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第三話 陸上部その参 《駆け抜けるなら全力》

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 引き締まった細くしなやかな両脚。そしてそれを充分に稼働させるだけの能力、素質。
 そういった『才能』を備えて、|紗依莉《さえり》は中学陸上部で能力を十全に開花・発揮させた。
 中学の三年間、陸上で紗依莉の記録は数々の好成績を叩き出した。
 もちろん才能だけではない。それなりの努力も重ねてきたつもりだ。周囲の期待や、自身の限界への挑戦。意気込み熱中する要素も多々あった。
 高校へ進学し当然のように陸上部へ入った時、彼女は彼を不思議な気持ちで見ていた。
 二年生の先輩。そこそこ足の速い短距離走選手。学力も並より少し上くらい、つまりそこそこ良くて、面倒見も人付き合いもやっぱりそこそこ上手かった。
 でも、そこそこより上には中々上がれない人だった。
 才能を備えた紗依莉には、それが個人の限界値なのだとすぐに理解した。特に部の先輩ということもあってか部活動においてその頭打ちはすぐに判明した。
 短距離走のタイムに伸び悩む先輩は、部活が終わってからも居残って練習していることが多かった。紗依莉は居残り練習のことを知ってから、時折その先輩の居残りを見学するようになった。
 自分と違い、陸上における才能は、やはりそこそこ。だからこそ限界を迎えているのが紗依莉だけでなく彼自身にも理解が及んでいた。
 それでも日々練習を続ける先輩のことを、紗依莉は部活動の時だけでなく学校生活の中でも自然と目で追うようになった。
 何事にも熱心で、積極的な先輩だった。
 頼まれれば快諾し、決して断ることをしなかった。
 だから二年生の段階で、もう陸上部でも部長になることはほぼ決定していた。さらに陸上部の中でほとんど空気と化していた副部長という役割も空席のままで誰かが埋めることもなくなっていて、彼もそれを問題視することなく次期部長だけが自然な流れのように確定した。
 実際副部長なんていなくとも、陸上部はしっかり機能していたし、おそらくはその面でも彼はそこそこ有能だったのだ。
 でも、なんとなく、なんでだかわからないけれど。
 紗依莉には、一人で全てを背負いこなそうとする彼が、とても脆く見えてしまった。
 ずっと目で追っていたから気付けたことかもしれないし、逆に見過ぎておかしな勘違いを引き起こしてしまったのかもしれない。
 よくわからなくなったから、とりあえず彼の隣に立つことにした。
 見ていてわからないなら、もっと近い位置で彼と接すればわかるかもしれないと思ったが故の考えだった。
 紗依莉は誰に頼まれたわけでもなく、また正式に申請を出すでもなく、勝手に副部長を名乗って新部長となった彼、東堂晴の補佐をすることにした。
 部長としての仕事が増え、自分に割ける時間が減った中でも晴は文句も弱音も吐かず、ただ黙々と仕事をこなし練習を重ねた。
 限界の壁に、何度も何度も頭から突っ込むように晴は毎日練習に打ち込む。居残りも何度もしてきた。
 何かと理由を付けてその居残りに付き合っていく内に、紗依莉はふと気付いた。
 ぶつかり続けた限界と言う名の壁に、少しずつ亀裂が入っていることに。



   『第三話 陸上部その参 《駆け抜けるなら全力》』



「記録、ちょっとだけ縮みましたね」
 部活動が軒並み終了して人気の無くなったグラウンドで居残り練習をしていた晴に、紗依莉が片手に持っていたストップウォッチを軽く見下ろしてからタオルを手渡す。
「マジかい」
 受け取ったタオルで流れる汗を拭きながら、息を整える晴が少しだけ嬉しそうに微笑む。
「はい、ほんとに少しですけど」
「コンマ数秒でも伸びてりゃ御の字だ。計測助かったよ、サエ。こればっかりは一人じゃできないからな」
「はい。……」
 部活を終えてからの自主練でふらふらになっている晴の顔を、紗依莉はじっと見上げる。
「ん、どうした」
「…ハル先輩。先輩はなんでそんな熱心に打ち込めるんですか?」
 嫌味でもなんでもなく、紗依莉にとっての純粋な疑問がつい口を突いて出てしまった。
 言ってから口を押さえるが、もう遅い。晴はきょとんとした表情で汗を拭いながら紗依莉を見ていた。
「なんでって、そりゃ陸上部員なんだから記録を伸ばす為に頑張るだろ」
「あ、あー…ですよねぇ。そりゃそうだ」
 あははと笑って、紗依莉が晴に背を向ける。
「さ、片付けましょう。これ以上続けると倒れちゃいますよ先輩」
「うん?おう」
 流されるようにして晴も片付けに取り掛かろうとした時、図りかねていた発言の真意に気付いた晴がぽんと手を打って、
「ああ、そういうことか」
「…?」
 紗依莉が不思議そうに振り返ると、晴は苦笑して肩を竦めた。
「確かに俺にはたいした才能も伸びしろもないからな。上限が見え始めてるのに続けてる意味がわからないってことだったのか」
「ち、違います!そんな…そんなつもりで言ったんじゃないです、私は…!」
 慌てた様子で否定する紗依莉に対して憤ることもなく、晴はただ納得したように頷いただけだった。
「いやいや、別にフォローはいらねえよ。俺が一番わかってんだから」
「だから本当にちが…。……あぅ」
 否定を重ねようとして、晴の真摯な瞳とかち合い言葉が尻すぼみになってしまう。
 そんな風に晴の行動を否定するつもりで言ったわけでないのは本当だ。本当だが、
「……先輩に能力的な限界が来ているような気がしたのは、否定しません。でも、でも違うんです。だからこそ私は、先輩が……すごいと思って」
「…はあ、すごい、か?」
 やっぱりよくわからなそうに晴は首を傾げるだけだ。
 紗依莉は才能を持った優秀な陸上部員だ。それは自他共に認めていることではあるが、その先への認識は自身と他人とでは大きく違う。
 他の人達は、紗依莉がこのまま陸上選手としてどんどん上に登り詰めていき、やがては高いレベルで大会に出るのだと信じて疑わない。
 だが紗依莉自身は違った。
「私はたぶん、自分の限界を悟ったら、きっとそれ以上は頑張れなくなると思うんで」
 才能に頼りっきりだったわけではない。ないが、それでもきっと恵まれた才覚に支えられてきた部分は大きい。
 才能はあれど、決して天才というわけではない。努力してその才能を活かし切ったとしても、いつかは自分にも『これ以上はもう無理だ』と感じるような上限にぶつかる日が来る。
 そんな日が訪れた時、きっと自分はもう頑張れない。
 たとえばそれはRPGのキャラクターのように、上限まで上げたレベルのキャラはそれ以上強くはなれない。システム上の仕様なのだから当たり前だ。
 この世界もそういう仕様で、そこに住む自分達にもその上限値が存在して。
 個人差もあるだろうが、いつかはその上限に到達して、それで終わる。
 紗依莉は、それがとても怖かった。
「先輩は、もう今以上速くなれないかもって思ったことはないんですか?」
「そりゃあるよ。一年に何十回も思ってる」
 あっけらかんと言ってのけた晴に、今度は紗依莉がよくわからないという表情を見せる。
 そんな後輩に、晴は部長としても先輩としても教えてやることにする。
「肝心なのは継続する力。努力を投げ出さず意地でも続けること。…って俺の同級生は言ってたけどな、まあそういうことなんじゃないか?せっかく高校生活を部活動で謳歌してるわけだし、最後まで全力で駆け抜けたいだろ。頭打ちだとか限界だとか、んなもん怖がってたら部活に限らずなんにも出来んわ」
 真面目ぶった表情で喋ることが照れ臭くなったのか、晴は汗の滲んだ顔にタオルを押し付けてぐしぐしと擦りながらそっぽを向いて片付け始める。
 未だ晴の言葉に戸惑いを見せているのが背中を向けていても気配で窺える。
「はあ…」
 軽く溜息を吐いて、使用した道具を回収しながら振り向かずに晴は少し虚勢を張る。
「ならサエ、お前は俺を見てろ。今から引退までの間に、さらに記録を更新してやる。限界なんてもんは簡単に超えられるんだってのを、俺がお前に見せてやる」
 部員の不安を解消してやるのも部長としての役割だと自身を納得させ、さらに自分自身へ発破を掛ける二重の意味で晴はそんなことを言い放った。
「…ハル先輩…」
 事実、晴は一時限界だと思っていた記録からさらに伸びを見せた。実績を出している以上、その言葉にも多少ながら説得力はある。
 なによりこの先輩なら、やってくれるような気がしたのだ。
 誰よりも一番にこの人の頑張りを見て来たからこそ、そう思えてならない。
 亀裂の入り始めた限界という名の壁を、いつかぶち壊してくれるのではないかと。
 だから、
「…はいっ!信じてますから。ずっと見てますから。だから…見せてくださいね、部長!」
 いつもの元気を取り戻したと分かる声音でプレッシャーを掛けてくる紗依莉に、運動のそれとはまた違う汗をかきながら、部長東堂晴はただ背を見せたまま『任せろ』とだけ返した。
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