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過去編4 クロス五気聖

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 半年が過ぎた。


 クロス軍の本体を撃破した後、十人はそれぞれ部隊を率いて、スクレイ国内に入ってきている、クロス軍、ユーザ軍を各個撃破するため散開した。
 全体の命令はカラトが行い、十の部隊は、時には合流したり、連携したり、また分かれたりとしながらの戦いが続いた。
 そして、半年が過ぎたのだった。

 すでにユーザ軍は全面撤退をしているようだが、クロス軍は、北の一帯にしぶとく点在している。
 国境の拠点が生きているから、全体が崩れることがないようだ。
 そんな中、カラトからの召集命令が届いた。
 場所は、北の国境のすぐ南。久しぶりに、十人が全員揃うようだ。
 ダークは、すぐに向かうことにした。
 途上に、動き回っているスクレイの部隊をいくつも見かける。スクレイは、この半年で息を吹き返したようになっていた。
 今までどこにいたのか、商人達が活発に動き、物流が復活していた。
 都では、前線でのカラトの活躍もあり、フォーンの発言力がかなり増しているようだ。さっそく、集めた協力者達を、要職に置いていってるらしい。各地の施政も機能し始めている。
 もうここまできたら、戯れ言でもなんでもないだろう。二人の目標は、もう目と鼻の先だ。
 大したものだと、思わざるをえなかった。

 数日後、ダークはカラトの陣に到着した。
 幕舎の外に、カラトが立っているのが見えた。
「ご苦労様」
 そう言った。
 やがて十人が揃い、幕舎で軍議が開かれた。
「皆、ご苦労様。お疲れの所悪いけど、もう一戦してもらいたい。もう言わなくても分かると思うけど、国境のクロス軍を倒そうと思う。あそこを落とさないと、北の戦線の目処が立たないんだ」
 カラトが言う。
「でも、たしか二万足らずでしょ、クロス軍は。勢いも全然違うし、そんなに気を付けるほどの相手でもないと思うけど」
 グレイが言うと、カラトは少し間を置いた。
「クロス五気聖って知ってる人いる?」
 ふいにカラトが言った。
「ああ、あの御伽話に出てくる五人の登場人物だろ。ちょっとだけ聞いたことがあるぜ。たしか、心気を編み出した最初の人だとかなんとか」
 コバルトが言う。
「それが、どうかしたの?」
「来てるんだって」
「え?」
「そのクロス五気聖が、北の国境に入ったって情報が入ってね」
 場の空気が、少し止まる。

「何それ?」
「笑う所か?」
「御伽話の人でしょう、生きてるわけないじゃん」
「勝手に名乗っているだけでしょう」
「代々継承している名なのかもしれませんよ」
 口々に、発言が出る。
 カラトは少し口元を緩めた。

「まあ、一応心の隅に置いといてっていう話だ。じゃあ、攻撃の作戦を話し合おうか」





 攻城戦になった。
 クロス軍は、早々に国境の城塞で籠城を始めた。
 半日ほど、兵力での力押しを続けていたが、どうにも進展しそうな兆しがなかった。
 いつものカラトなら、無駄な犠牲を嫌って、我先にと城塞に攻めそうなものだが、今回は動いていない。
 カラトの指示で、十人も後方で軍指揮をしている状態だった。

 業を煮やした何人かが、カラトの所へ行っているのが見えたので、ダークも向かうことにした。
 カラトは、また椅子を持ってきて座っていた。城塞の方を向きながら、腕を組んでいるのも、いつも通りだ。
 ダークは、しばらく黙って立っていた。

「何か変なんだよな」
 カラトが、ぼそりと言う。
「何がだ?」
「敵の籠城」
 言われて、ダークは城塞に目を向けた。実は、ダークも何か違和感を感じていたが、それが何か分からなかったのだ。
「俺たちが、今まで戦ってきた方法を、向こうも知らないはずはないんだよな」
 一端、言葉を区切る。
「なのに、何の対策もしていないように見える。優れた心気を持った者が少数なら、簡単に城内に入れそうなんだ」
 もう一度の、間。
「誘っているのかもしれない。入ってこいって……」
 カラトは言った。

「クロス五気聖とかいう奴がか?」
「もしかしたらね」
「とはいえ、考えていても仕方がないと思うがな。このままじゃ、いつまで経っても終わりが見えないぞ」
 ダークが言うと、考える仕草をする。

「ま、その通りかな……」
 言うと、立ち上がった。
「八人を呼んでくれ」
 カラトは、近くの兵に言った。





 攻城の指揮はフーカーズに任せ、後の九人が城内に侵入する手筈になった。

 城塞の一面が、軍では攻めようもない断崖になっている。九人は、そこをよじ登っていった。
 盾を頭上に構えたカラトが最初に城壁の上にたどり着いていた。次に着いたダークは、そこの光景を異様に感じた。
 誰もいないのだ。いくら兵が攻めにくい方だからといっても、誰もいないのはおかしい。カラトが言っていたように、そういう場所を敢えて選ぶ戦いを、カラト一派はこれまでしてきたのだ。それを相手が知らないはずはない。
 遠くに見える城壁の上では、小さく人が見えた。戦闘の気配がある。

 全員が登り終える。
「じゃあ、予定通りに三人ずつの三組に分かれよう。俺の組は、敵の本営を狙う。ダークの組は南門を内側から攻撃、ボルドーさんの組は、西の門に向かってくれ」
 言うと、一同を見渡した。

「それじゃあ、行こうか」





 城壁を降り、建物の間を駆けていた。

「気味がわりいな」
 後ろを駆けているコバルトが言った。同じく後ろを駆けているグレイに言ったようだ。
「ほんと、明らかに不自然よね」
「あんたなら、どう考える?」
「罠」
「どんな罠?」
「うーん、それが思いつかないんだよね」
 その時、先頭を駆けていたダークは、目の端に不思議な物をとらえた。
 思わず走行を止める。
「うあ、何だよ?」
 後ろで、コバルトが言う。

「ふぁ、ふぁ、ようやく来おったか」
 声がした。
 驚くように、二人も視線を上げる。
 建物と建物の間隔が十歩ほどの路地だった。大体二階の高さぐらいだろうか、白髪で猫背の老人が、座るような格好でそこにいた。
「何、あれ」
「宙に浮いている?」

「ほう、これは話に聞いた白髪の小僧か。おもしろい、噂通りの実力がどうか見てやるとするかな」
 そう言うと、老人は皺だらけの顔を、さらにしわくちゃにしていた。




 異様な光景だった。


「おい、じいさん。浮く手品はすげえが、なんかの冗談なら余所でやってくれ。種は、また今度教えて貰うからよ」
 コバルトが言った。
「つれない小僧たちじゃの。まあ、否応にも付き合って貰うがな」
 そう言うと、宙に浮いたままの格好の老人は、両手を少し上げた。
 顔の横辺りまで持ってくると、それを前で振った。
 何だ、と思う前に、ダークは音を耳に捉えた。
 咄嗟に剣を抜きはなった。
 次の瞬間、四方八方から、人の頭ぐらいの石や瓦礫が無数に飛んできていた。
 瞬時、判断。
 避ける、打つ、払いのける。
 瓦礫の雨は五秒ほどで止んだ。掠り傷が、腕に一つ、足に二つあることがすぐに分かる。
 ダークは思わず舌打ちをした。

「いっ……」
 後ろで声がする。どうやら、何発か当たったようだ。
「今の何だ?」
「あのお爺さんがやったの?」
「ほほう、さすがじゃな。まともに食らった者が一人もおらぬわ」

「おい、じじい。まさか、あんたがクロス五気聖とかいうやつか?」
 ダークが言った。
「ほほう、この国にも、その名が伝わっていたか。如何にも、儂がクロス五気聖の一人じゃ」
「クロス五気聖ってのは、手品師か何かなのか?」
「侮辱は許さん」
 老人の顔から、笑みが消える。
「儂達は、心気の絶対量ではどうしても全盛期に劣る。お前達のように、若い者にも劣る。故に、どこで勝負ができるかを考えざるをえんかった。そう、長年に渡り蓄積された、技と知恵じゃ。そして、クロス最強の心気使いとして、今も尚、その座に君臨しておる。その意味が分かるかな?」
「がたがた喧しいな」
 剣を構える。
「要は、あんたをぶった切ればいいんだな?」
「ふぁ、ふぁ、いいのう、構わんよ。たまには後進の手解きでもしてやるかの」

 ダークは、思い切り地面を蹴った。建物の壁を一度蹴れば、あの男の高さまで届くはずだ。
 壁を蹴る。剣を横に構える。男の顔は笑ったままだった。
 その顔に叩き込むつもりで、剣を払ったが、手応えがなかった。男が、同じ高さのまま、後ろに移動していた。
「羨ましいほどの身体能力じゃな。しかし、少々不用心じゃの」
 男が手を振ると、再び石が飛んでくる。ダークは落下しながら、それをすべてを弾いた。そして、着地。

「ちょっと、一人で先走らないでよ。こっちは、折角三人いるんだから。相変わらずね、あなた」
 その時、轟音が響いた。
「ほうほう、やっとるのう」
 石造りの地面が揺れるような感覚を感じる。次の瞬間、その地面が下に崩れ落ちた。
 ダークは、咄嗟に飛び上がり落ちなかったが、二人は反応が遅れて、穴に落下していった。
「あやつのやることは、少々乱暴じゃの」
 男が言っている。
「あんたの仲間か?」
「ああ。お前さんの仲間は、地下で消し炭になってしまうかもな」





 崩れた石畳の上にいた。
 二方向に地下道が続いている。幅は、人間三人分。高さは二人分といったところか。どういう用途で作られたものかは分からない。
 上を見上げると、光が差し込んでいる。落ちてきた穴だ。今いる場所だけ通路が広くなっており、人が三人分ほどの高さがあった。
 しかし、上れない高さではない。
 横にいたコバルトを見る。

 その時、通路の奥から、人が走る足音が聞こえた。
 グレイは、双剣を構えて立つ。
 角を曲がってくる者に向かって、一歩踏み出した。
「のわっ!」
「おおっ!」
 一瞬、攻撃しそうになったが、なんとか踏みとどまった。
 弓を構えたグラシアだ。それと、シーがいた。カラト組の二人だ。

「なんでここに?」
「いや、いきなり変なじいさんがさ、地面に穴を空けて」
「カラトは?」
「分からない、はぐれた」
「話をするのなら、移動してからの方が良いと思いますけど」
 後ろにいたシーが言った。
「ああ、そうそう。行くぞ」
 そう言うと二人は、自分達を避けて、逆側の通路に走っていく。
 二人が来た方の通路の奥が、明るくなった。
 火柱が、こちらに向かって飛んできていた。
「ええっ!?」
 大急ぎで、火柱と反対の道を走った。角を曲がって、なんとか難を逃れる。熱が、顔を掠めていった。

「いやあ、さっきから、あの調子でさあ」
「何よ、今の?」
「だから、変なじいさんがさ」
「人の仕業?」
「多分、クロス五気聖とかいうのだろう」
「どうする?」
「どうもこうも、ぶっ倒すしかないんじゃないの」





 屋根から屋根を飛び移りながら移動していた。
 先ほどから、この城塞の至る所で戦闘の気配を感じる。
 おそらく、自分と同じく、五気聖とかいう奴らと戦っているのだろう。
 ダークは、自分の戦闘に意識を戻した。

 あの男の戦闘方法は、うっすらと種が分かってきた。
 男は、建物の高さよりも上に上がることはできないようだ。それに、浮きながら移動できる範囲も制限がある。
 男が見える屋根の上に立った。
 少し低い位置で、男はこちらを見ている。

「ふん、すべて見切ってやったぞとでも言いたそうな顔じゃな」
「残念ながら、その通りだ。死にたくないなら、大人しく投降するんだな」
 男は、声を出して笑う。
「舐められたもんじゃな。この程度の戦闘で、見切ったじゃと?」
 男は、片手を握り拳にして、真上に突き上げた。
「儂の心気操術の真髄は、まだまだこれからだ!」
 視界が傾いた。
 立っていた屋根が傾いていた。見ると、建物の至る所に亀裂が走っている。
 ダークが飛び上がると、ほぼ同時に、建物は音と煙を上げて崩れ落ちた。
 ダークは、そのまま男に接近する。直接男にではなく、男の周りに斬撃を繰り出した。
 何かを斬った感触はなかったが、男の表情が動く。男が、下に落下を始めた。
 ダークは、目を凝らして目視する。
 やはり、糸のような細い線があちこちに張り巡らされている。切断することは容易いが、引きちぎるのは難しいのだろう。そういう線だった。素材は分からない。

 男は地面に叩きつけられるのかと思ったが、地面に当たらず、振り子の玉のように、横に移動していた。まだ、どこかに糸が繋がっていたのか。
 すると、その移動方法を繰り返し、路地を直進していく。
「逃げる気か?」
 ダークは、走って追っていった。

 角を曲がると、大きめの広場だった。その中心に男がいた。
 低いが、やはり浮いていた。
 先ほどの戦法は使いにくい場所だろうと思われるが、浮いているということは、どこかから糸を延ばしているはずなのだが。
 男は、こちらを見据えている。
 ダークは、ゆっくり歩いて近づいた。

「まだ続ける気か?」
 言うと、男は口角を上げる。
「言ったであろう、真髄はこれからじゃとな」
 男は、握り拳を作った片手を、少し上げて、それを下に振り下ろした。
 ダークは、一瞬言葉を失った。
 石や瓦礫が飛んでくる、それは今までと同じだ。ただ、今度は視界に一杯だった。
 見渡す限り、すべての方向から隙間無く飛んできているのだ。広場の周りにあった建物すべてに仕込んでいたということなのか。
「この量じゃ! 先ほどのように、たたき落とすこともできぬぞ!」

 瞬間、ダークは動いた。




52, 51

  

 男が横たわっていた。


「石なんかよりも、凶器を飛ばしたほうが威力があると思うがな」
 ダークが言った。
「ふん……そんな物大量に持ってこようと思うと、とんだ労力じゃわい。やはり、現地調達が一番いい。まあ、あえてその苦労をしとる者もいるがな……」
 男は、何とか声を出しているように見える。
「しかし、よく分かったの。あの技の突破法が」
「ああ」

 ダークは、数分前の出来事を思い出す。
 全方向からの攻撃に、ダークはすぐに一つの疑問を思いついた。
 あの男は、どうするのだ?
 攻撃の円の中に、あの男も入っている。攻撃を受けるのか? そんなはずはない、ということは。
 ダークは真っ直ぐ、男に直進した。
 予想通り、男の影は石が飛んでこない場所になっていたのだ。そして、ダークは男に攻撃をかけた。
 ただ、剣の側面で叩いただけだが。
 それでも、男は虫の息に見えた。

「しかし、随分と切羽詰まっているようだな、クロスは。あんたのようなじじいを戦場に送り込むとは」
 言うと、男の口から息が漏れた。
「儂らは、自ら志願してここに来たのじゃ。多少無理を言って悪かったとは思っている」
 息継ぎ。
「この歳で、この地位になると、本気を出して戦う機会などないからな。これまでの半生を費やして磨いた技を使わずに朽ちるのは、なんとも惜しいと儂らは思っているんじゃよ」
 それは、ダークにも分かる感情だった。
「まあ、これで、少しは満足できたかの。ただ、一人ぐらいは倒したかったがな……」
「ところで、あんた達が心気の創始者だって本当なのか?」
「ふぁふぁ、まさか。話に尾ひれがついただけじゃよ」
 男は、ゆっくりと息を吐いた。

「まあ、せいぜい気を付けることだ。残りの四人の戦法は、儂よりも嫌らしいからな……」
 言うと、男は眠るように目を閉じた。










 グレイ達四人は、迷路のような地下道の中を、謎の火柱から逃げ回っていた。
 外に出ようにも、もはや出口が分からない。それに、もし見つけて、のこのこと出て行こうとするものなら、おそらく炎に狙い撃ちされるだろう。そういう攻撃だった。
 二人が言うには、誰かいるらしいが、グレイはその姿を確認できていない。

「ちょっと、巧すぎない?」
 グラシアが言った。
「は?」
「敵の攻撃よ。姿が見えたら、射抜いてやろうと思ってたんだけど、一度も見せないでしょ。だけど、さっきから炎は的確にこっちを狙ってきている。こっちを確認しないでそんなことできると思う?」
「何か、確認できる方法があるのかも」
「もしかすると、もう一人いるのかもしれませんよ」
 ふいに、シーが言った。
「どうして、そう思うの?」
「何となくなのですが」
 そう言われて、グレイは、逃げてきた道の反対方向を見た。
 真っ暗だ。
 何度も炎を見ているせいで、暗闇に目が慣れていないのだ。もしも、そちらにも人がいるとすると、どうなるのだろうか。

「確認する価値はあるかもね」
「まあ、四人が固まって動く意味もないしな」
 コバルトが言った。
「じゃあ、外れを引いても恨みっこなしで」
 四人は向き合って立った。

 そして、同時に思い思いの方向に指を差す。差した方に、それぞれが走り出した。





 グレイは、しばらく暗闇の中を走っていた。
 先ほどから何度か、どこかが明るくなっている。誰かが炎で狙われたのだろう。
 グレイは、速度を落とし、足音を消して走り始めた。
 いくつか角を曲がると、また通路の先の方が明るくなった。眩しいと感じる。そろそろ、暗闇に少し目が慣れてきた。
 目を凝らして進んだ。
 再びしばらく進んだところで、グレイは足を止めた。
 前方の、通路の角の所に誰かがいる。
 他の三人ではない。人影が小さいのだ。グレイは、息を止めて腰を屈めた。
 一足飛びに、相手の懐まで飛び込む、そう考えた。両手の剣を握り直す。ゆっくりと息を吸った。
 次の瞬間、思い切り地面を蹴った。
 あと一秒。それで、攻撃を入れられる。
 人影が少し鮮明に見えてきた時、グレイは一瞬逡巡した。
 顔が、こちらを向いていたのだ。
「惜しい、惜しい」
 男の声とほぼ同時に、上の方から別の音が近づいてきた。





 グラシアは、何かが崩れるような音を聞いた。
 あれだけ炎が行き来しているのだ。熱で、どこかが脆くなって崩れても不思議ではない。
 しかし、妙に耳に音が残った。

 気になって、音がしたと思われる方に向かった。
 暗闇の中、おそらく土煙が舞っている。その奥に、うっすら人影が見えた。
 敵か味方か分からなかったが、弓矢の標準をつけた。
 それから、ゆっくりと近づいた。

「おや? この音は弓か」
 男の声がした。明らかに知らない声だ。人影も小さい。敵だということだ。
 しかし、何て言った?
 音?
「動くなよ。今あんたに弓で狙いをつけている。この指を放した瞬間、あんたは死ぬことになるからね」
「どうやら、そのようだね」
 さらに近づく。

 暗くてよく見えないが、年配の男のようだ。
 通路の角に胡座をかいて座っている。背が曲がっていて、少し俯いている。こちらを見ていないようだ。
「あなたが、あの炎を飛ばしてる人?」
「いいや、違うね」
 十歩ほどの距離まで近づいた。
 グラシアがいる反対の方の通路に、石が崩れて山になっているのが見えた。さっきの音の正体は、これだろうか。

「じゃあ、あなたは、そのお仲間さん?」
「お嬢さん、私の仲間の炎使いが、今君の後方から狙いを定めている」
 言われて、ぎくりとした。振り返りそうになったが、なんとか堪える。
「なかなか、達の悪い冗談ね」
「冗談ではないさ」
「いいや、冗談ね。だって、この通路で今炎を飛ばしたら、あなただって焼け死ぬじゃない」
「あいつには、私はいないものとして考えてくれと言ってある」
 男が言った。
 五歩ほどの距離で、グラシアは気づいた。
 男は目を閉じている。
「さっきは違うと言ったが、実は半分は正解だ。仲間に、お前達の場所を報せているのは私だ。そして仲間は、何も気にすることもなく、爆発炎を放つだけなのさ」
 グラシアは、弓を構えたままだ。
「私には、今この空間がどうなっているのか手に取るように分かるのさ。音でね。炎をかわすことなど容易いことだ」
 言って、男がこちらに顔を向けた。
 完全に目を閉じている。
「あんた、目が」
「その通り。だが、お陰でこっちの方に特化した心気を編み出すことができたがね」
 そう言って、耳の辺りに手を当てた。
「人の気配だけではなく、私は物の構造も感知することができる。壁などを一度叩けば、どこが崩れやすいかなどが分かるということだ。先ほども、その能力を使って一人埋めたところだ」
 男の言葉に、自然と目が、石の山に向いた。
「先ほど?」
「ああ、おそらく女性だね。ああ、そうそう両手に剣を持っていたな」
 あの馬鹿。
 一瞬、頭に血が昇りそうになったが、すぐに思考を切り替えた。

 何故男は、わざわざ自分の能力を言ったのだ? 何か意図があるのか。
 多分、今言っていた石壁を崩す攻撃を自分に当てようとしているのかもしれない。心理的に揺さぶりをかけて、石壁を当てれる場所に誘導しようとしているのか。
 ああいうことを聞けば、普通なら下がりたくなるだろう。つまり、下がっては駄目だということか。
 しかし、前に進むのも躊躇してしまう。
 さっさと矢を放ってしまった方がいいのか。

「はっはっは、余計なことを言ってしまったかな」
 男が言う。
「君が今気にしなくてはならないのは、後ろから来ている爆発炎なのにな」
 言われて、グラシアは振り返った。
 真っ暗な通路が続いているだけだ。
 しまった。
 視線を戻すと、男がすぐ近くまで来ていた。
 男の手が伸びてくる。
 やられた。
 思った時、男の手が、横に弾かれるように動いた。
 小さな呻き声と同時に、男の体も横に移動した。
 見ると、男の腕に短い剣が刺さっている。そして、貫通した剣は壁に刺さって固定されていた。

「ようやく隙を見せてくれたか」
 声がした。
 石の山から、グレイが立ち上がっていた。
「あんた、死んだんじゃなかったの?」
「あれぐらいで殺されてたまるか。動けないふりをして、ずっと機会を伺っていたのよ」
 言うと、グレイは自分の口元を手で押さえた。
「それにしても、見事に引っかかってたわね」
 笑いを堪えている。
 こいつ。心配して損をした。
「あんただって、生き埋めにされてたでしょ!」
「私は、芝居してただけなの」
「体中傷だらけで、よく言う」
「ちょっと、それより感謝が先じゃないの? 助けてあげたんだから」
「まったく気づかなかったよ」
 男の声が割って入った。視線を向ける。剣を抜くことは諦めているようだ。
「私の耳が感知できないとはね」
「まあ、こういうことは得意だからね」
 二人は男に近づく。

「さてと、どうしようか」
「おじいさん、とりあえず仲間の居場所を教えてくれない?」
 男は、静かに笑む。
「その必要はないよ」
「どういうこと?」
 少しの間。

「私は定期的に、仲間に音で合図を送っている。そして、それが途絶えた時、私は敵にやられたと仲間は判断するはずだ」
 男が言っている。
「そして、その時私の居場所には、十中八九敵がいるだろうと仲間は考えるだろう」
 間。
「まだ分からないかい?」

 グラシアは、一瞬思考が目まぐるしく動いた。
 同時に、壁に赤い光が反射しているのが見えた。
 振り向くと、通路一杯に、熱と光が充満していた。
 絶句。

 視界中が、真っ白になった。




 光が変わった。


 恐る恐る閉じていた目を開くと、赤い炎の光が、そこにはなかった。
 代わりにあるのは、上から降り注ぐ日の光だ。

 状況が把握できない。
 横にいるグラシアも唖然としている。
 天井に大きな穴が空いていることに気が付く。そこから、日の光が入ってきているのだ。
 そういえば、炎が飛んできたのは、どちらからだったのだろうか。
 いまいち、方向感覚が分からない。

 ある程度周りを見渡して、ようやく分かった。炎が飛んできていた通路は、壁になっていたのだ。壁というより、崩れた石で埋まっている。
 そして、その前に男が一人居ることに、ようやく気付いた。
 藍色の短い髪に、無精髭。手には、長柄の大斧を持っている。

「デルフト」
 グレイが言うと、デルフトはこちらを少し一瞥した。
「もしかして、あんたがやったの?」
 通路の上から天井を崩して、炎を塞き止めたということか。
 すごいというより、呆れてしまう。
「さすがに、今のは死んだと思ったわ。ありがとうデルフト」
 グラシアが感謝の言葉を言う。
 私には言わなかったのに、簡単に言いやがった。
「というか、何で分かったの? 上から地下道の状況が」
 言うと、デルフトは何も言わず、上を見上げた。
 つられて上を見ると、穴からスカーレットが見えた。

「大丈夫ですか?」
「なんとかね」
 するとスカーレットは、ふわりと飛び降りてきた。滞空時間が長く感じるような降り方だった。この女は、何をやってもいちいち優雅にしないと気が済まないのか。
「あんたが何かやったの?」
「ええ」
 スカーレットは、両手に持っている鞭のような物を見せた。彼女の武器だ。
「これで地面に伝わっている振動を感知するのです。私の心気の力も利用して。それによって、地下で何が起こっているのか、おおよそ把握することができるのです」
「このじいさんと大差ない芸当っぷりだな」
「そちらの方が、五気聖さん?」
「多分」
 男は、壁に固定されたままだった。驚いた表情をしている。
「スカーレット、地下道に二人残ってるんだ。そいつらの位置と……そういえば、敵の場所も分かったりするのかな?」
「やってみましょうか」





 一同は、捕らえた男と共に、地上に上がった。
 スカーレットは、地面に刺した杭のような物に鞭を巻き付けるという行為を何カ所かでやっていた。
 少しして、戻ってくる。

「どうやら、心配は無いようですよ」
 スカーレットが、軽く笑みながら言う。
「どういうこと?」
 グラシアは聞いた。
「直に分かります」

 言葉通り、少ししてコバルトとシーが歩いてくるのが見えた。
 コバルトは肩に、拘束されている老人を抱えているようだ。その男を含め、三人とも黒く汚れている。
「とっ捕まえたぜ」
 コバルトが言った。
「その人が、火の犯人?」
「そうそう、すげえ火薬の量だったぜ。自爆されてたら、俺たちも終わりだったな」
「どうやってたの?」
「どうやら、始めから地下道中に火薬を仕掛けてたみたいだぜ。それに油とな。それらが燃え広がってたのが、炎が飛んできているように見えたんだ」
「何それ? 無茶苦茶ね。うまくいくとは思えない手法だけど。下手すれば、一気に全部に引火するかもしれないでしょ」
「それも、五気聖がなせる技ってことだろ」
 コバルトは、男を降ろした。
「そういえば、何で二人がここにいるんだ?」
「ボルドーさんが、門の開放は一人でも大丈夫だから、こちらの方に向かえと言われましたので。おそらく、こちらの方は苦戦しているからとも言っておりましたわ」
「あ、そう……」
「そう考えると、ここに六人も固まってるのは時間の無駄ね。あと敵が何人いるか分からないけど、すぐに援護に向かいましょう」
 その時、轟音が響いた。

 遠くに、土煙が上がっている。










 建物がいくつか崩れて、瓦礫だらけの場所だった。
 その瓦礫の中心にカラトが立っているのが見えた。
 何やら、辺りを見回しているようだ。手には剣を持っている。
 グレイは、そこに入っていこうと思ったが、瓦礫の外に、ダークが腕を組んで立っているのが見えた。カラトの方を見ているようだ。
 先にそちらに近づいた。

「何やってるの?」
 ダークは、こちらを一瞥して、何も言わず、すぐに視線を戻した。
 この男は……。
 グレイは、瓦礫の中に足を踏み入れようとした。
「やめておけ」
 後ろから、ダークが言う。
「どういうこと?」
「死にたくないなら、入らんほうがいい。それに、お前じゃカラトの足手まといになる」
 相変わらずの、苛つく言い方だ。
「誰かと戦っているの?」
「見ていれば分かる」
 むっとしたが、言われたとおり、見ることにした。

 カラトは、まだ辺りを見回している。何かを探しているようにも見えるが、立っている場所は、ほとんど動いていない。
 少しして、カラトは突然、横に飛び退いた。
 カラトがいた地面から、何かが立っている。
 目を凝らして見ると、それは槍だ。上向きに刃をたてた槍が三本、地面から突き立っていた。
 何が起こっているんだと考える間もなく、カラトは縦横無尽に動き回っている。そして、至る所の地面から槍が飛び出してきている。
 しばらくすると、今度は地面から離れる槍も何本か出てきた。宙に上がり、上方から攻撃するのだ。どうやって狙いをつけているのか分からないが、驚くほどに的確にカラトを狙っていた。
 そして、カラトも驚くほどに悉くをかわしている。
 いつの間にか、上からも下からも槍の量が膨大になってきた。まるで雨が上下から降っているようだ。
 カラトの姿も、途切れ途切れにしか見えない。土煙も上がり始めている。
 言葉を忘れていた。
 助けに行こうなどと口にできない。あそこに飛び込んで、生きていられる自信がない。
 ただただ、見ているだけだった。
 次第に、カラトの姿も見えなくなってきた。
 槍が、地面から飛び出る音と、地面に刺さる音が、断続的に響いているだけだ。
 土煙が、かなり濃くなってくる。
 すると、突然音が止んだ。
 先ほどまで、うるさいほどだったので、随分静かに感じる。
 ゆっくりと、土煙が薄くなってくる。
 槍が、いくつか山のように積み重なっているのが見えた。
 グレイは、カラトの姿を目で探した。
 少しして、槍の山の間に立っているカラトを見つけた。
 グレイは、瓦礫に足を踏み入れた。今度は、ダークは何も言わなかった。
 槍の山を避けながらカラトに近づいていくと、カラトの手前に老人が一人仰向けに横たわっているのが見えた。
 さらに近づくと、初めてカラトがこちらを見た。

「やあ、グレイ」
 相変わらずの、言い方だ。
「大丈夫、カラト?」
「なんとかね」
 近くで見ると、多少の傷があるのが分かった。
 老人の方に目を向ける。息はあるようだ。
「この人も、五気聖?」
「そうだろうね。あんな技ができる人間が何人もいられちゃあ堪まったもんじゃない」
 その言葉に、グレイは思わずカラトの顔を見た。
「さっきの槍、全部この人が一人でやったっていうの?」
「おそらく」
 もう一度、老人を見た。小柄で華奢な老人だ。あんな芸当ができるなどとは、とても信じられない。といっても、体格がいいからできるというものでもないだろうが。

「完敗じゃな……」
 ふいに、老人が呟くように言った。
「小僧、一体何者じゃ? 恐ろしいほどの、戦闘感覚じゃな」
「もう一回やれと言われれば、できる自信がないのですがね」
「ほほ、謙遜なのか?」
 笑うと、老人は一つ息を吐いた。
「これで、この戦はお主達の勝ちじゃな。クロスには、もう戦う力が残っておらん」
 少しの間。
「城壁で防衛しとる者達の命は助けてやってはもらえんか? 儂達の道楽に付き合わせてしまった者達じゃからな」
「いいでしょう」
 カラトが言う。
「感謝する」
 ところで、と言葉を続ける。

「お主は強すぎるのう……いつの日か、その力を持て余す時が必ず来るはずじゃ。その時、お主はどうするのかな……」
 どんどん声が小さくなっていく。
「見物じゃな」

 言うだけ言うと、老人は目を閉じた。




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