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アッー!!青春の日々よ

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 それは心中和みきった昼休み、日当たり良好、俺の仲間数人を残しクラスメートが食事の
ため外出した教室の窓際の席で俺がうたた寝している時に起こった。
 薄れた意識の片隅に聞こえる、奴が履いている底の固いティンバーランド社製登山靴の
特徴的な足音が止み、そして

 パッーン

 教室中に響いた、かんしゃく玉を破裂させたような音が俺の脳味噌から睡魔を追い出した。
 こんな事をするのは奴しかいない。俺は数秒後に起こるだろう災いを数ダース程予想し
て面を上げた。案の定、教室の後ろにある黒板の前に奴が立っていて、右手には先程の破
裂音の元であろう、パーティークラッカーがあった。

「お知らせです!」

 体育祭で言う選手宣誓のポーズを取ると、奴は肩に提げた拡声器を使い声を張り上げた。

「本日放課ピッー三時半、俺とここにいる豊君で野球大会します!参加希望者は奮って御参
加下さい。以上!!」

 まさに風の如く、そう言うと奴は拡声器のハウリングと共に教室から走り去って行った。
 ツッコミを挟む隙も無い。クラッカーの音で全員が呆然となったところをSATのよう
に急襲して、……任務を終えた。
 皆一様にポカーンとした顔で、しばらくは事態を飲み込んでいなかった。
 やがて、誰かが既にこの教室への注入が始められていた重苦しい空気を助長するかのよ
うに口を開いた。

「なぁ……非常にまずくないか?」

 俺を含め全員がゆっくりと頷き、そして頭を抱えたその時だった。
 俺の携帯電話が激しく振動して、メールの着信を伝えた。

「……いっそ死にたい」

 表示されたメッセージの内容を飲み込むのにたっぷり三秒、しばらくは任意で脳味噌の
機能が止まったらしい。
“こっちは相手チーム見付けたから、後四人スカウトしておいてね!断ったら……分かる
よね?アッーだよ、アッー”





「第一回、私立武井布高校杯争奪チキチキ野球大会!!」
「ちょっ……健太郎さん?」

 前述の奴とは、ホームベースを挟んで並び、バッターボックスの最奥で俺達を従えてい
る……健太郎という名前の男だ。

「ん~?」

 語尾に八分音符が付きそうな位に機嫌が良い健太郎の返事。俺の脳味噌は呆れるといっ
た行動すらも出来ない程のメモリ不足に陥ってしまった。

「この……この方々は、えっとぉ」

 いわゆるキャプテンの立つ位置で満足な笑みを浮かべる健太郎。その右にはフリーズ寸
前の言語野を無理矢理に動かしている俺。以下、右にならぶ七人の開いた口が塞がらない
ごく普通の男子高校生。これが、あの時教室にいた仲間全員が必死になって、他のクラス
の友人をデタラメ並べて誘い結成した野球チームだ。

「早く始めたいんだけどな、豊ぁ?」
「この方々はメジャーからお呼びした解説者の皆さんでしょうか?やけに人数が豪華ですが」

 今俺達の真正面に、極めて姿勢よく並ぶ……オークランド・アスレチックス風でお揃い
の格好いいユニフォームに身を包む彼等はというと

「そう見えますかね?」
「全員欧米からお越しの方に見えますよ」
「えー!!まっさかぁ、もう冗談がキツイな豊さんは」

 平均身長は百八十五センチ、胸板が厚くアンダーシャツの袖から覗く二の腕は俺達の太
腿よりも太い、むくつけき外国人さん達だった。

「どういうご関係で……?」
「えーと……初めは横須賀で出会いました、きゃっ」

 ファッション誌のカップル調査のようなテンションの健太郎。

「それって……かいへ
「それでは!!横須賀マリーンチームVS私立武井布高校の試合です!開始の前にお近付きの
印に彼等の自己紹介です!」

 いや、俺のセリフ遮ったクセに自分で海兵隊なのバラしてるし。

「タグチ!」
「オオツカ!」
「スキヤキ!!」

 右から順に、俺達のテンションをほとんど無視して彼等が自己紹介を始め、三人目が気合
十分に名前を言うと、健太郎はわざとらしくずっこけて、朗らかに口を開いた。

「Oh no, Josh!! I know you mean Suzuki!! Say again!!」
「Oh… damn!! スズキデス!ヨロシク!!」

 まったくもってファンキーなテンションで三人目の自称スズキさんと健太郎がやり取り
しているのを俺達はほぼ他人事として眺めていた。はっきり言って彼等の名前なんてまる
で興味が湧かない。見分けなんてつくはずもない。
 そんな冗長な自己紹介が終わり、ホームの利点も無くコイントスの結果俺達の先攻が決
まった。この頃から、一体この放課後にどれだけ暇を持て余しているのか知れない生徒、
教員連中の観客によってグラウンドの外が賑やかになっていった。きっと健太郎が壮絶に
PRしたのだろう。

「ま……いつものアイツにしてはハードルの低い事だと思ってやるしかないよね」
「ん、まぁただ海兵と野球を楽しくプレイするって思えば……」

 普段着でベンチに座っているだけだと、とてもじゃないが野球をするようには見えない
だろう。この災難を共有する七人の仲間達は口々にそう交わしている。
 一番、健太郎。自ら先発投手とトップバッターを名乗り出た。初球、緩い真っ直ぐがほ
とんど真ん中に放り込まれた。先程俺を合わせて八人と言ったのは間違いだった。あと六
人、この災難を共有する、野球部から引っ張られてきた審判役がいた。その主審の右手が
力なく上がる、ストライク。野球はガキの頃のリトル・シニア以来の俺でも分かる。舐め
られている。

「あー……でもさ、健太郎の考える事だからきっとウラがあ
 俺がそう言いかけた時だった。
 二球目の、ほとんど先程の再現VTRのようなスローボールが放たれ、健太郎のバット
は鋭く回転した。快音がグラウンドに響き渡ると、ライナー性の打球は三遊間を鋭く破り
ワンバウンドでフェンスに当たった。

「おぉ……こう言いたくねぇけどさすがだ」

 外野手がクッションボールを片付けた頃には健太郎は二塁ベース上で靴紐を結び直して
いた。周囲の野次馬達から歓声が届く。
 健太郎はリトルリーグ時代、既に横浜ベイスターズのスカウトマンに名刺を貰う程の名
選手だったそうで、何のつもりか五体満足のクセに野球を辞めた時は各方面から惜しまれ
たという。
 二番、俺。健太郎の指名。何故かは分からないがキャッチャー。少年野球時代のカンな
んて既に体は忘れている。
 何気なく左バッターボックスに立つ。相手投手と目が合った。幼い時の野球センスは眠
りについても、根源的な野生のカンは若干生きていた。
 風が言葉も無くすり抜けた。僕等の鼓膜を。
 何かが爆発したような音がした。ワンテンポ遅れて上がる主審の手。同時に

「は……速ぇ」

 と呟いた。
 目の錯覚ではなかった。何か閃光が俺の前をすり抜けたのだ。どうやら相手ピッチャー
の球だったようだ。

「本気に……なっちゃった」

 それまで騒いでいた野次馬達を黙らせたのは、以前少年野球教室で目にしたベイスター
ズの三浦もかくやといった、目算で時速百四十キロは出ていたストレートだった。

「あり得ない、打てるはず無い」

 ベンチで仲間が感情の篭らない口調で感想を述べた。
 俺は心の中で、このまま突っ立っているだけで試合はそこそこ早く終わってくれるだろ
うと思った。その時だった。

「おーい、おーい」

 何とも緊張感の無い二塁ランナーの健太郎が俺達に向かって呼びかけた。

「言い忘れてたけど勝利チーム賞として、負けチームを一時間絶対服従させる権利がある
から頑張ってね!」

 彼はこちらの奮起を促そうとでも思っているのか、そんな効果があるとは思えない。
「あ、あと」

 裏があると言った先程の発言が当たりなのをこの追伸が教えてくれるだろう。

「この人達みー………んなオトコスキーさんだから、頑張ろうね!!」

 時を越えて君を愛せるか、本当に君を守れるか、俺達の貞操。


2, 1

  





 そもそも何故、俺達がこんなジャイアン政権に大人しく従っているのかというと、
この頼れるリードオフマンがジャイアンであるからに他ならない。

「どちらかと言えばよう、俺はMだけどよぉ……ここまでじゃねぇよ」

 三球三振、ベンチに下がりながら俺は己の境遇を嘆いた。腕っ節がジャイアンで脳味噌
が出来杉君とでも言おうか、健太郎はそんな男だ。不良に絡まれているところを助けても
らった、家出して行く当てもなく寒空の下震えていたところをしばらく家に居候させても
らった、煙草を持っているところを教師に見付かり詰問されそうだったところを見事な手
品で物的証拠を隠してもらった……などなど、恩をたっぷり売っているくせに恩着せがま
しいところのない男気や、学年の五本指に入る明晰な頭脳、見ての通りの行動力とか……
根本的な人の良さも含めたカリスマ性に俺達が引き寄せられていると言われればその通りだ。

「さて、一回の表は得点圏にランナーを進めたが運悪く無得点になった」

(運悪く……)

 俺にテレパシー能力は無い。だが、八人が一糸乱れぬ絶妙なハーモニーを心の中で奏で
たのを俺は確かに聞き取った。
 一回の表が終了して、守備に入る前に健太郎がベンチ前に俺達を集めた。グラウンドの
周囲を取り囲んでいた野次馬達は、圧倒的な戦力差を目にして軒並み帰宅の途についてし
まったようだった。閑散としている。

「お前等もきっと負けた時の事を心配しているのだろう。………安心しろ、逃走手段は用
意してある」

 八人の青ざめた顔が並ぶ円陣が一瞬どよめく。

「とは言え健太郎さんよ、この衆人環視の中どうやって逃げる気だい?」

 俺は、この自信と好奇に満ちた健太郎の表情に嫌なモノを感じ、尋ねた。

「学校の隣の駐車場に車を用意しているぜ!」

 再びどよめき。

「笠原さんはダブッてるから大丈夫だね!!」

 笠原さんは病気療養による出席日数不足で留年した十八歳。クラスではほぼ皆が気を使
って敬称が付ける。
 遠慮の無い健太郎の言葉だったが、七人の顔色は血の気を取り戻してきていた。
 しかし

「ほら、ここからでも見える。あれ!あれ!」

 ぴょんぴょんと跳ねながら、健太郎が高々と指差す先に見えたのは

「……まー、立派なスピーカーに国旗、素敵な金色のお花のエンブレム」

 抑揚の無い笠原さんの感想。俺の心臓が一気に動きを速めた。

「とととととととと、とと盗難車じゃねーか健太郎!!」

 しかも、どうみても右翼です本当にありがとうございました。

「まーまー、とにかく逃げ切ればなんとかなるって」
「冗談じゃねーぞ!!あんなので逃げたら男根でほじくられはしねーけど後々弾痕をほじ
くられかねねーじゃねーか!!」
「あら、豊さんお上手ぅ。座布団一枚ッ」

 色んな意味で尻に火が付いた状態だ。
 相手チームの背番号四が俺達に、早急に守備位置につけと促している。
 いかん、中村は守備位置とは逆方向に羽ばたこうとしている。


「それじゃぁ行ってみよーう!!」

 相変わらずのハイテンションでマウンドに上がった健太郎が、ボールを握る左手を高々
と掲げた。とにかく奴が要求したコースに、キャッチャーの俺はグラブを構えるだけで良
いとの事だ。

「……ンな事じゃ打たれるだろぅ」

 前門のハードゲイ、後門もとい肛門か……偽装右翼、次の攻撃の際には携帯電話が大活
躍しそうだ。

「プレイボー……」

 生命感の欠片もない審判のコール。一体彼は健太郎に何を握られたのか。
 初球、サイン“任せる”。

「あの野郎口パクで言いやがった」

 本当に打たれたら敵わない。確かに捕手経験があるのは俺くらいだが、それ以上に野手
陣は素人も素人なのだ。打たれたら何が起こるか分からない。
 初球、アウトロー。左投手が広角で投げてくれれば、初球に右打者がジャストミートす
る確率は低………天に祈る、親に祈る、誰にでも祈る。
 健太郎、振りかぶって第一球。投げ



た。


 投げたのを認識しきったのは、俺の構えたミットにボールが収まった数秒後。審判のジ
ャッジが鼓膜を貫いてから大分時が過ぎていた。
 親指の付け根から肘にかけて、信じ難い痺れが走った。シニア時代にも全国の名門高校
が注目したという評判は確かで、先程俺が相対した相手投手に勝るとも劣らない剛速球だ
った。これが軟式球でなかったら、そう思うと鳥肌が立つ。右手をそっとミットに添えた。
 一瞬で凍りついた相手ベンチ。ボール球、どん詰まりのファールを合計してたった十二
球で一回の裏が終了した。
 俺の左手は真っ赤になっていた。これをあと最低六イニング……欝だ。
 光速で二回が終了。俺達は打席で突っ立っているだけ、相手は巨大扇風機。三回表二死
から再び健太郎に打席が回った。

「なー豊……手とか痛くないのか?」

 笠原さんが話しかけてきた。健太郎は左打席の脇で軽い素振りをしていた。

「まぁ……」
「一体何だ、健太郎は?」
「見えないだろうけどアイツは中学まではプロのスカウトが注目するような名プレーヤー
だったんです」
「はー……とてもじゃないがそんな品行方正な奴には見えないな」
「えぇ……だから昔から悪い事やってもすぐに警察に嗅ぎ付けられて」
「冗談だよな?」
「嘘です」
「こらっ」
「嗅ぎ付けてきたのはヤクザのスカウトで」
「わーい、聞きたくない事が多いなぁ……」

 先程から目の前の三塁手がジロジロとこっちを見ている。

「まぁ俺が構えたところにただ投げているだけですからね……ファストボールも変化球
も。要は相手の打線が振り回し過ぎなんですよ」
「それも……一回りしたら」

 えぇ、という俺の声がくぐもった鈍い音に掻き消され、西陽の射し始めたグラウンドに
俺達は目を向けた。
 健太郎が一塁に向かってゆっくりと歩いていた。フォアボール、さすがに早過ぎる。

「さーすがビヨンドマックス、ありえない飛びだな!!」

 健太郎の視線はライト方向へ、俺はその視線を追った。すると

ガンッ

 ライトフェンスの向こう、夕陽に照らされた営繕倉庫の青いトタン屋根に、高角度でボ
ールが墜落していった。
 両手を高々と挙げ、小走りでダイヤモンドを回る健太郎。

「悪いけど……軽いわ、アンタの球」

 これでまた、俺達への手加減は消えるかもしれない。

「俺達腹いせにぶつけられるかもな……」

 なんだろう、味方の得点なのに、貞操の安全が守られるかもしれないのに……素直に喜
べない。というのは俺だけらしい、ホームインした健太郎にみんなが群がっている。

「スゲェースゲェースゲェーッ」
「いやぁそんな対した事じゃないですよ」
「何を謙遜しているんだお前は」
「だって中村さんの顔程じゃ」
「うるせぇ!!」
「嘘ですよ」
「なっ……」
「本当の事を言ったらどれだけ傷付くか……」
「うるせぇ!!」
「その顔で自信持って出歩かれると僕の野球の腕なんて……」

 結局は健太郎のマイペース。俺は黙って打席に向かう事にした。


4, 3

  


 注目されてもいない二打席目も、無事に見逃し三振。俺はバッドを放り投げて黙々とプ
ロテクターを付けている。

「よぉ、キツかったらペース抑えてもいいぜ」

 健太郎がヘラヘラとマウンドから呼び掛けてきた。
 コイツにペースを抑えさせたら、打たせない為に一体どんなアホな変化球を投げてくる
か分かりゃしない。さっき試しに投げさせたドロップカーブだって体で受け止めなかった
ら振り逃げを喰らってただろう。

「お構いなく!!……そー言えばオメー」

 マスクを付ける前にマウンド上のジャイアンに聞いておきたい事があった。

「このヤバい試合組むのにどんなトリック使ったんだ!?」
「えぇ実際大変でした」

 脇にグラブを挟み、両手でボールをこねながら健太郎が口を開いた。

「彼等が五人がかりで俺を押さえ付けてズボンを無理矢理
「ワーッ!!」

 そういう世界に縁遠い人が読んでたらどうするんだ一体。

「本当は八人がかりで」
「何が真実だ」
「それで止むを得ず条件を付けて説得してこの試合を……」
「テメェー!!俺達を売りやがったなァ!!」

 ファーストで話を聞いていた笠原さんがカタパルト推進でツッコんで来た。

「いきなり何を言いますか!!」

 急に健太郎の顔が凛々しくしまる。笠原さんの顔に、なんだいつもの冗談かという安堵
の表情が浮かんだ。

「巻き添えにしたのはあなた達だけじゃありません!!」

 野手全員の顔が素早く回転して、傍らにいる審判団を青い顔で見つめた。


5

桜島ファイアー 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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