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独り言

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家に犬がきた。チワワ、マルチーズ、トイプードル、ヨークシャテリアのミックス犬らしい。もはや雑種ではないかとおもったが、今のご機嫌な母には何も言わない。言えない。ここはくどいほどの甲高い声を上げ、年相応にはしゃぎまわるのが正解。いつもなら。急に口角が下がる母。地雷を踏んだらしい。
怖がるでしょ。静かにして。
そうだった、そうだね。
血液が冷たく感じた。頭のなかは、やってしまった。いい加減学習しろ。などと、「私」が騒いでる。右手の親指を人差し指に強く食い込ませながら、目の前に置かれたダンボール箱から犬が出されるのを、いつもより意識的に開かせた目で見ていた。


かわいい

自然と頬がゆるくなった。なんだ、私もかわいいなんて本気で思えるところあったんだ。とか、驚きながらも、手は勝手にその子を撫でていた。
白くてふわふわした毛並み、手のひらよりわずかに大きいくらいで、ほのかにミルクの匂いがする。

一瞬、



簡単に潰せてしまう。
そんなシーンが頭に流れ込んできた。例えば包丁を持っているとき、居間にいる弟を刺し殺したらお母さんは私を迷い無く殺すだろうとか、そんな とある選択肢 を考える癖がある。
実際にやることは少ないがあるにはある。私は、自分はいつか人を殺せる。そうおもいしらされた。


家に犬がいる。今は私の膝の上で寝息をたてている。家に犬がいる。この違和感はずっと頭にはりついてはなれなくなる。
だんだんじめっとしてきた。夏服に滲む汗が不快感を煽る。夏は嫌いだ。何もかもがいきいきして、眩しすぎる。



今年の夏を乗り切れば、大嫌いな部活が終わる。そしてついに私も受験生。このご時世、高校に行かないという選択肢など私にはない。いや、今受験のことなどどうでもいい。

私は、部活で、同じ学年の奴らに、可愛く言えば仲間外れされている。バカなふりしていつもヘラヘラしていたのが原因のひとつで間違いない。さすが、スローガンでもある団結力(笑)。こんなことしているバカに、それに怯えながら何が悪かったんだろうとひたすらに考えているバカ。「私」はバカどもを見下していて、嫌悪感を感じずにはいられなかった。

家に帰ると、雨がちぎれるくらい尻尾を振って出迎えてくれた。
雨、というのは弟が犬にとあるおおかみこどもの映画から名付けたもの。と思う。弟は小学生のバスケットチームに所属していて、そこから子犬を貰ってきたらしい。
私が雨を撫でていると、台所から私の嫌いな声が飛んできた。まだトイレの場所をおぼえていない雨が、台所でやってしまったようだ。棘のある声で叱りつける母。助けを求めるように私にすり寄る雨。そんなありふれたワンシーンは、私お得意の自問自答のきっかけとなった。



今回のお題は、こちら。

人と犬のしつけ 、なんて。

私なりに本で学んだが、犬は飼い主が全てで、喜んでもらえるなら一生懸命だそうで。いいことをしたら全力で褒めちぎり、悪いことをしたら大声で注意して何十分かガン無視というのが基本のしつけ。ようはトラウマじみたものをうえつけさせればいい。(記憶に歪みがあるかもしれません。ご了承ください。)

一方、人は考えられる。理由を理解できるから、ちゃんと説明すれば荒療治する必要はあまりない。よく知らないが。
しかし、個人差は例外無くある。
恥ずかしながら、私はヒトとしては欠陥品で、お母さんがダメと言ったらダメと、よく考えもせず従っていた。怒った母が何よりこわかった。私の人の顔色をうかがう癖は、物心ついたときにはすでにあった。

私は人として成長してなかった。自分で考えられない、意思も意志もない空っぽな奴だった。犬の様に、言われてきたことに必死になっていた。犬の様に、というのは犬に失礼かもしれない。私はクズだ。なにもない。価値がない。







そんなわかりきっていた結論が出た頃には、私は受験生になっていた。夏が終わる。
2, 1

  

高校受験の勉強なんて、真面目にやった記憶なんてない。とくに塾も何もやっていなかった。

秋の涼しさが、夏の暑さを忘れさせた頃、私は弟へのコンプレックスを拗らせていた。
バスケでは将来のキャプテン候補と言われるくらい才能があり、自分の意思をもっていてそれをはっきり発言できる、友達も多い。これだけでも私と圧倒的な差がわかる。人として差が。母の期待は弟へ向かうのは当然で、だからと言って、私は母にみてほしいとかそういう感情はなく、むしろ弟と比較されることが何より恥ずかしかった。

これらのことが勉強に集中できなかった原因のひとつだった。が、大きな理由は家事の手伝いをしていたからだろう。風呂掃除、洗濯、食器洗い、そして、犬の散歩。
始めこそ弟は張り切って散歩に行ってたが、今は可愛がるだけ。世話をしなくなった。


今日も、さんぽだよ、と呼び掛けると尻尾を振って玄関へ駆けていく。雨は好きな言葉はよくおぼえた。
さんぽ、おやつ、ごはん。これらの単語が聞こえると大きな耳がピンとたつ。かわいい。
ただ、雨はあまりしつけがされておらず、人を見つけたらとにかく威嚇をする。が、寄ってくる人には弱くすぐ私に助けを求める。この町は田舎のため、爺婆が多く、やたら構ってくる。雨には迷惑かもしれないが、自分の犬がかわいいと言われるのは嬉しい。

まだまだのろけ話はある。
雨は外でようをたさない。なぜかは分からないが、人がみてる前ではしない。ただ1回だけ、我慢できなかったのか、散歩から帰って来たら庭で足も上げずに漏らしてしまったことがある。暫く動かず、恥ずかしそうにこちらをチラチラ見てきた。かわいい。




とてもかわいい。
自慢ではないが、私は勉強はできた方だった。まあ、忘れ物が酷く評定は並みだったが。
進学なんて頭の隅にもなかったが、担任にいわれるままに県内No.2の進学校を受けた。前述の通り大して勉強なんてしていなかったのに、

こんなクズが受かってしまった。
嬉しくなかった。それどころか、私はショックだった。数字の書かれた板の下、精一杯の喜びを母に向けた。母の都合のいいことになってほしくなかったのかもしれない。自分でもよくわからない。人は矛盾した生き物、とはこのことか。泣きながら高校を出ていった彼らの背中を、ただただ妬ましいと思ってたことは、今ではどうでもいい思い出だ。


合格発表の帰り、母とファミレスによった。珈琲の不味さしかおぼえていないが、はたからみれば普通の親子に見えただろう。当時の私も普通の関係だと思っていた。子供は性行為のついでにできたもの、子供は親の老後の生活を支えるためのもの、子供は親の言いつけを守るもの、だと。
そうでなければ説明がつかなかった。親が私のようなクズを辛抱強く飼っていることを。




家に帰ると、雨が真っ先にとびつくのは私だった。とびつくとはいえ、体が小さいので、せいぜい膝のあたりまでだ。
雨がきて一年もたってないのに、家族の 冷め が感じられた。雨は少しバカだからお座りしかできないが、飼い主たちが私含めみんなバカなせいでもあるが、待てはできる。母や弟がかまって欲しい雨をしつこく思ったとき、が主な使用場面。雨はお座りをして、彼らがスマホから手を離すのを待つ。ずっと。

犬は何も語らないが、私が解ろうとしないだけなのか。
人間同士でさえ、言葉が話せているのに解り合えない。
ペットは家族同然なんて言うが、家族もたかが他人の集まりにすぎない。
ペットはペット。それでいい。
雨はこの家のペットじゃない。私のペットだ。
雨は私がいないと生きられない。そう考えると「リードを握る私」に変に違和感をかんじた。

4, 3

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