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帰郷

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草野
 まるでムードを感じさせない、輝度の高い蛍光灯に照らされた店内に集まった同窓生たちは、各々の話題に夢中になっている。今回の同窓会で数年ぶりに再会した者も多いのだから、募る話題もまた多いのだろう。しかし、こういう場での話っていうのは大概、一方通行ではないだろうか。
 俺の眼前に腰を据えた椎名は頬杖をつきながら、枝豆の殻をいじっている。
「もし中世に生まれてたら、私は魔女だったんだけどなあ」
 まさしく、前言した理解に困る一方的な言葉である。だけど、椎名は昔からこんな調子だ。
 とはいえ、この会が開始されて間もない時は、彼女も近況についてあれこれ、親しみ易い内容で話をしていたのだが、お酒が入っていくにつれて、今のような反応に困る話題を投げつけてくるようになった。
 大学卒業を機に、俺が故郷の福岡を離れてから、彼女とも会わず仕舞いであった。しかし今回、五年振りに福岡へ戻り同窓会という機会で彼女と再会した感想は、「健在」であった。
 突然、飛び出す素っ頓狂な発言はまさに椎名の代名詞である。つまり、今の椎名の言葉は実に椎名らしい言葉であった。
 ただ、どこかで聞いたような言葉でもある。
 俺の不安定な大脳皮質に引っかかったのだろうか。
「私みたいな精神障害者は、当時は魔女と見なされてたんだってさ」
「それは裁判にかけられた後に監禁されて、火あぶりに処される魔女だろ」
「だけどさ。現代も病院に監禁されるっていう点では共通してるよね」
「入院と監禁は違う。確かに一昔前なら牢獄のような病室に収容されたものだけど。今となっては、一般病棟も精神科病棟もほとんど変わらない様相だ」
「でも内装だけの話で、病棟自体は閉鎖されているでしょ」
 一理ある。実際、病棟の雰囲気に大差はないが、精神科病棟の出入り口や渡り廊下は厳重に鍵をかけられている事が多い。
「それに、身障、精神領域問わず、入院患者は皆、監禁されているような気分だと思うよ」
「それもそうかもしれない。でも、椎名の学習障害は治ったんだろ?」
「治った。っていう言い方は良くない。基本的に完治するような疾患ではないからね。あくまで次第に軽快してるだけだよね」
 そんなものか。
 椎名の罹患する特異的発達障害、もとい学習障害。これは、読む、書く、話す、計算、理解の能力が障害され、社会的コミュニケーションに大きく支障をきたす疾患である。そして自閉症に似た症状も示すが、基本的に精神遅滞を認めることはない。某ハリウッドスターや芸能人等の著名人が自らの罹患を公表し、現在では精神、発達障害の中でも世間によく浸透した疾患の一つであるだろう。
 いまでこそ快活に話す椎名であるが、これまで。特に学生時代は、相当に苦労続きだったらしい。小学校低学年では同級生とのコミュニケーションが上手くとれずに塞ぎ込む事が多く、高学年にもなると学業に遅れ、ひどいいじめを受ける事もあったそうだ。中学時代にもなると勉強にも慣れ、同級生と円滑なコミュニケーションも取れるようになったそうだが、その陰の並々ならぬ努力による疲労やストレスで「うつ状態」の様な二次的障害を発症する直前まで追い詰められたこともあったらしい。
 その他、彼女の話によると、目で文字を捉えても、その全体像を頭に焼き付け、必要な時に思い浮かべる過程が上手く出来ず、小学校の頃は文字を覚えるために、ひたすらノートに繰り返し書き、手に文字を覚えさせたらしい。中学生の頃には、コツを掴むことができたようで、難解な漢字も数回で覚えることが出来るようになったそうだ。ちなみに繰り返し文字を書く習慣のおかげで漢字テストの正答率はかなり高かったとか。
「それにしても、草野は更に難しい事を言うようになったね。昔は、ただ感心するだけだったのに。まあ、学生時代の草野は魔女裁判で言うならアウト。火あぶりの刑だね」
 学生時代の出来事に思いを馳せて昂っていた矢先に、地の底へ突き落とされた。
 まさか、このタイミングであの話を掘り返すつもりか。
 椎名と出会ったのは高校時代、しかし学校ではなく、通院先の病院。
 俺は、ほぼ初対面の状態で椎名がプリントに書いたお世辞にも上手ではない文字を見て、あろうことか、顔をしかめたのだ。彼女の背景も知らずに。
 椎名は表面に出さなかったが、相当、頭にきていたのだろう。
「それはいいとして、なんで草野は今回の同窓会に参加したの?」
「なんだよそれ」
「いや、これまでの同窓会には一度も参加しなかったのに。どうして今回だけ?」
「たまたま、連休が重なったんだよ。ほら、これまでの同窓会はいつも、普通の土日だけだし」
「そう」と椎名は溜息をつくように言い、目を細める。
 ずいぶん探りを入れてくるな。どういうつもりだろうか。
 だが、椎名の言う通り大学卒業からは既に五年が経っており、一度も同窓会に参加することもなかった者が突然現れたのであれば、妙に思うのも頷ける。
 大学生活内の約四年間、俺はテニスのサークルに所属していた。しかし、大学内に幾つか存在するテニスのサークルの中でも活気のある集団という訳ではかった。テニスに対して意欲や志のある者は活気があり、大学から多く融資を受けている方のサークルへ流れていた。
 事実、俺達のサークルは大半が初心者だったし、俺を含めて碌に練習に取り組まない者が多かったと思う。
 そのような背景もあって、俺はこのサークル自体には特別な思い入れもないのだが。それでも約四年間、続けた事には理由があった。
 時間が経つにつれ、少しずつ懐かしい顔ぶれが減っていく。
 明日が仕事の者もいるのだろう。学生時代は朝まで飲もうと息巻いていた奴らも、今では終電を気にするようになったのかと、妙な所で諸行無常を感じる。しかし、サークルに思い入れがないとはいえ、再会した同窓生を見送るのはやはり、寂しいものがあった。
「あ、私も。明日早番だから」そう言って、椎名は突然立ち上がる。
「おい」
 なんだ、椎名まで。久しぶりに福岡へ帰ってきたというのに、連れないものだ。
椎名
 山田が同窓会に参加するという噂は本当だったんだ。彼は卒業後、ほとんど連絡がとれなくなっていたのだが、同窓生の誰かとSNSで繋がって今回の同窓会に参加するに至ったらしい。
 山田は、大学時代からずっと疑っていた人物だ。
 田原が殺された事件。その容疑者の一人だ。
 サークルに入会し、最初の集会が開かれた時は驚いたものだ。何せ、事件当時に明かされていた容疑者の一人がいるのだから。だが、彼もこうして普通の生活を送っているのだ。捜査の結果、疑いが晴れた、若しくは何らかの罰を受けたが、罪を償い大学に通って私と出会ったか、そう考えるのが妥当だろう。まあ、後者の可能性は低い。なぜなら山田は田原と高校時代の同級生である筈だから、事件当時は高校三年生。高校三年生で罰を受け、すぐに釈放されて大学というのは無理があるからだ。
 だけど、真偽を確かめずにはいられない。そう思いながらも大学生活四年間、勇気を出すことは出来ず。更に五年が経ち、再び機会がやって来た。これを逃せば、もう二度とその機会は訪れないかもしれない。
 それにしても。
 まさか、草野まで来るとは。
 草野は相変わらずだ。能天気というべきか、とにかく何をするにも表面的で、心がこもっていない。心ここにあらずというのか。彼の持つ健忘症がそうさせているのか定かではないが、やはり、上辺だけに感じてしまう。
 それに久しぶりに姿を見せたのも、偶然だと言うし。草野の様子を見ていると、山田の事はおろか、田原の事まで彼は忘れてしまったのではないか。そんな予感さえ生まれてしまう。健忘症のせいかもしれないことは分かる。
 分かるのだが、分別できない妙な怒りが少しずつ込み上げてきた。
 感情を抑えながら、会話を続け、山田が退席するのを見計らい、私も席を立った。
 山田の後を追いかけ、路地裏に入ると人混みが減っており、山田の姿はすぐに見つかる。
 何やら電話をしているのが気にかかるが、仕方ない。
 彼が通話を終え、携帯をしまう所を見て、声をかけた。
 山田はすぐに振り返り、眉をひそめる。
「なんだ、椎名か。どうしたお前まで?」
「え?」
 予想外の反応だ。私まで、とは。どういう意味だ?
「たった今、着信があったんだよ。草野から」
 草野が?
「ほら、丁度来た」そう言って山田は手を振る。
 慌てて振り返ると、先程までと同様の冴えない表情をした草野が立っていた。
「椎名。やっぱり、諦めきれないよな」
「何言ってるの?」
 想定外の状況に上手く声が出ていない。そのため声が届かなかったのか定かではないが、草野は私の問いかけには応じず、ただ山田を凝視している。
「田原の事件、お前が関わってるのか?」


『魔女旅に出る』
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草野
「田原の事件?」
 身に覚えがあるのか、山田は何やら含みのある物言いをして、考え込む様子を見せる。
「もしかして、高校の頃の事件か?」
「そうだ。実は俺と椎名も田原と付き合いがあってさ。少し聞いてみたいんだ」
 山田は納得がいったような顔を見せて、再び思案する様子を見せる。
「まあ十年近く前だからな、詳しくは教えられないんだけど。実は、俺、容疑者だったんだよ。田原が殺される数時間前に家に寄ったとかでさ。といっても、すぐに疑いは晴れたけど。あいつとは特別仲がいいわけでもなくてさ、ただ届け物を渡して終わりだよ」
「届け物?」
「確か、不登校気味だったから、俺がよく届けてたんだ。通学路途中だから」
「そうか。久しぶりに会ったのに。妙な事を聞いて悪かった」
「構わないよ」
「じゃあ、また。仕事がんばって」
 俺は山田を見送り、背後に立ち尽くす椎名へ目を向ける。
 視線の先の椎名は想像通りの膨れ面だった。
「どういうつもり?」
「すまん」
「謝るんじゃなくて、説明してほしいんだけど」
「山田の様子だと、違うみたいだね」
「そっちじゃなくて、草野の事」
「俺の事か?だから、田原の事を諦めきれなくてさ、椎名と同じだよ」
「一緒にすんな!」
 椎名は叫んだ。
俺は、思わず肩をすくめる。同じじゃないのか?
「私の気も知らずに散々、騙してたわけでしょ」
 ぐうの音も出ない。
全く反論の余地がない。
「それは、ごめん」
「だから、謝るんじゃなくって。説明しろ!」
 椎名は再び怒鳴る。そして絶え間なく「何が可笑しいのよ」と言った。
 いけない。いつの間にか口元がほころんでいた。
「なんだか懐かしくて」
 そう釈明した後で、俺はまた怒鳴られるな、と後悔する。
 しかし、椎名は口をすぼめて、満更でもない表情を見せた。
 そういえば、彼女はこういう慣れ合いの文句が好みだったな。
 椎名は大袈裟に溜息をつくと、「まあいいや。ゆっくり説明してよ」と言った。
「了解」
 暗がりに入ったせいで、ハッキリとは分からないが、椎名の瞳から一滴、光る物が流れた気がする。それは、俺が知らない彼女の五年間の想いを表しているのかもしれない。
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