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第五話 野球部その弐 《副部長は今日も頭が痛い》

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 今年の春に入学してきた一年生の中に、驚異的な身体能力を宿した化物みたいな少年がいた。
 その少年は持ち前の身体能力に加え、天真爛漫につき傍若無人な性格をしていた。そのせいかよくよく小さな問題を起こし、それが積もり積もって教師達からはちょっとした問題児扱いされている。
 だがやはりそのフィジカルには目を瞠るほどのものがあり、一部の者達からは畏敬や尊敬の眼を向けられていることもあった。同様に、その有り余る力を是が非でも味方に付けたいと思う者達も。
 野球部部長藤沢拓斗もそんな中の一人である。
「|東雲《しののめ》ええええええええ!!」
「またっすか藤沢センパイ!?」
 昼休みの廊下をドドドドと埃を巻き上げながら全力疾走する二人の男子。追う側は拓斗、そして追われる側は件の驚異的身体能力保持者、東雲少年。
「早く入部届に名前を書いて血判を押せ東雲ぇ!!」
「嫌だって何度も言ってるじゃないっすか!ていうかオレまだ昼飯食ってないいいいい!」
 僅かに毛先の逆立った黒髪を風になびかせて、夏服の裾をズボンから出して胸元のボタンをいくつか外している東雲が背後を振り返りつつ疾走し叫ぶ。
 不良というわけではない。売られた喧嘩は無敗で買い続けているし、恰好も模範的とは言えないが、学校へはきちんと通っているし授業もちゃんと出る。
 ただ元気が有り余っているのと性格的にじっとしていられない性分をしているせいで意図せず問題を起こしてしまうのが東雲という男子なのであった。
 それに彼の起こす問題は、何も彼自身が引き起こしているものが全てというわけでもない。
 白紙の入部届片手に東雲を追い掛ける拓斗のさらに後方から、ラインの入った紺色ジャージ姿の男性が凄まじい形相で追っていた。三年生の体育を担当している教師だ。
「藤沢止まれェ!!昼休みから何を騒いでおるか貴様等ッ特に東雲ー!」
「アンタどこ見て走ってんだよ先生!?どっからどう見てもオレが被害者ですよ!!」
「廊下は走るな東雲!早く止まってこの書類に名を記入しろ!!」
 三者三様に自らの言い分を叫び散らしながら、階段を下り廊下を抜けて追い掛けっこの次なるステージは中庭に移ったようだ。
「あーあ…」
 二年生の教室が振り分けられている三階の廊下で、尊は窓から中庭の様子を眺めながら片手で額を押さえる。こうなる前に兄を止めたかったが、どうにも遅かったらしい。
(まさか昼飯も食べずに行動を起こすとは、我が兄ながらどうにも読めないなあ…)
 今からあの一団を追っても一足も二足も遅い。こうなれば彼らが教師に捕まって連行されるのを職員室前で待つしかあるまい。
「あ、タケちゃん」
 そう考えて一階職員室を目指し足を向けた時、教室の引き戸が開いて横合いから声を掛けられた。
「なになに、また部長さん絡みで何かあった?」
 ヘアピンで前髪を左右に分けておでこを出した同学年の女子が、こちらへ向けた尊の表情を見るなり苦笑しながら悩みの種を即座に見抜いた。
「よくわかったね、|那月《なつき》…」
「そりゃまあ、マネージャーとして部員のことくらいは把握しとかないとね」
 首を傾けながらウインクして見せて、那月は教室から出て尊の隣に並ぶ。
「どうしたの」
「部長さんとこ行くんでしょ?私も行くよ」
「…何も面白いことないよ?」
「部長さんは存在が面白いからね。様子を見に行く価値はあるかなって」
 片手に昼食の菓子パンを持って、那月が歩き始める。
「……ふう」
 先んじて廊下を進んでいく那月の背中を目で追って、尊は短く浅い吐息を漏らす。
 まったく兄は人気者だ。同性からも、異性からも。
 そんなことを考える弟は、それを自身がどんな気持ちで考えていたのかを深く察することはしなかった。いや違う。
 したくなかったのだ。



   『第五話 野球部その弐 《副部長は今日も頭が痛い》』



「部員勧誘に熱心なのは結構だがな、もう少し落ち着いてやれ藤沢」
「申し訳ありませんでした!!」
「ご迷惑お掛けしまして…」
 職員室にて、体育教師のお説教を受けた拓斗は勢いよく頭を下げて熱意ある謝罪をする。その隣で、身内の不祥事に尊も同様に頭を下げていた。
 結局東雲は捕まらず、衰えることない疾走で拓斗からも教師からも逃げ切って見せた。途中、通り掛かった陸上部部長が『おー、いい走りだ。うちに欲しいなあ』なんて能天気に呟いてたくらい、その走力は見事の一言に尽きた。
 ちなみに東雲は放課後改めて職員室に呼び出されるらしい。彼は今回追い掛けられただけで特段悪いことはしていないのだが…。
 拓斗への説教もそれほど長くは続かず、窘めるような軽い調子で注意するのみで済んだ。
 元々礼儀正しく何事にも熱心に打ち込む藤沢拓斗という人物への教師勢の信頼は篤い。ただ、時折熱心が過ぎるあまりに暴走してしまうことがあるのも理解があった為、今回もさほど厳しく叱られることはなかった。
「あ、おふはれはまでふ」
 藤沢兄弟が綺麗なお辞儀で職員室から出ると、廊下では菓子パンを小さな口でもそもそと咀嚼する少女が片手を挙げて立っていた。
 それを見た拓斗はすぐさま眉を逆ハの字に立てて、
「コラ那月!廊下で立ち食いするな!野球部の品性が疑われるだろう!」
 ついさっき大声張り上げながら廊下を走り回った男の発言とは思えないが、拓斗は至って大真面目に後輩のマネージャーへ注意を促した。
「え、えぇー…」
 案の定、那月は今の発言へツッコミを入れたらいいのか素直に謝ればいいのか困った表情で隣に立つ尊へと助けを求める。
「っていうか兄さん。あまり騒がないように勧誘しようねって昨日言ったばっかりじゃん…なんでこうなるの」
 昨夜、兄弟は部屋でそう取り決めをしたはずだった。くれぐれも学校で騒ぎを起こすような真似はせず、平和的に東雲へ接触しようと。
 しかし結果はこれだ。一体何のための取り決めだったのかわからない。
 拓斗は若干申し訳なさそうに、だがそれ以上に堂々と胸を張って、
「平和的に入部届を持って教室に入ったら逃げられたのでな!そうなればもう強引に血判を押させる他あるまい!?」
「いやいやいや……早い、早いよ。強引な手段に出るのが早過ぎる」
 全然平和的に事を済ませようとする気がないことが判明し、尊は持ち上げた右手を左右に振りながら左手で頭を押さえる。
「あはははははっ!あはっ、あはは!!そりゃ逃げますって!だって東雲君それ一度目じゃないもん!部長さん六月くらいからアタック仕掛け続けてますからねっ!」
 そう。拓斗が飛び抜けた身体能力を持つ新入生に目を付けてから、これまで行って来た『勧誘』の回数は既に十や二十を超えている。もはや東雲は野球部部長の姿を視界に入れるだけで逃走体勢に移行するほどに警戒心を露わにしていた。
「ぐぬぅ…流石に手荒が過ぎたか。仕方ない、次は穏便に投網でも打ってみるか……」
「やめてっ!これ以上私のお腹をよじれさせないであははははは!!網で捕縛することのどこが穏便っあはっは!はははっくぅ…!!」
 実に口惜しそうに歯噛みする拓斗の言動が見事にツボにはまったらしく、腹を抱えての大笑いで副次的に発生した腹筋への大ダメージに顔を顰める那月。
 その姿はとても楽し気で、その二人はなんというか…とても、傍目からもお似合いに見えた。
 尊は苦笑と共にそんな一風景に溶け込み、何事もないようにいつもの自分の役目を全うする。
「ほらほら、いつまでも職員室前で騒いでるとまた怒られるから。もう教室戻ろうよ」
 兄と同級生の背を押して、尊は昼休み終了近い廊下をずんずんと進む。
 自分の兄と会話を楽しむ那月の様子を横目でちらりと窺ってみれば、その顔は大笑した直後だからか少しばかり赤らんでいた。
 果たしてその赤みが本当に|それだけ《・ ・ ・ ・》なのか定かではなく、だからこそ想い寄せる尊にはそれ以上の表情を盗み見ることは出来なかった。
 尊が頭を痛める原因は、きっと部長であり兄である拓斗のことだけでは、きっとない。
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