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第三十六話 埋まらぬ差

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「貴様を知っているぞ、陽向旭。次期当主と評された退魔の人間。かつては歯牙にもかけぬ若輩だったが」

 晶納が憑百琥庵との激戦を展開していた頃、別の場所でも陽向と憑百の衝突は始まっていた。
 ただしその状況は一目瞭然。

「……数年を経て、未だその域とはな」

 うつ伏せに倒れ微動だにしない旭を見下し、憑百家当主は心底つまらなそうに短く吐き捨てた。

「興醒めだ、埃を被った陰陽の一派なぞやはりこの程度か」



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 時は僅かに遡り、旭は一人の男に襲われている少女二人を発見した。
「見つけ…っ!?」
 まず最初に敵と見定めたのは憑百の戦装束を纏う黒色の男。それの正体を、四年前のトラウマに近い圧迫感からして看破した旭が驚愕に呼吸を忘れる。
「え…?あっ」
 さらに驚くべきことは重なり、勢いで割り込んだ瞬間に目が合った少女も声を漏らす。
 少女…人外としての実質的な年齢は不明だが少女にしか見えない妖精種。憑百家当主との遭遇と同じ一件で知り合った彼女が、どういうわけかこれまた知り合いの幻獣種・ユニコーンの白を背中に庇いながら珀理に襲われていた。
「また…か。いい加減目障りだ退魔師。疾く死せよ」
 突如横合いから現れた新手にも一切動じず、珀理が五指を開いた腕を向ける。来たるべき致命の一手に全身が震え出すのを全力で押さえ込む。
 かつて手も足も出せず、逃げる算段さえ付かなかった経験が思考を蝕む。既に敗走を前提として考え掛けていることを自覚した上で、自らの内にある恐怖と絶望を握り潰した。
(怯むな臆するな!気持ちですら、心ですら負ければ闘う前から終わりだぞ!!)
 自分自身を鼓舞し切り替える。逃げるべきではない、背を向けるべきではない。
 歩琺術が壱、限りなく基本を踏襲した〝|禹歩《うほ》・|九赫禊良《くかくけいら》〟にて全身を巡る気を正し、肉体の強度と異能の運用効率を引き上げる。それを施した状態からの身体能力倍加…出し惜しみ無しの三百倍。
 さらに周囲を回転する九つの陽玉。完全なる戦闘モードの陽向旭は火力特化の晶納でさえ手を焼くほどの実力を有す。
「逃げて!ここは僕が引き受けた!」
 牽制で撃ち飛ばした陽玉五つの突撃に着いて走りながら声高く叫ぶ。
 まずもってあの娘らは無害だ。不運にも巻き込まれてしまったようだが、特異家系者の不逞は同じ特異家系者の自分が正すべきである。彼女らは関係ない。
 僅かな逡巡を見せた妖精の少女だったが、自分がいることで戦闘の邪魔になるという理解を素早く処理し大きく頷いてから白を抱きかかえて身を翻した。
「お気をつけて、ください!その人やっぱり何か普通じゃないので!」
(そうだともさ、異質な能力を持つ一族の長が普通であるはずがない!)
 憑百珀理。四年前の実力が全盛だったのか、あれからさらに腕を上げているのか。
 それを知ることは出来ずとも、現段階では格の違いは以前として大きいままだということを、その後の数分間で旭は身を以て知る。



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(いた、本当に!アルが言ってた通りだった)
 退魔師の青年。命を狙われていたところを救ってもらったかの恩人。ようやく会えたと思っていたのに、よもやまたしてもこんな状況下での再会になるとは。
 妖精の薄羽で飛んでいくリリヤが周囲を見渡しながら安全だと思える場所を探す。本来ならこの街を出ることすら考えなくてはならないのだが、感知した二つの気配は間違いなく前に自分を襲って来た者達のそれ。あの執念を鑑みれば、どこまで逃げたところで追って来て暴れ回ることだろう。もうアルが向かったもう一つの方からは破壊音が立て続けに響いてきている。
 幸いこの街には退魔師が張ったと思しき人払いの結界がある。無暗に遠方へ逃げるよりは被害を抑えられるはずだ。
 とはいえど。
(わたしだけ逃げているわけにはいかない…また、わたしだけが)
 薄羽の魔物。以前にも今回にも、あの男はそう蔑称していた。狙いは妖精種たる自分しかいない。
 そしてまた、同じ人間に助けられようとしている。何もせずに、ただ見ているだけで、見ず知らずの人外に無償で手を差し伸べてくれた人に報いることも出来ず。
 陽向旭。ロクに話も出来なかった初対面時に、唯一交わした互いの名前。
 彼を助けなければならない。他人事ではないのだ、この一件も。
 夜空をなるべく低く飛び回りながら、腕の中の白に囁く。
「白ちゃん。わたし、あの人のところに戻らなくちゃ」
「……アキラを、たすけにいく?」
 白から彼の名前が出たことを多少意外に思ったが、考えてみれば彼はアルと共に白を救出する為の戦いを挑んだのだと聞いたことがあった。つまりは白にとっても見殺しにできない顔見知りの相手である。ならば尚更だ。
「うん。少しだけ、待っててもらえるかな?心細いかもしれないけど…」
 本来ならば共にいて守らねばならない、今この場にいないアルの代わりに。だから自分が身勝手なことを言っている自覚もきちんとある。
 それでも白は、両腕に抱き留められた内で小さく首を左右に振ってリリヤを見上げた。
「……へいき。アルや、アキラを、たすけてあげて。シロはきっと、あしでまといだから」
「そんなこと」
 無い、と言い掛けてやめた。この子は聡い、今の状況において戦闘能力が皆無であることがいかに足を引っ張る存在となるかを理解している。下手な慰めも言い分も必要ない。
「…一度人のいない家屋を探して、ちょっとだけお邪魔しよう。大丈夫、わたしと精霊達が必ず君を守るから。安心して待ってて」
「……ん。リリヤも、がんばって」
 頭を撫でてにっこりと微笑む。
 良く分かった。なるほど白という少女は、幼くもアルの傍に寄り添う者として相応しい胆力と精神を宿した子である。
(必ずアルと一緒に戻らないとね。それと…旭さん、にも)
 正直言って荒事は苦手で嫌いだが、私情を挟んでいられる場合じゃない。躊躇いを捨て、使うことを決意する。
 五大精霊の寵愛を借り受けた力を。



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 リリヤテューリと白は無事に逃げおおせた。稼いだ時間は十二分と言える。
 確かに憑百珀理は強大な敵だ、旭では敵う相手かどうかも分からない。何せ底が見えないのだから当然だ。
 しかし、いくらなんでも開始数分でダウンさせられるほど柔ではない。これまで積み上げてきた修行も鍛錬も、仮想敵としてイメージしてきたのは常に陽向家先達の御歴々。そして到達できるとも思えないほど遥か高みの域にいる特異家系の当主達。
 神門と憑百。
 その当主を相手に闘っている今こそが、圧倒的脅威を脳裏に刻み付けて鍛えてきた四年半の研鑚を遺憾なく発揮すべき場面に他ならない。
「興醒めだ、埃を被った陰陽の一派なぞやはりこの程度か」
 うつ伏せに倒れる旭へと降って来る侮蔑の声。近付いて来る足音。勝負は決したと言わんばかりの様子は顔を見なくとも分かった。
「―――〝劫火捌式・|巴翔環《はしょうかん》〟」
 だが違う、これからだ。
 両手をついて跳ね起き、旭の背後から三つの火炎が円盤状に形を整えて回転し珀理に襲い掛かる。
 五行術の一つ、火行の|捌《はち》。炎を円環に変えて術者の意のままに操る攻性の業。ただし旭の真名たる陽玉を直接捌式に変換しているこれは本来の威力を上回る。
 死力を振り絞らねばならない、これはそういったレベルの闘いであり相手だ。
 だが、
(仮に僕が全力で…闘えば)
 晶納との一戦などの規模では済まない、おそらく街が一面焦土と化す。
 まだ街中には人が少なからずいて、結界の影響で人払いに応じられなかった状況の人間達は諸共意識を断絶させてもらった。
 そもそもが想定外なのである。この手の敵を相手にする場合、陽向家の退魔師は通常念入りな準備の下に討伐を実行する。
 強大凶悪な人外を相手取る時、隠形結界だけでは到底足りぬ被害と規模であると断定された時、彼らは専用の舞台を用意するのが常だったのだから。
 退魔師が編み出した、加減を必要としない戦場。
(|模界《ぼかい》でもないと被害を押さえ切れない!だって言うのにこの人はッ…)
 聞いてはいた。憑百家は特異家系が共通して重んじている一般人や街への過度な干渉と危害の厳禁、その全てを無視した暴挙を繰り返していると。
 その報告通り、今の憑百珀理に周囲への気配りは皆無だ。旭を殺害することだけを考え、それ以外をまるで気にしていない。立ち回り方を間違えればたちまちの内に街は荒廃の様相を呈することとなる。
 街を守るか、全力で敵を倒すか。両方は当然選べない。どちらかを選べば必ず不利になる。
 これほどまでに理不尽な戦況は初めてだ。思考に割いた数秒の内に捌式の円環は素手で散らされてしまった。
 何かを纏っている、その全身から放たれる〝憑依〟の正体は分からない。だが確実に伸ばされた腕以上にリーチを持った凶刃が眉間に迫っているのを圧迫感で察する。
「くぅっ!」
 回避に首を曲げたその時、旭と珀理の間から土が競り上がり互いの間合いが分断される。状況を理解するより速く、珀理の直上からいくつもの炎弾が垂直に落下して来た。着弾の直前でさらに珀理を囲うように土が盛り上がり、爆炎と衝撃は逃げ場を無くしたまま珀理ごと土の殻の内側で激しい振動と爆発を重ねる。
 滅魔の当主に襲い掛かる土と火。そのどちらもが旭達の扱う五行の術よりも速く強く、数段上の技量で繰り出されていた。およそ人の身では操り切れない高位のそれであることは、同じ五大属性を基礎的に学んできた退魔師の彼にも瞭然たること。
「旭さん、陽向旭さんっ」
 それを行ったのが人の身ならざる者であることもまた明確だったし、だからこそこの場面で援護してくれたのがあの妖精だということも疑いようがなかった。
 振り返り、礼を言いつつも苦い顔を隠し切れない。
「ありがとう、助かったよ。……でもどうして、白は?」
 二人にはなるべく遠くへ、憑百の手が及ばない遠方まで逃げ延びていてほしかったというのに。
 妖精種、リリヤテューリはゆっくり頭を振って、
「白ちゃんは安全な場所まで。ひとりにさせちゃったのは申し訳ないなって思いました…でもわたしだけ何もしないわけにはいきません。アルだって闘っているのに」
「アルも来てるのかい!?な、なんてこった……ということは晶納が向かった先に…」
 あそこには憑百だけではなく血気盛んな妖精までいたということ。三つ巴になっていなければいいが、どうにもあの二人は相性が悪いように思えてならない。
 心配だ。確かに心配だが、今はこちらに集中しなければ。
 先の攻撃で判明した、この少女は妖精種の中でもとりわけ高い力を持った者だ。もし手を貸してもらえるというのであれば、これほど助かることはない。
 土の殻が内側から震える。今度は炎弾による衝撃ではない。閉じ込められている珀理は脱出不可の大爆発の中でも生きていたということか。
 話している時間はそう残されていない。
「……っ、力を貸してくれるかな、リリヤテューリ。街への被害を最小限に、彼を倒したい。僕だけでは両方こなせるだけの力が無い。助けてほしい」
 我ながら情けないとは思う。だが人と人外その双方を守る為なら旭は恥も外聞もかなぐり捨てる。そんなくだらないものを優先させるわけには断じていかないのだ。
 殻が破られ、黒煙に紛れて男が一人ゆらりと歩み出る。土埃と煤に汚れていても傷は一つも見当たらない。
 半透明の羽を開き、旭の隣に並んだリリヤは険しい表情のまま頷く。
「もちろんです。それに彼らは放置していると良くないことになります。きっと…|人外《わたし》達にとっても、|人間《あなた》達にとっても…」
 強い確信を抱いて放たれた言動に心中で同意を示し、こちらの戦場でもまた、人と妖精が手を組んで最悪の脅威に立ち向かう。
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