トップに戻る

<< 前 次 >>

花々木々の章

単ページ   最大化   

 その木は、これまで誰も踏み入る事のなかった場所に静かに佇んでいました。
 その場所は、虫、花、木、そして動物。ありとあらゆる多種多様な生命に溢れ、いつとも無く燦々と太陽の降り注ぐとても暖かい場所でした。生命が隆盛する上において、この上なく理想的ともいえるその環境の中、ひと際目を引く雄々しい濃い緑の葉をつけた木がそれです。
 圧倒的な時間の波の中を、本来、あり得ないほどに長く生きてきました。それは、いち生命体が生きていくことの出来る時間を圧倒的に超越する長さでした。
 その間、約5000年。
 5000年とは、長いようで、何とも短い時間でした。
 その木の周りをにぎやかに彩ってくれる美しい花がいました。時に支えあいながら悠久に近い時間を共に過ごしてきた別の木たちがいました。芳しい香りを放ってくれるハーブだってありました。夏にはセミの、秋にはスズムシの合唱に耳を傾けました。鳥のさえずりも、動物たちの休息も、虫の羽音さえも飽きることなく、いつまでもその木の周りでは繰り返されました。
 そう考えると、5000年の間には、実に数限りない生命がいつも横にいて、そうして、いつも先にいなくなっていました。いなくなれば、すぐに、全く新しい同じ命がそっと寄り添ってくれるのです。

 それは、まるで過酷な運命を受け入れてくれたこの木に対する神の愛情のようにすら感じる事が出来ました。

 その木は、5000年前、今の世界で時間軸の中心になる。と、運命付けられ、何よりも最初に誕生しました。
 新しい世界が出来上がるたび、その世界に今後登場するであろう命の形の中のひとつから、誰かの意思で選ばれる一つの命には絶対的責務がありました。
 世界の始まりから、世界の終焉までの全てを見届けると言う大切な責務です。
 以前、この責務を、「死ぬことを拒否したファラオ」に背負わせた事もありましたが、5000年と言う時間の重みにそのファラオは耐え切れなかったのでしょう。そのファラオは、その世界の終わりと同時にどこかしらへと消えていってしまいました。
 それからも何度か人間に対してこの責務を与え続けてはいたのですが、誰も5000年と言う時の中で務め上げることなど出来やしませんでした。そして改めて今の世界では、穏やかに何事でさえも受け入れることの出来る植物、中でも、この木が選ばれたのでした。
 この木にとっても、5000年と言う時間は、短いものではなかったのですが、そうであっても先に述べたとおり、常に数限りない生命たちが横にいてくれた為にちっとも退屈でも、寂しくもありませんでした。
 むしろ、この誰かが決めたであろう5000年と言う時間に物足りなささえ覚えていました。

 この今や誰も踏み入る事の無い場所にかつて訪れた人間は、わずか一人だけでした。

 しかし、今日、それ以来久方ぶりとなる人間が訪れました。
 やってきた男は、痩せ型で、髪もぼさぼさ、髭も伸びっぱなしで、何故か悲壮感の漂う目をしていました。その姿は、もう何年もまともな人間としての生活をしていないように見えました。手には、大きめのボストンバック。持っているものはそれだけでした。
 「絶対に誰にも見つかる事のない場所で、どうしてもやりたい事がある」とだけ木に告げ、転がしてきたボストンバックをおもむろに開けました。中には、ちんまりとした一人の少女の姿。少女は、両手を後ろできつく結ばれ、両足首も緊縛され、とても小さく収納されていました。そして、深く深く眠っているように見えました。
 男は、木に少しだけ話しかけました。
 「かつて、時間について随分と研究した事がありましてね、その内容を永遠収集冊子なんて本にまとめていた時期も随分と長くあったのですよ。その中で、どうしても試して見なければいけないものが2つほどありましてね・・・いえ。本当はひとつだったのです。それがねぇ、もう少し手身近に出来そうなものが分かってしまいましてね。それで、誰にも見つかる事のない場所を探しておりました訳なのですよ。元々あったひとつはですね、有名な時間学者の三戸恭介氏の提唱した、『時間は、実は100年に50分の1秒ずつ短くなっていく。』と言う学説なんです。ほら、よく子どもの頃と比べて、大人になるにつけて時間が早くなる気がする。と言うじゃあないですか。実は本当に物理的に短くなっているんじゃあないかと言う話です。学会じゃあ、異端として、誰からも相手にされなかった説ではあるのですが・・・仮にですよ。その学説が本当だとしたら、5000年経つと、1秒はなくなってしまうのですよ。5000年に一度時間がなくなるのだとすれば、その瞬間がどうなるのか・・・想像すれば、何だか心の辺りがドキドキとして、眠られなくなってしまいます。でも、5000年は待つには長すぎる・・・」
 木は、自分がその5000年を生きてきたと言う事を告げようとしましたが、それが、この男にとって、何の意味もないことと考え、ただ、耳を傾ける事にしました。
 「私はね。永遠・・・と言うものについて、知りたいのですよ。」
 「永遠・・・?」
 その言葉を聴いた瞬間、木は不思議な恐怖を覚えました。それが、一体何からやってくる恐怖なのか、それはわかりません。ただ、本能的に感じた恐怖でした。
 「そして、もっと身近な方法を知ってしまった。それが、この少女です。・・・どうか、あなたは、これからココで私の行う行為をどうか、一切目をそむけずにご覧になってください。」
 男は、ボストンバックの中から大きな肉きり包丁を取り出し、右手に構えました。
 「ここなら、どんな大きな声を出しても、誰かの耳に届く事はない。」
 そして、静かに、その肉切り包丁を少女の左手の薬指にあてがいました。
 「これは、あの夜から決めていた事だから・・・」
 右手に力が入りました。
 ピッと鮮血が飛び散りました。
 男は、それに動じることなく、そのまま右手を引いていきます。骨に当たる辺りで、何度もゴリゴリと肉切り包丁を動かし、そして、最後に皮をうまく切り取るとボトッと鈍い音を出して、指がひとつの肉塊となって地面に落ちました。少しだけ、引きちぎったミミズのようにウネウネと動き、そして、切断面からは止め処なく血液が流れ出していました。
 「よく眠っているから、指のひとつ位では、起きないようですね。願わくば、このまま安らかに眠り続けて欲しい。苦しみもがく姿など、見たいわけではないのです。私は、快楽殺人者じゃあないのですよ。」
 そうつぶやくと、男は、そのまま左手の指全部を同じ要領で切り落としていきました。飛び散った血痕が、木を赤く彩り、地面を更に赤く染めていきます。
 それでも、男は淡々と少女の解体を続けました。
17, 16

  

 木は、その少しだけ前にやってきた男の事を思い出していました。

 その男は、今から春が2回くらい過ぎる前にここへやってきました。
 それは、「手のひら収集家」の男。
 彼は、すでに、50年をはるかに超える時間をこの世界で過ごしておりましたが、そうであっても、ここに来て、永の年月ライフワークとして行い続けてきた「人の手のひらを収集する」と言う、少々狂気染みたその趣味を捨てることを決意しました。
 男は名前を「可螺間 エリ悪」と言いました。
 その名前が果たして本名だったのか、今はもう分かりはしませんが(それ以上に、木は名前などに興味を示してはいなかったのです。)とにかく、男は、名前をエリ悪と呼ばれたく希望していました。木も、その男の気持ちを尊重し、男の事をエリ悪と呼びました。
 エリ悪は、その5000年に近い時間の中を生きてきた、雄々しい木を乾いた左手でさすりながらつぶやきました。
 「生きとし生けるものすべての命には、二通りの保存方法がございます。ひとつは、そのものの中身を全てかき出し、そうやって皮と骨組みだけを残すのです。特殊な溶液など使いまして・・・そうそう、中には、綿など入れなければ、形(なり)を留める事など出来ませんが・・・そうやって、最後には縫い付けてやる事で、中身がすげ代わりはするもの、元と同じ様相は、触る事さえ許される至極の存在と相成ります。もうひとつは、そのままに、これまた特殊な溶液など使いまして、いわゆる防腐処理を施すわけであります。そうやって、漬け込んでやる。以降、触る事は叶いませんが、そのヌメヌメとした様相は何とも艶かしく、艶やかにして繊細。まるで、母親の羊水に浮かぶ胎児の如く。こちらも、至極の存在としか言いようはありますまいて。前者を剥製。後者をホルマリン漬け。・・・と俗には、言います。」
 木は、エリ悪の言の葉に静かに耳を傾けました。
 「かつて、私、可螺間エリ悪は、そのうちの後者。詰まる所のホルマリン漬けにひどく傾倒し、そうして、数限りない人間の手のひらをホルマリンに漬け込み収集し続けました。手のひらには、その人の人生が色濃く。それはそれは色濃く残るわけでございます。それを、こう・・・眺める事が好きでしてね。ライフワークとでも言うのでしょう。収集は、止められなかったのでございます。いや、それには、少しだけ訳があるのです。」
 エリ悪は続けます。
 「実は、人間の体中の細胞は、1年立てば全て一新してしまう・・・と言う、現実をご存知でしょうか?つまりは、1年も立てば、今この場に立っている、私、エリ悪も、ひとつとして同じ細胞など持ち合わせていない人間となり、再びこの場に立つ事になるのです。それを、別人・・・と呼ぶ事を人はしませんが、生物学上には、別人なのです。ただ、魂が同じなばかりに、それを、同じ人間として、我々は考えるでしょう。私、エリ悪も同じでした。」
 エリ悪は少しだけ、昔を眺めるような目をし、「どうしようもなく愛してしまった人がいたのですよ。」とだけつぶやき、更に木に語り掛けました。
 「究極の愛とは何か・・・私、エリ悪の場合はですが、それは、ひとつとなる事でした。方法は、無限の通りあります。その中で私、エリ悪が選んだものは、いわゆるカニバリズム。その愛した人を食べつくす事により、自らの血肉にする。そうして、ひとつになる方法でした。・・・ただ、雑食性の生き物の肉は臭くて食べられやしないのです。それは愛した人だとしても同じでした。そこで、私、エリ悪は、知恵を持った人間らしく、とあるひとつの工夫を致しました。どうしたのか。実に単純な事です。つまり、その愛する人を自分の部屋に監禁し、首輪をつけ、桃の実だけを与え続けたのです。毎日毎日毎日毎日毎日毎日・・・それは、人間の細胞が全て新しく入れ替わるであろう1年をはるかに超え、3年と126日の間続きました。そうすると、細胞を作るための養分が全て桃だけになるものですから、その愛する人は体臭をはじめ、体液も、体を構成するありとあらゆるものが桃の様相を呈していくのです。それは、さだめし美味しかった。桃の香りを嗜みながら、じっくりと時間をかけ、解体、腑分けを行い、最後には、真っ白いテーブルクロスの上で、まるで、五つ星レストランの高級フレンチでも貪るかのように、その肉を食していきました。もちろん、ナイフとフォークを使ってですよ。その愛する人の名前は桃子と言いました。ただ、残念な事に、私、エリ悪は、あまり料理がうまくは無かった。苦労いたしましたよ。魚を捌いた事も無かったものですから、人間の解体など、そう易々と行えるものではありませんでした。もちろん、傷だらけ。中には、一生残るような深い傷だってあったはず。それがこれ。苦労の後です。」
 エリ悪は、そうつぶやきながら、木に自らの手を見えるように差し出しました。
 「そんな思い出の詰まった手のひらを眺めるたびに、私、エリ悪は強く思ったわけです。つまり、その他大勢の方の思い出が詰まった手のひらもまた眺めて見たいと・・・ですがね、もう、それも止める時がきたのです。桃子を食べたその日は、うたた寝を永遠に続けたくなるような春の日でした。そして、あれから23年度目の春が過ぎ去りました。桃子を食べた事を後悔などしてはおりませんが、桃子とひとつになってから、23回も自分の体が一新してしまったと考えると、22年前に自殺するべきだったと言うばかり、今になれば思うわけです。ただ思うのは、この死に切れなかった老体が果たして、朽ちるべきなのか、生きるべきなのか。そんなことばかりなのでございます。」
 木には、さまざまな鳥が巣を作って暮らしていました。
 実は、その日、カケスの子どもが巣立ちの時を迎えていました。
 木は、エリ悪の話に耳を傾けながらも、カケスの巣立ちにもひどく心を奪われていました。
 その事に、エリ悪自身も少しだけ気が付いたのでしょう。そう話した後、ストンと木の根元に腰掛、それ以上何も話さずに、ウトウトとし始めました。

 数日の時間が経ちました。

 木は、静かに考えていました。なぜこのエリ悪なる男がココにやって来たか。
 少し前にエリ悪は、木にどこかで買ってきたはけの酷い荒縄を何重にも巻きつけ、それを自分の首にあてがってぶら下がるように死にました。
 この場所には、実に多種多様な生物が存在しています。それぞれの命は、それぞれの事情で懸命に今日をそして、死ぬまで止め処なくやってくる明日を生きています。
 木にとって、それは当たり前でした。
 この世界に、生命を受けた以上、それは、当然の摂理だったのです。
 そうであっても、木はこの日初めてその摂理を拒絶した生き物を見ました。それが、エリ悪だったのです。
19, 18

  

 木は、これまでに聞いた事のないような苦痛に満ち満ちている悲鳴で不意に我に返りました。

 少女が、激痛に目を覚ましたようでした。

 少女は、自分の置かれている現状を理解できず、不協和音のような悲鳴をあげながら、もう指の一本もなくなった手足をバタつかせ、暴れました。
 しかし男は、少女がどれだけ、耳を劈くような悲鳴を上げ続けても、白目をむいて泡を吹いても、懇願しても、発狂し暴れても、失禁しても、粛々と少女を解体していきました。
 木には、この行為の意味が分かりません。
 それは、あの日のエリ悪が、摂理を拒絶した瞬間に感じた疑問に近いようで、実は異なるものでした。
 かつて、木は何度もよく似た光景を目の当たりにしてきました。ある時は、犬にかみ殺されるウサギを、またある時は、鷹に食いちぎられたネズミを、そしてまたある時は、鹿に噛み千切られる草たちを見てきました。
 そのどれもが、捕食を目的とし、殺す相手に対しても惜しみない敬意を持つものであり、逆に、殺される側も、その全てを受け入れ、ただ静かに殺されていきました。
 しかし、今、目の前で繰り広げられている光景は、何の感情も持たず、粛々と解体(木には、その行為が捕食を意味しているようには見えませんでした。)する男と、その事実を拒否、拒絶し、そして、助けを懇願する少女だったのです。
 それでも、木は男に言われたとおり、その一部始終を見続けました。
 見続けながら、木は、深く考えていました。
 全世界的に、人間によって木の仲間たちが切り殺されている事は知っています。木は、人間が生きていく為に仲間たちを切り殺す事は、この世界の摂理であり、ただ受け入れるべき事象であると考えていました。
 考えてはいましたが、もし人間が、今、目の前で行われているように、粛々と何の感情も持たずに、ただ仲間たちを切り殺しているならば、それが一体何のための事なのか。木は全く理解できません。
 木は、これまでに殺されてきた仲間たちの事を思い、もうどうしたって悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。
 エリ悪が目の前で死んだ時、こみ上げてきた感情の正体も、その瞬間に理解できました。
 それは怒りでした。
 多くの仲間たちを殺して、生きながらえている人間が、本来なら殺した命の分を背負って生きていかなければいけない人間が、その摂理を拒絶し、自らの命を絶った事への怒り。
 その後ほんの少しして、木の感情は移ろいゆく空の模様のように変わったいきました。今度は、悲しみでした。
 悲しみ。
 悲しみ。
 悲しみ。
 悲しみ。
 悲しみ。
 悲しみ。
 悲しみ。
 悲しみ。
 悲しみ・・・

 植物たちは、音ではなく感覚で会話を行います。
 それは、空間的隔たりに全く左右されない優れた会話方法で、どんな遠くに居たとしても、すぐ横にいるかのように、会話を行う事が出来ます。木が世界中で、仲間たちを人間によって虐殺されていると言う事実も、この会話の中で知る事が出来ました。
 そんな中、一人の仲間が、人間に切り殺される直前に語りかけた言の葉を、木は思い出しました。

 「よく美しい花のようになりたいと言われます
  よく美しい木のようになりたいと言われます
  よく綺麗な花のようになりたいと言われます。
  よく雄大な木のようになりたいと言われます。
  本当にそうなのでしょうか?
  私たちは永遠に愛する仲間を抱く事も出来ません。
  私たちは永遠に自由に動くことすら出来ません。
  生まれてから死ぬまでただ雨に焦がれ、他の力におびえ続けながら、その運命を受け入れ生きているだけなのです。
  人に生まれれば、愛する人を抱きとめる事が出来るのですよ。
  人に生まれれば、どこまでもどこまでも歩く事が出来るのですよ。
  人に生まれれば、海が出来るまで涙を流す事だって出来るのですよ。
  私は、人になりたかった。」

 木は、泣きました。
 風に身を任せ、木の葉をざわんざわんと揺らして、大声で泣きました。
 それは、この少女に感情移入したわけではありません。この少女と同じように、人間によって何の感情も持たずに粛々と切り殺されていった仲間たちの事を思い、その時の心情に同調し、悲しくて仕方がなかったのです。
 寿命を全うできず、もっと長く他の生物に愛されながら生きていきたかったと願いつつ殺された仲間たち。人間に生きるためではない理由で無為に殺されていった仲間たち。そして、時間軸の中心として誰も立ち入る事のない場所で、5000年間生きてきた自分の運命を思って泣きました。
 やがて、少女は、何の声も上げることがなくなりました。
 恐らくは、息絶えたのでしょう。
 男は、それでも、粛々と少女を解体し続けます。
 男は、これまでの大勢の人間と同じように、木の感情など鼻にもかけず、足元に生きる数限りない命たちを夥しい血液で赤く染めながら、少女の命を奪い取りました。
 しかし、男は絶命した少女の体の解体を止めようとはしません。
 ひとつずつ、ひとつずつ少女の体の突起物を肉切り包丁でコリコリと切り落としていきました。

 木は、どうしようもない悲しみに包まれながら、それでも、男の一挙手一投足全てを見続けました。

 最初は、殺されていった仲間たちに思いを馳せながらその行為を見続けていたのですが、その行為が3日目を迎えた頃に少しだけ、不思議に感じるようになりました。
 つまり、なぜ、死んでしまったこの少女をいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも・・・解体し続けるのか・・・
 もう少女は、原型などなく、酷く小さな赤い肉塊になっていました。
 それでも男は、少女の(もう視認することも困難な)小さな突起物を肉切り包丁でコリコリと切り落としていきます。
 悲しみに満ち溢れていた木は、時間とともに正気を取り戻し、そうして、少しずつ「実は、人間は人間で、何がしかの目的を持って命を奪っているのかもしれない」と考えるようになりました。それが、生きるためでない以上、摂理からは逸脱するのですが、そうであっても、仲間たちが意味もなく殺されたわけではない。と言う事実があるだけでも、何だか、木は少しだけ救われた気がしたのでした。
 思えば、あの人間に切り殺される直前に語りかけた一人の仲間が切り殺される最中にも、木に語りかけていました。

 「ただ、私は花々木々。
  穏やかに全てを受け入れ、
  いつとなっても当たり前にあまねく人間を受け入れていくのです。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。
  私は、花々木々。・・・・・・」

 誰も踏み入る事の出来なかったこの場所に、わずか数年の間に2組もの人間がやってきた事は、ひとえに人類の文明の発達による部分が大きかったのでしょう。そういう意味で、5000年と言う時間は、実に、絶妙な長さだったのかも知れません。それ以上長くなれば、人間がこの場所に現れすぎる。それ以下に短ければ、人間はこの場所にただの1人も寄り付けはしない。
 木は、世界の始まりから、世界の終焉までの全てを見届けなければいけません。
 その中にあって、見届けたものを評価する必要もあったのです。
 それは、次の世界に大きく影響を及ぼす評価でした。

 今、この世界が誕生し5000年が経とうとしていました。

 さらに4日と17時間の時間が流れました。
 「これが・・・これが最後の突起物だ。これを削り取れば、完全なダルマ死体の完成。何と小さく、それで居てしっかりとしたダルマなのだろうか。」
 そういうと、男は、血液が固まり、赤く染み込んでしまった右手で最後の突起物を落としました。もう小さくなってしまい、肉切り包丁では切り落とせなくなっていたので、小さなボンナイフを使って、その突起物を切り落としました。
 完全なダルマの完成。
 もうほとんど視認出来やしない小さな突起物が静かに地面に落ちました。

 その瞬間、何の音もなく目の前の空間に大きな亀裂が入りました。
 亀裂はどこまでもどこまでも続き、そして、次第に空間自体が剥がれ落ち始めたのです。
21, 20

しもたろうに 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る