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「More Than Words」EXTREME

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動画はこちら
https://youtu.be/UrIiLvg58SY
訳詞はこちら
https://sentimentalblvd.exblog.jp/amp/237519394/


 鴨長明(1155〜1216)は誰に読ませるでもない言葉を書き連ねていた。やがて「方丈記」「無名抄」「発心集」としてまとめられた文章も、隠棲した庵で琵琶を爪弾きながら執筆したものだった。楽器演奏の傍らか、執筆の合間の演奏か、境目は曖昧になっていた。若き日に見た大飢饉の惨状を余すことなく記した。人の世の無常を記した。自分の来し方を記した。

「これを書いて何になる」と思いながら、書く事は止めなかった。生きる事と書く事は同義だった。眠れば夢の中で琵琶を弾きながら言葉を紡いだ。

 その頃音楽はまだ不自由なものであった。師が許可した曲しか、人前での演奏は許されなかった。長明にはそれが納得出来なかった。師が亡くなり、たがの外れた長明は禁忌を犯した。秘曲と呼ばれる、師からの許しを得ていない曲目ばかりを選んでライブステージで披露した。モトリー・クルー「キックスタート・マイ・ハート」、ジューダス・プリースト「ペインキラー」、そしてマキシマムザホルモン「恋のメガラバ」。結果、長明の演奏に熱狂したオーディエンスにより、ステージは崩壊し、多数の負傷者も出た。長明は全ての歌会から追放され、全国のライブハウスを出入り禁止となった。

「秘曲づくし」と呼ばれるこの事件は、長明ゆかりの神社の禰宜(神職の一つ)に内定しかかっていたのが他の人にかっさらわれたからとか、歌の師匠が亡くなったのをきっかけに、全ての人に自由に音楽を楽しんでもらいたかったとか、ただハードロックではっちゃけたかったとか諸説ある。今に続くモッシュピット文化は長明のステージが発祥と言われている。

 出家して山の奥に庵を作り、世間から離れてからの長明は、むしろそれまでよりも幸福に生きた。オーディエンスのいない独演では、声量も選曲も誰はばかる事無く自由にやれた。近隣の者に乞われて読経に行けば、木魚でビートを刻んだ。近所の山小屋に住んでいる童子と山菜採りに出かけ、ついでに鹿や兎を素手で倒した。その日を生き延びるだけの食料で腹を満たせば、後は琵琶を抱いて筆を取った。

 本当は音楽と執筆だけで過ごすべきではないのではないか、と長明は思う時がある。他の人と同じように、妻を娶り、子を成し、次代へと命を繋ぐ。田畑を耕し、作物を育て、人の命を延ばしていく。今思えばどのような生き方も出来たはずなのに、自分は誰に届けるでもない言葉ばかり書き連ねている。言葉以上のものを残したいのに、言葉以外に人に与えられるものがないから、性懲りもなく言葉だけを吐き出し続けている。川の流れに浮かび上がる無数の泡のように。

 長明はEXTREME「MORE THAN WORDS」を弾き語る。言葉以上の何かを求めて、言葉だけじゃ伝わらないんだよ、と歌う歌を歌い上げる。山の獣達が長明の歌を聴きに庵の近くに集まってくる気配がする。その中で自らの寿命を悟った、年老いた一頭の猪が、頭を垂れて長明の前に進み出る。演奏が終われば、猪を屠って食べようか、屠らず寝床にして朝まで共に過ごそうか、と長明は考える。それら全てをまた書き記していく。


(了)


鴨長明Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E9%95%B7%E6%98%8E
大体史実通り
107

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