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第十三打席「そして彼らはオリンピックを目指す」

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 横村という選手がいる。
 福島県出身、高卒三年目の外野手。ドラフト下位指名でアイロンズに入団したが、一年目から二軍でセンターのレギュラーを獲得するほど、将来を嘱望される存在だった。
 俺が二軍にドップリと浸かり、クビを恐れていたあの頃、一年目の横村の勢いが羨ましく映った。ああ、若いっていいな……心からそう思ったものだ。
 横村のどこがいいかと訊かれれば、それはもう、圧倒的にバッティングである。現時点で技術はさほどでもない。少なくとも、バットコントロールで負ける気はしなかった。横村の良さはそこではなく、とにかく飛距離だ。
 ボールを芯で捉えれば、どこまでも飛んで行くんじゃないかと錯覚してしまうほどに飛ぶ。打球の飛び出し方が尋常ではないのだ。あれはもう、天性のものだろう。どれだけ俺が筋トレしようと、あんなホームランは打てないだろう。仕方ない、これは個性の違いだ。
 ただ、二軍では本塁打王を獲るなど爆発した打棒も、一軍では燻り続けている。なぜか。
 答えは簡単で、ボールにバットが当たらないからだ。当たらなければ、未来永劫ボールは飛び出して行かない。あり得ない。
 選球眼がないわけではない。技術がないといっても、それであそこまで当たらないというのもさすがに考えられない。
 実力以外の、何かが影響している。


 自分の成績は棚に上げて、俺は横村を飲みに誘った。ただ、奴の性格的に、先輩とサシだと畏まってしまうかなと思い、同期の花村も呼んだ。
 花村も同じく高卒三年目の若手。今年から第三の捕手として一軍に定着しつつある有望株だ。だが、現状の起用法はもっぱら終盤の代走である。ただ、三番手の捕手というのは、一にも二にも試合で使われることが大切なのだ。代走から守備について、一軍の投手の球を受け、一軍の相手打者をどう料理するか試行錯誤を重ねることで、将来の正捕手の座が段々と近づいてくるのだから。そういう意味では、スピードがあるというのは捕手としての花村の大きな武器である。
 そして、こいつはなかなか世渡りが上手そうだった。なんというか、体育会系で可愛がられそうな雰囲気を醸し出しているのだ。
「山﨑センパイ、ゴチでーす! こんな高級焼肉食べたことないです! せめて焼かせて下さい!!」
 そう言って、鉄板を肉で埋め尽くした。ちょっとは野菜も焼いて欲しい……
 正直、そこまで高い店ではない。大衆店に毛が生えたレベルである。今年六年目の俺の年俸は、最底辺だった四年目と比べたら六倍ほどになっていた。それでも、ようやくプロ野球選手全体の平均年俸をちょっと上回ったくらいだろうが、世間一般からしたら相当な高給取りであることは間違いなさそうだった。
 だから、この店なら、いくら食ってくれても構わない。それほど痛くない。最初からそういうチョイスをしていた。いつか、園田さんが連れて行ってくれたような高級料亭は、まだキツいが……食べ盛りのこいつら連れて行ったら、会計が何十万という世界になりそうだし。
 しかし、この二人は面白いくらいに対照的だ。
 花村は明るく細かいことを気にしない。それまだ焼けてなくね? って肉もバクバク食べる。人の皿にも置く。困る。
 対して横村は、無口で繊細そうな空気を出している。花村が取り皿に雑に置いた肉を、何度も裏返して焼けたか確認して、そしてソッと鉄板に戻している。しかめっ面だ。
「…お前ら、性格が反対だったら良かったのにな」
「どういう意味ですか!」
 いちいちデカい声で、花村が返す。横村はジッとこっちを見ている。
「スラッガーの横村が、あまり悩まずにブンブン振り回していれば、早いカウントで相手の球を捉えられそうな気がするだろ。で、花村はもっと落ち着いた性格だったら、捕手としてのリードに活きるかなと思ってさ」
 あー、と花村は分かった風に頷いて、横村を指差して叫んだ。
「つまり! 『俺がお前で!?』」
「…『お前が、俺で?』」
「映画か」
 対照的なくらいの方が、何となく仲良くなれるのかもしれない。ポジションが被っていればこうはいかないだろうが、捕手と外野手というのも良かったのだろう。ただ、見ていて微笑ましいが、プロとしてそれだけではいけないだろう。無論、結果さえ出ていれば何でもいいんだが、出ていないから。
「で、どうだ横村? ここまでは」
「…一軍で、てことすか。良くないです。ヤバイです。使ってもらうのが怖くて」
 怖い? 使ってもらってるのに?
 だが、分からなくはない。一軍で出場出来るというのは、二軍にいた選手にとっては、自分が真のプロ野球選手となるための唯一の道であり、本来はチャンスと捉えなければならないものだが、"チャンスはピンチ"という場合もある。
 ネガティブな奴はチャンスの末路を考えてしまう。一軍で失敗を重ねると完全に見切られて、クビ候補に上がってしまうのではないか? つまり、二軍で育成されている時点では、将来一軍で活躍する可能性を周囲から期待されている立場だが、実際一軍で失敗すると、その可能性さえ否定されてしまうのではないか。そうなってしまえば、お払い箱になるのではないか--そう思い込んでしまう。かつての俺もそうだった。
 最悪の場合、二軍で主力をやってる方が気楽だ、という人間が出来上がる恐れもある。そうなると、もうメンタル的にプロ野球選手とは呼べないと俺は思う。
 今の横村はもしかしたら、自分が否定されることに怯えていやしないだろうか。
「怖いとか考えるのは、分からなくもない。俺も初めて一軍に上がった時はそうだったし」
「…山﨑先輩ほどの打者が、ですか?」
 どうも、人から高評価されることに慣れていないので、なんだかこそばゆい感じがした。
 俺は今でも、"自分は大した選手じゃない"という気持ちが抜けない。実際そうだと思う。バットコントロールはそれなりに自信があっても、長打を意識するようになると途端に打率が落ちてしまう程度の能力しかない。三割二〇本打てるような選手にはなれないのだ、洗川のような……
 もちろん、ホームランだけを狙えば、シーズン二〇本は不可能ではないと思う。ただ、打率は二割台前半。否、下手したら一割台になる恐れもある。
 今お前の前にいるのは、その程度の打者だ。
「俺はたまたまその時に、左投手が打てたから……それが心の救いだっただけで。でも、今のお前にはその救いもないのかもな。俺から言えるのは、もっと気楽にやっていいんだよ。誰も、お前に"洗川になれ"なんて言わないから」
 花村が左殺し! 左殺し! と叫んでいるがスルーする。横村の表情はやはり浮かず、生焼けの肉を凝視しているようだ。
「…でも、監督は、明らかに洗川先輩を"欲しがって"ますよね」
 イントネーションに東北訛りの微かに残る横村の声に、俺はすぐ返せなかった。
 もちろん、口には出さない。出さないが、今シーズンの大方監督は、どこか意気消沈しているように映るのは否めなかった。
 それはおそらく、洗川という大方監督の最高傑作が、自分の手から離れてしまったことに起因しているのではないか、と俺は見ていた。横村も、どうやらそれを感じている。
 自身も大選手であった大方監督は、全盛期の自分に勝るとも劣らない洗川を作り上げた。その選手を失い、では代わりを探すか、となっても、そんなものはいなかった。
 洗川のような長打力。洗川のような打撃センス。洗川のような走塁の上手さ。洗川のような守備力。洗川のような守備範囲。洗川のような肩の強さ--代わりの選手にも、一つの要素だけ取れば、匹敵する選手はいる。それこそ、横村の長打力は洗川より上だろう。ただ、その全てを兼ね備えているような選手は見当たらない。
 だが、それは当たり前だ。何故なら、そんな選手がいたのなら、とっくの昔にレギュラーになっている。レギュラーになれなかった組には、そんな逸材は潜んでいない。それは、監督だって分かっているはず。
 洗川の幻影に最も苦しめられているのは、他でもない大方監督なのだろう。それは選手の起用法にも現れている。今年は妙に堪え性がないのだ。
 横村を数試合使ってみる。結果が出ない。
 別の選手を使ってみる。結果が出ない。
 また別の選手を使ってみる。結果が出ない。
 横村を数試合使ってみる。結果が出ない……開幕から四月末まで、こんなことの繰り返しだった。洗川との比較になってしまうと、みな物足りないのだろう。そんなことは当然だと思うが。
 俺は、ドングリの背比べとなっているセンターの中では、横村が一番化ける可能性があると思っている。だから、今日誘ったのだ。気分がこの上なく重いであろうことは察せられた。気分転換してほしいし、考え方も変えて欲しかった。ただ、たとえ変わったとしても、これで明日結果が出なかったら元の木阿弥だろうことも分かっていた。プロ野球選手にとって最高の薬は、結果を出すことだ。
 明日のギガントス戦、俺は横村に何としても打ってもらいたい。それが監督へのアピールとなるし、低迷するアイロンズに推進力を与えることにもなるのだ。センターに打てる選手が戻ってくることは、チームにとって最大の助けとなる。
 技術はこの場ではどうしようもない。それは、今年から一軍打撃コーチに配置転換になった園田さんに叩き込んで貰えばいいのだ。俺は、精神面のフォローしか出来ない。
「…なあ、お前、福島なんだろ?」
「そうですけど、それがなにか……?」
「福島市だっけ、あづま球場ってあるよな。俺も去年遠征で試合したから分かるけど、のどかな良い球場だよな。グラウンドから山が見えてさ。お前も、高校の頃そこでプレーしたんじゃないか?」
「ああ……懐かしいですね。県予選の決勝で使ってました。甲子園行きを決めたあの瞬間……今でも覚えてますね」
 今日初めて、横村に笑顔が出た。あづま球場の思い出は、彼にとって良きもののようだった。
「明日は水道橋ドームだけど……あづま球場でプレーしてる気分で打席に立ってみたらどうだ?」
「あづま球場で……」
「結果出せないと干されるとか、そんなことは打席で考えず、もう一度、野球の楽しさを思い出して、バットを振ってみろよ」
 花村が食いすぎで苦しそうな中、横村は一つ頷いてから、しっかりと焼けた肉を頬張った。


『七番、センター、横村』
 水道橋ドームにコールが響く。俺は、ベンチから横村の打席を見ていた。
 初球だぞ、初球。追い込まれる前に仕留めろ。追い込まれたら、今のお前じゃ対応出来ない球がくるぞ。
 大丈夫、お前はまだ相手からナメられてる。どうってことない奴だと思われてる。そんなに厳しい球はこない。お前はこれまで、自分で自分を追い詰めていただけだ。
 福島で野球をやってるつもりで--振れ。
 初球。ストライクゾーンにストレートがきた。横村は、これまでがウソのように、躊躇なくそれを振り切った。
 思い切り引っ張った打球は、レフトスタンドの看板に直撃する特大ホームラン。秘められていた長打力が、遂に誰にも分かる形で発揮された。一塁を回るところで、感情が込み上げてきたのか、拳を握りしめ叫んだ。
 ベンチに帰ってきた横村は、興奮の面持ちで、昂る気持ちを抑えることなく、俺に向かってまくし立てた。
「福島でやってるつもりで振れました! 最高でした! 山﨑先輩のおかげです!」
 ちょっと花村っぽいテンションになってるじゃん、とおかしくなる。まぁ、勢いが出てきたのはいいことだ--そんなことを思っていたら、花村がベンチの背後から横村の頭をポンと叩いた。ナイバッチー、と言い残し、離れていく。
「そういや横村さ、知ってる? 来年、オリンピックの野球、開幕戦はあづま球場でやるって」
 初耳だ、というような顔をして驚いている。知らなかったのか、地元なのに。
「このまま今年打ちまくればだよ、来年お前、オリンピック代表として地元に錦を飾れるかもしれないぞ?」
 プロ野球選手は夢を見てもいい職業だ。昨日まで何でもなかった選手が、今日急にスターになる、そんなことだって起こる。今日何者でもなかった選手が、来年日本代表に選ばれていても、何も不思議じゃない。人間、どんなきっかけで変わるか、本当に分からないから。
「…オリンピック、代表かぁ……」
 人間、一本でここまで変わる。横村は、本当に自分が日の丸を背負ってあづま球場に立っている光景を想像しているようだ。性格的なところもあるのだろうが、こいつは俺と似ている部分があるかもしれない。妄想力が逞しいというか。
 最近妄想していない俺も、見習わないといけない。俺だって、日の丸を背負いたい。今年結果を出した選手は、選考の対象に間違いなく乗ってくるはずだから。それに、自分が結果を残せば、同時にアイロンズのためにもなる。
 反撃開始だ。俺も打つぞ、横村--そう誓って、打席に向かった。打てる気しかしなかった。
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