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第七話 現れる最後の勢力

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 退魔の家系『陽向』には様々な受け継がれた術法がある。
 特殊な文様や文字を書き連ねることで特定の効力を引き出す札を生み出す符術。
 陰陽五行を基盤とした木火土金水の属性を操る五行法。結界にも用いられている身隠しの隠形術、独特の歩みと歩数を刻むことで意味ある現象を発現させる歩行法。
 他にも魔を退け打ち倒す為の術は説明し出したらキリが無い。
 そんな中で、もっとも彼ら退魔師が信頼を寄せるのは、自らの名。これこそがどの術よりも強く、凄まじい効力を発す。
 陽向家は産まれた子らに必ず『陽光』に関する、あるいはそれに連なる文字を与える。闇を払うは陽の光と、大昔から相場で決まっているのだから。
 そこにはきちんと意味を成す構成と術が練られ、真名として封じ込め確立させる。
 これの解放は、文字通り自らの全存在を掛けた大一番ということ。だからこそ乱用することは厳禁とされている。
 今回の真名解放許可は、人面犬以外の脅威を予感した陽向|隷曦《れいき》の認可あってこそのものだったが、結果的にその判断は正しかった。
 |旭《あきら》とは、字面通り『九つの日』という意味。さらに『旭』には東から出る太陽、つまり夜明けの意味も含まれている。
 すなわちは朝昇る日、|旭《あさひ》である。
 夜の街を照らし出す九つの光る玉は、まさに夜明けの太陽そのものであった。
 陽向旭、九つの朝日を従える者。
 その真名は、陽向家の歴史の中でも破格。トップクラスの性能を秘めていた。
 旭の突撃に合わせ、まず周囲を追随していた九つの陽玉の内三つが先手として放たれた。
「フン、くだら…」
 回避ではなく迎撃を選んだ憑百珀理は、接触の寸前でその玉の脅威に勘付き目を見開いた。すんでのところで錫杖を振り上げ陽玉の二つを打ち逸らす。咄嗟の判断で打ち損ねた一つは身を捻って避ける。
 躱した陽玉が突如速度を殺し、回避動作を行った珀理のすぐそばで静止した。
「…チィ」
 舌打ちし、すぐさまその場から跳び上がる珀理をカッと音を立てた玉の光が襲う。
 即断で黒衣の袖で顔面を覆ったが、視覚の不全は防げても陽光の放射熱までは防げなかった。陽玉の灼熱が発火点を超え、黒衣の所々が燃え出す。
 空中で身を高速回転させ振り回すことで消火は間に合ったが、片膝を折り曲げて力を充分に溜め込んだ旭の蹴りにまでは防御が間に合わなかった。
 旭の持つ異能“倍加”の効力は、肉体の身体能力・五感・その他機能を倍々にして強化する能力。
 それを今は全身の能力強化百倍に設定して循環させてある。
 脚力百倍強化の一撃は、たとえ特異家系の異質な肉体であってもノーダメージとはいかない。
 生々しい骨肉の悲鳴を脚から伝え聞きながら旭は足を振り抜いて珀理を建物の壁まで吹き飛ばす。直後に周囲を同じく滞空していた残り六つの陽玉を突っ込ませた。
 |本物の太陽《オ リ ジ ナ ル》と同等とはいかずとも相当の高熱を蓄えた六つの小型太陽が、壁に激突した憑百珀理へ殺到し壁面ごと白煙と黒煙を交えながら熔解、爆散。ドロドロに融けたアスファルトとコンクリートが鼻に突く悪臭を撒き散らす。
「く、人間同士で…しかも同じ特異家系で殺し合う必要は無かっただろうに…!」
 生かして止める選択肢は最初からなかった。相手の意表を突くことを織り込み済みで仕掛けた手加減抜きの一手だ。『旭』の真名を初見で見抜ける相手はそうはいない。だからこそ初見殺しで即死を叩き込む他に手を見出せなかった。
 もし先手を取られていたら初手で殺されていたのは旭の方だ。邂逅時の一瞬で受けた猛攻があったから尚更、旭は実感していた。
 当主の実力は疑うべくもない。生かすの殺すの半端な甘い考えのままで勝てる相手じゃなかったのだ。
 一階部分が完全に熔解したせいで建物が倒壊する。真っ赤な溶岩が、崩れ落ちる残骸を飲み込んで次々融かしていった。
(…晶納は大丈夫かな。日昏も…援護に行きたいところだけど、まだ出て来ていない最後の勢力が気になる。昊にもう一度探してもらって…)
 熔解と炎上で巨大な火柱となった建築物だったものへ背を向けて、次に優先して向かうべき場を考える旭の前に、何者かの気配があった。
 加速度的に変化していく状況への思案に頭がいっぱいで気付くのに数瞬遅れた自らの愚かさを悔やむも、前に立つ相手は何も行動を起こしてはこなかった。
「…あっ」
 炎上する建物の赤色に照らされて、小柄な姿が長い影を引いている。背中の薄羽が、炎と手元に集めた九つの日の光を吸収・反射して眩く様々な色へ変換していく。
 憑百が薄羽の魔物と呼んでいた正体。それは人外種族固有の特徴として生えている『妖精の薄羽』。
 数ある人外をそれぞれ出自や由来から分別する内の一つ、妖精種に分類される少女が色素の薄い長髪を夜風に流し小さく口を開いて旭を見ていた。
 魔物、などであるはずがあろうか。
 一度ならず二度までも、陽向の退魔師を魅了させた儚げな少女のどこを見て、魔と断じたというのか。
 学生服を模した白基調の要所要所にあしらわれたフリル。胸元と腰の後ろに結ばれた細紐のリボン。セーラーワンピースと呼ばれる系統の洋服を纏った上から少女には大きい純白のローブを羽織っている。薄羽は直接背中に生えているわけではないらしく、洋服とローブを挟んだ上から間接的に展開されていた。
「君、は…?」
 しばし思考を中断させられた旭は、ようやっと口を動かしてそれだけを声に出来た。相手もその短い問いの意味を察し、すぐに胸の片手を当てて、
「あ、あの。わたしは妖精です。わたしのせいですよね、その怪我。だからえっと、引き返してきて。それでそれで」
 しどろもどろな少女の拙い説明では把握しづらいが、どうも妖精の彼女は自分を追っていたはずの憑百が、たまたますれ違った旭へ標的を変更したことに罪悪感を覚え戻ってきたらしい。
 確かに憑百珀理との交戦の根底には彼女が関わっているが、だからといって逃げ切れたはずの最大好機を捨ててまで赤の他人の為にUターンしてきたというのか。
 妖精というのはここまでお人好しなのか。退魔師としての任務をいくらかこなしてきた旭にも、害を撒き散らしてきたことのない妖精種とは戦うことも関わることもなく、当然これが初遭遇だ。
「そっか、うん。……君は、どうしてこの街に?何故憑百…あの男に追われていた?」
 どうしてか旭も落ち着かず視線を彷徨わせながら途切れ途切れの質問をすると、少女は首を振るって顔を俯ける。
「わかりません、いきなり襲われて…。わたしは、この街にいる彼に、これ以上悪さをしないようにって注意をしに来ただけなのに」
「彼?」
「はい。犬の身体に人の顔をした、えっと……としでんせつ?って呼ばれてる、わたしと同じ『人ならざるもの』の彼」
 人面犬。今現在この街を縄張りとしている都市伝説の凶悪な人外。
 妖精の少女は人面犬の暴挙を止める為にこの地へ来たと言った。
「人面犬と面識があるのかい?」
 少女はこくんと頷く。
「何度か。人間さんを襲っちゃ駄目ですって言っても聞き入れてくれなくて。今回もそれを言う為に来たんですけど、何か今回はおかしいです。不思議な力を持つ人間さんが大勢いて、あの男の人もわたしを見てすぐ攻撃してきました…」
 都市伝説の脅威は陽向の集落にも少し前から話に上がってはいた。だからこそ五人もの退魔師が派遣されたのだ。
 運が悪いことに、憑百も同時に動き始めたことでこの街で三つ巴の抗争が勃発。人面犬への接触に赴いた妖精もそれに巻き込まれ、滅魔を信条にしている憑百の一派には特に強く目を付けられてしまった。
 話を聞いた上で予想する事の全容はざっとこんなところか。
「そりゃ、災難だったね」
 純粋に苦労を労う苦笑を向けると、旭がさっきの|憑百《にんげん》とは違うと判断したのか、妖精の少女もいくらか表情を柔らかくする。
 少女の可憐な容姿と声にドキドキしながら、旭はふと思う。
(…あれ?それじゃあ、昊が感じ取った残り一つの勢力は一体…)
「は、はい。一緒に来ていた仲間ともはぐれてしまって。どこに行ったんだろ、レ」

「滅す。薄羽の魔物」

 少女が誰かを探すように視線を彷徨わせ話す途中で、背後の火柱の奥からゾッとするほど平坦で冷淡な声色の誰かが喋った。
「ッ!」
 旭が体ごと振り返ると、炎上していた建物が内側から爆ぜて四方八方へ燃える瓦礫と溶岩を吹き飛ばした。
 片手で少女を庇ったまま展開していた九つの陽玉を操作して迫る瓦礫と溶岩を迎撃する。が、飛んでくる速度に対応し切れない。
 額、脇腹、太腿。陽玉で撃ち落せなかったものは自身の身体で受ける。痛みの熱と実際の溶岩の熱とで全身からぶわっと汗が噴き出る。側頭部を掠めた溶岩が頭皮を溶かし激痛に歯を食いしばる。
「フン…」
 轟々と燃え上がる火炎の中から、夜の闇よりなお濃密な漆黒の塊が姿を現す。その中心にいるのは憑百珀理。表皮から噴出する邪気が全体を覆い、もはや着ている黒衣と同化して黒単一の怪物と化していた。
「……“|憑依《ひょうい》”か!」
 吐き捨て、陽玉を周囲へ再配置。少女を庇ったまま構える。
 代々神職として『憑百』の家系が継承してきた、神霊亡霊の類を身に降ろす降霊術“憑依”。
 発動前に仕留めたかったというのに、あれだけやってまだ甘かったというのか。
「滅す。邪魔する退魔師も、滅す」
 淀んで真っ黒に混濁した眼球がギョロリと旭と背後の妖精を真っ直ぐ見やる。凶暴な悪霊か死霊でも宿らせているのか、その黒い邪気からは|夥《おびただ》しいほどの悪意を感じ取れた。
 歯の根が合わない。意思で押さえ込めるレベルを超えている。本能が、人の領域を外れた悪意を前に衝突を避けろと叫んでいる。
(これ、が、憑百。これが当主…その力…!)
 やはり旭の考えは正しかったのだ。正確に理解していたのだ。
 特異家系の当主、継承される力の到達点。
 そこへ至った相手を前に、勝ち目などあるはずもない。
 勝利などといった夢物語をすぐさま捨て去り、旭は全身の震えを堪えながら最善を探す。
 自身が生き延びる策、仲間と共に逃げ延びる策、…少女を逃がす策。
 一秒すら無駄に出来ない中、必死に懸命に考えて考えた。
 だが駄目だった。
 とてもこの短時間で、妙案などは浮かびようはずもなかった。少なくとも、この時の旭に全員の存命と撤退を両立させる最適解は導き出せなかった。
 他の誰にも出来なかった。妖精の少女にも、少し離れた場所で交戦していた日昏にも、晶納にも、誰一人として。
 だけど。

「おーすげぇ。それが『憑百』のお家芸ってやつか?」

 珀理と旭が行った戦闘の爪痕を見渡しながら革靴でじゃりじゃり砕けた地面を踏んで、彼は莫大な力を宿す邪気の塊を無邪気に笑って指差して、場にそぐわぬ呑気な調子で言った。
 漆黒に染めた両眼で、憑百珀理は新手の存在を認めて小さく短く呟く。
「…貴様は」
「んぁ?あー、おれか?んんー、でも言ってもわかっかなーお前に」
 顎の無精髭を指で擦って、横合いから現れた男が一切の気負いも無く、

「『|神門《みかど》』ってんだ、おれ。お前はあれだろ、『憑百』んとこで当主やってんだろ?|おれと同じで《・ ・ ・ ・ ・ ・》」

 だけど。
 誰もが出せなかった『最適解』は、勝手に向こうから歩いてきた。

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