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にわか雨で透けるんですね、わかります.

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 昼休み、ぽかぽか陽気の学生食堂のテラスに陣取って、俺達は話し合っていた。

「じゃあ今日の放課後、みんなで行こう」

 俺がそう提案すると、黙って頷いた健太郎、桜井……と新顔のひとり。彼の名は健吾・ガ
ルシア。こんな名前だが、日本国籍のネイティブジャパニーズで、アメリカ人の父を持つ
帰国子女枠でこの学校に入学した学生だ。
 三時限目を終えてすぐに、体育の授業上がりでグラウンドから帰ってきた桜井が俺達を
呼び止めて、いきなり紹介してきたのが健吾だった。

「アメリカにいた時はバスケをやってて、野球は始めてなんだけど……」

 そう紹介する桜井が彼を誘ったいきさつが、本日の体育の授業で行った体力測定での彼
の溢れる身体能力を目の当たりにしたトコロにあるらしいのだが。

「よろしくですッ!」

 元気が良い挨拶はとてもスポーツマンらしい。
 アメリカにいた頃はバスケットをやっていたそうだが、我が校の男子バスケ部は去年の
暮れに部員が起こした飲酒事件が原因で無期限の活動停止処分を喰らっていて、入部が叶
わずにいたところを桜井に野球部に誘われた、という話だ。

「四大スポーツだからね、サンディエゴにいたからよくスタジアムに行ったよ」

 経験はなくともアメリカという土地柄、何らかの形で野球には触れ合っていたようだ。
 正直、桜井が入部表明二日目にしてここまでアクティブに部の為に動くとは驚きだった。
今まで押し殺していたが、よっぽど野球をやりたいという思いが強かったのだろう。そも
そも幼い頃に世話になったとは言え、少年野球のコーチをやろうという高校生なのだ。そ
の手全体から見て取れる野球への思いには、頭が下がる。

「アメリカじゃフットボールもやってただろ?じゃあフライをさばけるようになるのもす
ぐだよ。期待してるぜ」

 そんな桜井と、部として活動出来る事に安心を隠しきれていない健太郎が、次々と健吾
に言葉を浴びせる。健吾もさすがにこの二人のテンションに面食らっているようだ。
 このバッテリー、俺の中にある未だ足を踏み入れきっていない高校野球への不安を、そ
のまま期待へと変えてくれる。

 健太郎の底の窺い知れない投球の幅、桜井の人を導くのに余りあるコミュニケーション
能力、バッテリーがお互い認め合っただろう選手としての資質が、昨日の夜をロクに眠れ
ないモノに変えてしまった。
 未だ不安は残る。人数的要素、名門進学校のたかが知れた他の部員の実力、設備、練習
時間……でもそれをひとつひとつ言いワケにしていたら、甲子園はおろか大会だって出来
やしない。

 今は、野球が出来るようになった。ここからがスタートだと思えば、この先にあるやる
べき事の多さに、そんな不安を考える暇はなくなるだろう。


 ただ、決定的な不安がひとつ、それが俺の喉の奥でしこりとなっていた。


 ゆっくりと辺りが暗くなっていくグラウンドの脇。
 長さ18.44メートルのカップルシートの端同士で、二人は会話をしていた。言葉はなく、
ただただ石のような硬球を介して。
 健太郎は唸るような風切り音を上げて主張し、桜井はその勢いを真っ向から受け止めて、
星の現れた暗い空を突き破りそうな捕球音で応えた。

「………!」

 もはや舌戦のような二人の対話を眺める少年達は、口を挟む余地はおろか感嘆の声を上
げる事もはばかれるような緊張感に置かれている。辺りが暗くなっていくのも意識の外に
追いやってしまっているのか、両手の指で数えるのが適切な人数が、口をポケーっと開け
たまま見入っていた。

「……ハハッ」

 とにかく笑うしかない、そんな感想が適当だった。
 とにかく健太郎の球が速過ぎる。桜井はそんな健太郎の球を苦も無く捕球している。健
太郎の(わざとだろう確実に)ホームベースの直後でワンバウンドするワイルドピッチも
さして慌てる様子もなく、軽く左肘を脇に引いて難なく捕球している。
 そして、球数にして四十球を数えた頃だった。

「お?」

 予告なく意地悪で投げた、外に逃げながら落ちていくチェンジアップを動揺もせずに捕
ると、桜井がおもむろに立ち上がった。右手にはボールを握り締めている。

「……前田、俺は」

 意を決したような、重たそうな口調で桜井は口を開いたが

「………!!」

 すぐに言葉に詰まって、下を向いてしまった。

「チームの事なら心配すんな」

 重たい沈黙が数秒、それを破るような声は、いつの間にかブルペンのバックネット裏に
立っていた御手洗さんのモノだった。

「御手洗ヘッドコーチ、それは」
「今まで君は十分過ぎるくらいにこのチームに色々と与えてきた。まだ子供達は面だって
言葉にしていないだろうけど、その感謝は上達って形で示しているだろう?」

 薄闇の中ぼんやりと見える御手洗さん、その表情が隠れている。

「それが君のいない所でなくなったりはしないさ、だから」
「………」
「誰に後ろめたい事もありゃしない。桜井君、もう一度やるんだ」


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 かくして、我が武異布高校硬式野球部はリスタートを切った。
 かに見えた。


 昼休みの終わり、俺達は揃って野球部の顧問を訪ねた。電球が切れかけの数学課職員室
でざるそばを啜っていた顧問教諭、村田先生が桜井、健吾の二人分の入部届を受け取ると
渋々ながら、今日の放課後に部員を集めて紹介すると言った。
 と、ここまでは話も早くて健太郎と桜井の機嫌もすこぶる良かった。
 問題が起きたのは、その放課後だった。


 俺達新入部員の目の前に二年四人、三年二人の先輩部員が座っている。村田先生の教室
の席の思い思いの場所で、ある者は机に脚を投げ出し、またある者は部活の会計録を開い
て、そちらとこちらに交代で目を配っていた。

「前田健太郎、一年五組。ポジションはピッチャー、ファーストです。セールスポイント
は両投げ出来る事です!」

 セールスポイントで、軽いどよめきと少し要領の掴めていないリアクションが窺えた。

「佐々木豊、一年五組。右投げ左打ち、ポジションはファーストです。少年野球で四年、
シニアで二年プレーしてました」

「桜井ヒトシ、一年三組。右投げ両打ち、ポジションはキャッチャーです」
「健吾・ガルシア、一年三組です。野球は素人です。日本に来るまではバスケットとフッ
トボールをやってました」

 乾いた拍手の音が数秒、それが鳴り止むと、一人の先輩がおもむろに立ち上がり

「俺がキャプテンのジョシュ・長岡です。他のメンバーは追々個別に自己紹介してくれる
だろうからよろしく」

 そう言って

「じゃ、解散!」

 と、ミーティングを終了させてしまった。
 この早業に唖然としたのは俺だけでなく、新入部員が余る事無く呆気にとられていた。

「え、と……部長、練習はいつ、とかは?」

 桜井が身を乗り出して訊ねると

「ジョシュで良いよ」にこりと白い歯を出して「あー……野球部ね、今まで部員いなかっ
たからグラウンドの使用申請とか出してないんだよね。だから五月上半期は活動休止なん
だ」部長がそう答えた。

 健吾もそうだが、帰国子女受験枠という制度があるので、この学校のスクールカラーそ
のものがかなり多国籍だ。その為、日本の学校のような縦割り社会的身分の差が、この学
校ではあまり感じられない。

「え、でも……裏庭の広場とかで練習とか」

 面長で坊主髪に鋭い切れ長の目、傍から見るとちょっとおっかない感じの桜井が似合わ
ず狼狽していた。そりゃ、これまで経緯もあって、今はかなり意気揚々と野球に挑もうと
いう彼にとっちゃ、これは由々しき事態だろう。

「……ふむ」ツンツンと立てた短い赤毛の部長が黒縁のメガネの位置を直し「おーい、誰
かこの後一年生と練習する人いる?」

 辛うじて残っていた先輩方からは、バイトっすから、今日はちょっと、といった言葉が
聞かれ、結局誰一人練習への参加を申し出なかった。ジョシュ部長も、それじゃ!と言っ
て爽やかに去っていった。

 俺は桜井の肩に手を置いて

「これが……進学校の現状だよ、桜井」

 そう言った。
 不安は的中。進学校では体裁上運動部に入っているような人も多い。




「そーそー、軽く膝を曲げて……捕り方はキャッチボールと一緒!」

 結局、ジャージに着替えて裏庭で練習を始めたのは、俺達新入生だけだった。
 去り際に渡された部室の鍵で、なんとかバットとボール、メジャー等の道具は取り出せ
た。意気込んで持ってきたミズノのスパイクは、使う機会が無さそうだ。
 まずは硬球初体験の健吾を中心に練習メニューが進んでいった。桜井の見初めたさすが
の運動神経か、健太郎のグラブを借りてボールを追う姿が、初心者とは思えないくらい様
になっていた。桜井の教え方も的確でムダがない。

 そんな中、俺と組んでブルペンを作っていた健太郎が唸っていた。

「ん~どうするべきか……」

 始めは土を盛れない為、どう工夫してマウンドを作るか、とかそういう部分で悩んでい
たのかと思ったが

「あのゲイ集団がみんなの住所抑えているってのが嘘ってバレたからなぁ……」

 健太郎なりに、先輩部員をどう練習に参加させるかを考えているようだ。そう言えば野
球部の面々は、先日のアナル決壊阻止野球で健太郎に脅迫されて審判団を勤めていた。

「………」

 彼が部内の人間関係を一瞬で破壊しかねない過去を持っていた事を思い出した。
 さっき先輩方がそそくさと帰った原因はこれだったか。

「お前はよくそれで、またこの学校で野球しようと思ったな」
「ごめん、こうなるとは……」
「健太郎さんの謝罪が信用出来ねぇ!」
「だったら謝らなければ良かった」

 あくまで楽しんでいるなコイツ。
 ホームベースを落とすと、ボフゥと音を立てて周りの砂が舞い上がった。

「とはいえ、やっぱり……やる気の無い運動部に効くガソリンといえば」

 五秒くらいの沈黙。青春真っ只中の男達が求めるモノはひとつだ。
 すると、てんでバラバラな方向を向いていた全員が振り返って視線を合わせ、指を立て
て言った。

「女子マネージャー!」「更なる恐怖!」

 あーっと、健太郎君ひとり却下。
 思春期だなぁと思わせる結論は、野球に打ち込むと決心した割には面白いものだった。

「とは言え、どうするんだ?各部活の新入部員争奪戦は一段落して、それからこぼれてい
て、且つ野球部のマネジャーやってくれる人とかって……」

 いるものかなぁ、そう続けようとしたその時、視界の端に下校する生徒がひとり映った。
 淡い栗色の髪をお団子でまとめた頭、少し鼻にかかる声で笑うその人は

「い、井上さん!」


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「マジで?」
「うん、良いよ。マネージャー、やってあげる!」




 昼休み、購買部に出来る長蛇の列に並び、うんざりしていると

「佐々木お兄さん!」

 そう言われ、不意にポロシャツの背中を引っ張られた。振り返ると、恵比寿顔の井上さ
んがいた。その頭には、何処で手に入れたのかうちの野球部のキャップが……
 昨日の練習中、偶然会えた彼女に当然俺は入部を打診した。




「あー大輔君お兄ちゃん!この学校だったんだー!」

 鼻に掛かるその声が軽やかに弾んだ。

「おい、豊……井上さんとはどういったご関係で?」

 テンションの高くなった俺と井上さんに置いてきぼりを食らっていた他メンバーが訊ね
てきた。

「桜井君も野球部だったんだ!」

 同じクラスなんだ……と軽く桜井に説明されてから

「あぁ、大輔……弟のチームメイトのお姉さん」

 中学まで地域のクラブにいたから野球出来るよ、と俺は彼女をチームの面々に紹介した。
 弟のチームの親子大会に参加した時、彼女も遊びに来ていて飛び入りで足元のおっつか
ないおっさんの代打を務め、見事に三遊間を破る二塁打を放っていた。

「……あのさ、藪から棒だけど井上さん」

 俺は今のこの現状をありのままに井上さんに話した。正直、野球やるために彼女を利用
してんなーとか思ったけど、ぶっちゃけて俺も女マネは欲しいのだ。

「……それでそれで」

 説明を聞く彼女はとても乗り気で、説明する俺も気が良かった。栗色の髪に丸くて大き
な瞳、可愛らしいビジュアルの彼女がマネージャーなら、と思うとどんなヤツにとっても
良いモチベーションになるだろう。
 ここはミスれない。彼女を野球部に入れるんだ。

「で、どうかな?まだ部活選んでるのであれば野球部に……」

 期待の眼差しで見つめているのは、俺だけじゃない。
 中学まで野球をやってたくらい好きならば、きっと

「うんうん、だが断る……!!」
「いよっしゃ、え?あれ?……ええええええええ!?」

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桜島ファイアー 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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