動画はこちら
https://youtu.be/SN8J4OJwnRY
訳詞はこちら
http://rinrin.saiin.net/~musiclads/lyric/morrissey/firstofthegangtodie.html
結局小説ばかりを読んでいる。
モリッシーが、ヘクターという名の「初めて死んだギャング」について歌っている。初めて死んだギャングって何だと思いながら聴いている。モリッシーの言う事だから真に受ける必要もない。初めて死んだギャングは初めて人を殺したギャングでもあったのだろうか。ヘクターは昔の人らしい。皆のハートを盗んだのだとか。そんな事で刑務所に入るのか。若いうちに喉に銃弾を撃ち込まれて死んでしまうのか。
文章を食べている。むさぼっている。読書生活再開の際には、小説以外の本も合間合間に読んでいくつもりだったのに、小説ばかり読んでいる。昔読んでいた作家を中心としながら、初めて触れる作家や、これまであまり読んで来なかったジャンルにも手を出す。
歌声に想いを馳せている。花村萬月「ロック・オブ・モーゼス」の中で述べられていた、声質の話が頭にこびりついている。歌声を発する喉の機関の構造は人それぞれ違っており、魅力的な歌声の持ち主というのは生まれつき決まっているのだとか。私が思い浮かべた歌い手はクリス・コーネルだった。サウンドガーデン時代ではなく、オーディオスレイヴやソロ時代のクリスの歌声だった。本を読みながら聴いていたソロ・アルバムの中に「Like A Stone」のアコースティックバージョンが入っていた。本を読みながらいつの間にか歌声に感動して涙を流していた。意識する前から魂が震えていた。
陽気に歌うモリッシーは明るいのか暗いのか分からなくなる。モリッシー自身はザ・スミス時代を毛嫌いしているが、あまり私はモリッシーとザ・スミスを区別していない。サウンドガーデンとオーディオスレイヴはバンド名の作りは似ているが曲は似ていない。
小説の話に立ち戻る。この文章は寝転びながら書いている。LED電灯に変えていない洋室の電灯紐が揺れている。結局小説ばかり読んでいるという話と、読む手段やツールの話だ。モリッシーは初めて死んだギャングを歌った。私は初めてKindle Unlimitedを利用してみた。書籍版サブスク、定額読み放題というやつである。音楽と違い、「数千万冊読み放題!」というわけではない。読み放題の作者や作品は限られている。だが光文社の古典新訳文庫が大量にラインナップされていたり、人気作家でもたくさん解禁している人もいる。
近頃息子の健三郎が、私が本を読んでいるのを真似て絵本を広げたり、読めもしない文庫本に熱心に額をつけていたりする。スマホで電子書籍に向かっても真似してくれないよな、と思うので、アナログ読書も止める事はしない。
そんな中でKindle Unlimitedで読める中に「後藤明生電子書籍コレクション」というシリーズを発見し、契約継続を決めた。薄々感付いていた人もいるかもしれないが、今回の芯があるようなないような、話があちこち行きつつまた戻るような書き方は、後藤明生の作風を意識してのものである。
Wikipedia「後藤明生」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%98%8E%E7%94%9F
「内向の世代」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%90%91%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3
日本文学史上「内向の世代」と呼ばれる作家群を私は一頃熱中して読んだ。古井由吉、日野啓三、阿部昭、そして後藤明生。昨年亡くなった古井由吉の小説を読むたび、自分の書くものが古井由吉の文体の猿真似になった。日野啓三の短編「天窓のあるガレージ」は、フィル・コリンズ「In the Air Tonight」が流れ続ける音楽小説なので、いつかその事について書きたいと思っている。私の耳には最初のギャングが死んだ、とモリッシーが歌い続けている。なんだかのらりくらりとだらだらと書き続けているだけのようだが、それは私がやや過剰にだらりと、ぐらぐらと書いているからに過ぎない。本家でも急に子供達が見ていたアニメの話に飛んだりもするが、そこはそれ、あれである。要するにそういう事である。
歌い手を意識した事で、好きなバンドのボーカリストのソロ活動時の曲を聴いてみる。ロバート・プラントは老いてなお現役である。クリス・コーネルはもう年老いる事は出来ないが、彼の歌声は私が死ぬまで私の中で響き続ける。ティム・クリステンセン(デンマークの国民的ハードロックバンド、DIZZY MIZZ LIZZYのギター&ボーカル)の歌声は気だるく、優しい。
モリッシーはまだまだヘクターという初めて死んだギャングについて歌い続けているが、私はそろそろ筆を止める。続けようと思えばどこまでも続けてしまいそうだから、眠れなくなる。
「後藤明生電子書籍コレクション」冒頭には、後藤明生の娘さんが書いた文章が掲載されている。作品のほとんどが絶版となり、古書店での価格も高騰して、読者の手元に届きにくい状況を憂いて、多くの人々に行き届ける事が可能な電子書籍という形態での刊行を喜ばれている。
まだ未読の後藤明生作品を私は読み耽る。「嘘のような日常」という中編小説を読み終える。読み終えたその日にこのような文章を書いている。
結局小説ばかり書いている。
小説ばかり書いていく。
(了)