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「この前指摘したのと同じミスだろう! 何度言ったら分かるんだ、大体……」
「失礼しますっ!」
 課長の激しい詰め。それ自体はいつものことだったが、詰められていた主任が突如声を上げて退出したので私は驚いてそちらを見た。
「なんだ、浅村。私の顔になにかついているのか?」
 課長がこちらの視線に気付いて名指ししてきたので、慌てて首をブンブン振る。
「と、とんでもないですっ!」
「ならとっとと仕事に戻れ! うちは油屋じゃないんだからな!」
「はいっ!」
 危ない危ない、とばっちりを食らうところだった。ちらりと入口に目をやると、主任が戻ってくるところだった。出ていった時はまさに死にそうな顔をしていたのだが、今はなんだかスッキリと晴れやかな顔をしている。たかだか30秒外に出ただけなのに凄い回復力だ。
 昼休憩で主任と休憩室(喫煙ルーム)で一緒になったので何をしていたのか聞いてみた。
「まさか、変なクスリとかじゃないですよね?」
「はっはっは、そんな大したものじゃないよ。トイレでちょっと吐いただけ」
「吐いた? 吐くほど気持ち悪かったんですか?」
 そういえば部屋を出たときに口元を抑えていたような気がする。
「いや、確かにキツかったけど、吐くほどじゃない。でも気持ち悪くなってから吐いても遅いからね」
「はあ」
 私は経験がないが、酷い詰めを受けると気持ち悪くなるものなのだろうか。ていうかそれ、事前に吐いてなんとかなるものなのか?
「早めに吐いておけば詰めの毒素が身体に吸収されずに済むからね。良かったら吐く方法、教えてあげようか?」
 主任の理論はよく分からなかったが、どうやら吐くことで元気になるらしい。吐き方の教授は丁重にお断りした。

 課長の詰めと主任の吐き(と呼んでいいのかは知らないが)は日常茶飯事らしく、課内で話題になることはほとんどなく、私も次第に気にしなくなっていった。そんなある日、主任が倒れた。課長から詰めの真っ最中の出来事だった。
 流石の課長も血相を変え課内が騒然となった。課長代理が呼んだ救急車に運ばれていく途中で、主任が息も絶え絶えに一言言った。
「これが急性詰め中毒か……吐くの遅かったかなぁ……」
 課長が後から乗り込み、救急車が発車した。それを見送るときに、誰かが呟くのが聞こえた。
「いや、過労と適応障害でしょ」
 目が覚めると目の前に幼女がいた。何を言ってるか分からないと思うが俺も分からない。
「よかった! 新しい勇者様ですね! お待ち申し上げておりました!」
 俺は幾何学的な文様が床に描かれた地下室のようなところにいた。彼女は召喚士のようだ。見た目年齢が低いのは種族かなにかが違うのだろう。
 勇者ということは剣と魔法の世界か。チートは難しそうだが……まああの退屈な日常とオサラバ出来ただけよしとするか。
「あの、早速なのですが、これ、読んでいただけますか」
 渡された紙には、見たこともないような文字の羅列が踊っていた。おいおい、自動翻訳ぐらいは標準装備じゃないのかよ!
「あの、この世界の言語はまだ読めなくて」
「そんなことはないはずですよ。自動翻訳は標準装備のはずです……言葉も通じますし」
 言われて気付く。確かに言葉が通じるのに文字が読めないというのは不自然だ。
 もう一度文書に目を通す。辛うじて「0」とかアラビア数字らしきものや、「ℵ」などアルファベットらしきものが書いてある。
「似てる文字もある、けど、全然分からないな……」
 そう呟くと、召喚士が困ったようになって首を傾げた。
「もしかして、『知恵遅れ世界』のご出身ですか?」
「は?」
「今渡した紙には、この世界で2歳頃に習う数法の公式が詳述してあるのです。これを理解出来るのならば、この世界で生きていける知識をお持ちと認定するのですが……」
 何を言っているのか分からない。これが数学の公式ってこと? この記号の羅列が?
「ごく稀に、理解出来ない勇者の方がいるのです。召喚士の間では、その方の出身世界のことを失礼ながら、『知恵遅れ世界』と称しているのです」
 俺の顔色を察してか、召喚士が慌てて付け加えた。
「大丈夫ですよ! 知恵遅れの方とはいえ、即座に切り捨てるといったことはいたしません。必要な知識が整うまで、召喚士がしっかり面倒を見ることになっています。大丈夫です。私だって簡単に出来たた内容ですし、すぐに終わりますよ」
「その『知識』って、俺の世界だとどのぐらいの人が習うものなの?」
「はっきりとは伝えられていませんが、ダイガクインセイやキョージュといった身分の方たちのみが独占する知識だそうです」
 俺は絶望的な気分になりながら、もう一つの質問をした。
「……君、いくつ?」
「今年で4歳になります」
 ぅゎ、ょぅι"ょっょぃ。ハズレだと思ったが案外当たりだったか。
114, 113

  

 マンガの資料が届いたので広げていたら彼女から小言。
「またそんなの買ったの? 前も似たようなの買ってなかったっけ?」
「そうだっけ? まあでも資料だから……」
「これまたアレに着せるんでしょう?」
 アレとは僕の部屋にある等身大ラブドールのことである。
「しょうがないじゃないか。僕だってホントは君に着て欲しいけど、君が無理って言うから人形で我慢してるんだよ」
「はあ? 何それ。私はラブドールの代わりだっていうの!? 信じらんない!」
 最初におねがいした時からというもの、何かと言うたびにこうして怒られている。そんなに怒るなら、というのでラブドールを使いはじめたらそれはそれでまたご立腹らしい。意味が分からない。
「いいから早く人形さんとコスプレ写真ごっこしてきなさいよ! 『資料』ですものね?!」
 彼女がプリプリ自室に引き上げていったので、僕もマンガを描くことにしよう。

「あれ?」
 さっき部屋に戻った時に持っていき忘れた衣装を取りにきたのだが、どこにもない。いくらヒステリィを起こしてるとはいえ、僕のモノを勝手に捨てるような人じゃないハズなんだが……。一応聞いておこうと彼女の部屋をノックする。
「ごめーん。いる?」
「へっ!? あっ、ちょっと待って。すぐ開けるか……」
 彼女の慌てた声に続いて、凄まじい落下音。
「おい、大丈夫か!?」
 ドアごしに呼びかけるが返事がない。僕は慌ててドアを開いた。
 床の上で大の字に延びている彼女は、見事なまでに赤いチェックのプリーツスカートをはだけてパンツを晒していた。上には青いカッターシャツに紺のネクタイ、プリーツスカートと同じ生地のベスト……俗に言う「アメスク」、アメリカの学校制服のコスプレだ。僕が今朝開けたものと全く同じものである。
「何見てんのよ!」
 パンツ丸出しのまま怒鳴られても迫力ないんですが。というか、怒るのはむしろこっちなんじゃ。怒ってないですけど。
「最初は恥ずかしくて断ったけど……貴方の手で着飾るラブドール見てたら、羨ましくって……。私だって、たまには貴方の好みの可愛い服で着飾ってみたいって……。魔が差したというか、勝手に着たのは悪かったわ。ごめんなさい」
 僕は心の中でこっそりガッツポーズした。
「そういうことなら素直に言ってくれればよかったのに。じゃああの人形は捨てちゃうね」
 そう、こうなれば人形型彼女誘導催眠装置はもう、必要ないからね。
「……じゅう。もーういーいかーい?」
 呼びかけたが返事はない。振り向くと無人の荒野……ではないが、うるさかったガキンチョ共の姿は消えていた。返事がないのは、声を出すと隠れてる場所がバレるから、だそうだ。
「さて……と。なまった身体でどこまでいけますかね?」
 軽くストレッチをしながら辺りを見渡す。確か範囲はこの裏山一帯ということだ。最終的には体力が物を言うとしても、序盤ぐらいは頭を使って効率良く探していかなければ。幸い子供の浅知恵で隠れるような場所というのは限られている。バンバン安地を暴いてガキンチョ共を震え上がらせてやろう。

 目をつけた樹木に囲まれた背の高い草むら。近くまで足を運ぶと、ガサガサ草を踏み分ける音と一緒に声がする。
「来た来た来た」
「シーッ、静かにっ」
「近い近い、まずいんじゃね?」
「逃げる?」
「え、でも気付かれてなくね?」
「まだ行けるまだ行ける」
 草むらの中で稟議しているのが丸聞こえである。ハハハ、こういうのを下手の考え休むに似たりと言うのだ。どうやら連中は3人ほどで纏まって潜伏しているようだ。これなら一網打尽に出来るだろう。
「そこかぁ!」
「うわああああ!!!」
「ぎゃあああああ!!」
「きゃああああ!!!」
 樹の根本を見る、とみせて身を翻して草むらに上半身を突っ込むと、ガキンチョ共は楽しそうな悲鳴を上げて飛びのく。その背中を必死に追いかけてタッチする。草むらに足を取られて、奥の方に逃げた奴は逃がしてしまった。
「にーちゃん、ずりいー」
「そーだよ。だますなんてさー」
「覚えとけ。大人になるってことは、ずるくなるってことだ」
 文句垂れてる二人に向かって、カッコ悪い説教を垂れた。

 その後も何度かの茶番や追っかけっこを経て、遂に最後の一人を見つけた。
「フフフ、もう逃げられんぞ」
「や、やめて……来ないで」
 どうも様子がおかしい。普通はキャアキャア言いながら楽しそうに逃げるのに、私の顔を見て尻もちをつき、声にならない悲鳴を上げながらじりじりとあとずさっている。まるで本物の怪物に会ったかのような……。
「来るな……来るなあああああああああ」
 とうとう泣き出してしまった。おどかすつもりはなかったのだが……。私は戦闘態勢を解いてゆっくりと彼の元に近付くと、優しく声をかけた。
「大丈夫。僕らが襲うのは生きてる人間だけだよ。君はもうゾンビなんだから、誰にも襲われることはないんだ」
116, 115

  

 学校から帰ってくると、親父が新しいテレビの梱包を解いていた。
「あれ? テレビ壊れたの?」
 確か昨日のポケモンはちゃんと映ってたと思うけど。
「あいや、これは小遣いで買ったんだ。いいの出てたし、母さんに怒られたしな。部屋で一人で見る用だ」
 なるほど、親父の野球キチは傍から見てても異常だったしな。ちなみにカイアンツが勝った日は俺は部屋から出ないことにしている。居間のテレビが親父によって占領され、全てのスポーツニュースを一緒に見物する羽目になるからだ。
「なるほど。けどそれ、なんだかゴツくない?」
「新機能付きの新商品らしい。なんでも野球に特化した特別機能なんだと」
「ふーん……?」
 ハイテクな新機能がつくのにデカさは関係ないんじゃないかと思ったが、今ここで親父の気が変わると、今日のドラマが見られない可能性が高い、それは困る。細かいツッコミは入れないことにしてその場を離れた。

 ここのところ、親父の機嫌が異様にいい。いや機嫌がいいこと自体はいいことなんだが、ここ最近のカイアンツは連敗に次ぐ連敗でBクラス落ちを確定させたところなのだ。
 それでも、何か他に理由があるのだろうと静観していたのだが、今日になって親父が死にそうな顔で帰ってきた。
「CSが……やってない……」
「いや、やってないってことはないでしょう。ちゃんと珍宮でタイガンスvsスパローズが……」
「カイアンツがっ! カイアンツが……ペナントでぶっちぎりだったのに……」
 親父は俺の言葉を聞いていない。ていうか、目の焦点が合ってなかった。
「落ち着け親父。カイアンツは今年BクラスだからCSに進出してないよ」
「違う! それは間違ってる! 俺は見たんだ……最高の……最高のペナントが……テレビでやってたんだ……ずっと見てたんだ!」
 親父の目は宙を泳ぎ、意味不明な言葉を口走っている。あれだ。親父がおかしくなったのはアレが原因に違いない。
「壊すしかない……」
 反射的に俺はトンカチを持って親父の部屋に侵入した。果たしてテレビの電源は点いており、CS2ndステージ第一戦でカイアンツが勝利したことを伝えていた。
「ええい、親父を解放しろ!」
 俺がトンカチを振り下ろすと、ポシュ、と変な音を立ててテレビは消えた。が、音は止まない。壊れた隙間から、中で何か蠢いているのが見えた。
 そこにはカイアンツのユニフォームを着た沢山の小人がいた。
「もっと腰を入れて投げるんだ!」
 練習の時にさんざ言われたコーチの叱責が脳裏に響く。うるせえ、言われなくても分かってるんだ。頭では分かっていても腕に力が入らないんだ、などと泣き言を言っても通じない。出来ることはただ腕を振るって全力で投げるだけだ。
 放った球は、しかし、想定を裏切ってあらぬ方向へと飛んでいく。バットが鋭く回転し、掬い上げられた白球は綺麗な放物線を描いて外野を転がり転々とする。打者走者は二塁に達した。
 7回ウラ、同点で二死二塁。キャッチャーが駆け寄ってきた。タイムだ。内野の連中も寄ってくる。
「どうだ? まだ行けるか?」
「あと一人、あと一人だけだ。きっと抑えられる。いや、抑えてみせる……頼む、投げさせてくれ」
 俺が強く言うと、しばし内野陣が目配せしあったあと、小さく頷いた。
「制球は荒れ気味だけど、球の力は残ってるぞ。ここまで来たら気持ちで投げろ」
「打たせろ打たせろ。飛んできた奴は全部取ってやるよ」
 その時、伝令が走ってきた。
「続投。次の6番抑えられなかったら交代だって。『気合いで投げろ』って」
「言ってること同じかよ」
「あの監督にしてこのキャッチャーありだな」
 かすれた声だったが笑いがこぼれて少し緊張がほぐれる。軽く円陣で気合いを入れて、俺は再びロージンを手に取った。

 まあ気合いだけで物事が解決するなら苦労はしない。俺の渾身の9球目は握力を失った手からあっさりすっぽ抜け、右方向へ打ち返された。一塁線を這うグラインダー。ファーストが止めることを信じて俺は必死に走った。クソ、足が固まりかけのコンクリートに突っ込んだみてえだ。一塁まで来て外野を見ると、ライトが捕球するところだった。駄目だ、間に合わねえ。
「サブマリンの本領見せろ!」
 またしてもコーチの叱責が脳内で聞こえた気がした。
 そうだ、俺はサブマリン、下手投げのスペシャリストだ。こんなところで終わるわけにはいかないんだ……!! 俺の手は自然に動いていた。打者走者に向きなおり、ベルトを掴むと引きつつクルリと手首を返す。お手本のような下手投げ。相手は面白いように地面に転がった。突然何が起こったか分からない様子で目をパチクリさせている。俺は悠々と返球を受けると倒れている打者走者にタッチした。見たか。
 一塁塁審のコールが響いた。
「走塁妨害」
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 怪しいバイトに応募して向かった先は、絵に描いたような怪しい洋館だった。中から出てきたのはこれまた絵に描いたような怪しい老婆。
「あの、アルバイトで来た久我山ですけど」
「ああ、あんたかい。入っとくれ」
 案内されたのは薄暗い倉庫のような部屋。間を開けて並べられた棚にはボードゲームや双六で使うコマのようなものが沢山並べられていた。
「毛糸を適当に切って、両端を違う人形に結んどくれ。人形の組み合わせはそこの紙に書いてある。間違えんじゃないよ」
 後ろに立っていた老婆がそう言うと、僕に赤い毛糸玉とクリップで纏められた紙の束を手渡した。
「あ、あの……」
「ああそうだ、既に結んである奴は触っちゃダメだよ。何日かけてもいいから、紙に書かれてる分が全部終わったらあたしを呼びな」
 そう言い残して老婆は去っていった。

 バイトを続けて2週間。少し気付いたことがある。
 まずコマだが、一つ一つ通し符号がついている。これが知り合いのイニシャルに生年月日を足したものとやけに一致することが多いのだ。所詮8文字なので被ることもあるとは思うのだが、少し頻度として多すぎる気がする。
 次に、そのコマの符号から連想される人だが、僕がバイトでコマを触ってすぐに付き合い始めることが多い。しかも、相手はこれまた赤い糸で結びつけたコマの符号とイニシャル生年月日が一致する。ここまで来ると偶然では片付けにくい。赤い糸というのもやけに示唆的だ。
 その日僕が手に取ったコマは自分のイニシャルと生年月日と一致する、YK0326。そこでふと思ったのである。
『糸を結んで付き合うならば、糸をほどいたらどうなる……?』
 ずっと気になっているコマがあった。学校一の美少女と名高い中島麗子と同じ通し符号のRN0504。生憎既に違うコマと結ばれていたが、これをほどいて、もし『僕のコマ』と結びつけたら……。
 魔が差した、としか言いようがない。老婆の言いつけは完全に頭から飛んでいた。

 家に帰ると、何故か物凄い騷ぎになっていた。父さんが物凄い剣幕で母さんに食ってかかっているのだ。
「離婚ってどういうことだよ!」
「どういうことも、そのままの意味よ。あっ、陽太〜!」
 玄関に立ち尽す僕に向かって手を振る母さんは、恋する乙女の目をしていた。
「母さん、離婚って……」
「あん。母さんなんて呼んじゃやだ。律子って呼んで」
 僕は母さんの旧姓を思い出した。野本……
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天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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