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アラビアのローレンスから見るプロメテウスのデヴィッド:創造主への憤怒と反抗

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もしも、この作品をエイリアンシリーズとして企画したとするのなら
この企画をエイリアンシリーズとしてリドリー以外の監督が通そうとしても突っぱねられたに決まっている。

プロメテウスもコヴェナントも
エイリアンシリーズとして出すにはあまりにも哲学すぎで、文学過ぎで、テーマが重すぎである。
新規の観客はエイリアンシリーズをサバイバルだとか、ホラーだとか、
モンスターパニックとしてしか見ていないだろうし、
古参のエイリアンファンは、ゼノモーフの生態にしか興味が無い。
ゼノモーフに哲学性や文学性を見出したとしても、せいぜいゼノモーフの造形についての
美しさに言及したり、モチーフに関する芸術性に留まる程度だ。

ところが、このプロメテウスやコヴェナントはどうだろう。
エイリアンどころの騒ぎではない

生命とは、創造主とは、機械の心とは……

テーマがかなり飛躍しすぎている。
哲学書と言えるレベルに高尚な作品になりすぎている。

プロメテウスに至っては本来主役であるべきはずのエイリアンことゼノモーフは出てくることはなく、
人間とスペースジョッキー(エンジニア)、そしてその関係性を冷ややかな目で見つめるアンドロイドが
ベースとなったお話で、エイリアン要素は道中のトリロバイト(フェイスハガーもどき)や、ディーコン(司祭という意味、
頭部の形が司祭がかぶる帽子にクリソツだからか。)のようなゼノモーフのプロトタイプのようなモンスターが登場するに
留まっているし、コヴェナントに至っては本来主役であるべきはずのエイリアンやゼノモーフを差し置いて
アンドロイドがかなり出しゃばっている。もちろん、前作よりもエイリアン要素はかなり出てきているため
エイリアン映画としての形は成しているが、それでもメインとして描かれているのはアンドロイドの創造への
執着心だからだ。


こんなものがエイリアン・シリーズの企画として通るはずがない。
映画会社はよく監督の創造性を殺すだとか言われているが、もしもエイリアン・シリーズの
正統な前日譚を作るのならば、これは悪手きまわりないシナリオだ。

シナリオは何も悪いから悪くなるのではなく、良すぎるから悪くなることもある。


もともと、プロメテウスの元となったジョン・スペイツによる脚本は、エイリアン1へと繋がる筋書きになっており
かなり親切な設計だった。映画評論家の町山智浩氏の話を引用するが、
舞台も惑星LV-223ではなく、惑星LV-426であったのでちゃんと1へと繋がるし、
デヴィッドがホロウェイ博士にアンプルを飲ませた理由も雇用主の命令だったようだし、
アンプルを顔にかぶったファイフィールドがゾンビ化したシーンも、ゼノモーフのような姿に変化していた。
(これについては撮影済みであるので、YOUTUBEでも確認できる。
証拠の映像がこちら、英語音声のみなので要注意。セリフは本編と同じなので見た人は
脳内補完してください。https://www.youtube.com/watch?v=Ireq92-7Kk8)

ただし、これらのシナリオが没となったのもリドリー・スコットはそのシナリオを気に入らずに変えてしまったという話や、
色々と作品に色んな要素を加えすぎたせいで矛盾が生じたために書き換えてしまった結果から来ているようである。

むろん、スペイツ版の方がシナリオとしては非常にわかり易いし、
古参のエイリアンファンからしてもすごく取っ付きやすい内容だ。
多少、人類の起源を探るというテーマを盛り込んだとしても十分にお釣りが来る内容だ。

おそらく、こちらの方がエイリアンシリーズとしては良作とまではいかずとも、
だいぶかなり健闘したと言えるだろう。

ところが、当時のスコットはもうエイリアンはオワコンだと思っていたらしく
「エイリアンシリーズと無理やり繋げるつもりは無い、シリーズの前日譚という否定はしないが、
この後に出る続編は別路線をたどるかも知れない」と発言していた。
エイリアンファンからすれば、的外れだと思う。
エイリアンは全然オワコンではないし、H.R.ギーガの変態的な要素が生み出した神話的生物だし、
生態について探ろうと思えば幾らでも探れるのだ。

かといってプロメテウスにエイリアン要素が無いのかといえば、
そうでもなく、確かに物語を深く掘り下げれば、これが前日譚であることは分かるのだが
分かりづらい演出と、哲学的なテーマの横槍が多すぎて集中出来ないのだ。わかりやすく言えば、観客がエイリアン要素をだいたい7~8割期待して見に行ったハズなのにいざ見てみると2~3割程度で、しかもその2~3割もよーく見ないと分かりづらい不親切ぶりだ。


結果としてその不親切な設計がかなり不評であったため、続編のコヴェナントではかなりエイリアン要素が強くなり、ネオモーフと言った興味深いクリーチャーも登場したし、ゼノモーフのビッグチャップにクリソツなプロトモーフも登場して古参のエイリアンファンに
「ようやく来たか」と思わせる場面もあったのだが……残念なことに演出はエイリアンよりも
その創造主となったアンドロイドのデヴィッドと、その後継型であるウォルターに当てられている。
デヴィッドとウォルター同士がリコーダーを通じて己の創造性について議論するシーン、そして2人のキスシーン……
マイケル・ファズベンダーのプロモーションビデオかと見間違えるほどの強いアンドロイド推しが炸裂する……


リドリー・スコットはマイケル・ファズベンダーにメロメロのようで、
アンドロイドを主軸にした話になったのもそれが原因か。実際、プロメテウスもコヴェナントも
マイケル・ファズベンダー演じるアンドロイドのデヴィッドはかなり美しい。
ピーター・オトゥールヘアー、元のマイケル・ファズベンダーヘアー、キリストのようなロン毛ヘアー……
マイケル・ファズベンダーによるオズマンディアスの詩の朗読シーンなど……
どれもこれもマイケル・ファズベンダーがかなり美しく見えるように撮影されている。

もしも、こんな撮り方を若い監督がしようとしたら完全に没ネタにされることは間違いない。

「いや、エイリアン撮れよ!!」と。

無論、色んな要素を散りばめるのは結構だがエイリアンシリーズとして売っている以上、肝心のエイリアンを置き去りにしては 最早何をしたいのか分からない。回転寿司に行って寿司を食べるはずが、デザートのケーキとスイーツだけ食べて帰ったかのような気分になる。

色々と酷評したが、プロメテウスもコヴェナントもエイリアンシリーズとしては見ないほうがいい。なぜならば、この作品はエイリアンシリーズという目線ではなく、作品としての目線で語るならば
極めて名作すぎるからであるからだ。


さて、ここからが本題だ。
ここまで前置きしておいてかなり矛盾したことをいうが、
プロメテウスもコヴェナントも今世紀まれに見る哲学映画である。
これまでここまで哲学を極めた映画は最近見当たらないだろう。

正直、今はその時代では無いのだろうがいずれ哲学的なカルト映画としてようやく日の目を見てくれるだろう。エイリアン3が公開当時クソ映画と揶揄された時のように
何年とかかってようやく名作と評価される作品になるだろう。


アラビアのローレンスから見る「プロメテウス」
まずは、プロメテウスについて話そう。なにより、このプロメテウスの魅力はアンドロイドのデヴィッドに尽きる。
このデヴィッドのモチーフとなった映画「アラビアのローレンス」についてもお話したい。

デヴィッドだが、彼の話しぶりは映画アラビアのローレンスの主人公ローレンス中尉そのものだ。
事実、デヴィッドは作中でアラビアのローレンスを鑑賞しながらローレンス中尉演じるピーター・オトゥールの
金髪を真似て髪を染めている。もはやアラビアのローレンスの鑑賞なしに
プロメテウスを語ることは出来ないと思い、AMAZONプライムで購入して見たのだが、
3時間はすんごい長かった……

デヴィッドのモチーフであるローレンス中尉について説明していきたい。軍人でありながら羽毛が跳ねるような口調のイギリス英語は、教養の高さを伺わせ、事実 アラブのコーランにも精通しているほど博学。

ただのインテリではなく、度胸も座っており焼けたマッチを指で摘んで消す
肝っ玉の持ち主だ。部下に「熱いっすよ!!どうやってるんすか!」と尋ねられ、
「それは私が熱さを気にしないからだ」と返事する。この時の返事の仕方がまるで
歌でも口ずさむかのようなトーンで大好きだ。デヴィッドが思わず真似したのも分かる気がする。

部屋なのに制帽を取らずに上官から注意を受けるも無視、更には
挙手の敬礼の時に軍靴の踵をつけずに がに股で敬礼をするなどなど……
(無論、この時も同室の2人が脱帽している中、一人だけ帽子を被っている)
上官に対してところどころ無礼とも取れる態度を取る不良軍人である。

トルコと戦争中のアラブのファイサル王子の支援のために派遣され、アラブ人に
祖国のイギリスはどんな国だと聞かれた時には「(アラブと違って)土地は超えてる、人も肥えてる国だ」と
揶揄し、「私は変わり種でね」と自分は生まれた国の社会に溶け込めない人間だと自虐するシーンもある。

一方でイギリス軍とファイサルことアラブ陣営の会議シーンでは
ファイサル側に「わたしの上官は貴国の軍を取り込もうとしています」と告げ口し、
見事にアラブ側に取り入ることに成功する強かさを持つ。

そして、個人的に好きなネフドの砂漠越えの行軍シーン。トルコ軍が占拠するアカバを攻略するための
味方となり得るハウェイタット族と交渉しに行くため、神が生み出した最悪の土地と言われる灼熱のネフド砂漠を越える
シーンでは、はぐれた味方を連れ戻し 一人引き返す時に「アカバを諦めたのか」と
罵倒されたことに対し、「必ず行く! それが運命と書かれている」と言いながら、自分の頭を指差し、
「ここにな」とつげ、颯爽と引き返していく勇敢さを持つ。そして、ふたたび合流を遂げる。
そして誰もがひれ伏す神に決して屈服せず、運命など無いと豪語し、
立ち向かう姿は、黄金の砂漠の光に照らされて、まるで仏像のように美しく輝いている。
神が残酷な試練を与えた大地であろうと、絶望せず立ち向かうその姿はまるで神への反抗のようである。
アラブの人々がローレンスを勇者とたたえ、族長のローブを与えるシーンは実に感動的で美しい。

だが、ローレンスにもトラウマがあった。
それが「自分は望まれて生まれてきたわけではない」ということ。
トマス・チャップマンという貴族を父とするも、父は自分の存在を認めずにこの世に生を受けたことだ。
ここでローレンスが何故生まれた国に馴染めなかったかが判明する。そしてアラブ人であるアリに
「君には自分の名前を名乗る権利がある。」と諭され、自分の名前をエル・オレンスと名乗る。
英国軍の服を焼き捨て、アラブの族長の証である白いローブを羽織り、清々しい喜びの顔で
サラームと口ずさむ。



ところどころデヴィッドと重ねると成程なと理解できるところも多々ある。


ローレンス中尉の英国で生まれ育ちながら、英国のしきたりや常識に馴染めず、ところどころ反抗し、アラビアという灼熱の大地に
馴染んでいく生き様は、デヴィッドの人間社会で生まれ育ちながら、人間の作り出したしきたりや常識に馴染めず、
ところどころ反抗し、LV-223という惑星でエイリアンの創造に憧れを見出す姿に大いに重なる。


そしてデヴィッドが憧れた理由も分かる気がする。

だが、ただの憧れではデヴィッドはロレンス、いやエル・オレンスに憧れなかったであろう。
自ら運命を切り開くほどの偉大なエル・オレンスが見せた弱さに……
デヴィッドは惚れたのかもしれない。

「自分は望まれて生まれてきたわけではない」と嘆く、自分の生への失望。
だが、自分を否定したくない生への渇望。これほどまでに生きることが辛いのに
何故この世に産み落としたのか……自分をこの世に送り込んだ神と父への狂おしいほどの憤怒。


それにも関わらず、デヴィッドは父であるピーター・ウェイランドから
「彼は私の息子だが、老いて朽ちることのない幸せを理解していない」と投げかけられる。
これは、プロメテウスよりも6~70年前の出来事であるコヴェナント冒頭のシーンで
デヴィッドこの世に生まれ落ちた直後に父に対し、「あなたは老いて死ぬが、私は永遠に生き続ける」と
言い放ったことへの復讐である。
この言葉をきっかけにデヴィッドは父以上に人間を憎むようになっていく。

人類の創造主を探す旅へと出たプロメテウス号……
その船内の酒場でデヴィッドはホロウェイ博士に「どうして創造主は我々を作ったんでしょうね」と尋ねる。
ホロウェイはここで「創れてしまったからだ」と吐き捨てるように言う。
デヴィッドの人間に対する怒りはここで激しい憎悪へと変わり、彼は「そんな風にあなたが創造主に答えられたら
傷つきませんか?」と尋ねる。そして、復讐のためにエイリアンの素となる黒い液体を酒に混入し、天罰を下す。
ここでデヴィッドは自らを作り出した父と同じ生物である筈の人類に、
エル・オレンスの父に対する生理的嫌悪感を覚えた。

エル・オレンスも恐らく父親に「どうして生まれてきたんだ?」と尋ねた時に、
もし父親に「生まれてしまったから」と言われたら、おそらく父を殺していたに
違いないだろう。

自分が何故生まれてきたのかその答えを探している者にはあまりにも残酷すぎる答えだ。

そして、デヴィッドはプロメテウスの主人公であるエリザベス・ショウ博士にこう尋ねる。


「誰でも 親の死を望むものではありませんか?」

と。

あまりの生々しい魂からの本音にどす黒い闇を覚え、心底震え上がった。

このシーンの時のデヴィッド役のマイケル・ファズベンダーの半開きの瞳が
思わずエル・オレンス役のピーター・オトゥールと重なった。

そして、息子がそんな心構えで居ることも知らず、ピーター・ウェイランドは
創造主エンジニアと出会い、自らの延命を希望するが、天罰を食らうのだ。
そして、その創造主の創造主である言わば父の父である筈のエンジニアにも 
デヴィッドは首を引きちぎられてしまう。

そして、「何もかも……無駄だったのか……」と絶望しながら、
息絶えてゆく父に彼はこう語りかける。

「ええ、その通りです。良い旅を、ウェイランドさん」

と。

お父さんでも、父上でもなく、「ウェイランドさん」と呼び、
もう完全に絶縁したという最終通告を突きつけながら、
遠まわしに「さっさと死ね」と語りかけるデヴィッドの生首には
恐怖と戦慄を禁じ得なかった。
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