法は発動する。器になった人間の命と引き換えに。


 ソフィアはメゼツにでも分かるように禁断魔法の初歩知識から教える。メゼツはそれでもよくわからず聞き流していたが、説明に知っている名前が出てくると自分の耳を疑った。
「亜骨大聖戦の時は最初は器となるのはゼロ|魔素《マナ》体質だったハルドゥ・アンローム自身に決まっていたのよ。禁断魔法の解明に非協力的だったというだけの理由でね。ところがハルドゥの娘ハレリアにもゼロ|魔素《マナ》体質が遺伝していたことが次なる悲劇を生むことになったわ。ハルドゥを禁断魔法の研究に協力をさせるため、ハレリアを器にすると脅したのよ。ハルドゥはついに折れ、禁忌に触れる重要な一文を解明した。そして捕虜の中で唯一ゼロ|魔素《マナ》体質だったメゼツ、あなたにお鉢が回って来たのよ。肉体強化した体は器として申し分なかったし。あなたは亜骨大聖戦の時にハレリアを助けたことがあると聞いたけど、助けた子の父親にあなたは売られたのよ、間接的にだとしても」
 タフなメゼツもこの真実だけは受け入れられない。
 黒騎士は追い打ちとばかりにメゼツをあおる。
「私も頭のなかで死者の声が聞こえ続ける禁断魔法の後遺症で苦しみ続けているから、貴様の苦しみは痛いほどわかるぞぉ。可哀そうになぁ、メゼツ。人間を助けたら、恩をあだで返されてスケープゴートにされたんだからなぁ」
(俺が禁断魔法の器? ハルドゥ、ハレリア? 俺は……何なんだよ。何のために? 分からない)
 体が弛緩していく。無力感がメゼツを飲み込む。三白眼に辛うじて残っていた光が消える。もう戦えない。
「フハハ、いいぞぉ、その表情。もっと絶望しろ。この世界は腐っていると知れ」
 黒騎士は今生の最後の思い出に余興を存分に楽しんだ。そしてメゼツの牙が抜かれるのを見届けると、割れた鎧の胸部を大きくこじ開け、デモンズコアに|魔素《マナ》を注ぎ込むようにエルカイダの幹部たちとソフィアに指示した。底の抜けたバケツに似た形の帽子をかぶった青髪ポニテのエルフの娘、スアロキンが手のひらをデモンズコアに向け|魔素《マナ》を送り始めた。紫の髪から大きな角を生やしたアクティもササミやコツボとはしゃぎながら|魔素《マナ》を送っている。
「魔法はね、エルフだけのもの。あなたのような下等な種族が用いていい力ではないのよ」
 ソフィアがアクティを遮る。今回こそは自分が禁断魔法を発動したかったのもあるが、ソフィアにはエンジェルエルフ特有のエルフ以外を見下すところがあった。
 ソフィアとアクティがどちらが|魔素《マナ》を送るかで口論している。
 黒騎士はエルカイダの思想を理解していないソフィアを協力者としたことに一抹の不安を感じ始めていた。ひとりマジメに|魔素《マナ》を送り込んでいたスアロキンに尋ねる。
「スアロ、お前が従えているイルカは未来が記されているというアカシックレコードの案内人なのだろう? この先起こることを聞いてくれないか」
 スアロキンはこくりとうなづくと肩に乗っかっているイルカに教えを乞う。
「何を知りたい」
「お前を消す方法」
「404NotFound」
 いつも答えは同じなのにスアロキンは同じ問を繰り返してしまう。得意とする神隠しの魔法でもこのイルカだけは消せない。
 いつものやりとりを終えスアロキンは黒騎士の要求したこの先起こることについて聞いた。
「メゼツの選択によって世界は変わる。メゼツが賢者を呼びに行けばメゼツは消える」
 黒騎士はイルカの予言の意味の分からない部分を聞き返した。
「メゼツとはどっちのことだ。メゼツの魂を持つウンチダスのことか? メゼツの体を得た私のことか?」
 スアロキンが首を振る。
「そいつの発言は話半分に聞いたほうがいいですよ。嘘を平気で混ぜてくるから」
 黒騎士は気になって今度はニツェシーアに占わせてみた。
 ニツェシーアはタロットカードを取り出し、黒騎士に一枚引かせる。カードを裏返すとそれは悪魔の描かれたカードだった。
「正位置の悪魔。意味は裏切り、堕落、悪循環、憎悪、嫉妬心、憎しみ、恨み、憤怒、そして破滅」
「ニッチェの占いはいつも抽象的すぎて意味がわからないな」
 黒騎士は未来予知の能力があるファルにも聞いてみた。
 中性的な顔立ちの青髪を三つ編みに編んだエルフ、ファルはかつて禁断魔法により失われた両腕を隠すように大きなひとつボタンのマントをひっかぶり、おどおどしながら答えた。
「未来……すこしなら……見えるけど」
「ああ、ほんの少し先の未来しか見えないんだったな。それでいい、教えてくれ」
 黒騎士はファルを怖がらせないように、声のトーンを抑えてしゃべる。子どもにふれあうようにやさしく。
「握手マニアが黒騎士様を襲うのが見えるよ」
「握手マニア?」
 普段着に不釣り合いのいわくありげなロングソードを振り上げて、ライブ客に握手を求めていた男、コーラクエン・ボクトアクシュが舞台上に駆け上がる。狙うは黒騎士の首ひとつ。他の幹部をいっさい無視して一直線に叩きつけるように剣を振り下ろす。クールそうな眼差しに隠した正義感が火を噴いた。
「ギガブレイク!!」
「ぬわー」
 黒騎士はデモンズコアに魔素を受けていて動けない。
 「くそっ、ヒヤシンスは何をしている」と黒騎士はハゲの中ではイケメンの部類に入る幹部の顔を見て叫ぼうとした。しかし叫んだところでヒヤシンスの立っているのは舞台の右端、ヒヤシンスの武器である巨大なハサミを持ってしても間に合わない。
 黒騎士は舞台の中央にいる自分に一番近そうなブッコロリ・カリフロウのほうをちらりと見た。暗赤色のアフロヘアに木のうろのように深い眼窩、手足の長いこのキャベジン系アブラナ族の若者ならばあるいは。いや、ダメだ。手に持つ獲物が手斧ではやはり届かない。手斧を投げさせればどうかとも思ったが、思い直した。
 同じ飛び道具ならフメツにクロスボウを撃たせればいい。ドワーフ族の特徴である低身、巨顔。フメツ・バクダンツキは甲皇国の小銃の機構からヒントを得て、力の弱い者でも撃てる機械仕掛けの弓を開発した。酸いも甘いも知り尽くした年配の小男はすでにコーラクエンに照準を合わせている。
 しかしコーラクエンを狙うフメツのクロスボウの射線上には獣人のロー・ブラッドの大きな体があって撃つことができない。ローは失明の原因となった古傷が両目にあり、声をかけなければ射線上にいることに気づかないだろう。だが、もうそれも間に合わない。
 他の仲間、例えばルビートやスワロキンは命令に忠実ではあるが、積極的に行動するタイプではない。
 大量破壊魔法によるテロの成功を目前にして浮足立っていたのか、自発的に黒騎士を守ろうと動くものは誰もいかった。
(もしかして、ピンチなの?)
(ああ、助けろ)
「うんぼくわかった」
 一瞬で意思疎通したコラウドは身を盾にするようにコーラクエンと黒騎士の間に強引に割り込み、渾身のギガブレイクをまさよしで受け止めた。
 威力を殺し切れず、舞台の床が抜け、コラウドの体が沈み込む。
「このコーラクエン、悪党どもに差し伸べる手は持たん。世界の平和は俺が守る!!」
 危機的状況に際して究極の剣技ギガブレイクの威力はいやがおうにも上がっていく。
 その威力は舞台を突き抜けて、広場の石畳をクモの巣状に割った。
 コーラクエンはあと一息でコラウドもろとも黒騎士を倒せるところまで追い詰めていたが、ようやく状況を理解したブッコロリが背中にむけて手斧を振り下ろしていた。
 コーラクエンはいったんコラウドを振り払い、その勢いを殺さずに半回転、手斧の柄を斬った。手斧の頭が手裏剣のように床に突き刺さる。
 ブッコロリは残った柄を捨て、突き刺すような鋭い拳でコーラクエンの腹をえぐった。素手とはいえアブラナ族の拳は丸太のように堅い。
 コーラクエンはこみ上がる胃液を吐いてのたうち回った。
 他の幹部たちも次々と応戦しようと近づいてきている。
 射線が空いたフメツはコーラクエンの頭に狙いをつけて、クロスボウを放った。
 コーラクエンの眉間に突き刺さる寸前、矢が空中でピタリと止まる。
 フメツもコーラクエンも何が起きたのか分からない。ただひとりダニィだけが矢をつかんでコーラクエンを守った筋肉質なマスクマンを見えていた。クワァンタム・オブ・ソラス、ダニィにしか見えない守護霊。
 目が見えない代わり勘が鋭いローがこん棒を振りかぶり、矢を止めている者に振り下ろした。しかし地面に大穴が空いただけだ。
 スワロキンも神隠しの魔法を試みるが、敵が見えないので効いているのかどうかわからず、逆に至近距離からクワァンタムの牙をくらい戦闘不能に陥った。
 ブッコロリは自分の頭から生えた枝を切り落とし、床に突き刺さった手斧の柄の材料にする。柄が長くなりリーチの伸びた手斧を振り回し、つけ入る隙はなさそうだ。コーラクエンは素振りを20回もすれば手のマメがつぶれるほどの男だ。すでにギガブレイクを撃つ体力はない。
 ダニィがギターを鳴らすと、ブッコロリをマスクマンが掴む。
「俺は暴力は嫌いなんだ。だからこんなことはしたくないんだ。だがライブを潰された上に勇気ある男を大勢でなぶる残虐ショーを見せられて、泣き寝入りなんてできないじゃあないか」
「ありがてー、俺はあんたと手を結ばせてもらうぜ」
 いうが早いかコーラクエンが動けなくなったブッコロリにロングソードを突き立てる。
 ヒヤシンスはダニィを直接狙うため巨大なハサミを向けた。
「見えない攻撃とは卑怯、美しくない!」
 ダニィは筋肉質な体をしているとはいえ特に鍛えているわけではない。筋肉質は兎人族の身体的特徴なだけで、争い事が嫌いなダニィはケンカの経験すら少なかった。自身を直接狙われればひとたまりもない。
 ダニィは後ろに跳躍して逃れようとするがよけ切れず、ヒヤシンスのハサミがギターの弦を切り裂いた。
 ギターを弾くことによって顕現していたクワァンタム・オブ・ソラスは消えてしまう。
 エルカイダの幹部たちがにじり寄り、ダニィとコーラクエンは囚われてしまった。
「こいつらどうします?」
 フメツは黒騎士に指示を仰いだ。
「そんな奴はどうでもいい。それよりもメゼツだ。こいつには何をしでかすか分からない怖さがある。フメツ、新人3人を連れてきているな」
「居るが、まだ研修期間中だぞ!」
「これをもって最終試験とする。新人にメゼツを殺させろ」
 フメツは不承不承、見学していた3人の新人に黒騎士の言葉を伝えた。
「えー、ちょっと待ってくださいよー。それ全然笑えないですよー。エルカイダって芸人養成所じゃなかったんですかー」
 一つ目族と鬼のハーフの亜人カトーチャ・プリンはおどけてみせた。
「なにそれ超(ヤ)ベーじゃんマジベーな!」
 15才のエルフ、キャビーも人を殺せるようには見えない。
「このナイフで一突きにしろ。なに、気に病むことはない。死人が死人に戻るだけだ」
 黒騎士からナイフを受け取ったのは角の生えたショタ、アレンだけだった。
「ぼく、なんでもやるよ」
 ぬけがらのようになったメゼツならば研修を終えていない素人にでも殺せる。アレンが恐る恐るナイフの刃をウンチダスの体にあてがっても身じろぎひとつしない。ほんの少しナイフを動かすだけでメゼツの命は容易く失われることだろう。
「殺したり、犯したりすればいーの?」
 いまいちふんぎりがつかず、アレンはフメツのほうに振り返った。
「メゼツっ! 何してんだよ、こんな奴ら相手に!!」
 寸でのところでサンリが拳銃でナイフを撃ち抜く。ナイフを落としたアレンはおびえてフメツの背に隠れた。
 サンリは正気を失ったメゼツの肩を揺する。が、メゼツはひざをついたまま立ち上がろうとしない。
 事情を聞きながら来たスズカはメゼツに構わず、黒騎士に正対する。
「サンリ! そいつはもうほっときなさい。今はこの禁断魔法を止める!」
 黒騎士を守るように、ローとフメツが立ちふさがる。
 銃弾とボウガンの矢が飛び交うがスズカたちは黒騎士にたどり着けずにいる。
 メゼツはそれを目の当たりにしても何も感じない。
「マグロかよ」
 髭面の黒兎人の男はメゼツにかつての自分を重ねて罵倒する。
「いまさら俺が行ったところでどーにかなるのか」
 メゼツは力なくぼそりとつぶやく。
「てめぇはレイプされて泣き寝入りする生娘じゃあねぇだろ」
 スラングのきつい黒兎人語はよく分からないが、罵倒されていることは理解できた。メゼツの目に小さな光が灯る。無性に腹が立つ。黒兎人に対してではない。自分に対して。
「ふざけんな! ちょっと休憩してただけだ!! 黒騎士倒したら次はてめーだからな!!!」
 メゼツには今がすべてだった。今自分がしたいようにするだけだった。これからのことはこれから考えればいい。
 雄叫びをあげながら、一心不乱に突き進む。フメツのクロスボウの矢がビュウビュウと体を切り裂いていくが、痛みなんて感じない。ローがこん棒ついたに血液を結晶化させ槍の穂先を作り、メゼツに矛先を向ける。メゼツはひるまず、すり抜けて、その勢いのまま黒騎士のむき出しのデモンズコアに左足を突き入れた。
 足の裏に焼きごてを押し付けられたような熱さを感じ、雷に打たれたように身動きがとれなくなる。デモンズコアに向けてソフィアらが常に10万ボルト相当の魔素を送り続けていた。メゼツが足で取り出そうとすればたちまち|魔素《マナ》は逆流する。
「ちくしょう! |魔素《マナ》が邪魔で取り出せねえ!! |魔素《マナ》を止める方法はねーのかよ」
「ひとりだけそんな離れ技をやってのける奴を知っている。魔封の賢者と呼ばれる男だ」
 黒兎人はかつて共に戦った戦友の名を挙げた。ここまで自分が介入するのを黒兎人は我ながらおかしく思う。一度自分と重ねてしまってはほっとくこともできそうにない。
「だが、今から呼びに行って間に合うのか?」
「今はこの大交易所の魔法監察庁で働いているはずだ」
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┃>黒兎人が呼びに行く ┃→最終章 世界を救う10の方法 へすすめ
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┃ メゼツが呼びに行く ┃→最終章 世界を救う11の方法 へすすめ
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