勝ちたいならば狩ればいい
テーブルの上に、まだカードが散らばっている。先の勝負の名残を、ヴェムコットは片付けずにしておいた。そんなふうに勝負の形跡を壊さずにしておくことが、不思議とヴェムコットは気に入っていた。道楽というべきか、趣向というべきか。誰かが切り、放ち、伏せては開けたカードがずれたまま置かれていると、ゆっくりと揮発して記憶に散っていく過去の光景が透けて見えるようだった。
視界の中で、真嶋慶は眠っている。休憩の間、椅子に深く腰かけ、目を閉じて動かないことが多かったが、どうやら寝ているらしいとヴェムコットは気づいた。この男は死んでいても眠るのかと驚く。悪夢でも見ているのか、どことなく息苦しそうに眉をひそめているプレイヤーを起こさないように息を潜めて、ヴェムコットは最後の勝負のカードに触れる。
それは頭部五枚の札だった。慶の最後の手だ。このボディポーカーで、もっとも強力な役。それを慶は、ノーチェンジで引き当てた。拮抗していた四回戦の収支は、最後の逆転でほんのわずかに慶に傾いた。
電気椅子の結果は、どちらも撃中なし。これまですべての電気椅子で、双方ともに命中させてはいなかった。
ゆえにこの勝負、未だどちらも傷を受けていない。
だからというべきなのか、戦況は拮抗したままだ。
もしも、どちらかが撃中したら――それを境に一気に勝負の形勢が決定されてしまう。そんな予感をヴェムコットは覚えていた。
「真嶋慶――おまえは本当にわからないやつだ」
奴隷人形の呟きに、バラストグールは反応しない。死体は死体らしく、沈黙しているのが正常だと言うかのように。
「このまま『首狩り』を続けていれば、おまえは負けるぞ。それとも――勝ち切ってみせるというのか?」
首狩り。
真嶋慶が二回戦から続けて三戦続けて使用している戦術を、ヴェムコットはそう呼んでいる。
発端は、すでに最初のゲームからあった。
配られた五枚を見ずに破り捨て、ドローカウントを5点得る。
そこからチェンジ用の五枚を配られ、事実上のチェンジ不可、配られたその五枚で勝負する――ドローカウントと引き換えの捨て身の戦術。
それを継続して使用してくるところまでは、ヴェムコットにも、おそらくリザイングルナにも予想できていたはずだ。
真嶋慶の性格からして、保身よりも攻撃を選ぶ。
だが、慶はそこからさらに動いた。
見た五枚から、さらに二枚を破り捨てたのだ。
残したカードは、当然三枚――そしてドローカウントは、相手がオリるか、賭金が整列し手札公開に至らなければカウントされない。ゆえに、慶はオリずにその三枚で勝負しなければならなかった。自分自身がオリない限りは。
リザナも、危険は感じていただろうが、そのときすでに威嚇として賭金を吊り上げてしまっていた。オリれば、真嶋慶にドローカウントと電貨をみすみす与えてしまう。手札に不安はあったが、勝負を受けた――
結局、その回はリザナが胸部三枚にバラ足が一枚ずつ、慶が頭部三枚のスリーヘッドで勝ち越した。そのカードを見た瞬間のリザナの瞳に動揺が走るのをヴェムコットは複雑な心境で眺めた。
頭部三枚――その組み合わせはリザナが唯一負ける組み合わせだったから。
胸部三枚までであれば、あとは空手の慶と違って残札を構えているリザナの勝ちだった。
まんまとしてやられた――そこで終わっていれば、単純な真嶋慶の曲芸じみた勝星の一つで終わっていただろう。
だが、慶は、そこからやめなかった。
よほどヴェムコットは並び立ち、リザナにカードをディールしているエンプティに聞きたかったものだ。
どう思う、と。
エンプティは表情にこそ何も出さなかったが、じっと慶の手札を見つめる瞳は、なかなか毎回外れなかった。
もし、逆の立場であったら、ヴェムコットはリザナをはっきり制止していただろう。たとえ礼節を失しても。
来る巡、来る巡、慶はカードを破り続けた。
そして新たに配られた五枚から、数枚、千切り捨てる。
そしてオリずに公開される手札には、頭部以外の札がない――
ゆえに、――首狩り。
もちろん、勝率がそれほど高いわけではない。
当然ながら手役はリザナの方がよい場合が多く、確実に勝てるのであれば、リザナは極限まで賭金を吊り上げる。
だが、それでも慶はオリずに手を開ける……そして確実にドローカウントを5点手に入れ、さらに追加で破棄したカード分のカウントも増える。
ワンゲームで追加ドロー権を買っているようなもの。
これを連発されてはリザナが動揺するのも無理はない……
これではゲームが崩壊する――そう思った。
当然、リザナもその手法を模倣して、ドローカウントを増やすために初期五枚破棄を踏襲してくるものだとヴェムコットは想像した。
だが、彼女はそうせず、むしろ冷静沈着、器想盤石とでも呼ぶべき姿勢を取り戻し――基本に忠実なポーカーをしてみせた。
配られた五枚を確認し、不要な札を捨て、チェンジする。
切札でのみカウントを残し、ダミーカウント(切札ではないパーツカードの公開枚数)がそれぞれ6を超えるよう調整してから、後半で追加ドローする。
真嶋慶とは対極にある常套戦術――それは、決して弱くなかった。
現に、真嶋慶は打点で押されている。
三回戦も、ラストの五枚まるごと引き直しによるファイブヘッドでかろうじて収支決算の帳尻が取れた程度。オリずに突っ込み、打点が高くても頭部三、四枚なのだから着実に手札を揃えてくるリザナに勝てるはずがない。追加ドローしたところで、アンバランス(役三枚、二枚の組み合わせ。通常ポーカーにおけるフルハウスだが、ボディポーカーではそこから三枚、三枚の組に変化する可能性がある為、呼称が異なる。ちなみに、三枚、三枚はダブルパーツと呼ぶ。なお、ボディポーカーでは『フォーカード』は『アンバランス』に負ける)には頭部四枚でも勝てない。
そして何かの信念なのか、それともあまりに自分が優位になればリザナが暴発して破棄戦法を鏡撃ちしてくることを恐れているのか――その豊富なドローカウントがあるにも関わらず、慶は頭部を引ける時しか追加ドローしない。
その気になれば溜まったカウントで、さらに五枚引くことすら可能――そういう場面ですら、頭部が引けるという確信がない限り、追加ドローのめくら撃ちを決してしない。
いったいどういう神経を使っているのか、慶は必ず、首狩りでは頭部のみを引く。
他のカードは一切、手札に入れていない。
もはや綱渡りの粋を超えている。
思わずディーラーの配るカードの不正を疑ってしまうところだ。
――それが自分自身でさえなければ。
ゆえに、戦況は一定のバランス――真嶋慶のやや劣勢――を維持しつつ推移する。
ヴェムコットは思う。
この首狩り戦術のメリットは、自分の切札を隠蔽できるところにある。
破棄札によるドローカウントでのみ追加ドローする為、決して自分の切札の気配を相手に匂わせることがない。
もしあるとすれば、頭部そのものが切札である場合だが、それをやればバレた瞬間に狙い撃たれる。
徹底したカードの選択、一度やると決めた以上は、何もかも捻じ曲げてでもやめない。
相手の実力を踏まえた上で、苦戦を演じているのだとすれば――賭博師としてリザイングルナが真嶋慶を撃破できる可能性は、皆無だ。
だが、それでも、真嶋慶が勝利する――その未来をヴェムコットは感じない。
そして、彼女を生き返らせるという真嶋慶の目的に対して、自分の胸の中で渦巻いている感情の正体も……わからない。
「真嶋、おまえ……」
とヴェムコットが呟きかけたとき、その慶がふと目を瞬いた。そしてそれを待っていたかのように、船室の扉が開く。
次のゲームだ。