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あきらの発した言葉に、わかなはただ何も言う事ができなかった。
頭の中には色々な想いや言葉が去来しては泡のように失せ、しかしどれも声として発されることはない。
それと同時に、自分が随分とデリケートなところに土足で踏み入ってしまったことを後悔する。
あきらはもう、前に向き直って歩き始めていた。

「……ごめん」

絞り出すように、それだけを言うのがやっとであった。

「気にしてねぇよ。事実は事実、なったものはしょうがない、俺は俺、お前はお前。とりあえずなんとかして、お前を元の世界に戻す方法を考えないといけないな」

――随分、あっさりと割り切るんだね?

言おうとして、やめた。
祖母であるイツが亡くなったことも、わかなが突然に現れたことも、全てまるで見透かしているかのように淡泊なリアクションを取るあきらに違和感を抱く。
それを言ったら、わかなも『いるはずのない人物』としてこの世界に現れたことを、随分あっさりと飲み込めてしまえているのだが。
しかしそう割り切るのを手伝わせているのが、あきらのドライな態度であるような気もする。
と言うより、現実を受け入れるにはあまりに突飛すぎて、まだ夢だと思っているのかもしれない。
これが夢ならどんなに良かったか。
あきらにバレないように無言で右の頬を自力でつねってみたが、痺れるような痛みが走るだけだった。

容赦なく照り付ける日差しの下を、二人前後に並んでとぼとぼと、もしくはてきぱきと、もしくはてくてくと歩いて行く。
5kgのすいかを持っているわりにはあきらの歩調は随分と軽快で、そのあたりはさすが男子と言ったところか。

10分というのは意外と早いもので、そうでなければあきらの歩くペースが早いからで。
わかなの記憶通りの場所に建っていたイツの家、本村家はわかなの知っている本村家の姿ではなかった。

「え……ここ? ちょっと待って、おばあちゃんち、こんな新しくないよ」
「それはお前んちのばあちゃんの家の話だろ。俺んちのじいちゃんちはこうなんだよ」

本村勝俊と朝倉あきらが暮らす家は、平屋ではあるものの随分と新しい。
歩けば軋んで揺れる、わかなの知っている本村イツの家とは随分と違っていた。

「震災あったろ。あれで半壊したから、親父が援助して建て直した。その一年後に浮気が分かって、修羅場だったよ」

とりあえず、早く入れ。
そう言われて、ほぼ新築同様の本村家の玄関ドアを手が塞がっているあきらの代わりに開ける。
老人向けらしく、玄関前に段差はなく、ゆるいスロープになっていた。

「お、お邪魔しまーす……」

これで自分の知っているイツの家と同じだったら、もっと違和感が大きかっただろう。
そう思えば、勝俊の家が新しいのは救いかもしれなかった。
先程あきらから言われた『田舎だから声が通る』のを気にして、小声で挨拶しつつあきらの背中を追いかけた。
「ただいま」
「お帰り。遅かったね……って、その子は?」

エアコンを使わずに風を通すことで涼を取りたがるのは老人の習性だろうか。
開け放した横開きの戸の向こうに、わかなの記憶している遺影より一回り老けた顔をした祖父、勝俊が座っていた。
どうやらテレビを見ていたらしく、昼過ぎのワイドショーは司会者が政治について熱く語っている様子を映している。
向こう側の窓は網戸だけ閉めて開け放たれていて、手前には扇風機が首を振っていた。

「あ、あの……お邪魔します! えっと、その……」

まず名乗らねば。
そう思ったところで問題に気付く。
こちらはどちらも『朝倉あきら』だ。
下の名前に関しては『わかな』と勝手に付けられたが、苗字だけ名乗るならともかく下の名前だけ名乗るのは不自然な気がする。
そう思ったところで、二人の間を横切って台所に向かいながら、振り返ることもなくあきらが言い放つ。

「川渕わかな。中学んときの東京のクラスメイトで、色々あって俺を頼ってここまで来ちゃったんだよね。じいちゃん、悪いけどこいつのことちょっと泊めてやってもいい?」

唐突に発せられた『川渕』という姓に、意味不明であるが助けられた。
……もしかして、『川で会ったから川渕』なんて安直な理由ではないだろうか。
そんなわかなの胸中など知らないか察するつもりもないであろうあきらの背中を見つめていたところで、勝俊が不安げな声をあげる。

「それは構わないが……ご両親にはきちんとご連絡はしてあるのかい?」
「だ、大丈夫です! 暫く友達の家に泊まるからって言ってあるので……」

我ながら、本当に嘘が下手くそだ。
そして不謹慎ながらも、生きているのがイツでなくて勝俊で良かったとすら思ってしまう。
見知った顔であるイツを前にして、平然と他人の振りができる自信なんて、無い。

じゃああ、と水の流れる音がした。
どうやらあきらはすいかを軽く洗っているらしい。
リビングの柱に掛けられた時計は3時過ぎを示していて、あきらとわかなお互いに共通した目的である『おやつのすいかを冷やしてくる』を遂行したのであれば、次はどうなるかなど簡単に解る。

「それ、一人で切れるの? 手伝おうか?」

わかなに殆ど料理の経験など無いが、これだけ大きなすいかを切り分けることが大変であることは想像に難くない。
ならばせめて、泊めて貰う恩を少しずつでも返さねばと助力する旨を申し出た。
しかし。

「いらね。すいかなんて散々切ってるし、それよりそろそろチビ達が来るだろうから、とりあえずそこの棚から適当なでかい皿と、小さい皿1枚ずつ出しといて」
「わ、分かった……」

すいかに関しては助力は要らない、と言われてしまう。
その言葉は本当だったようで、慣れた手つきで台所の棚から包丁を取り出すと、すいかの表面に刃を押し付けるように当て、ざくり、と勢いのある音を立てて真っ二つに切ってしまった。
あとは指示された通り、大きな皿と小さな皿を一枚ずつ探すとあきらの隣に立ち、これで良いかと尋ねる。
返事はというと、こちらを向きもせずに「ん」と呟くだけであり、本当に解っているのか? 見ているのか? と言い返したくなったが、それでこちらが困るわけではないと思ってやめることにした。

そうこうして、すいかはあっという間に切り分けられる。
あきらはわかなの持ってきた皿に三角の形に切られたすいかを2切れ乗せると、リビングを出ていく。
わかなは彼の動向が気になって、静かに後を追った。

あきらの指示した『小さい皿』は、どうやら仏壇、つまりイツ用らしい。
イツの遺影と位牌が置かれた仏壇の盆棚の上に置き、座布団に腰を降ろして綺麗に正座し鈴(りん)を軽く2回叩くと、手を合わせて目を閉じる。
ぶっきらぼうに見えて、あきらはあきらなりにイツへの愛情があるのだろうな、と思う事にした。
そうでなければ、自分や勝俊の分より先にイツに供えになど行かないだろう。
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「私も、いい?」

返事は無言で行われた。
あきらは座布団から降りて立ち上がると数歩下がり、わかなへと座布団を譲る。
その意思を汲み取って、わかなも座布団に正座すると鈴を二回鳴らし、目を閉じて拝む。

――ねえ、おばあちゃん。
今私、すっごいことになっちゃってるの。
この世界は私が居なくて、もう一人の私は男の子だし、おばあちゃん死んじゃってるし、おじいちゃんは生きてるし、お父さんとお母さんは離婚寸前らしいし。
もうどうしたらいいか全然分からない。

そこまで悶々と拝み倒したところで、『ぴんぽーん』と間の抜けたチャイムが鳴る。
はいはい、と勝俊が立ち上がって玄関に出ていく気配がした。
わかなはそれになんとなく気を削がれてしまい、イツへの無言の祈りは中断される。
玄関がスロープだったからてっきり勝俊は足が悪いのかと思っていたが、まだまだ矍鑠(かくしゃく)としているらしい。
もしくは、今後足が悪くなっても良いようにそういうふうに建てたのか。

「こんちゃー!」
「あきら兄ぃ、どこー!」

どたばたと激しい音を立てて、子ども特有の甲高い声が本村家に響く。
あきらがわかなの後ろをすり抜けるようにリビングに戻って行ったので、慌てて後を追った。

勝俊にじゃれつくようにしながらリビングへ入ろうとしていたのは、二人の幼い子ども。
片や、つやつやした黒髪をツーサイドアップにして、ピンク色のTシャツにひよこ色のスカートを履いた、健康的に日焼けした少女。
片や、坊主頭に白いタンクトップ、オレンジのハーフパンツを履いた、こちらも同じく健康的に日焼けしていて前歯が一本抜けている少年。
年頃はどちらもせいぜい小学校低学年がいいところだろう。

「あれー? お姉ちゃん、だれー?」
「あきら兄ぃのカノジョー?」

ぶらぶらと叩くように遊んでいた勝俊の手を放した少女が、わかなを誰何する。
続けるように、少年が一番されたくなかった誤解をした。
あきらはすたすたとリビングに向かいながら、あろうことかそれを否定しない。

「そんなとこ」
「は!?」

きゃー、と子ども達が声に喜色を浮かべる。
いくら相手が子どもとはいえ、こんな誤解をされては堪ったものではない。
わかなは台所へと向かうあきらの首根っこを捕まえて、「変な事吹き込まないで!」と怒声を浴びせた。
しかしあきらは、どこか胡乱気な目をじろりと向けて来たかと思えば、ぼそりとこう呟く。

「いちいち訂正すんのもめんどい」
「私は良くないんだよ!」
「はいはい、でも都合は良いだろ」

そうだけど。
言いかけるも、変に勘繰られて寝室を同じ部屋になどされたら堪ったものではない。
まぁ、それについては後で勝俊に訂正しておけばいいか。
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ほどなくして、リビングには5人の人間が老若男女混在で集まった。
中央の大きな皿にはあきらが切り分けたすいかが乗っていて、少女と少年が我先にと手を伸ばす。
『あじしお』と古風なフォントで書かれた塩を取り合う子ども達を見て、「塩は逃げないよぉ」なんてくすくすと笑いながら言ったりなんかして。

……本来なら、今頃イツや両親とすいかを囲んでいるはずだったのに。
何がどうして、こうなってしまったんだろう。

しかし考えて解ることならともかく、解らないことを考えてもしょうがない。
子ども達が満足して解放された塩を数度すいかに振りかけて、三角の頂に口を付ける。
しゃくり、という何とも言い難い食感で、塩によって引き立てられたみずみずしい甘さが、口の中に広がった。

「そういえば、あきら……もしかしてすいかを冷やす時、また『恋し岩』のところまで行ったのかい?」
「『こいしいわ』?」

それは小石なのか岩なのか。
不思議な語感のそれに引っ掛かりを覚えて、あきらが反応する前にわかなが勝俊に尋ねる。
勝俊は少し逡巡する様子を見せた後、こう語り始めた。

「と言っても……この辺りに伝わるお伽噺みたいなものでね。あきらがすいかを冷やしに行った川を少し上流に遡ると、大きな岩が流れを断ち切るように鎮座しているんだ」

それは、昔々のこと。
お菊と清平という二人の男女が、まだ町になる前のこの村で暮らしていた。
二人とも実家は貧しく、お菊は江戸へと奉公に出されることになってしまう。
しかし奉公とは表向きの話で、お菊は遊郭へと売られたのだ。
それを受け入れることが出来なかったお菊と清平は、川に入って心中を図った。
そして、まるで二人の主張であるかのように――巨大な岩が突然せり上がり、いつしか『恋し岩』と呼ばれるようになる。

「……子どもの前でする話じゃなかったなぁ。とにかく、『恋し岩に人恋しさを想うと、何かが起こる』……なんて話もあったりしてねぇ。まぁ、ただのお伽噺だよ。でもあのあたりは流れが早くて危ないから、皆あまり近付かないようにね」

勝俊の語った内容によって、わかなの頭の中でパズルピースが次々に嵌まっていく。

――もしかして、あきらは――。
『恋し岩』に人恋しさを願ったから、私をこの世界に呼び寄せてしまった――?

その対象が、両親に対してなのか、勝俊に対してなのか、それともわかなの知らぬ誰かなのかは分からない。
しかし少なくとも――この世界に自分が来てしまった原因は、大方あきらにあるような気がした。

そうだとしたら――私は、どうしたらいい?
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