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「自我における試論と考察」

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 見ず知らずの他人が書いた文章なんてものを読まされるという事は多少なりとも不快感が伴うものであり、個人思想に塗り固められたその人なりの生い立ちや癖が大いに反映された文字列を目で追う行為は気力体力ともに消耗することだろう。
 だからこそ私は貴重な読者諸賢に敬仰をもって自己を開示する行為から始める事が礼儀だと考えている。どこか遠い地で私の知らぬところの貴殿貴女に敬慕を持ってこれを認(したた)めたい。
 なお己を誰もが閲覧可能なインターネッツの海に露出する事は私の頭頂部から爪先まで、あるいは尻穴までを晒す事と同意であり、私も腹をくくっている所存であるが、これを読む者もそれなりの覚悟を持って目を通していただきたい。
 さすればいつしか互いに絆が芽生え、良き理解を持ってこの雑文を許しあえる日が来るだろう。
 以下、私の来歴を記す。

 ○

 0歳 小さな授産院にて生誕。なかなか泣かず、産婆が尻を叩いた時に「Rock Is Dead」と初めて声をあげる。後にお産に立ち会った産婆は「マリリン・マンソンの後継が誕生した」と語った。

 2歳 発語をせず奇声ばかりあげるわが子に両親は憂慮し祈祷を願い出る。お祓いを受けると、その額には「666」の文字が浮かび上がった。

 10歳 給食の残したパンを校庭に忍び込んでくる野良犬に与えていると、いつしか野良犬が群れをなし押し寄せ後をついてくるようになる。学友からは魔獣使いとして恐れられる。

 15歳 付き合う友達すべてが選挙の日にだけ連絡してくる事に疑問を覚えながらもすくすくと育つ。

 18歳 時計台のある大学に入学。嵐の日、気象実験をしていると時計台に落雷が直撃。1.21ジゴワットの電流を浴び無事未来へと送還された。

 22歳 大学卒業。アイドルになる夢を捨てきれず、路上で物乞いをしながら自主制作CDを発表。2枚という驚異の売り上げを記録し、その勢いのまま怒涛のアルバム制作へ。

 同年夏 累計訪問者月4人の個人ホームページでシークレット告知後、自主制作アルバムがファイル共有サイトに流出し絶賛ダウンロードされる。

 23歳 その後三年間の充電期間。一部界隈より過充電家として親しまれ、著書「ただ緩やかな死の中にいる」は話題となり「過充電」が流行語大賞にノミネート。

 現在 海外スバールバル諸島・ヤンマイエン島の監獄に収監。獄中にてこれを書いている。

 ○

 以上となる。
 より詳細を記したいところであったが、全てを記録すれば聖典並みのボリュームになってしまう事から一部を除いて割愛させていただいた事をお許し願いたい。
 これらの経歴を履歴書に書き綴ればそこらの企業はおろか古都の某優良企業である任○堂さえも舌を巻いて即採用の印を押す事間違いなしの輝かしいマイロードである。
 どうであろうか。少しは私という人となりを知っていただけたに違いない。生まれも育ちもよく、清楚で、心優しく、まるで高山に可愛らしく咲く一輪のあざみのような人物をご想像されている事であろう。
 諸賢らは別懇(べっこん)の意を持ってこの雑文を生暖かい目で見守ってほしい。
 そうして、あなたの暇にそっと埋まれますように。

 追記:飾らないのも寂しいものなので、出町柳心中の表紙絵を募集しています。採用された方の中から一名にディープキスをしたいと思います。どしどしご応募してください(>_<)
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