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第三話 妖精達の想いと願い

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 神門宅にて、少女のような容姿の妖精は畳敷きの部屋にぺたりと座り込んでぼんやりと日の暮れ始めた夕焼け空を眺めていた。
 既に守羽達が出立して半日が経過している。向こうでは、おそらく一日と半分程度は立っているだろう。
「…ねえ」
 ぽつりと小さな唇から零れた呟きを、同じ部屋で幼い白埜のおままごとに付き合っていたレンが聞き取る。
「はい、なんですか姐さん」
「……?」
 同様に顔を向けた白埜も小首を傾げてそちらを見る。二人の視線を受けて、空を向いていた両目が部屋の中に戻って来る。
 しばし何事か考えていた様子だった表情は、その瞳は、何かを決意したように揺れを無くして鋭さを増す。
「旭さんは、言ったんだ」
 そうして彼女は噛み締めるように夫の発した言葉を反芻する。それは連れ去られる少し前に、おそらく自らが陽向日昏との決闘の後にどうなるのかを予感した上で放った言葉。
「『君は君の正しいと思うことをしなよ。僕も、そうするから』…って」
 一言一句違わず口にし、ほうと吐息を漏らす。
 その一言は、まるで彼女に決定権を委ねたかのような内容と見せかけて、その実は彼女の行動を極端に制限させる意図であったことを彼女自身が知っていた。
 旭の行動を無意味にさせない為にも、彼女にはこれ以上のアクションを起こすことが出来なかった。それは二人の最も大切とする息子、神門守羽を守る為にも必要なことであった。あの時の言葉は、言外に守羽を外敵から守り自身も危険に晒してくれるなよという意味合いを含んでいたのだ。
 それを分かっていたからこそ、彼女はあの状況で家から出て連れ去られる旭のもとへ向かうことを愚行と断じた。
 だが、その息子は母の制止を説き伏せ行ってしまった。自らに半分も流れている同胞であるはずの、妖精の国。彼にとっては敵地に等しいその只中へ。
「守羽も、こう言ったんだよ」
 家を出る時に玄関で言い残した守羽の言葉と表情は、しっかり覚えている。それがあまりにも父親のそれと似ていたから。
「『これは俺達家族の問題だ。だから俺は俺の思う通りに動く。母さんも、本当にそれが正しいと思うのなら、それをした方がいい』…だってさ」
 やはり親子なのだなと、思わずにはいられなかった。いつも肝心な場面、大事な局面でその遺伝が発揮されてしまっていることを両名は自覚しているのかどうか。ともあれ、三人の家族の中で夫と息子は自身の正道を迷いなく進んで行った。
 なら、残りは自分だけだ。
「……アキラと、シュウのとこ。いきたい?」
 レンと向き合って遊んでいた白埜がすっくと立ち上がり、白銀の髪を綿毛のように軽やかな動きで揺らめかせながら澄んだ瞳で彼女を見据え問う。
 それに真っ向から受け止める瞳もまた、純然たる澄み切った琥珀の色を宿す。
「うん。わたしだけが、ここで待ってるわけにはいかない」
「…姐さん。先に言っておきますけど」
 白埜の隣で胡坐を組んだレンが試すように彼女を見る。
「仮に今から出たとして、もう妖精界では数日は確実に経ってる。事態がどう転んでいても、それに間に合うかはわかりませんよ」
「わかってる」
「姐さんを行かせたとあっては、留守番頼まれた俺がアルや旦那さんに怒られちゃうんですが」
「ごめんね」
「今のあなたはもう昔ほどの力は無い。あるとしても、豊穣の女神に受けた神癒の加護くらいのもんですよ」
「それでも、行く。でなきゃきっと後悔する」
「はい、わかりました」
 散々危険とリスクと迷惑の確認を取った割にはあっさりと、抹茶のような深緑色の短髪をがりがりと片手で掻きながら、もう片方の手を白埜の頭において重そうに腰を持ち上げる。
「なら急ぎましょう。たいした力はありませんけど、道中は俺と…白埜で守ります。頼むぞ聖獣様」
「……おまかせ」
 乗せられた手に自分の小さな両手を重ね、白埜が力強い返事をする。
「うん。…ありがとう」
 同盟の仲間達に心からの感謝を述べ、かつて妖精界を統べる女王として君臨する資格を持っていた彼女は、ただの妖精、ただ一介の夫と息子を想う妻として決意を固める。



      -----
 神門宅での決意が固まって少し後、日が沈み薄闇が空を覆いだした頃。倒壊し崩壊したビルの残骸が散在する廃れた土地で、未だかろうじて原型を保ったままの廃ビルの入り口から内部へ入る影が二つあった。
 体こそ筋骨隆々の人間のそれだが、頭部はそうではなかった。片方は首から上が馬の顔、もう片方は牛の顔。
 それぞれの頭部にはその動物由来ではない角が生えており、馬面には頭部の左側に太枝のようなゴツゴツとした角が、牛面には右側に湾曲した凹凸のある角が一本ずつあった。
 人外、地獄の獄卒とされている鬼性種の牛頭と馬頭だ。
 外での情報収集を終えた二名の鬼が、この廃ビルの一室を根城にしている主へと報告の為に戻ってきたところである。
 数日前、『鬼殺し』の二つ名を持つ神門守羽との一騎打ちにて、右腕の消失と共に敗北を喫した最強の鬼神・酒呑童子がここにいる。
 主が療養している部屋のドアを開けて、まず最初に入った牛頭が何に置いてもまず先に報告を口にする。
「頭目、やはり『鬼殺し』はもうこの街におりません。おそらくはもう出たものかと……」
「出遅れやしたぜ頭領、こりゃもう…あ?」
 続いて入室した馬頭が片手を馬面の頭に当てながら入るが、そこで部屋の異常に気付き声を上げる。
 ここで酒を喰らい傷の治療に当たっていたはずの主の姿が、どこにもなかった。
 牛頭と馬頭は揃って狭い部屋の中を見回すが、あの巨体の姿が隠れられるスペースなどはあるはずもなく。馬頭は首を鳴らしながら疑問符を浮かべる。
「おっかしいな、頭領どっか行ったか?」
 考えられる線としては、大の酒好きである酒呑童子が飲み干して無くなった酒を求めて外を出歩いているというところか。牛頭馬頭とは違い酒呑童子は自身の持つ神通力で人の姿に変化することが出来るので何に気兼ねすることもなく人の世を堂々と闊歩することができる。
「まだ腕が治ったばっかだってのに、元気だなー頭領は。なあ牛頭?」
 お気楽に結論を出した馬頭が能天気に相方へ返事を促すが、当の牛頭は顔を俯けたままで動こうとしない。見れば、俯いた視線の先には片手に摘ままれた紙片がある。それがなんなのか、気になった馬頭がプルプルと震える牛頭を怪訝な表情で流し見ながら紙片を覗き込む。

 『神門守羽がこの街を離れた。気配でわかった。楽しい予感がする。ちょっくら行ってくる。テメェらはそこで留守番してろ。』
 
 端的に、それでいて割と達筆に書かれたそれが主の残して行った書き置きだと理解するのに時間は掛からなかった。
 しばし間を空けて目を数度瞬いてから、馬頭は相変わらず奔放な主のこれまた突飛な行動に呆れにも似た息を吐く。そんな馬頭を背後に、書き置きの紙片をぐしゃっと握り潰した牛頭が額に青筋を浮かばせながら主の名を大声で叫んだ。
 今回はちゃんといなくなる理由を置いてったんだから文句ねェだろ?
 そんなことをドヤ顔で言い切る酒呑童子の姿を配下一の苦労人である牛頭は脳裏に浮かべ、またしても行方知れずとなった主への心労をダメージとして直接胃へ叩き込まれるのだった。



      -----
「ああ、ようやく。ようやくだ」
 青紫に染まる天を仰いで、夜の帳が降りて来るのを睨み上げるは一人の女。狂気的な笑みを湛えて、女はガチリと上下の歯を噛み合わせる。
「神門、神門……神門神門神門神門神門神門ッッ」
 傷が癒え切っていない体になんの配慮もなく、栗色の髪を三つ編みにした女―――人にして人ならざる力を宿す特異家系の出である四門操謳が、血走る両眼を見開きただ一人の名前にあらゆる感情をありったけ込めて口にする。
「…神門…守羽!!!」
 両手足頭部に巻かれた解け掛けの包帯を風に流して、四門は迷いなく足を前に出す。
 目指す先は知っている、分かっている。そこは人の世にあらず。
 
 妖精界に、かつてない波乱が起きようとしていることに気付いた者は、果たして一体どれほどいたことか。
「俺の真名は知っているな?」
 空気中から集められた水分を鞭としてしならせ、三本あるそれを一斉に振るったレイスが確認を取るように呟く。
「グラシュティン、だっけ」
 風の羽を具現させたシェリアが、手足を折り曲げて空中を見えない壁を蹴るように跳び回り水鞭を回避しつつ応じる。
 水棲のゴブリン、民間伝承として伝えられるケルトの妖精グラシュティン。それがレイスという人外の本来の名前だった。
 いまひとつ整合性の取れない説が多々あるこの妖精は、水辺を縄張りとして時折人里へ降りて人間に何かしらの悪事や悪戯を働くと云われている。
 本来のグラシュティンからかけ離れた正しい品性と知性を身に着けたのは個体差だとして、それでもレイスは水棲の妖精としてしっかりと能力を所有していた。
 地水火風、西洋四大属性の内の水に高い適性を持つレイスの水が空中を飛び跳ねるシェリアを追って様々な軌道を描くが、シェリアはそれをものともせずに軽く片手を振るう。
「“|飛天《ひてん》に集え、荒ぶ|斬風《きりかぜ》っ”」
 普段のシェリアらしからぬ小難しい詠唱を、思い出すように諳んじて風に性質を加える。身に纏う吹き荒ぶ風が一部鋭い切れ味を伴って斬撃と化し、それらが水鞭を裂いて空に散らした。
「風の精霊に愛された加護は、この世界においても十全というわけか…」
 打ち消された水を再度集めつつ、レイスと一定の距離を置いてふわりと地に降り立ったシェリアを見据える。
 木々や花々、澄んだ水場や自然の中には微々たる力を持った属性の象徴が存在する。それらは精霊種と呼ばれ、本来であれば個々ではたいした力も無い脆弱な人外である。
 しかしこれらは集い力を合わせることで属性を結集し強大な力とすることも出来る。東洋においてそれは五大属性、西洋では四大属性として扱われ、退魔師や陰陽師なども古来からその力を借りて五行を取り扱ってきた。
 特に自然と密接に関わってきた妖精種とは友好的な関係を築いており、妖精の属性掌握能力はここから端を発している。
 そんな中でも、特に特定の精霊に愛される特殊な妖精というものがいて、そういった妖精は加護持ちとして他よりもより強く高く精霊の力を借り受けられる。
 風精に好かれたシェリアが、まさにその加護持ちであった。その力の才覚たるや、出自の由来から水の扱いに長けたレイスや金行を得手とするアルはもちろん、下手をすれば全ての属性に高い適性を持った妖精王をすら凌駕する可能性を秘めるとされている。
 もっとも、レイスを含む全ての妖精達は未だにシェリアの全力というものを見たことがなかったが。
「レイスが|水の使い手《グラシュティン》でも、あたしは負けにゃい。みんにゃにわかってもらえるまで、あたしは負けられにゃいから」
「……何を、分かれというのだ」
 依然として纏う風を解除せず戦う姿勢を崩さないシェリアに、幾分か疲れた表情のレイスが疑問を投ずる。
「シェリア、お前は何が気に入らない。何故わからない。神門旭は到底許すことの出来ない大罪を犯した。ただそれだけの事実をどうして許容しない」
「だからー!それが変にゃんだってばっ。どうしてアキラがそんにゃことしたのかって、訊いてあげにゃいの!?お話もしにゃいで、それでつかまえてひどいことしておしまいにゃんて、ぜったいにおかしいんだから!」
「いかな理由を持ち出したとて、それが免罪符として通じるわけがないだろう…!」
 憤怒の一端を見せたレイスが周囲で圧縮した水を砲弾、斬撃、水鞭と分けて撃ち出す。再び空を跳んだシェリアが空中戦へ持ち込む。
「あの方を!人間の憎悪に晒して!神門旭がどれほど彼女の身を危険にさせたかお前はわからないだろう!俺は知っているぞ、人間の醜悪さが、彼女へもたらした数々の害を」
 怒りに滾るレイスの攻撃は、雑になるどころかさらに鋭さを増していた。シェリアの風で跳ぶ軌道を読んで、移動先へ的確に水の猛攻を先回りさせてくる。シェリアから余裕が奪われていく。
「特異家系とかいったか、人間共の不毛な争いに巻き込まれ、人の世で傷ついた彼女は神門旭という存在のせいで大切な力を失った!もう…もう彼女は妖精としての力の一部を完全に失ってしまったんだぞ!!」
「っ!んぅっ!」
 移動を読まれた攻撃で動きを止めてしまったシェリアへ、上下左右全方位から水の圧迫が押し寄せる。両手を広げ解放した絶風によって一瞬水の圧力を弱めたシェリアが包囲から脱出するが、その背後からはもう次の攻撃が肉迫していた。
「わっ」
 津波の如く大質量の水が空一面を覆ってシェリアを呑み込む。当然のようにシェリアへ殺意を向けているわけではないレイスは、その水に取り込まれたであろうシェリアを緊縛すべく掲げた片手をぐっと握る。
 無造作に荒れ狂っていた水が、巨大な球の形となって空中に浮かび上がるのを見て、きつく表情を引き締めたレイスが吐き捨てるように、
「……だから神門旭は大罪を犯したというのだ。ヤツという存在がいなければ彼女は幸福に生きられた。少なくとも、彼女がヤツの為に泣いて哀しみを露わにすることなどは決してなかった。なかったはずだった…ッ」
 奥歯を強く噛むレイスが、勝負はついたと言わんばかりに視線を空から地上へ戻す。殺すつもりではなくとも、もうしばらくはあの水球の中で頭を冷やさせた方がいいだろうと判断したが故の処置だった。
 そんなレイスの後頭部へ、刀が切っ先を向けて飛来した。
「っ、どこまでも姑息な男だ、貴様は!」
 一息ついた瞬間を狙い澄ました一投を間一髪のところで水の鞭で弾いたレイスが、憎々しいかつての同胞を強い眼差しで睨み、その相手であるアルは片手で投擲した視線のまま横目でレイスを可笑しげに眺める。
 その視線は、まるで鏡合わせの自分の姿が滑稽だと嘲笑するかのような自虐さを孕んでいた。
 自分の武器を手放して、今まさにラバーからの土の攻撃に噛み砕かれようとするその間際。アルが眼前の土砂を無視して人差し指をレイスへ向け、忠告を与える。
「よう正義漢気取り、気を付けろよ。その|感情《にくしみ》―――渦巻き過ぎると『|反転《お れ》』になるぜ?」
 瞬きの内に膨大な量の土や岩石が降り注ぎアルの姿が消えて、あとには土石で積み上げられた小山があるだけになった。
 しばしアルの言葉を受けて茫然としていたレイスだが、ふと制御していた水球から僅かな振動が伝わるのを感じ取り、ばっと上空を扇ぐ。
「…“|虚空《ぼぶう》|に《び》|散《ぢ》|れ《ぶぇ》、|暴《あば》|る《う》|烈風《べっぶう》!”」
 水中でごぼごぼと篭った声で唱え、水球の外側から水を突き破って中心の猫耳少女へ集合した風が内側から暴風を撒き散らして水球を喰い破る。
 制御を強引に引き千切られ、高空で爆ぜた水球が散らばり土砂降りとして数秒周囲一帯の地に叩きつけられる。
(不意打ちで気が逸れた隙を狙われたか。アルめ…)
 あの戦闘狂がこの展開を予期して刀を投げ飛ばしたのかどうかは不明だが、現実にこうしてアルの一投はシェリアの束縛脱出に貢献されている。あの裏切者の言葉にいくらか動揺を露わにしてしまった自分の不甲斐なさに辟易しつつ、水球から舞い戻った全身ずぶ濡れのシェリアと相対す。
「シュウのお母さんには会ったよ、あたしも」
 肌に張り付いた肩までの黒髪が多分に吸った水を両手で絞って払いながら、シェリアは神門宅へ行った時にあった旭の妻のことを思い出す。
「レイスはそんにゃこと言うけど、あのひとは幸せそうだったよ。でも、アキラとシュウがいにゃくにゃるかもしれにゃくて、悲しそうだった」
 髪に次いで白ワンピースの裾をぎゅうと絞りながらも、自分と同い年か下手をすればそれより下に見えなくもない少女の容姿をした彼女の表情を思い返す。
「アキラさえいにゃければ、にゃんてぜったいだめだよレイス。アキラがいたからシュウがいて、だからあのひとは幸せにゃんだよ、きっと」
 またしても激情に流されて口を開きかけたレイスより先にシェリアが続ける。
「あのひとが妖精界にいれば幸せだったにゃんて、それはレイスのわがままだよ!あのひとはここにいにゃくたってちゃんと幸せに生きてる、生きてたんだよ!それを邪魔したのがレイス…ううん、『|イルダーナ《あたしたち》』にゃんだ!」
「…な」
「だからアキラをかえして!アキラは悪いことしてにゃい。だってあのひとはその『たいざい』ってののおかげで幸せににゃれたんだもん」
 シェリアには色恋沙汰はよくわからない。好き合う男と女が一緒にいることでどうしてそこまで幸せになれるのかもよくわかっていない。
 でも、特定の誰かと一緒にいる時に心が満たされて、とても居心地が良いことは知っている。
 それは同じ組織の一員だったり、兄姉のように慕う人間の少年や少女だったり、…いつでも元気付けてくれる悪霊に憑かれた少年だったりと様々だが。
 とにかく、シェリアにはそれを邪魔することが正しいことだとはどうしても思えなかったのだ。

「アはハハハはッ、いいぞ猫娘!!お前今いいこと言ったッ!!」

 土石の山の中から大笑いする声が響き、勘付いたラバーが動いたがもう遅い。
 ズバンッ!!と、山を斬り裂いて血だらけの青年が姿を現した。その手には、先程手放した名刀童子切安綱ではないもう一本背負っていた刀が引き抜かれている。
 褐色の肌に鮮血の朱色が混じるアルが、血を滴らせながら片刃の剣を振って叫ぶ。
「覚えとけシェリア!こういう人の恋路を邪魔する馬鹿はな!馬に蹴られて死んじまえばいい連中なのさッ!!」
「へーにゃるほどっ。ん、でも今馬にゃんていにゃいよー!?」
「だったら|猫《そ》の手で張り倒してやれ!俺はコイツでバッサリやる」
 左手で握り直した剣を構え、木槌を手に中腰の姿勢を取ったラバーへ凄惨な笑みを返す。
「禍々しい武器だ、また気持ちの悪い物を創りおってからに…!」
「おいおい、テメエも一応職人だろ?なら自作で力作の一品を馬鹿にされる気分くらい察してくれや。俺だって一応|鍛師《かなち》なんだからよ」
 瘴気すら噴き出しかねない気配を放つ剣を、しかしアルは嫌厭するように体から離して遠ざける。
 アルと出自と同じくする北欧の剣。その由来を忠実に再現したからこそ、この刃には魔性が宿るとされる。
「“|不耗魔剣《ティルヴィング》”だ。安綱に比べりゃチャチな出来だが、ジジイの老骨くれえなら断ち切れるかね」
 かの鬼神ですら認めた戦闘狂っぷりを証明するかのように瞳に剣呑な色を乗せ、全身の傷を無いものとして無視する血だらけの悪魔が、背後の敵を猫耳少女に任せて中年の妖精にあり余る敵意を向けてただ笑う。
9, 8

  

「外界からの侵入者ってのは、今どこら辺まで来てんだ?」
 重鎮達が騒ぎの鎮静化の為に切羽詰まった口論を展開する玉座の間で、妖精王はつまらなそうに手近にいた一人へ訊ねた。
「は!レイス殿とラバー殿がそれぞれ足止めに向かい、残りはこちらの戦力を突破しながら外壁付近まで侵攻を進めています!」
 戦況に頷いて、妖精王は周囲を見回す。
「ファルスフィスがいねーな。もう出たか?」
「おそらく」
「俺の護衛に回ってる近衛も向かわせろ。この世界には戦闘に熟達した妖精はさほど多くないからな」
 一応は有事の際に出撃する妖精達には基本的な戦闘技能の習熟は行わせているものの、それを実際の戦場で万全に発揮できる者となればほぼいない。際立った戦力は数えるほどしかおらず、あとは数の多さでフォローするしかないのがこの世界の弱点にして欠点だった。
 唯一常日頃から模擬戦を欠かさず行っている王の近衛部隊を向かわせ、妖精王は肘掛けの上にトントンと指を叩きながら、
「…おい、外壁を連中が突破しそうになったらすぐ俺に報告を入れるよう全員に通達しとけ」
「はっ、はい…?」
 国の一大事を前に欠伸を噛み殺している妖精王が、呆気に取られている配下へと目の端の涙を拭いながらこう続けた。
「国内に入れるわけにいかないだろ。最悪俺が出る。連中の狙いはわかってるつもりだしな」



      -----
「は、はあ、…ふうっ…!」
 ようやく件の国が視認できるようになって、妖精達の攻撃はより一層苛烈なものとなった。自分達の住まう国へこれ以上近寄らせるわけにはいかないという決意の表れそのもののようで、守羽は侵略者という己が立場を改めて実感する。
 背後で息を切らす静音の様子に注意しながら、遥か前方に見える外壁の上や門から続々と増え続ける妖精の援軍に舌を鳴らす。
 琥珀色の瞳に闘志を滾らせ、静音の護衛と援護を兼ねている音々へ指示を向ける。
「音々、身体強化の唄もっと頼む!それと空飛んでる連中どうにかできるか!?」
「私の口は二つも三つもないっての!」
 そう言い返す音々の言葉の裏側で、不思議な旋律の唄が流れる。まるで喋り続ける音々の声に副音声が伴っているかのように、彼女の口から複数の音が発せられた。
 一つは連携を図る為の言語会話の声。一つは力強く聴く者の心を燃え上がらせる唄声。心地良く鼓膜に吸い込まれていく音を受け、守羽と由音の二人に力が湧き上がる。
 そして守羽の要望によって同時並行でさらにもう一つ、指向性を持って上空へ解き放たれた唄が空に満ちる。
 魔性の唄声によって何十何百もの船や乗組員を海底へ沈めてきたセイレーンの魔声。それは一つの声帯から複数の音を発し分け独特の旋律で意味ある現象を発生させるもの。
 聴覚を侵す魔の唄は、直接精神へ干渉して時に強さを、時に弱さを引き摺り出す。
 薄羽で飛翔し空からの襲撃を画策していた妖精達が、地上から昇ってきた唄に身体の自由を奪われ次々と落下してくる。唄で脳を汚染し四肢や五感への命令伝達を不全にされた妖精に、もはや空を自在に飛び回ることなど許されなかった。
(よし!これで…、ッ)
 意識を地上にのみ注げるようになり状況の好転を見た守羽を、無数の火球が背後の音々と静音ごと覆い尽くす。
「ああ!?守羽!!」
 “再生”頼りの強引な攻め手で三人よりやや前方を先んじていた由音が千切れ掛けた腕を修復しながら驚いた様子で振り返る。そんな由音へは頭上から雨霰の如く巨大な尖った氷の槍が降り注いだ。貫通した氷が地面に着弾すると同時にそれらは一瞬で周辺の大地を凍てつかせ、氷柱の塔を築き上げる。
 氷柱の塔の先端にふわりと白い老翁が降り立ち黒煙立ち込める眼下の戦場を見下ろす。
 一糸乱れぬ完璧な行動を成すは、連帯感を深める為に全員が同一の近衛制服に身を包んだ妖精王の護衛人達。
 火球の直撃を確認しても、彼らはその警戒を少したりとも緩めたりはしない。それは真下の氷柱に敵を封じ込めた氷精ファルスフィスとて同じことだった。
 この程度で倒せる相手であればここまでの侵攻を許してなどいないのだから。
 バサァ、と。黒煙を引き裂いてゆっくりと巨大な二つの羽が左右へ広げられる。
「…」
 自身だけならばいざ知らず、音々と静音をも守るとなると手段は限られていた。躊躇を見せずに背中の羽を最大に展開して蕾のように守羽は自分ごと二人を包み込んで火球の熱波と衝撃を防ぎ切った。
 自分の肩に手を置いた静音が無言で焼け焦げた羽を“復元”させるのを任せながら、守羽は出せる力に|制限《・ ・》が掛けられていることを実感する。
 それは妖精界突入直前、空間の孔を潜る時に行われたアルとの会話でのことだ。

『あ、先に注意しとくけどよ旦那の倅。多分向こう入ったら俺らの力は大幅に削られっから気を付けろよ』
『…さっきも言ってたよな、お前。向こうじゃ自由に力を使えないとかなんとか。どういうことだ』
『俺は元妖精として、お前は半分妖精として属性掌握の能力を使えてるわけだが、ソイツの根本は大気中に生息してる微弱な力の精霊種に協力してもらってる部分が大きい。んで、|人間界《こっち》ならともかく妖精界に満ちる精霊種は侵略者である俺達へは絶対に力を貸さねぇ』
『まあ、自分達の世界にとって敵である相手に協力しようなんて普通思わんわな。ってことは妖精界では属性掌握能力は使用不可能ってわけか』
『素質によるとこもあるがな。事実、風精の寵愛を受けてるシェリアなら西洋四大地水火風の中でも限定的に風の力だけは無制限に使いまくれるはずだ。俺も金行だけは極めまくったからある程度は使えるとは思うが、その出力は本来の半分にも満たない。だから自前で武器持って来てんだよ今回は』

 どの属性にも目立った適性を持たない守羽は、自覚した通りに五大属性の力を使えなかった。以前までは言外の意思疎通で惜しまぬ協力をしてくれた精霊達の声なき声が、今は何も感じない。やはり妖精界と人間界とでは精霊種の認識にも大きな差異があるということか。
 神門守羽を構成している性質の半分はこれで使い物にならないことが判明した。残りは退魔師としての力と、父親から引き継いだ異能、そして『神門』の家系由来の力。
 これまでの連中とは明らかに一線を画する制服姿の妖精達を、守羽はすぐさま戦闘に特化した部隊だと見抜いた。その数は二十ほどか。
「ほう。やはりこれで終わるほど|柔《やわ》ではないか」
 氷柱から跳び下りたファルスフィスも、内側から亀裂を走らせるそれを見て悪霊憑きの少年の動向に気を尖らせる。中心に爆薬でも詰めてあったのかと思うほどの衝撃で氷を粉砕して氷柱を倒壊させた相手を、杖をついたまま老齢の妖精が間髪入れずの追撃で押さえ込もうとした。
 しかし氷漬けにされていたはずの少年の姿がどこにも見えない。
「…む?」
 疑問の声を漏らした時、足元の地面が大きく揺らいだ。察知したファルスフィスが大きく跳び上がると、その場の大地が盛り上がり噴火のように爆ぜて飛び散る。
 直上に十数メートルも噴煙を上げた邪気の獣が空に跳んだ老精霊のことなど放って暴れ回り、近衛の妖精達も巻き込んでがむしゃらに地を砕き土煙で視界を濃く埋めて行った。
「モグラかあいつは…」
 氷柱を砕いた瞬間からその場の地面を掘り進めて地中からファルスフィスへ不意の一撃を仕掛けた相方へ呆れた視線を向けると、獣を模した甲冑のような邪気を纏う由音が親指を立てた片手を向ける。
 いくら騒ぐのが好きで常時テンションの高い由音とて、ここまで無意味に暴れたりはしない。土を巻き上げての目くらまし。守羽達に先へ進めという合図だろう。
 目だけで前進の指示を下し、静音を両手で抱えた音々がそれに首肯して続く。
 深く濃い土煙のせいで視界は不明瞭なままだが、確実に妖精界唯一最大国はすぐそこまで迫っていた。



      -----
「追っかけられると思うなよ!」
 近衛部隊の足止めとファルスフィスとの攻防を同時にこなしていた由音が、完全に土煙の晴れた平野で遠ざかる三つの人影への追手を拒絶する。
「『黒霊の憑代』か…!」
「『鬼殺し』の神門守羽と同じだ、奴を人間と思うなよ」
「了解だ。あの邪気は尋常じゃない」
「確実に全員で叩くぞ」
 東雲由音という存在へ一片の油断もなく身構える妖精達の中央で、杖を両手で突いて立つ白髪の翁を見て由音も確信した。
「お前、『イルダーナ』んとこの」
「ファルスフィスという者だ、東雲由音。シェリアは息災かの」
「『アーバレスター』の!東雲由音だクソジジイ!!よくまあそんなこと聞けたモンだなこの薄情もんがっ!」
 人間界で、レイスと共にシェリアを置いて撤退した彼の爺の姿は嫌でも覚えていた。由音の中では|仲間《シェリア》の言葉に真摯に耳を傾けることすらしなかったろくでもないヤツだと認識している。
「シェリアの言葉、ちっとは聞く気になったか!?」
 ジリジリと左右に広がって包囲網を形成する近衛の妖精達には目もくれず叫ぶ由音に、場にそぐわぬゆったりとした動作で首を左右に振るうファルスフィス。
「いいや生憎と。いつかの侵攻以来、妖精界は裏切者に厳しくなってしまったでな」
「…………ふうん」
 裏切者。その言葉だけで由音は理解した。
 この連中は何もわかっていない。あの猫耳少女の苦悩と葛藤を。何を想い何を考えてここまで来たのか。あの子が何のためにらしくもない表情で涙を浮かべたのか。
 何もわかっていない。
「馬鹿しかいねえのな、この世界は」
 由音は戦闘にのみ限り、相手を選ぶ傾向がある。日常生活では(守羽などの例外を除き)どんな種類のどんな相手だろうとほとんど平均的に平等に接する由音が、闘う時には相手をよく見極めるのだ。
 それは相手を殺していいかいけないか。あるいは手心を加えるか否か。あるいは理解を示そうと努力するかどうか。
 ここの連中には、そんなことを考えてやる価値すら、見出せなかった。
「殺す気はねえよ。こんなクズみたいなゴミ共でも、あの子にとっちゃ大切な故郷の大事な仲間だからな」
 黒色に淀んだ瞳には興味の失せた動く的しか映らない。認識は改まった。
 邪気を纏い呑み込むその声色は、底冷えするほどに冷たく、そしてよく響いた。
「妖精は治癒の力ってのがあるんだろ?じゃあ、いいよな」
 近衛の一人の顔面が潰れ、突き抜けた衝撃波が周囲の仲間を弾き飛ばす。突然の事態に咄嗟に考えたのは恐怖。身に迫る死の気配。殺す気が無いといった相手から放たれる明確な殺意。
 受け止めた上で動けた者は距離を取り、防御に身を固め、回避に専念した。
 攻撃に転じられたのは白装束のファルスフィスのみ。
「殺す気はねえよ。だからもし喰らったら死ぬ前に治してもらえ。でなきゃ、こっから失せろ」
 悪霊を宿す漆黒の獣が、全周包囲する氷の猛威に吹き飛ぶ手足を即座に“再生”させながら最後にそれだけ告げて戦闘に全ての意識を注ぐ。
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