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第九話 立て続けの殺意

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「…神門…」

 破けた黒い僧服の随所から血を滲ませる憑百珀理が右手で握った錫杖を支えにして瓦礫から起き上がる。左腕は、先の一撃でどうしようもないほどに破壊されていた。
 そんな、不自然な方向に捩れ折れた左腕から不気味な音が黒い瘴気と共に吐き出される。
 まるで汚染され尽くしたような黒色の邪気が内側から噴き上がり、ひしゃげた左腕の形を強引に整えていく。腕の内部で無理矢理に人体を変形させている不快な音が鳴り続け、機能を放棄していた左腕を覆った邪気で絡繰仕掛けのように再稼働させる。
 虚ろな光を灯さない瞳で、珀理は肩を竦める神門を視界に入れる。
「グロいなー“憑依”ってのは。破壊された人体もある程度は代替が利くってことか」
 自分が壊した左腕をしげしげと眺める神門へ視線を固定させたまま、スッと両眼を細めた珀理の様子から旭は次の動き出しを予感した。
 その予感は違わず的中し、珀理の黒衣全身から真っ黒の煙のようなものが全域へ噴出される。
「邪気…!吸わないで、身体に異常をきたす!」
 悪霊や死霊の放つ有毒な気体を吸わないよう、旭は前面に展開した九つの陽玉の力を解放させて周囲の邪気から自身と少女とを守る。退魔師の家系として多少なりともその手の有毒に耐性のある旭さえ息苦しさを感じる黒い靄に包まれる中、視界を奪った珀理と平然とした様子の神門とが衝突する爆音と会話だけが耳に入る。

「神門…何が狙いだ」
「だぁから言ってんでしょが。お前を止めに来たんだ。ちょっとはしゃぎ過ぎたっぽいんだよ、お前ら『憑百』は」
 ギャリィッ!!

「門の守り人が、その程度の理由で割り込むのは納得がいかん」
「別にお前に理解や納得を求めちゃいねーさ」
 ベギンッ!ガギ、ガガガガガ!!

「…死ね、時短き最強の当主。所詮貴様は燃え滓だ」
「そだな。でも燃え尽きるその時までやっぱりおれが最強だ」
 ガガギギッ、ゴゴン!ヒュゴッ!!メシャ、ブチィ!!!ドドドゴッッガァン!!!!

 濃密な邪気の靄が憑百と神門の四肢がぶつかり合う衝撃で噴き散らされるも、すぐさま珀理の全身から再び視界を覆う漆黒が展開される。そんなことが数度繰り返される中、次第に激突音は激しく高くなっていく。不明瞭な視界の中、旭はまるで巨人達が木や街灯を引き抜いて叩きつけ合っているのではないかと錯覚するほどの激烈な戦闘を目で無く肌で感じ取っていた。
「…………フン」
 一際強く衝撃と突風が吹き荒れると、今度こそ邪気の靄は完全に霧散して消え去った。
 晴れた視界に映ったのは、神門の男一人のみ。憑百家当主の姿はどこにもなかった。
 ただし、神門の周囲にはおびただしい量の血と肉片が散らばっていた。それらが無傷で佇む神門のものでないことは一目瞭然で、それはすなわちあれだけの力を宿した怪物をさらに圧倒してみせた彼の異常さをも表していた。
「逃げたか。…うーん。もう少し痛めつけておくかね」
 退屈そうに欠伸した神門が、逃走したと思しき珀理を追うべく身を沈み込ませた時、不意に背後を向いてついさっきまでの戦闘を前に動けずにいた旭と少女を見た。
 神門はまず妖精の少女に向き直り、
「悪いね、お騒がせした。もうじきお仲間もこっちへ来るだろう。とっとと離れた方が良い」
「え、あ…はい」
「それと退魔の君」
 こくこくと頷いた少女へにっこり微笑んでから、神門はふと視線を僅か鋭くして警戒を強めたままの旭へ瞳をずらす。
「代々の退魔を担う『陽向家』、その次代の候補者…だね?」
「だとしたら、どうにかしますか?僕も特異家系の出ですが」
「はっは、別に特異家系者を問答無用で襲ってるわけじゃない。あの憑百と一緒にすんない」
 わざとらしく破顔してけたけたと笑う神門が旭の懸念を一笑に付すと、それとは別に何か含んだ物言いで続ける。

「ただ陽向の家はそろそろ限界かもしれねぇぞ。そうやって人外を倒すべき守るべきで見境付けたいのなら、その信念固く保てよ」

「…?」
 言葉の意味を理解しかねている彼へ、神門はもう一度優しく笑う。今度は作った笑みではなく、本心からの笑みを。
 人ならざる少女を庇う少年。
 全ての特異家系達の本質・性質を理解している最強の神門家当主は、退魔師陽向旭の今後をほんの少しだけ楽しみにしておくことにした。
「んじゃ」
 軽く片手を挙げて神門が背を向ける。
 街灯が砕け深遠の闇となった街の奥へと一息で跳んで消えて行った神門を見送る旭は、重たかった体が急速に軽くなっていく感覚に意識を引き戻した。
 脅威が全て去ったことによる安堵感からの脱力。それだけが体の軽さを感じさせた要因ではなく。
「ごめんなさい。少しだけじっとしていて。すぐ終わりますから…」
 旭の脇で彼の腕を抱き寄せるように両手で抱えた妖精の少女が、真剣な眼差しで見上げて言う。
 少女の両手からは淡い光が発生し、それが伝って旭の腕から全身へ広がっている。それが決して害あるものでないことを旭は知っていた。
 世界各地に存在する無数の人外達を存在の発祥や出自、特性などから大別させた呼び方の内、この少女が該当する妖精種の人外には共通した能力が二つある。
 一つは自然界に住まう微力な精霊種の力を借りて束ねて行使される元素の掌握能力。そしてもう一つは他者の身体を癒す治癒の光。
 今旭の全身を包んでいるのは後者の力だった。憑百珀理に叩きのめされた傷が、みるみる内に塞がっていく。
 完治までにはさほど時間は掛からなかった。
「へえー…見事なもんだね」
 体中の傷が治ったのを手で触って確認し、旭は感嘆の息を吐く。溶岩を食らって融けた頭皮すら元に戻っていた。驚きの治癒能力の高さだ。
 人外種の持つ固有能力は、その個体の格の高さで大小強弱が大まかに決まる。これだけの治癒をこの速度で行う妖精種ともあらば、おそらくは相当な位階の存在のはず。
「どうもありがとう。助かったよ」
「いえ、もともとはわたしのせいですから…」
 表情と背中の羽が、申し訳なさそうにしゅんとしおれる。そんな彼女へ、旭は今さっき気になったことを訊ねてみることにした。
 纏う雰囲気は粛々としていながら麗人としての品格を隠し切れていない。先程の治癒といい、この少女が見た目以上に位の高い妖精であることは明白だった。少なくとも、ただ人外が暴れていた現場に直接姿を現して行動を諌める為だけに足を運ぶような立場にあるとは思えない。
「君は一体」
 何者だい?そう訊ねかけた旭がそれを言葉にし切る前に、彼女よりいち早く察知して“倍加”を巡らせた両足で地面を踏み抜き少女から離れる。
 すぐ傍にいた妖精の少女へ被害が及ばないように計算された軌道で、見事に旭だけを狙った攻撃がさっきまで立っていた場所へ殺到する。
 半透明の剣が数本、地面に突き立っていた。避けなければ貫通したそれらに命を奪われていたであろう、明らかに殺意を持って放たれた攻撃。
 瞬時に敵と見定めた旭がその姿を探す前に、地面に深々と突き刺さった半透明の剣からごぼりと奇妙な音がして、その剣が形を失った。
 ざばりじゃばりと剣が液状化して突き刺さっていた場に溜まる。
(水…)
 形を成していた剣を構成していた正体が、何らかの特殊な力を込めて固形化させていた水であると旭は理解する。陽向家の扱う術式の中にも、五行法を基盤とした五つの属性を操るものがある為、それ自体にはさほど疑問や驚きは生じなかった。
 それを放った相手は、緩やかに夜空から降りて来て少女の前で跪く。
「申し訳ありませんでした、姫様。特異な人間共を振り払って来るのに、予想以上に時間を要してしまい…」
 開口一番に深く頭を下げて謝罪する少年へと、少女はゆるりと首を振るう。少女にとって大事なのはそこではなかった。
「ううん、大丈夫だよ。でもねレイス?」
「姫様、少々お待ち頂きたいのです」
 何事か言おうとしていた少女を押さえ、ゆっくりと立ち上がった少年は藍色に伸びた髪を掻き上げて隠れていた両眼を背後の旭へ向ける。その目にはやはり、攻撃の際と同じく強い敵意が漲っていた。
「貴様だな、人間。姫様への蛮行を働いた愚劣な不届き者は」
「違うって言っても、信じてくれなさそうだけど」
 なんとなく言葉での説得が通じそうになさそうだと判断した旭は、あくまで護身の為に周囲に九つの陽玉を配置する。
 藍色の髪、紫紺の瞳。服装こそこの国に合わせた無難なシャツとジーパン姿だが、おそらくレイスと呼ばれた彼は少女と同じく妖精種の存在。旭としては少女と同様に別段敵対する必要性のない相手だ。向こうは、そう思っていない様子だが。
「レイスやめてっ、この人は違うよ!」
 凛々しい端正な顔立ちの中に、無表情ながらに秘められた絶対の敵対心。背中にぶつかる少女の悲痛な叫びすらも怒りの糧として、その矛先は全て旭へ集約される。
「万死に相当する。生きてる内に万回の猛省をしてから逝け、人間」
「ちょっとは話を聞いてくれないもんかなーもう…!!」
 怪我自体は少女に治してもらったものの、疲労までもは癒せない。憑百家当主との戦闘直後で身体が十全に動かせない旭へと、問答無用でレイスが操る水をもって猛威を振るう。
9

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