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番外編3「二〇一八年夏 広島の野球選手」

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 誰が悪い、という話ではない。怒りをぶつける相手がいない。だからこそ--ただただ、言葉を失うしかなかった。
 雨がここまで、街に、人に、山に、猛威を振るうなんて。目の前の光景は、貧弱な俺の想像を遥かに超える、とてつもない惨状だった。
 テレビの画面越しには伝わりきらない、圧倒的な現実。それは、来てみないと分からない。否、敢えて言えば、住んでみなければ分からない。
 電気が使えない、水が出ない。たくさんの人が避難している。家が浸水してしまったり、壊れてしまったり。大方監督や同僚選手の家族も避難しているという事実が耳に入ったことで、よりシビアな状況が身近な人々にも迫っているのだ、と感じられ、言葉もなかった。
 俺は、関東人だ。埼玉に生まれた。結婚もしていないから、今回の豪雨で心配が必要な身内はいない。そんな、言わばよそ者のこの俺がどんなに心を痛めたところで、それは偽善と呼ばれてしまうかもしれない。
 …それでも。
 俺は、安芸島アイロンズに在籍する、『広島の野球選手』だ。
 何かあるだろう、出来ることが。きっと。野球選手にしかできない、何かが……


 七月十三日、金曜日。俺達は大阪にいた。
 今年のオールスターゲーム第一戦が行われる大阪千代崎ドーム。その入場ゲート近くに、募金箱を持って、立っていた。
『平成三十年七月豪雨 募金箱』そう書かれた大きな箱を肩から掛けて、俺はとにかく声を出し続けた。募金お願いします! 募金お願いします! それしか言葉を知らないインコのように、繰り返し。
「募金お願いしまーす! アイロンズの洗川です! 僕はあと一時間だけしかここにいられないんで、その間にいっぱいお金下さーい!」
 隣で同じく箱を抱えている洗川が言うと、熱心な野球ファンの視線が一挙に集まってくるのが感じられた。この人達は、試合開始まであと六時間あるにも関わらず、既に到着して、試合前の各種イベントやホームラン競争、練習風景など、年に二試合しかないオールスターゲームを余すところなく楽しもうとしている熱心な野球ファンである。
 そんな人達に、洗川の名前は効果覿面だった。何せ、セ・リーグの外野手部門のファン投票一位、選手全体で見てもトップクラスの得票数を誇る大人気の洗川選手である。ハッキリ言って、俺とは知名度、人気が天地の差。俺の持っている募金箱はただのプラスチックだが、洗川のそれは金で出来ているかもしれない。そのくらい違う。
 さらに上手いのは、ちゃんと名乗っていることだ。熱心なファンとはいえ、顔を見ただけではどの選手か分からない、という人もいるだろう。洗川は、良い意味でプライドがない。驕りがない。だから、自分から名乗れる。名前を言えば分かるだろ? という自信の表れでもあると思うが。
 ただ募金してくれ! と叫ぶだけでは能がないですよ--洗川にそう言われた気がした。年は下だが、コイツからは学ぶことだらけだ。本当に偉いやつだと思う。オールスターに選ばれていない俺とは違って、洗川は試合に出場するのである。六時間後に、全セの主軸を務めるであろう男が、気取らずに募金活動に勤しんでいる。時間の許す限り、立ち続けてくれるのだ。
 そもそも、オールスターゲーム前に募金をしよう、と発案したのも洗川。選手が参加しての募金自体は、チーム内でも最初に上がった支援案だったし、微力ながら俺も賛同したが、どの場所で、どのタイミングでやるか、結論がなかなか出なかったところでの、全てを解決するアイデアだった。
 今回の豪雨被害が最も大きい部類の広島県内で募金活動をすることへの抵抗感は拭えず、また、他の場所でやるとしても、広島県外でアイロンズの選手が街頭に立って募金活動をしたとしても、果たしてどこまで効果があるものか、との懸念もあった。洗川のアイデアは、その二つを同時に解決する見事なものだった。オールスターの会場ならば、各球団のファンが集まるし、そもそもプロ野球ファンであるのでアイロンズの選手であるアドバンテージが生かせる。また、大阪のプロサッカーチームがホーム戦の際に大阪府北部地震及び平成三十年七月豪雨の募金活動をする、という情報も入ってきており、それならば大阪府内で募金活動を行うことにさしたる支障も抵抗感もないのではないか、という結論に至ったのだった。
 実際に募金活動を行うための手続きは、敏腕揃いのアイロンズ事務局が滞りなく関係各所に調整してくれた。選手側の無茶なお願いを現実にしてくれた手腕には、感謝しかない。
 ここまでお膳立てされたら、あとは成果を出すのみ。洗川の募金箱には硬貨やお札がどんどん吸い込まれていく。途中で容量オーバーし、二つ目の箱に切り替えた。募金箱が一杯になるところを、俺は初めて見た。
 洗川の前は行列になっていたので、それを嫌った人が主に俺や他選手に流れてくる仕組みだった。それでいい。とにかく、少しでも多く、被災地に支援出来ればいい。別に個人で競争しているわけじゃない。これは、トータルの勝負なのだから。


 大量の募金を集めた立役者である洗川に、タイムリミットが迫っていた。そろそろ、球場に入らなければならない時間なのだった。
「洗川選手、募金はここまでとなります!」
 アイロンズ事務局の若手社員が、洗川の列に並ぶファンの皆さんに大声で伝えた。
「えーっとすみません! 残念ながら時間になってしまったんで僕はここまでです! 今並ばれてる皆さんは本当に申し訳ないんですけど他の選手の列に移って下さい! 募金はぜひこのままお願いしますね!! 今日は本当にご協力いただいてありがとうございました!」
 早口に言い切った洗川は関係者通用口に向かう。その背中にファンからの歓声や拍手が向けられる。
 アイツは、真のスターだな。俺とは違う。自然にそう思う。張り合う気もほとんど起きなかった。発想力、立ち居振る舞い、実力。スターに必要なあらゆる要素を備えている。
 洗川だけではなく、プロ野球の世界には飛び抜けた人がたくさんいる。元メジャーリーガーのアイロンズOBの方など、すぐさま一千万円という大金を義援金として被災地域に送っている。
 同じ世界に属しているはずなのに、こんなにも差がある。自分が小さく感じる。だが、人にはそれぞれの役割があるのだ。そう割り切って、自分に出来ることをやるしかないのだが……
「あの、山﨑選手……」
「あ」
 考え込んでいる場合じゃなかった。二十歳そこそこに見える若い女性が、五千円札を持ってまごついていた。いかんいかん。
「ありがとうございます!」
「…あの、広島は……大変なんですか、今」
 女性は、沈んだ表情で伏し目がちにこぼした。
「そうですね……交通も麻痺してますし、とても試合なんて出来ない状況です。今はそれより、行方不明の方の捜索や、避難されてる方のフォローの方が大事だと思って、こうして選手みんなでお金を集めていますね」
「…あの、募金もとても大事だとは思うのですが……やっぱり、私は、山﨑選手のプレーを見たいです」
 女性は、時折俺に視線を向け、また逸らす。緊張感が伝わってくる。それは、俺に対してなのか。
 女性のバッグに付いているキーホルダーにようやく気付いた。去年の日本シリーズ後に発売された『左殺し山﨑守り』。左投手を殺すように己の災難も殺す、というよく分からない理屈がつけられたお守り風のグッズなのだが、実際に付けている人は初めて見た。
「…開幕当初は本当に心配してました。去年の活躍が鮮烈すぎて、マークがキツくなって大変そうだなって。でも、最近は元の山﨑選手のプレーが見られるようになって、ホッとして……そんな中で、今回の豪雨で……オールスターのチケットは取っていないのですが、居ても立っても居られなくて、新幹線に乗って大阪まで来てしまいました」
「それは……ありがとうございます、本当に」
 こんなファンもいるのだ。ありがたい。ただ、ありがたい。こんなにも見てくれている人がいる、というのは……
「去年から、ドムスタにも何度か観戦に行きましたけど、そこで感じたのは……広島の人達にとって、アイロンズは誇りでもあり、支えでもあるのだと思います。オールスター休みが開けたら、また山﨑選手のバッティングで、みんなを勇気づけてあげて欲しいと……思っています。心から」
 安芸島アイロンズは、広島の野球チームだ。歴史は古く、終戦後まもなく誕生した、市民の願いにより誕生した、市民のための、広島のための、チーム。
 俺は広島生まれではない。他の選手も、実は多くがそうだ。それでも、アイロンズというチームに入団した時点で、俺達は、その歴史の一部になっている。
 人はどんな状況でも、悲しみや苦しみに埋没することなく、いつかは立ち上がらなければならない。その一助に、アイロンズはなる。皆一様に遣る瀬無さを抱えていようとも、それを生きる力に変えていく。すぐにそんな気持ちにはなれないだろうが、いつかは、徐々に。
「…優勝しますよ、今年も。そして、俺はその助けになります。約束します」


 自然は、時に人の都合など知らぬ素振りで暴れ狂う。
 そんな中、人を救うのは人だ。人は人を救い、人に救われ、支えられる。
 これからのシーズンの中で、俺達は被災された方々に、どこまで貢献できるだろうか。それが試されていく。
 もし、全てが上手くいったとしたら、その時に、ようやく少しだけ、心からの笑顔になれるだろうか。
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