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https://youtu.be/hpocJc-x-V4
越してきて百年になる。東京はずっと工事中である。毎日何処かに何かが建ち、掘られ、解体されていく。風景が変わり、住人が変わり、人が変わる。私は猫のような生き物で、百年過ぎてもあまり変わらぬ姿でいる。東京に来る前には京都に居た。京都の前は九州で、その前は中国。ロシアやギリシアにも居た気がするが、年々記憶は曖昧に溶けていく。
改築する未来より、解体される末路の方が近そうな喫茶店に私は現在住み着いている。店主は私の事を「コーヒー」と呼ぶ。茶色と白の毛並をからかってそう呼ぶうちに定着した。客のオーダーを確認する際に私の耳がぴくりと動くのを面白がっている。お気に入りの常連客にはその事を大変な秘密のように教えて悦に入っている。私の元にはコーヒーは持ってこない。
店内にはうるさいロックがよくかかっている。百年前にはなかったものだが、百年後も誰かに歌われていそうだ。ある時、流れている曲を歌っている当人が客として来た。
「俺この間のライブでこの曲歌ってる時にちんちん出したら、後で警察にめちゃめちゃ怒られたよ」
それはそうだろう。そしてその事を猫に愚痴るな。一人で来てるのに喋り続けるその男は、私に触れたり話しかけたり、店の隅にある知恵の輪を外したりまた元に戻したりしていた。
男はたまに来て「俺、一人になっちまったよう」と愚痴ったり、頭をかきむしりながらノートに歌詞を書いたり鼻唄を歌ったりしていた。店内ではちんちんは出さなかった。私を見つめながら歌詞を書いていた事もある。「お前に向けたラブソング出来たぜ」変態である。
月日は流れる。世間の価値観も変わる。かつてライブでちんちんを出していたあの男は今やテレビドラマに出る俳優もやっている。店主はドラマを見ないので内容は分からないが、撮影スタッフと共にあの男が私の元に現れたのだ。
「いやー、全然変わんないっすね、ここは。そんで無愛想な猫がいて。まだいる!」私はカメラを避けて店の隅に逃げた。本当にデリカシーのない男だ。
撮影の合間に男は久しぶりに知恵の輪をいじくっていた。スタッフも挑戦するが誰も解けない。そもそもこの百年、それを解いた者は他にいなかった。多分何も考えないで触っていたから解けたのだろう。
ある時その男は一人でふらりとやって来て、珍しく静かにしていた。コーヒー一杯を頼むと俯いて涙など流し始めた。店主の運ぶコーヒーと共に私も男の元に近寄り、寄り添って座った。男は私の背中を撫で、喉元に触れ、しっぽをいじくった。しばらくそうしていちゃついていると、男はぽつりと呟いた。
「テレビの収録中にちんちん出したら、めちゃくちゃ怒られた」
「当たり前やがな」
つい声に出た。男は少しだけ驚いた。それから軽く、キスをした。男の方から一回。私の方から二回。
(了)